ひやシスター
「そろそろ、共鳴が切れるぞ! 宜!」
「はい! 勇者様!」
腕を伸ばし、駆け寄る宜に向かって手をかざす。お互いの手のひらが合わさり、ぱちぃん、と軽快な音が響いた。要はつまり、ハイタッチだ。
「おりゃあぁぁぁぁっ!」
入れ替わりに、僕はショートソードの柄を握りしめ、目の前に立ちはだかるモンスター『肉球ラビット』に向けて、思いっきり剣を振り抜く。
「グ……ッキュゥゥゥッ!」
――手応えはあるものの、致命傷には至らない。しかし、ダメージは与える事が出来たと思う。
『肉球ラビット』
兎の様な細長い耳が、大体三十センチ位の丸く柔らかい身体から、ぴょこんと伸びているのが特徴で、手足はなく、猫の手にそっくりな尻尾が生えている。この尻尾と、異常に発達した胸筋を駆使してピョンピョン飛び回る姿から、『肉球ラビット』と名付けられたそうだ。
この『肉球ラビット』は、可愛い名前とは裏腹に、実は肉食のモンスターという、アンバランスな一面を持っていた。
小豆の様なつぶらな瞳をしているクセに、口元にはネズミより鋭い歯がズラッと立ち並び、人間をも噛み殺せるのだ。更に、発達した胸筋は万力のような力で獲物を捕まえられるし、堅い盾の役割も担う。
今、僕の攻撃を防いだのも、この胸筋だった。
「……これで終わりですっ!」
僕と共鳴を繋ぎ直し、素早く切り返してきた宜が、『肉球ラビット』にトドメをさす。
実に見事な、一閃だった。
あの堅い胸筋よりも、宜の剣技の方が鋭かったようだ。
勇者の末裔、増田宜。この世界では、勇者の血を引く者は皆、武術や魔術に秀でる才能を持って生まれてくるそうだ。
宜も例に漏れず、僕なんかとは比べ物にならない位、強くなった。
そう――強くなった。
勇者の末裔は、その優れた才能を持っていながら『不運体質の呪い』にかかっていた。生まれ持った才能を発揮することの出来ない、呪い。
全ての行動を裏目にしてしまうその呪いは、凛々しく端正な顔立ちをした、真面目で細かい気配りの出来る性格である宜を、ドジっ子の女王、ドジクイーンに変えてしまう程の、強力な呪いであった。
その呪いのせいで、宜は勇者に憧れを抱いていても、自分の腕を磨くことすら、出来なかったのだ。
強くなって、誰かを護ろうとすればするほど、誰かを傷付けてしまうから。
『不運体質の呪い』――それは、今まで宜は、おくびにも出さなかったけれど、本当に忌まわしい、恨めしい呪いだったのではないだろうかと、僕は思う。
あの日。
伝説のスーパー勇者様、あげぽよから、『共鳴』という技術(僕と手を繋ぐだけ)で、宜の『不運体質の呪い』を、一時的に無効化させられる事を教わった日から、宜は、生気溌溂として、武術の稽古に励んだ。
そして宜は、あっという間に、どんどんレベルアップしていったのだった。
もちろん、僕も宜に倣って訓練場で稽古をしたのだけれど、元々才能を持っている宜に、ただの凡人である僕がついていける訳がない。基礎訓練でさえ、宜にはついていけなかった。
しかしそれでも、僕もある程度は、頑張らないといけない。なぜなら、宜の『不運体質の呪い』を無効化するには、僕が必ず、宜の側にいなければならないからだ。
僕と手を繋いで『共鳴』しなければならないのだから、必然、宜は僕に合わせた動きしか、出来ないという事なのだ。
僕にだって、少しはプライドというものがある。
勇者として異世界に召喚されておいて、こんな、何も出来ない、役立たずの僕を――宜は「勇者様」と、慕ってくれているのだ。
だから、僕は宜の為に、頑張らなくてはならない。少なくとも、宜の足を引っ張らないくらいには、僕だって、強くなりたかった。
僕がそんな決意を秘めてから、一週間が過ぎた頃。
だんだんと『共鳴』の性質がわかってきて、僕たちは旅に出た。
旅に出る決意が出来たのは、手を離しても少しの間なら効果が持続するという『残響』を、偶然にも発見したからだった。
ずっと手を繋ぎっぱなしにしないといけなかったなら、宜の動きに僕がついていけないなんて、お話にならなかったのだけれど、こうしてハイタッチするだけで『共鳴』が切れずに『残響』するのならば、ちょっと息を合わせるだけで、なんとかなると思えたからだ。
それに、やはりいつまでも勇者が訓練場に居続けるのは、気まずかった。
特に僕の場合、あそこで訓練している子供と同じトレーニングでも、既にいっぱいいっぱいだったし、僕の事をポカンとした表情で見てくるものだから、居心地が悪い。「なんで魔王を倒しに行かないの?」やら、「もしかして俺の方が強くね?」といった感想を、モブの子供に持たれる主人公の気持ちが、おわかり頂けるだろうか。そして、それが事実なのだから、始末が悪い。
それ故、僕は逃げる様に、旅立つ事を決めた。
情けないとは思うが、自信をつける前に、いじける自信が僕にはあった。
そもそもが、根性無しなのだ。
人は、そんなに容易く変わらない。
だから、旅をして、常に新しい事をしていないと、このモチベーションを保つ事は無理に思えた。そういう意味では、無難な選択だと思う。
『肉球ラビット』を倒した僕たちは、すぐそばに小さな泉を見つけたので、少し休憩する事にした。
おあつらえ向きに、切り株が二つ、ベンチの様に佇んでいた。
これも金玉の強運のせいなのだろうか、僕が「ちょっと疲れたな」というタイミングで、この様な休憩スポットが、都合良く点在していた。
僕はそのままドカッと座り、宜はフッと埃を飛ばしてから、ハンカチを敷いて座る。
「ふう。結構、遠くまで来たよな。後どの位なんだ? その――……トトロニゲロモゲル修道院?」
「なんでちょっと言いにくくしたんですか、全然違いますよ。聖ニケラモゲラ修道院です。そうですね、地図だとあと少しのハズですよ。あの道を真っ直ぐ行って、山を登ります」
「な……っ! また山かよっ!?」
どれだけ山道を歩けばいいんだっ!
基礎訓練の甲斐もあり、僕の体力が上昇してはいるけれど、こんなに歩き詰めだと、さすがにしんどい。
くそぅ……旅を舐めていた。そうだよな……よくよく考えれば、乗り物もないのにこんな大自然の国を巡るだなんて、現代人がやすやすと出来るわけないじゃないか。
なんという見切り発車。
計画性のカケラもなかった。
ああ、どうしよう。もう帰りたくなってきちゃった……。しかし、来た道を戻るのも、しんどい距離なんだよなぁ。それに、戻ってどうするっていうのもある……。
「頑張りましょう、勇者様。噂によれば、ニケラモゲラには回復魔法を使えるシスターがいるみたいですよ。着いたら癒して貰えばいいじゃないですか!」
僕の顔色を察して、宜が励ましてくる。そんなに露骨な表情をしていたのだろうか。
しかし、回復魔法。
うーん、魔法、ねぇ。
それはちょっと、楽しみかもしれない。
それに……………………回復魔法を使えるシスター、ね。
シスターによる介抱って訳か。
よし。
「休んでいる場合じゃないな! さあ、行こうぜ、宜! もう充分休めただろ?」
一気にモチベーション、上がってきたぜ!
聖職者、嗚呼、なんと甘美な響きなのだろうか。
断言しよう、僕に、越えられぬ山など無いと!
「えっ? もう休憩、終わりでいいんですか?」
いつもならグダグダと休んで、痺れを切らした宜に叱られるのがお決まりのパターンなのだが、今回ばかりは違った。
「遅いぞ! シスターが、僕を待っている!」
まだ見ぬシスターに浮かれ、クラウチングスタートの態勢で宜に喝を入れる勇者、僕。
「ちょ、勇者様、待ってくださ――きゃあっ!」
べちん、とヘッドスライディングの様に両手を伸ばし、宜が転ぶ。
そこで、僕は共鳴が切れている事に気が付いた。日常生活でも共鳴しておかないといけないのが、宜がかかっている『不運体質の呪い』の厄介な性質である。
宜は通常の状態だと、こういう風に慌てるだけで、確実に転んでしまうのだった。
「悪い悪い、戦闘以外だとつい忘れちゃうんだよな、共鳴ってさ」
「いたた……」とうつ伏せになっている宜に駆け寄り、手を差し出す。「……すみません」と宜は謝って、少し頬を赤くしながら、僕の手を握った。
「僕が気付かなかっただけで、宜が悪い訳じゃないだろ。仕方ないよ」
これは、呪いのせいだから。僕は宜を引っ張り起こし、そのまま離さずに手を引いて歩く。
不思議な事に宜の手は、あの時と同じ様に柔らかかった。これほどの手練れになっても、少し小さな、柔らかい手。それは「実は宜って、弱いのか?」と聞いた根拠だったのだけれど、たまたま偶然、当たっただけなのかもしれない。
女の子は、強くなっても柔らかい――これは新しい発見であり、嬉しい誤算でもあった。なんだか、やや変態っぽく聞こえるのは、気にしないで欲しい。
そんな発見もありつつ、山道をひたすらに歩く。意外と道は整備されていて歩きやすかった。
たまにさっきみたいなモンスターが現れるけれど、僕と宜のコンビプレーにかかれば、楽勝だ。まあ実際は宜だけで充分なので、僕はへいへーいと、マラソンランナーとハイタッチするギャラリーみたいな役をしていれば良いのかもしれないが。
聖ニケラモゲラ修道院。
庚の国で一番大きな修道院である。
更にこの修道院は、山砦も兼ねていた。庚の国境に沿って山が延々と連なっており、その山に寄り添う形で、修道院が建てられている。まるで、元々修道院が山の一部であったかの様な、自然と一体化された建物だった。
この造りは、この山脈を境に、モンスターが獰猛になっていく事に由来する。一歩この境界を越えれば、今までの比ではない、強力なモンスターと遭遇してしまうのだ。そして、そういった強力なモンスターの侵入を防ぐ意味でも、この山砦は、庚国の守りの要所として活躍しているのだった。
ちなみに何故この聖ニケラモゲラ修道院に来たのかというと、何を隠そう、庚国の四大聖地の一つが、聖ニケラモゲラ修道院なのだ。決して、修道院にいるシスターが目当てではない。いや、勿論シスターも今となっては楽しみだが、それはオマケだ。ビックリマンチョコで言えば、シールにあたると言えよう。
――あれ? ビックリマンチョコは、オマケがシール……だよな。メインはチョコで、シールが付いてくるっていうのは、あくまでも、オマケだ。
うん。そんな感じ。
だから、チョコをおいしく頂いて、せっかくオマケでシールがついてきているのだからシールも楽しもうじゃないかという、実に健全な嗜好である。嘘じゃない。
そして、魔術師シリが遺したパワーストーンがあって、更にシリが封印されている石版があるかもしれないという四大聖地のうち、一番近いということで、僕たちは、はるばる訪れたという訳だ。
ちなみに、さっきは浮かれてしまい、休憩もそこそこに出発したけれど、あれからこの聖ニケラモゲラ修道院に着くまでに、なんと、二日かかった。
休憩の度に、宜は僕に「シスターが待ってますよ」と呪文の様に唱えてくれ、その都度僕は張り切ったのだけれど、最後の方は、テンションを上げなきゃいけないという、強迫観念の様なものに支配されつつあった。というか、もうヤケクソだった。なんでこんなに遠いのかと、無性に腹が立ったくらいだ。
そんな逆ギレを経て、僕たちはようやく、聖ニケラモゲラ修道院へと、辿り着いたのである。
「でっけぇ! ってか、この入り口からは階段かよ!? どんだけキツイんだ……」
バカでかい門をくぐり抜けると、小さな広場があって、その奥に、山の傾斜に沿って枝分かれした、長い階段が続いている。どうやら何層も広場があって、順々に登っていく造りみたいだ。階段毎に門が設置されている所を見ると、モンスターが侵入して来た時に、迎撃する都合もあるのだろう。
そんな造りになっているので、修道院の本殿までは、結構遠く感じる。僕としては、せっかく着いたというのに、まだゴールしていないなんて、冗談じゃないな。
ここは本当に、お年寄りに優しくない世界だ。もっとバリアフリーを意識した方が良いんじゃないかと、お年寄りでもない僕に言われちゃう位だぜ。
しかし、そうすると、モンスターまでバリアフリーになってしまうという問題が発生してしまうので、それは、考え直さないといけないな。などと、無駄な事をぼんやり考えていた。
「とりあえず本殿までは遠いですが、途中に休憩や宿泊出来る施設もあるハズです。頑張りま――」
そこで、宜が何かに気付いた。
目を見開き、固まっている。そして次第に、困惑の表情を浮かべた。
「よ、宜? どうしたんだよ――って! ええっ!?」
宜の視線を追ってみると、目に飛び込んできたのは、僕たちの見知った人物だった。
「ほっほっ、ようこそおいで下さいました。勇者殿。そして、宜ちゃんじゃったかの?」
「ジ、ジジイ!? 何でここに居るんだよ!?」
そう、庚国の元老、極楽院浄蔵の姿が、そこにはあった。
約二週間前、僕たちを見送ってくれた、宜の面倒を見てくれていたジジイ。
「げ、元老、政があるから離れられんと、ご自身が仰っていたではないですか。それに、長旅でしたでしょう、お身体は大丈夫なのですか?」
そうなのだ。まあ、ついて来たいと言われても困るが、ジジイは官邸のある庚の街に居るはずだった。
それなのに、何故だか分からないけれど、こんな所に居たものだから、宜は動揺しつつも、ジジイを気遣っていた。言葉の端々に配慮が見える。
「ほっほっ、浄蔵ちゃんと勘違いしておる様じゃがのう、ワシャ極楽院冥土という。浄蔵ちゃんの、姉じゃよ」
「――ぶふぉっ!」
盛大に噴き出してしまった。
いやいや、ジジイの姉……っ!? てことは、ババアって事だろ? こんな事ってあるのか? 全く同じ顔なんだけど。
「……え。え……? え、なんの冗談……ですかね?」
ほら、何年も世話になっている宜でさえ、見分けがついてないじゃないか。
「あ……っ! あはは、これが噂に聞く、か――影分身の術ですか?」
相当、混乱しているみたいだった。渇いた笑いを浮かべ、両手の人差し指をピンと立て、左手の人差し指を右手で握り、「ニンニン」と胸の前で上下させている。
「宜、流石にそれは違うと思うぞ……」
どこの里の者だ。
「ほっほっ、浄蔵ちゃんの言うとおり、面白い娘じゃね、宜ちゃんは。ワシャこの聖ニケラモゲラ修道院の院長兼、シスターじゃ。疲れたじゃろう、宿まで案内するぞえ」
「なっ! なななな――――っ!?」
「おや、どうなされた勇者殿。突然、脱力感に襲われ、両ひざから地面に崩れ落ちた――様に見えたがの?」
「親切にもセリフで説明してくれてありがたいけれども、そもそも僕が今地面に跪き、頭を垂れているのは、誰のせいだと思っているんだ……」
いや、本当はわかっている。
浅はかな思考に身を任せた、愚かな僕のせいに決まっていた。
くそっ、いつも思い知らされる。僕は勇者なんかじゃない。ただの愚か者だってな……。
「ババアがシスターなのかよ……ちくしょう」
そりゃ、ジジイにとってはシスターかもしれないが、僕からしたら、ババアはシスターじゃなくて、グランドマザーなんだよ! 世の中、間違ってる……。
僕は力無く、その場に倒れ込んだのだった。
「ほっほっ、おーい、冷、勇者殿は相当お疲れのようじゃ、回復魔法をかけてあげなされ」
「――冷?」
回復魔法を――かける?
ババアのセリフに反応して、地面に突っ伏した状態から、目線だけを上げる。今の僕には、起き上がるだけの気力が、カケラも残っちゃいなかった。
――だけど。
僕は、目を見開いた。
「あ……あぁ――っ」
涙が出そうだった。
今までの努力が、報われた。そんな感動が、僕の胸に溢れてくる。
シスターに会いたい。そう願って、何日も山道を闊歩してきた。辛く、険しい道のりだった。
それが、今まさに、叶ったのだ。
そう、僕の目の前に、僕が待ち望んでいた、可愛い美少女シスターが、立っていたのである。
なんだよ、グランドマザーはどっきりかよ。へへ、憎いことしやがるぜ。
「ほっほっ、勇者殿、宜ちゃん。紹介するぞえ、この聖ニケラモゲラ修道院のシスター、琴志茂冷ちゃんじゃ。癒しの魔法にかけてはこの修道院イチの優秀なシスターじゃよ」
「……よろしくお願いするわ」
おお。
めっちゃかわいい。
宜が凛々しくカッコいい美少女だとすれば、冷はお淑やかで清楚な美少女だった。
ベールから、透き通る様に綺麗な金髪が覗き、少しつり目気味の青い瞳が、地面に這いつくばる僕を見ている。
オーソドックスなものとは違い、コスプレのような全体的にフワフワしたゴスロリ風にアレンジが施されている修道服。僕のいた世界とは、少し違うようだが、しかし劣情を煽る様な見た目ではなく、シスターという立場が持つ貞淑さを保つそのフォルムは、一部の――いや、どや顔であえて言おう、僕の趣味に、どストライクだとな。
「こちらこそ、よろしくな! 僕は五味クズ太。異世界から来た勇者だ!」
「私は、先代勇者の末裔、増田宜です。よろしくお願いしますね、琴志茂さん」
「勇者の末裔……そう。あたしの事は、冷で良いわよ」
冷は、僕に一瞥もくれず、宜に向かって微笑んだ。
あれ?
「ところで、ゴミ屑さん、でしたっけ」
「ちょお……っ!? 僕は五味クズ太だ!」
いきなり暴言吐かれた! 顔を宜に向けたまま、両腕を思いの外ふくよかな胸の前で組み、横目で僕を見下ろす。
「あら、同じ事じゃないの?」
冷は、意外そうな顔をしていた。これはビシッと言っておかなければならないようだな。
「違う! 僕の五味は基本味と言って、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味を合わせて五味というんだ! つまりは人の味覚の事だ! ウチは代々和菓子屋をやってるから、ぴったりの名前なんだよ! だから、決して、塵芥の事ではない! それに、僕の様な基本味を元にした五味の他にも、古くからあるちゃんとした名前なんだよ! 神武天皇の皇子から続くとか、僕にはよく分からなかったけれど……!」
僕は自分の、ひいては全国の五味さんの為、熱弁を尽くす。しかし聞きかじっただけの知識なので、語尾は弱かった。
冷は「ふーん」とだけ言って、相変わらず横目で僕を見ている。そして、僕は更にヒートアップするのだった。
「クズ太っていうのも、和菓子屋をやっている中でも、特に葛餅に力を入れていてな、色々と試行錯誤していた時に、たまたま僕の出生と逸品の開発が被って、同時期になったもんだから、何を血迷ったのか、息子にクズ太と名付けたんだ! だから、僕のクズは葛餅のクズなんだよ! 葛餅の申し子なんだよっ! ちなみに葛餅の原料になる葛粉は、秋の七草に数えられているマメ科のつる性多年草、葛の根から作られている。更に葛は漢方薬にもなる位、メジャーな植物だ! 雑草とは違うのだよ、雑草とはぁっ!」
はあ、はぁ、と息を整えながら、僕は身を起こした。つい勢い良く捲し立ててしまったので、辺りがしんとしている。
宜でさえ、ポカンとしていた。少し引きつった笑いで、口を開く。
「ゆ、勇者様、すごいですね。私、名前の由来をそこまでハッキリ豆知識を交えて言える人を初めて見ました」
「……まあな。名前が名前なものだからさ、結構、人に説明する機会が多いんだよ」
いつも熱くなって、こんな風に変な空気になってしまうのだが、それでも図々しい男である僕は気にしない。
それに、こうやって理論武装でもしなければ、イジメられるからな。僕に理解出来る豆知識くらい、覚えるさ。
僕の性格の根底に、この問題は触れていると思う。
「…………必死になって、バカじゃない」
ボソッと、冷がどこか明後日の方向を見ながら言う。
こいつはアレだな。俗に言う『ツンデレ』っていうヤツなんだろう。流行りものだから、僕も別段、嫌いじゃない。『か、勘違いしないでよねっ!』なんて、言われちゃう奴だろ。良いと思うよ。
やっぱり、空腹が最大のスパイスという現象があるように、ストレスから解放される時に、ストレスが溜まっていればいるほど、心が大きく動くって事なのだろう。
冷たくされればされるだけ、優しくされた時に感動するって訳だ。
しかし僕は思う、こんなに可愛い美少女シスターにツンツンされる。人によってはご褒美なのだろうが、僕にとっては、正直言って不愉快なだけだった。
なんでよりにもよって『ツンデレ』になってしまったのかと、残念でならない。しかも、今の冷からは『デレ』を引き出す事が、出来ない。はっきり言って『デレ』の無い『ツンデレ』など、ただ感じの悪い、ムカつく奴でしかないのだ。
『ツンデレ』に限らず、特別な関係にでもならない限り、通常『デレ』を見ることが出来ないという理屈はわかるのだけれど、その特別な関係になる為の取っ掛かりすら感じさせない、断崖絶壁のコミュニケーションをされては、この可愛い美少女シスターに『デレ』て欲しい僕にしてみると、只々絶望感に苛まれるしかない。言ってしまえば、ストレスを感じるだけだ。
ただのストレッサーでしかないという、第一印象、最悪の女。それが、琴志茂冷という、僕の好みどストライクな外見をした、僕にとって究極に残念な美少女シスターだった。
「ハイハイ、それじゃあ、勇者さんと呼べばいいのかしら。勇者さん、長旅お疲れ様。あたしが回復させてあげるわ、感謝なさい」
そう言って、僕は念願かなって美少女シスターに回復魔法をかけて貰ったのだけれど、あまり嬉しくなかった。
むしろ、なんか悲しくなった。
人の見る夢は、儚いものなのだと知った。
『癒しの輪』
魔物が入れない結界を張り、その中に居るだけで体力が回復する、全体回復魔法。回復中に敵を寄せ付けないという、かなり使える回復魔法だった。
この『癒しの輪』は、ババアが太鼓判を押すのも頷ける位、確かに効き目が抜群で、長旅の疲れが一瞬にして消え去る。
「すげぇ、これが回復魔法って奴か。てか、疲れがとれるだけじゃなくて、力が漲ってくる感じがするな」
「そうですね、回復魔法は初めてかけてもらいましたけど、すごいですね!」
「へえ、宜も、初めてなのか?」
「ハイ! 回復魔法を使える人なんて、なかなかいないんですよ? 攻撃魔法と違って、才能が大きく影響しますから」
「へえ、そういうもんなのか。じゃあ冷って、すげえんだな!」
ゲームの世界とかだと、回復魔法なんて、簡単に使えるイメージだったのだけれど、どうやら違うそうだ。
「ふん……バッカじゃない。はしゃぎすぎよ」
にっこりと、出来る限りの笑顔をして見せたのだが、僕たちを見て、冷がぷいっと顔を背ける。
うーん、これで性格さえ良ければ、最高だったのだけれど。回復魔法中でさえ「死ねばいい、死ねばいい」と、ブツブツ呪いの言葉の様に呟いていたし。
まさしく呪文である。
世には黒魔法や白魔法等と色々あるが、こいつはどうやら、ツンデレ魔法を使うみたいだ。
しかし、僕、冷に嫌われる様なことしたのかなぁ。あり得ないほどに、最初から嫌われてないか? ちょっと怖いんだけど。
とりあえず僕たちは、ババアと冷に先導され、本殿に向かって歩き出した。結構な高さのある階段を、こんなババアが登れるのかと心配したけれど、どうやら杞憂だったようだ。
二段飛ばしで、ババアは階段を、軽やかに登って行く。
僕よりも元気だった。
「ほっほっ、ワシが今でも元気なのはのぅ、冷が毎日の様に回復魔法をかけてくれるからなんじゃ。おかげでこの階段だらけの修道院でも、不自由せんのじゃよ」
「へえ、なるほどな、だから入り口まで、わざわざ迎えに来てくれたのか?」
「そうじゃよ。浄蔵ちゃんから、勇者殿がこっちに向かっておるのは聞いておったからのう。今か今かと、物見小屋で待っておったんじゃ、冷と一緒にな。冷が先に見つけてくれて、急いで降りてきたという訳じゃ。はしゃぎおって、早く早くと急かされたわい」
「――ちょっとお婆様、余計なこと言わないで!」
「ほっほっ、すまんすまん」
もう。とふくれて、冷はそっぽを向いた。
なんだか、どうやっても人と顔を合わせない奴だな。冷は常にどこか宙を見ている感じだった。
こんな感じなのに、はしゃいで――なんて、ババアの嘘だろう。
「ところで、僕たち、魔術師シリの石版を探しているのだけれど、何か心当たりはないか?」
「魔術師シリ――? 初耳じゃのう。そんな無名の魔術師ではなく、伝説のスーパー勇者あげぽよ様の石像ならあるぞい。宝玉と共に、地下迷宮に祀られておる」
「あげぽよの石像……ね。なんかムカつくな」
あのオッサンが祀られているだなんて、実物を知ってしまったら、萎えるだけだった。
「でも勇者様、あげぽよ様の石像なら、何かヒントがあるかもしれないですね」
少しワクワクした様子で、宜が言う。
「うーん、まあそれはそうだな。調べてみる価値はありそうだ……けど」
理屈ではそうなのだけれど……あまり乗り気になれない。なにゆえ僕が、あげぽよの石像なんかを見に行かなきゃいけないのだと、妙な意地を張ってしまう。
……ていうか今、地下迷宮って言った?
ナニ、地下迷宮って?
「ほっほっ、丁度ええわい、今、地下迷宮にモンスターが棲みついてしまっていての、困っておったのじゃ。勇者殿、行くのならモンスターの退治をお願いするぞい」
「………………は?」
「なんじゃ、その年でもう耳が遠いのかの? 地下迷宮のモンスター退治。ついでに、頼みたいのじゃよ」
お、おいおいおい!
そんな『コンビニ行くならついでにアイス買ってきて』感覚で、モンスター退治の依頼をするんじゃない!
「勇者殿なら、お茶の子さいさいじゃろう」
お茶の子さいさいだぁ!? くそっ、この世界の住人は、揃いも揃って、年季の入ったセンスの持ち主なのか!?
「……というより、なんだよ地下迷宮って? ってか、勇者の像を飾れる余裕があるくらいなら、迷宮とは言わないんじゃないか?」
「ほっほっ、まあ、貴重な宝なども保管されているからの、盗賊等に簡単に持って行かれない様、ダンジョンになっておるんじゃ。そしてモンスターじゃが、そこにはかつて、伝説のスーパー勇者あげぽよ様が戦ったというドラゴンが封印されていてのう。ついこの間、封印から醒めてしまったようなのじゃ」
「ババア。お前、今とんでもない事をサラッと言ったけれど、自覚ないだろ」
そして、あげぽよの奴、魔王だけじゃなくてドラゴンまでも封印して済ませていやがった!
ちゃんと倒しておいてくれよ! と思うのは、身勝手なのだろうか。
「なるほど、ドラゴンですか……勇者様の腕の見せ所ですね!」
小さくガッツポーズをして、目を輝かせている。いや、可愛いけれど。
「待て、宜……お前は一緒に旅をしていて、一体、僕の何を見てきたんだ!」
僕は『肉球ラビット』ですら、一撃で倒せないんだぞ!?
「大丈夫です。私はちゃんと、勇者様の勇姿を見ていました! ドラゴンなんて、余裕ですっ!」
「――――うっ」
そうやって自信満々に言われると、なんだかやれる気になってしまうもので。
それがただの気のせいだと、頭の隅では理解しているのに、それでも、僕の本音である『強くなりたい』という気持ちが、その気のせいを、肯定したのだと思う。
「……仕方ないな。とりあえず行ってみるか。慎重にやって、ダメそうなら帰ってくればいいもんな」
僕はため息まじりに、肩をすくませる。
「ハイ! 頑張りましょう、勇者様」
まるで遊園地に行くことが決まった子供みたいに、宜は嬉しそうだった。
しかしまあ、僕もダンジョンと言われれば、少しは思うところがある。それはなんだか、勇者っぽいじゃないか。ワクワクするのは、分からなくもない。
宜もきっと、そういう気持ちなのだろう。
こうして。
よりにもよってドラゴンの棲み家と化した地下迷宮まで、僕たちは探索しに行くことになったのだったが。
ずっとそっぽを向いていた美少女シスターが、口を開いた。
「あたしも行くわ、ドラゴン退治。地下迷宮で迷子になったら、あなた達、確実に死ぬわよ」
その豊満な胸の前で腕を組みながら、冷が言う。踏ん反り返って、僕の方が身長が高いはずなのに、見下ろされている気分になる。
なんでだろう。美少女シスターがパーティに加わって、本来なら喜ぶべきシーンだと思うのだけれど、僕はこの時、嫌な予感しか、しなかったのだった。