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番外編《侍女レティの独白》



 あの二人の出会いを、私は今でも昨日のことのように覚えている。


 侯爵家の令嬢フォンティーナ様が、まだ十三歳になったばかりの春。

 そのお茶会は、見合いのために開かれた。穏やかな午後の日のことだった。

 けれど、あのときのアレク様の一言が、あんなにも長くお嬢様を苦しめるとは、誰が想像できたでしょう。


 私はフォンティーナ様付きの侍女、レティ・アルマと申します。

 侯爵家に仕えて十一年年。お嬢様の髪をとかし、ドレスの裾を整え、そして時々、恋の相談を受けるのが私の仕事です。


 ――あの日も、そうでした。




















 「レティ、どうかしら。髪、乱れていない?」


 お嬢様は鏡の前でそっと問いかけられた。

 藤色のドレスに、銀糸を織り込んだ巻き髪。まだ幼さの残る頬が、緊張でわずかに赤く染まっている。


 「完璧でございます、フォンティーナ様。今日も、とってもお綺麗ですよ」


 そう言うと、お嬢様はほっと息を吐かれた。

 手のひらに小さな鈴蘭の花飾りを握りしめておられる。それは、今日のお茶会に臨む“お守り”のようなものだった。


 「アレク・ナダゴーヴ様……どんな方かしら。怖い方だったらどうしよう」


 その名を聞いたとき、私は思わず微笑んでしまった。

 ナダゴーヴ伯爵家といえば、温厚で知られる名門。お嬢様にぴったりの良縁だと噂されていた。


 「噂では、とても真面目で、学園でも優秀な方だとか」

 「……本当?」

 「ええ。ただ、少し照れ屋でいらっしゃるそうですよ」


 それが、あの時点で分かっていたすべての情報だった。








 お茶会の会場は、侯爵家の庭園。

 咲き誇る白い花々の香りのなか、銀のポットから紅茶が注がれる音がやさしく響く。

 私がカップを整えていると、アレク様が現れた。


 ――正直、見惚れるほど整った顔立ちの方だった。


 涼やかな青灰の瞳。淡い金の髪を後ろで結い、まだ少年らしい線の残る横顔に、わずかな緊張が滲んでいる。

 彼は旦那様と奥様に軽く会釈すると、フォンティーナ様の前に立った。


 「ナダゴーヴ伯爵家の、アレク・ナダゴーヴと申します。お招きに感謝いたします」


 その礼儀正しさに、私は少し安堵した。

 だが、続く一言で空気が凍ることになる。




 「えっと……も、もっと綺麗な方かと、思っていました」




 お嬢様のまつげが震えた。

 言葉を飲み込んだまま、笑おうとされたけれど、頬がかすかに引きつっている。


 「そ、そう……ご期待に添えず、申し訳ありませんわ」


 アレク様は一瞬だけ焦ったように口を開きかけたが、結局なにも言わなかった。


 私は後ろで見ていて、心臓がぎゅっと痛んだ。

 あれは、悪気があったというより――たぶん、好きな子に意地悪を言う少年の癖が抜けなかったのだと思う。

 でも、それが令嬢相手では、ただの侮辱になってしまう。


 その後も会話はどこかぎこちなく、形式的に紅茶を飲み、白い花壇を眺めて、あっという間にお茶会は終わった。




 その夜、お嬢様の部屋で、私は黙ってハンカチを差し出した。


 「……わたくし、そんなに綺麗じゃないのかしら」


 「そんなことありません。アレク様は、きっと照れ隠しを――」


 「違うの。照れ隠しだとしても、あんなこと言わないでほしかった……!」


 泣きながら、鈴蘭の花飾りを握りしめるお嬢様。

 あの姿を、私は一生忘れない。




















 翌日、侯爵夫妻は話し合いの末、婚約を勧める意向を示した。

 それは政略的にも自然な流れだったが、何より驚いたのは、お嬢様ご自身の言葉だった。


 「わたくし、アレク様と婚約したいのです」


 「……どうしてだい?」と侯爵様が尋ねる。


 「アレク様は、わたくしが好きではないのかもしれません。けれど、わたくしは――好きなのです。

 わがままなのは理解しています。後悔してもいい。どうしても、この気持ちを大切にしたいのです」


 その言葉に、奥様は目を潤ませ、旦那様も少しだけ苦笑した。


 「君がそこまで言うなら、我々は止めない。ただし、覚悟はしておくように」


 お嬢様は、涙の跡を隠すように背筋を伸ばして頷かれた。


 ――そうして、二人は婚約した。





















 そして季節がめぐり、あの“夜会事件”が起こった。

 令息たちが無礼な噂を立て、令嬢たちが華麗に仕返しをした、あの夜会である。


 フォンティーナ様は見事な演出で“意趣返し”を果たし、アレク様はその中心で顔を真っ赤にされた。

 けれど、その後――お嬢様はしばらく静かだった。




 「アレク様、怒っていないかしら……」




 そんなふうに、ため息をつく日々が続いた。

 でも、アレク様が侯爵邸に来た数日後、届いた手紙を読んで、お嬢様の表情がぱっと明るくなった。


 『今度、散歩にでも行かないか』


 ――それが、ふたりの“初めてのデート”の誘いだった。






















 侯爵邸を出て、馬車で三十分。

 帝都の郊外にある湖畔の遊歩道で、二人は再会した。


 「お久しぶりです、アレク様」


 「……ああ。侯爵邸以来だね」


 並んで歩くふたりの距離は、まだどこかよそよそしい。

 でも、以前のお茶会のときのような棘は、もう感じられなかった。


 「お嬢様、湖が見えてまいりました」

 私は少し後ろを歩きながら、空気を壊さないように距離を保つ。

 湖面には陽光がきらきらと揺れ、春風に花びらが舞っていた。




 「……あの夜会、実はすごく驚いたんだ」




 沈黙を破ったのは、アレク様のほうだった。


 「君が、あんなに堂々と立っていたのを見て、正直……かっこいいと思った。

 ずっと――怖かったんだと思う。

 好きすぎて、まともに話せなかったんだ」


 私は後ろで、そっと口元を押さえた。

 お嬢様が、顔を真っ赤にして俯いている。


 「……わたくし、ずっと、アレク様に嫌われているのかと思っていました」


 「嫌う? そんなわけない。あんなこと言って、本当にごめん。

 でも、侯爵邸を後にした時……“今度こそ、君とちゃんと向き合おう”って思ったんだ」


 その言葉に、フォンティーナ様の頬がゆるむ。

 湖の光が、ふたりの間をやわらかく照らしていた。


 「ねえ、レティ」

 と、お嬢様がふいに振り向かれた。

 「わたくしたち、少し先の桜並木まで歩くわ。あなたは、ここで待っていて」


 「かしこまりました」


 そう言って頭を下げながら、私は心の中でそっと笑った。

 ――ああ、ようやく通じ合えたのだな、と。



















 あれから数ヶ月。

 侯爵邸では、結婚式の準備が少しずつ始まっている。


 お嬢様は、以前よりもずっと笑顔が増えた。

 アレク様もたびたび屋敷を訪れ、紅茶を飲みながら穏やかに談笑しておられる。


 ふとした拍子に、あの夜会の話が出ることもある。


 「今思えば、あれがなかったら、今こうしてデートなんてできてなかったかもしれないな。

 想いを、愛を告白したとしても、フォンティーナには嘘に聞こえるだろうから。

 ……愛してる。昔からずっと、変わらないよ」

 アレク様のその一言に、フォンティーナ様は耳まで真っ赤にされて――

 「そんなこと……言わないでくださいませ」

 と、うつむかれるのだった。




 あの初恋の痛みが、今はちゃんと報われている。

 それを見守るのが、侍女として、何より嬉しい。


 ……この先も、あの二人なら、きっと大丈夫だろう。


 お嬢様は繊細で、アレク様は不器用。

 けれど、不器用な恋ほど、長く続くものだと私は信じている。


 今日も私は、鈴蘭の香りが漂うドレッサーの前で、

 お嬢様の髪をそっと梳く。


 「レティ、聞いて。今度の式ではね、アレク様に鈴蘭のブートニエールを贈るの」


 「まぁ、それは素敵ですわ。きっと、お似合いですよ」


 「ええ。だって――“花を摘む”のは、もう彼の役目ですもの」


 微笑むお嬢様の頬に、春の光が落ちた。

 あの頃の涙も、不安も、いまや全部、幸福の予感に変わっている。


 私はただ、静かに思う。


 ――これほど愛のある“意趣返し”はないのかもしれない、と。






読んでくださりありがとうございました。

もしよろしければ、★評価★をいただけると嬉しいです!



〜次回予告〜

代々竜騎士を排出する一家に生まれ、十歳の頃から専属の竜を育てているが、苦手意識が強い少女。

……もし、あなたが空を飛べなければ。

そう思って眠りにつくと――翼のない大きな竜が、というか喋れて人への変化が可能になった竜(?)がそこにいた。


番×溺愛でお送りする純愛ストーリーです!

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