バカとウソ
落とし穴。
罠の一種。
陥穽とも言う。
穴を掘り、そこに穴が有る事を隠す為、葉っぱや草などで覆ったりするのが一般的だ。
太古の昔から、獲物を追い込み、落として捕らえる目的で使われてきた。
殺傷能力の高い武器や罠が発達した現代において、落とし穴という原始的な罠は、地味に思われるかもしれない。
かく言う僕も、モーションセンサー爆弾や、レーザーで身体を細切れにするような、えげつない罠を映画やゲームでよく見かけていたので、単純な落とし穴なんて、華が無いと思っていた。
しかし侮るなかれ。
地球上全ての生き物――いや、生き物に限った話ではない、地球上に存在しているモノは全て、重力を無視する事は出来ないのだ。
空を飛べる例外も居ることには居るが、重力を完全に無視して飛んでいる生き物はいない。
そして僕たち人間は、例外でもなんでもなく、今立っている地面が不意に無くなったとしたら、抗う術もなく、ただ落ちていくしかないのだ。下にあるであろう、地面まで。
そして、落ちる事は、死に繋がる。
たとえ軽く見られたとしても、やはり落とし穴とは、立派な罠なのである。
そんな事を思う暇もなく、僕はただ落ちていく事に金玉を縮み上がらせながら、僕がさっきまで立っていた筈の、床が崩れてぽっかりと空いた、だんだんと遠ざかって行く穴を見上げる。
やばい。
めっちゃやばい。
僕は、落とし穴に落ちていた。
絶賛落下中である。
このままいくと、背中から着地しそうな勢いだ。そんな事になったらもう一生歩けないかもしれない。いやいや、それこそ死んでしまうかもしれないじゃないか、僕の身体は丈夫な方じゃないのだ。
かといって。
漫画の主人公の様に、剣を壁に突き刺して落下を止めたり、フックショットなんかを使ってピンチを脱したり、着地時に衝撃を全て地面に受け流したりなんて事は、僕には出来ない。
出来たらこんなに困っていない。
この世界に来てからちょっと身体を鍛えただけの僕に、この状況に抗えるだけの器量が培われている訳がなかった。
為す術もないまま、僕は自由落下に身を任せ、強運を司るパワーストーンに祈る。
縮み上がらない方の金玉を握り締める。
僕には、これくらいしか出来ない。
どうか無傷で済みますように……。
然るのち。
僕はかなり柔らかいモノの真上に落下してその衝撃を和らげ、お尻がちょっと痛い位のダメージで済んだ。
だけれど、なにやら衝撃を和らげてくれた柔らかいモノは、ベトベトのスライム状だったらしく、僕が落ちてきた衝撃で弾け、そのベトベトの肉片が周囲に飛び散らかり、僕にも纏わり付いてきた。
つまり、全身ベトベトで、とんでもなく気持ち悪い。
まあ、結構な高さからの落下で、着地点がレンガの床で有ることを考えれば、ベトベトになった位で済んだのは本当に奇跡なのかもしれない。
しかし、どうせベトベトになるのであれば、僕ではなく宜や冷の方が、絵面的に適任だったのではないかと、けしからん考えがよぎったのだが、そんな考えは、僕が視線を上げた瞬間に、吹き飛ぶ。
「貴様ぁ……我に無礼を働きおって、何するものぞ!」
僕の目の前に、『彼女』は立っていた。
そして、激怒していた。
それもそのはず、彼女は僕が飛び散らかした液体で、全身がベトベトの状態だった。
「――ゴメン、えっと、それって、僕のせい……だよね?」
「当たり前ぢゃろがっ! 何してくれとるんぢゃ、このうつけ者ぉ!」
『彼女』はその見た目とは似つかわしくない口調で、僕を責める。
「いきなりドロリをペチャンコにした挙句、我までベチョベチョぢゃないかっ!」
怒鳴りながら、彼女は身体に着いたベトベトを振り落とす。
「ごめんね、僕もさぁ、いきなり落とし穴に落ちちゃって。あはは」
彼女は相当おかんむりだが、僕は全く焦らずに――言い方は悪くなってしまうけれど、ヘラヘラと対応してしまう。
いや、決して誠意が無い訳ではなく、自然と笑顔が漏れてしまうといおうか……。
そう、僕がベトベトにしてしまった彼女とは、尻もちをついた僕が、目で見上げるだけで視線が合うくらい、小さな幼女だったのだ。
「貴様ぁ……我は怒っておるのぢゃぞ……なんぢゃその態度はっ!」
幼女はプルプルとその小柄な身を震わせ、顔を赤くしている。
よく見るとこの幼女、左右のこめかみの上の方に、羊の様な渦巻き状の角が生えているのだけれど、もしかして人間じゃない……のだろうか?
いや、そんな事より目を引くのは、この幼女の服装だ。
……どういうわけか、なんとスク水を着ている。
しかも、近年新発売された話題のダブルフレアのスク水だった。水着であるにも拘らず袖口やスカートがヒラヒラしているスク水である。僕も実物を見るのは、初めてだ……。
ちなみにスク水の商品情報をなぜ僕が把握しているかと言えば、忘れている方もいるかもしれないが、僕は中学生なのである。この話題はしっかりと嵐ちゃんやエガ夫、ジャイマンと盛り上がった記憶がある。
ちなみに、嵐ちゃんは普通のタイプのスク水を買っている。曰く、「ヒラヒラは泳ぐのに邪魔そうだから」だそうだ。
僕はもちろん、どんどん広まればいいと思っている。いや、普通に可愛いと思うし。賛否両論あるのは分かるけれど、新しいモノを試しもせずに捨て置くのはどうかと思うのだ。
そして是非とも早く、嵐ちゃんに着て貰いたい所存だった。
――それはさておき。
そんなヒラヒラスク水幼女に怒られたところで、紳士である僕は、当然、動じることは無いのだが、幼女は次第に唇を噛み、泣き出しそうな雰囲気だ。
うーん、落とし穴のせいとはいえ、ベトベトにしてしまった責任は僕にあるだろう。
よし。ここは、土下座しかないな。
幼女であろうが老女であろうが、誠意を見せるには土下座が最適である。土下座以上に誠意を表現出来る方法など果たしてあるのであろうか――いやない。
とりわけ、乱用さえしなければ良いのである。
そう思って、尻もち態勢から膝立ちに移行した時だった。
僕に付着したドロドロの液体が、わずかに震えた。
――そして。
「ダイジョブでーすヨー、マオちゃーん。ドロリは、不死の属性でーすカラー」
という声が、ドロドロの液体から発せられた。
この瞬間の気持ち悪さは、なんと言えば良いのか、いきなり背後霊からカタコトで話しかけられた感覚と言おうか……。
背筋がゾクっとするどころではない。僕は一瞬にして、凍りついた。
それに反して、泣き出しそうだった幼女といえば、その声を聞いた途端、目を輝かせた。
「ドロリ! お主、大丈夫なのかっ!?」
「ハーイ、今、再生しマース!」
ドロリ。
そういえば、幼女は先ほどこう言っていた。
――ドロリをペチャンコにした挙句、我までベチョベチョぢゃないかっ!――
つまり、僕がペチャンコ――潰して、弾け飛んだスライム状の物体が、ドロリなのか?
そして今、声を出す為にバラバラの身体を震わせたって事か……?
てか、バラバラなのに、生きてる――?
「き、気持ちわるっ!」
僕は全力で、全身にくっ付いたベトベト――つまり、ドロリの破片を振り落とした。意外とボトボト落ちていくので、スライムの様にへばり付いてはいないようだった。
だが、当たり前だけれど鳥肌が止まらない。
これ以上気持ち悪い事があるだろうか――いやない。
僕に纏わり付いていたベトベトの液体が、ズルズルと自分から這いずって、僕と幼女の目の前で再生されていく。
それは次第に、塊になり、人の姿に留まる。
意外と人型になると、イケメン風だった。
だけど、アレを見た後じゃ心底気持ち悪い。
「オーウ、ビックリしまシタヨー! チョット気を失っちゃいマシタ!」
「うむ。ぢゃが、よく再生出来たもんぢゃのう。褒めて遣わす」
幼女が嬉しそうに親指を立てる。
そして、そのドロリと呼ばれる人型のモンスターも、「これしき何ともありまセーン」と親指を立てた。
……なんだ、コレ。
「お主、見た目ほどベトベトという訳でも無いのぢゃのう。くっついてた部分がサラサラぢゃ」
「その通りデース! ドロリには、お肌ツヤツヤにスル成分が多く含まれているデース!」
そして、僕を取り残して二人(匹?)で会話を始めた。主人公そっちのけである。
「なんぢゃと!? というか、これ程ツヤツヤサラサラになるなんて、もしかしてお主、コラーゲン配合なのぢゃないか?」
「さすがマオちゃん、お目が高いデース。ドロリはコラーゲンが豊富で有名な伝説のモンスター、クラーケンの細胞を持ってマース。その細胞の効果で、ドロリに触れれば高保湿なコラーゲンを直接摂取出来マース!」
コラーゲンとクラーケンは似ているけれど違うぞ! 全く関係ないよ!
――って、ツッコミたいけど、聞いちゃくれないだろうな……。多分こいつら、美肌に関して正確な知識を持っていなさそうだし。コラーゲンで全部片付けているのがその証拠だ。
「ほっほう、それはお買い得ぢゃなっ! うむ、お主、我が下僕としてやろう。ここに置いておくには惜しい」
「オーッホウ! 良いのデース? ドロリはずーっとココに居たから、他に何の役にも立ちマセンヨ?」
「構わん。戦いを得意とする者など、掃いて捨てるほどおるわい。ぢゃが、お主の様な者は幾らもおらんのでな。ドロリには毎日、我のお肌をツヤツヤにする役目を負ってもらう。採用ぢゃっ!」
ビシッと、幼女がドロリを指差して、ニッと八重歯を覗かせる。
「採用っ!? や、ヤッターデース!」
採用ってなんだよ……ってか、幼女の癖に肌を気にしてんじゃねえよ。今でも赤ちゃんみたいにモチモチしてやがるぞ。
「フッフゥー、お兄さん、アリガトございマース! 貴方が弾き飛ばしてくれたお陰で、就職決まりマーシタ!」
万歳しながら小躍りしているドロリが、僕に向き合ってお礼を言ってきた。
就職って……今のが面接だったのかよ。
「いや、僕は落ちてきただけだし……ってか、僕の方こそ、助かった訳だからな……」
お礼を言われても、逆に困る。
「イヤイヤ、貴方がドロリを潰さなけレバ、マオちゃんにアッピールするコトは出来なかったト思いマス! 結果、ニートから脱出出来たのデスヨ!」
「モンスターにもニートとかあるの!? なんかどこも大変だな!」
何か分からんが、ニート脱出おめでとう!
「ホントに嬉しいデース。もう何千年ニートをしたか、覚えてマセンヨー」
「むしろニート歴よりも年齢が気になるレベルだぞ!?」
想像していたよりスケールがでかかった!
「年齢デスか。実はよく覚えていないのデスヨ、数えるには、永く生き過ぎてしまいマシタ」
「あー、そういうもんなのか……?」
たしかに、何十年と生きただけでも、たまに自分が何才だったか分からなくなる時があるみたいだもんな。それが百倍のスケールであれば、無理もないか。
「ドロリにも年輪があれば良かったンデスガネ」
「あー、輪っかの数で年齢が分かるって奴か。確かにあれば、ある程度は覚える手間がなくなるな」
調べる為にはぶった切られる必要があるけれど。
「デモ、あった所デ、さっきみたいにバラバラにされたら意味ナイんデスケドネー!」
「なんかそれ笑えねえよ!」
それはブラックジョークですか!
実はさっきの根に持ってるよね!?
「実を言うト、働いた事も無いのデスガ?」
「生まれついてのニートかよ!」
年齢イコールニート歴!
「ところで、モンスターに職業ってあるんデスカ?」
「知らねえよ! お前から言い出したんだろうが!」
モンスターの仕事ってなに!?
「ホッホゥ! お兄さん、良いツッコミをしますネェ、楽しくなってきマシタ!」
「僕はちょっと疲れてきたよ!」
「イヤァ、人間にも見所のある方がいらっしゃるのデスネ。マオちゃん、ドロリからのお願いデス、お兄さんを許してあげて下サイ」
言われて、幼女が答える。
「ふむ、そうぢゃなぁ。我には何が楽しいのかわからんが、其の方がドロリの適性を証明した事もあるしのう、我への無礼は、それで免じてやろう」
踏ん反り返る幼女。なんか、どこかで見た様な態度だが、何かが足りない。なんだっけ。
「そいつはどうも……」
一応、一礼しておこう。こういう奴に逆らったら面倒臭いと、相場は決まっている。
「お兄さん、自己紹介が遅れたデース。ドロリはぁ、ドロリと言いマース!」
恐ろしいほど、頭の悪そうな自己紹介だった。
「えと、僕は五味クズ太だ。いせ……」
あ。
異世界から来た勇者――と言ったら、マズイよな。こいつら、何故か襲ってくる気配は無いけれど、モンスターだし。
「いせ……? なんぢゃそれは?」
少し戸惑っていると、幼女が食いついてきた。意外と細かいところまで気にするタイプの様だ。
「い……いせ、遺跡マニアなんだよな、僕! ここ、良い遺跡だよね! そういえば、どうして此処で面接なんかしてたんだいっ?」
若干語尾が不自然になってしまったが、我ながら上手い言い逃れだ。さり気なく僕が此処にいる理由も誤魔化せる上、次の話題へ移行させられる。
しかし、幼女が僕を睨んでため息をつく。
「……其の方、クズ太とか言ったな。クズ太は我に自己紹介をさせる気はないのか?」
あれ!? えっ、順番待ってたの!?
踏ん反り返って偉そうにしてるから、勝手に喋り出すか、ドロリが言うのかと思ってたよ。
偉そうにしているけど、ちゃんと順番を待てる良い幼女だった。
「まったくぅ、クズ太サンは乙女心の分からナイ人デース!」
「本当ぢゃのう。もしかすると許さない方が良いのかもしれんのう。ほれ、許して欲しければ謝らんか。誠心誠意、謝らんか」
「ぐ……っ、すみませんでした……」
なんで僕、謝っているんだろう。誤っている気がしてならない。
そして、今更だがドロリの喋り方がすごくウザい。
幼女はちょっと楽しそうにしていやがるし、この年でもうSに目覚めているのか? 将来が心配だぞ。
おっほんと、わざとらしく咳払いをして、幼女がツルツルの胸をドンと小突く。
「ふっふっふ、我はこの世界に君臨せし魔王ぢゃ! 召喚された勇者とやらをぶち殺し、モンスターが安心して暮らせる世を創る者ぞ! まあ、堅苦しいのは嫌いぢゃからの、尊敬と親しみを込めて、マオちゃんと呼ぶが良い!」
……本当に色々と誤っていた!
「ま……っ、魔王ぉ!?」
「こらっ、マオちゃんと呼べと言ってるぢゃろがっ!」
怒られた。
「お、おう……マオちゃん、本当に魔王なの?」
「ふっふっふ、そうぢゃ。恐れ入ったぢゃろ」
実に嬉しそうな、気持ちの良い笑顔だった。無邪気で、魔王とはとても思えない。
「フンフフーン、因みにドロリはぁー、今日から魔王軍の美肌担当になったのデース!」
「お前は黙ってろ!」
何だよ、美肌担当って!
「オーウ、冷たいデスねー、クズ太サン。あ、もーしかしてー、クズ太サンも魔王軍に入りたいのでハないデスカー?」
「む、そうなのか? ぢゃがのう……能の無い輩を無闇には雇えんのぢゃ。すまんのう」
「誰が能無しだっ!」
いや、流石に勇者が魔王軍に入るわけにはいかないけれども! しかし、確かに僕はパッとしないし、自分でも分かっているけど、他人から言われるのは嫌なんだよ!
僕のツッコミに、マオちゃんが少し怪訝そうな顔をした。
しまった、強くツッコミ過ぎたか。
「あー……えっと、そうそう、なんでまた、マオちゃんはこんな所まで……?」
魔王に対してでも、愛想笑いが出来る勇者、僕。
「ふん。我はここにドラゴンが居ると聞いてな。魔王軍にスカウトしに来たのぢゃが、何処にも見当たらんのでウロウロしておったのぢゃ。そしたらたまたまドロリに出会って、面接してやってたら、いきなりクズ太が降ってきたという訳ぢゃ」
「そ、そうなんだ……」
スカウトね……。あのドラゴンが万全の状態で魔王軍に居たとしたら、かなりヤバかっただろうな。
まあ、今のところマオちゃん(幼女)とドロリ(馬鹿)しか知らないから、一体魔王軍がどの位の強さなのか、分からないけれど。
「まあ、他にも、パパ上の封印について調べにも来たのぢゃが――おっと、これはトップシークレットぢゃった。ま、今日はドロリが加わったからのう、もうそろそろ帰るわい。せっかく我が来てやったのに見つからんドラゴンなぞ、知らんわっ!」
何やら重大そうな事を仄めかしつつ、つーんとそっぽを向くマオちゃん。
本当に何処かで見たことあるんだよなぁ、これ。でもやはり、何かが足りない気がする。
なんだっけ。
「……そうか。じゃあ、もう行くのか?」
「うむ。ぢゃあの、クズ太。遺跡マニアなら、いずれ何処かの遺跡で会うこともあるぢゃろうな」
言って、踵を返すマオちゃん。
魔王に遺跡マニアとして覚えられた勇者、僕。
「フゥー、そうデスねー。残念デスが、今は暫しのお別れデース! クズ太サン、また会いましょー! お元気デー!」
気持ち悪い足取りで、マオちゃんの後を、ドロリがついて行った。
「はは、マオちゃんとドロリも、達者でなー」
手を振り、マオちゃんとドロリが奥の角を曲がるまで見送る。
魔王と遭遇して、一太刀も交えずに雑談した挙句、別れの挨拶をする勇者なんて、どこの世界にいるのだろうか。
……僕のことなのだが。
しかもクズ太、マオちゃんと気軽に呼び合うような、まるで友達になってしまった様な感覚で。
「……やべぇよなぁ」
正直な感想。
マオちゃんとドロリ。
僕は、あの二人だか二匹を……敵として捉えられるのだろうか。
――ちゃんと、戦えるのだろうか。
僕の使命は、なんだかんだと言って、最終的に魔王の討伐である。
「……討伐か」
――「ふっふっふ、そうぢゃ。恐れ入ったぢゃろ」――
マオちゃんの、あの無邪気な笑顔がチラつく。
この出会いに、意味があるとするのなら。
僕の持っている、このパワーストーンの導きなのだとしたら。
今ここで会った事が、運が良かったと思える結末が――存在しているのだと思う。
今の僕には、あの二人が敵という時点で、考えたくもない不幸な結末しか想像出来ないのだけれど……。
とはいえ、いつまでもここでジッとしている訳にはいかない。
そういえば、宜と冷が心配しているかもしれないな。とりあえず、あげぽよの像があるとかいう、最下層まで行ってみよう。道はわからないけれど、なんとかなるだろ。
僕は、マオちゃん達と逆方向の道に歩き出した。別れたばかりで追いかける訳にもいかないし、帰ると言っていたから、逆に進めば奥に行けるだろう。
さっきの騒動で失念していたけれど、宜は大丈夫なのだろうか。『共鳴』が切れている今、上手く動けない筈である。まあ、冷がついているから、そこまでピンチには陥っていないと思いたいが……。
それでも、やっぱり落ち着かないな。
少し早歩きで、迷宮を進む。
幸いなことに、まるでモンスターに遭わなかった。
でも、僕はそれすらも不満に感じて、気がつけば、走っていた。
走っていた。
ひたすら。
走っても走っても。
不安が拭い去れない。
これは純粋に、僕に待ち受けている未来に対しての、不安なのだろう。
この世界に来て――
宜と出会って――
あげぽよと話して――
トレーニングして――
冷にツンツンされて――
僕は、ドラゴンを倒した。
強運――パワーストーン。
頼ってばかりいて、良いのか?
今までは、それで良かったけれど――。
いつの間にか全力疾走になっていた僕は、苦しくなって足が止まり、壁にもたれかかった――その時、その壁が崩れ、僕は壁の向こう側へと、派手にすっ転んだ。
「勇者様!?」
壁の向こう側は、大広間だった。転んで視界が逆さまになった僕へ向かって、聞き慣れた声が飛んでくる。
「よ、宜……?」
「良かった、無事だったのですね!」
「だから言ったじゃない、腐っても勇者なのだから、大丈夫だって」
宜の影から、冷が顔を出す。
「ふふ、冷ちゃんだって、勇者様が落ちた時は、すごく焦っていたじゃないですか」
「そ、それは、いきなり人が落ちたらビックリするでしょ!」
「えー? じゃあ、そういう事にしておいてあげますね」
「なっ、なによその言い方! ふん、勝手に言ってなさい!」
「素直じゃないんですから」と、呆れ気味に言う宜を、僕は唖然として見つめる。
なんか、別行動してる内に、宜と冷が仲良くなっている……? いや、決して仲が悪かった訳ではないのだけれど。壁が無くなったというか。
……そして、マオちゃんのあのツン姿を何処かで見たと思ったら、なんてことはない、今まさにツンツンしている冷にソックリだった。
そうか、Sの気質も、ツンデレには必要なのだろうな。
ちなみに足りなかったのは、胸。
十年後に期待するとしよう。
「とにかく、無事で良かった。僕と『共鳴』が切れてるから、心配したんだぜ」
「あはは、はい。ろくに戦えない私を冷ちゃんが守ってくれたので、なんとか最下層まで辿り着けました」
「そうか……冷、ありがとな。宜を守ってくれて」
「ふん、まあ、ドラゴンから護ってくれた恩もあるから、これ位、礼は要らないわ。でもまさか、あそこまでドジになるとは思わなかったけど……」
冷が引きつった笑顔で宜を見る。
きっと何十回と転んだのだろう。冷の回復魔法のおかげか、宜の身体には傷はないけど、鎧がさっきより格段に汚くなっていた。むしろボロい。これはこれで、ウェザリングが施されたと思えばいいのかもしれないが……いや、転んで凹んだり、引っ掻き傷がついただけでは、ウェザリングとは呼べないか。
この迷宮の出発前に新調したのに、これ程ボロボロにしてしまうとは……呪いというものは馬鹿に出来ないな。
帰ったら、新しい鎧でも見に行く事にしよう。
……着てくれるといいなぁ、際どいヤツ。
そんな儚い願いを一旦胸にしまい、辺りを見回すと、この大広間が僕たちの目指していた場所である事に気が付いた。
「うわ、本当にあげぽよの像が置いてある。ムカつくなー」
「えっ、なんでですかっ! 勇者様、あげぽよ様に情報を教えて貰ったのですから、もっと敬意を払った方がいいですよ」
「うーん、そりゃ、教えてくれたのは良いんだけどな。……でも結局、今回のドラゴンにしたって、このオッサンが最初から仕留めておけば、僕たちが戦う事もなかったんだぜ?」
言って、僕はあげぽよ像の股間にパンチした。手が痛い。
「……それは、そうかもしれませんけど」
僕の意見に反論出来ずに、宜が半眼で僕を睨みつつ、口を尖らせる。
まったく義理堅いよな、宜は。
「あ、そういえば、まだ冷には説明してなかったよな? あげぽよの話」
会話に置いてけぼりであろう冷に僕が説明しようとすると、意外な答えが返ってきた。
「ふん、それはもう聞いたわ。あんた達のことの成り行きをね」
心なし、冷が顔を赤くして言う。
「はい、さっきはガールズトークで盛り上がってしまいましたし」
「な――っ! なんだその魅力的な響きは!?」
ガールズトーク? 超聞きてえ!
「ちょっと、意味深な発言しないでちょうだい」
「えへへ、でも、冷ちゃんとあんなに話せるとは思わなかったから、嬉しかったです」
なんと、仲良くなっていたのは、ガールズトークをしたからだったのか!
「なんだよずるいなぁ、僕にも聞かせてくれよ」
僕だって、仲良くなりたい。
「はあ? キモ、あんたに教えるワケないでしょ。宜と二人だったから、話してたんだから」
冷が、心底呆れた様に、蔑んだ目を向ける。くそ、まあこいつはそういう奴だよな。キモくて悪かったですね。
「そうですね。勇者様には、ちょっと……」
宜まで!?
一体どんな話をしていたんだ……っ!
すげえ気になる。
「ところで、あんたは何してたのよ?」
「僕? 僕は――」
魔王たちと、モンスターズトークしてました。
なんて、言えないよな。
「……いや、なんか変なモンスターが居たくらいで、他は何も。形振り構わずに走っていたら、ここに辿り着いたんだ」
うん。嘘は吐いてない。詳細を伏せただけで。
「そうでしたか。じゃあ、二手に分かれても、手掛かりは一つもなかった、という訳ですね」
手掛かりはなかったが、僕の場合、少し考えなきゃいけない事が出来てしまったけれど。
「……ドラゴンを退治してくれたおかげで、この修道院も以前より平和になると思うから、あたしが代表してお礼を言っておくわ」
「ん? ドラゴンを倒したら平和になるのか?」
「なによ、そんな事も知らなかったの? ドラゴンくらい強力な魔力を持ったモンスターは、磁石の様に他のモンスターを引きつけるのよ。だから、ここに向かってモンスターが集まっていたの。修道院と砦が併設されているのは、そのためよ」
「ふーんなるほど、そういう事情があったのか」
たしかに変な修道院だもんな、玉座があったり。国境とか関係なく、ドラゴンのせいだったなんて、最初から教えてくれりゃ良かったのに。
「一度しか言わないわよ」
「うん?」
「――ありがとう、本当に感謝しているわ。この恩は一生かけて返すから、覚悟しなさいよね」
――だから。
狡い。狡いんだよ、ツンデレ。いきなり来るとドキッとしちゃうだろうが!
なんだよ、今の超っ絶っ可愛い笑顔は! もういつもの無表情に戻ってるけどさぁ!
……しかし脈絡なかったな、今の。完全に不意打ちじゃないか。
「……というか、こういう時って、一生忘れない。とか言うのが普通じゃないのか? 一生かけて返すって、どういう意味だよ?」
「――はあ、あんたね、一度しか言わないって言ったでしょ。バカじゃないの」
「お、お前なぁ、バカって言う方がバカなんだぞ」
「ハイハイ、そのセリフ、バカが言うセリフだから。バカによって使い古されたセリフだから。なんのヒネリも思いつかないのは、あんたがバカだから」
「なんかお前、絶好調だな!」
マジでムカつく! なんだこれ、ツンデレっていうか、デレツンだよ! 上げて落とすヤツだよ!
「ふん、あたしは飴と鞭を使いこなす事が出来るのよ」
サラッと髪を掻き上げて、得意気な顔をする冷。生き生きとしている。
「お前の飴は、千切ったわたあめみたいに、味わう暇も無くすぐに溶けちまうけどな」
鞭は意味もなく打つ癖に。
「なによ、文句あるって言うの!?」
「どこをどう満足すれば良いんだよ!」
顧客満足度、ゼロだよ!
「あーもう、うるさい!」
バシンと、冷の平手が左頬にクリーンヒットして、僕はそのまま回転運動をしながら、あげぽよの像に体当たりする事になった。やや大袈裟なリアクションになってしまったが、それは冷の手が、あらゆる意味で早かったからだ。
こいつ、キレ易過ぎる。簡単に手を出してきやがる。だめだ、この手のツンデレは口喧嘩で仲良くなるのがセオリーなのに、もう口喧嘩したくない。
こんな事を続けていたら、僕が受けたダメージランキングが、冷で独占されてしまう。
「うお、うおぉぉ!?」
体当たりした衝撃であげぽよの像がぐらつき、僕はあげぽよの像を押さえ込む様な形で、地面に倒れこんだ。
ものすごい音を立てて。
「だ、大丈夫ですか!? 勇者様!」
「あんた、なんてことしてるのよ!」
なんてことしてんのは、お前だよ!
幸い、僕はあげぽよの像を身代わりにしたおかげで、左頬以外どこも痛くなかったのだが――どうやら僕が下敷きにしたあげぽよの像は、重傷の様だった。
「あ……ありゃりゃ」
精巧に造られたあげぽよの像は、僕が倒した衝撃で、それは見事に、お腹からポッキリと、真っ二つに割れてしまっていた。
「あぁ……お婆様に怒られる……」
冷が顔を真っ青にして、手を額に当てる。――まあ、冷がいきなり平手打ちしてきたせいだからな、せいぜい恐れ戦けばいい。
少しだけ胸がすく思いをしていると、コロンと少し重い音を立て、土色をした丸い玉が、あげぽよ像の割れ目から転がり落ちた。
「あっ、勇者様、これは……!」
宜が、土色の玉を拾いあげる。
さすが強運、転んでもタダでは起きないという事なのだろうか。
「……すっかり忘れるところだったけど、そういえば目的の一つに、パワーストーンもあったんだよな」
「やはりこれ、パワーストーンなのですかね?」
「多分な……僕の持っている金玉と、同じ大きさだし」
僕は金玉を取り出し、宜の手に包まれた土色の玉と見比べる。
「わわ、勇者様、今パワーストーンが二つ同時に、少し光りましたよ!?」
「ああ、なんだかお互いに反応してるみたいだ」
魔術師シリが作ったパワーストーン同士だからだろう、近づくだけで、二つのパワーストーンは共鳴しているようだった。
つまり、パワーストーン同士が『共鳴』しているという事かもしれない。
「……じゃあ、もしかしたらパワーストーンをお互いに持っていれば、あんた達はずっと手を繋いでいなくても良くなるんじゃない?」
不意に、冷が言う。
魔法の使い手だからだろうか、こういう魔術的な仕組みを理解するのが、冷は得意そうだった。
「――え?」
「だって、ずっとあんた達が手を繋いでいたのは、『共鳴』する為なんでしょう? パワーストーン同士が近くにあるだけで『共鳴』しているとしたら、手を繋ぐ必要がなくなるじゃない」
「ああ、なるほど、それは一理あるかもしれないな。宜、試してみるか?」
「え、は……はい、そうですね」
もし、手を繋がなくても良くなるのならば、今までより、だいぶ戦いやすくなる。それは間違いない。
間違いないのだけれど……。
「じゃあ、ここからあそこの入り口まで走って、またこっちに帰ってきてみてくれ」
部屋の端から端まで、大体二十メートル位ある。これだけ離れて『共鳴』していなければ、宜はまともにダッシュすることなんて出来ないはずだ。
「……分かりました」
宜が、僕の金玉と共鳴する土色のパワーストーンを握り、構える。
そして、トンッと、軽やかに床を蹴って、トップスピードに到達する。その姿は、『共鳴』して敵に立ち向かう、いつも通りの宜だった――のだが。
入り口で折り返し、こっちに振り向いた直後だった、これも見慣れた、いつも通りの動きだ。宜は、左足に右足が躓いて、盛大にすっ転んだのだった。
「よ――宜! 大丈夫か!」
「ちょっ! バカじゃないの!?」
慌てて駆け寄る、僕と冷。
「やっぱり、直接『共鳴』しないと駄目っぽいな」
「……え、ええ。そう……みたい……です、すみません……」
宜が申し訳なさそうに、弱々しく返事をする。
「仕方ないよ、宜のせいじゃないだろ? これからだって、今まで通りにやりゃ良いんだから、気にすんなって」
「はい……ありがとうございます、勇者様」
自然と、笑顔が漏れる。
正直、僕はホッとしていた。
宜と手を繋いで『共鳴』する事は、僕にとって、重要な仕事だったから。
だから、僕は宜と手を繋いでいたかったのかもしれない。
「とと、とりあえず、このパワーストーンは勇者様が持っていて下さいっ!」
「お、おう。そうだな」
ペタンと、両膝を外側に向けた女の子座りをしている宜からパワーストーンを受け取り、そのまま手を引いて立たせる。
「……ふーん」
冷が半眼で僕と宜を見て呟いて。
「なによ、お互い様じゃないの」
と、言った。
「何がだよ、冷?」
「別に、バカ勇者には関係ないわ。そろそろ、帰りましょ」
本当に口の減らねえ奴だよ、こいつは。しかし、僕はもう冷の悪口にいちいち付き合ってやらないと決めたのだ。
殴られたくないからな。
「……はいはい、わかったよ」
言って、僕たちは迷宮の出口に向かったのだった。
こうして、僕たちの地下迷宮探索は、土色のパワーストーンを手に入れて幕を閉じた。
魔術師シリに関しての情報は、残念ながら見つからなかったけれど、ここでの経験は、これから未来へ進むために、とても大事な事だったと、僕は思う。