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本編




「なあ、知ってるか? “お花を摘みに行く”って言葉の由来」


 夜会の隅、金のシャンデリアが淡く照らすワインテーブル。アレク・ナダゴーヴ伯爵令息は、口元に笑みを浮かべてグラスを傾けた。周囲には同年代の令息たちが集まり、退屈な舞踏会の合間にくだらない話題で盛り上がっていた。


「昔にいたとある詩人が、草むらで用を足している姿を見て、“まるで花を摘んでいるようだ”ってしたためたんだと。で、それがそのまま“お花を摘みに行く”の語源になったらしい」


 一瞬、間があった後、令息たちはどっと吹き出した。


「はははっ、つまり今の令嬢たちが“お花を摘みに”なんて言ってるのは――」

「言うな言うな、想像するな、余計笑える!」


 金の刺繍の袖が揺れ、笑い声が夜会の空気を震わせる。

 アレクはグラスを掲げ、愉快そうに笑った。


「俺なんか、この前婚約者が席を立つ時に言ってたぞ。“少々お花を摘みに”って。……どんな顔して見送ればいいと思う?」


「まさか、お前の婚約者って――スナラデア侯爵家の氷の令嬢だろ? フォンティーナ嬢!」


「そう。その氷姫が“お花を摘む”んだぜ。どうだ、意外だろ?」


 下品な笑いが飛び交う。アレクは笑いながらも、胸のどこかが少しだけ疼いた。

 ――彼女は本当に、氷のような人なのか?


 その時、カーテンの向こうで誰かの影がわずかに動いたことに、彼らは気づかなかった。




 ◇




「……なるほど。つまりこの国の令息方は、ここまで愚かになられたというわけですわね」


 紅茶を口に含みながら、フォンティーナ・スナラデア侯爵令嬢は静かに言った。

 白磁のカップを置く音が、控え室に冷たく響く。


 報告をした侍女は肩をすくめて震えていた。


「も、申し訳ありません……たまたま耳に入ってしまって……」


「いいえ。あなたを責めるつもりはありませんわ。知らせてくれたこと、感謝いたします」


 その隣で微笑んだのは、王家の第二王女、リゼット・オルディネール。

 黄金の髪を揺らし、優雅に言った。


「まあ、男の子ってそういう話が好きですものね。でも……これはちょっと、笑えませんわ」


「わたくしたちを花に喩えるのは勝手ですが、“摘む”だなんて。花を侮辱していますわ」


 フォンティーナは立ち上がり、机の上の小さな鈴蘭を手に取った。

 指先に魔力を込めると、花弁が淡く光る。


「ならば、“摘む”とはどういうことか。彼らに教えて差し上げましょうか」


 リゼットはくすりと笑い、うなずいた。


「……いいわね。そういうの、大好きよ」












 数日後。

 第二王女主催の夜会が、王都最大の庭園で開催された。

 月光を受けて噴水がきらめき、白い花々が風に揺れる。


 この夜、貴族令嬢たちは揃って花束を手にしていた。

 白薔薇、鈴蘭、アネモネ――まるで示し合わせたように。


「準備はいいかしら?」


 控え室で、フォンティーナが軽やかに声をかける。

 令嬢たちは小さく頷き、微笑んだ。


「“お花を摘む”なんて言葉、わたくしたちの誇りを踏みにじるようなものですわ」

「ええ。なら、摘まれるのがどれだけ恥ずかしいか、彼らに実感してもらいましょう」


 笑いの中に、少しだけ緊張が混ざる。

 リゼットが立ち上がり、白百合の花束を掲げた。


「花は気高く咲くもの。今宵花を摘むのは、彼らの方ですわ」


 笑い声が咲いた。




 ◇




 一方その頃、アレクは会場の片隅で友人たちと笑っていた。


「見ろよアレク! フォンティーナ嬢、鈴蘭の花束なんか持ってるぜ。花言葉、“再びの幸せ”だろ? 俺に未練でもあるのかな」


「お前、ほんと都合よく解釈するよな」


 アレクは肩をすくめて笑った。

 あの冷たい婚約者が、自分を意識しているとは思えない。

 だが――ほんの少し、期待していた。


 楽団の音楽が変わり、夜会の中心に人が集まる。

 アレクは迷わずフォンティーナのもとへ歩み寄った。


「ご機嫌よう、フォンティーナ嬢。ダンスをお誘いしても?」


「ええ、喜んで」


 その微笑みがいつもより柔らかく見えて、アレクは思わず息をのむ。

 手を取ると、細くしなやかな指がほんの少し震えていた。


「今夜は、よく笑うんだな」

「そうかもしれませんわ。少し……楽しいことを考えておりますの」


 アレクは眉を上げる。

 楽しいこと? 何のことだ?

 心の中で頭を傾げながら、フォンティーナの手を取る……いや、取れない。


「――その花束、踊るには邪魔じゃないか?」

「ふふ、ご心配には及びませんわ」


 次の瞬間、フォンティーナは花束を静かに落とした。

 床に散った鈴蘭が、光を帯びて宙に浮かぶ。


 花が根を伸ばし、地面に咲く。

 会場の視線が集まった。


「あら失礼、アレク様。わたくしうっかり落としてしまいましたわ。

 拾って――いえ、“お花を摘んで”いただけますか?」


 空気が凍る。

 一拍遅れて、アレクの顔が真っ赤になり、言葉を失う。


 周囲の令嬢たちは笑いをこらえ、あちこちで同じように花を落とし、令息たちに“摘ませて”いった。

 笑いと悲鳴とが入り交じる、混沌の夜会。


 フォンティーナは一歩下がり、優雅にお辞儀をした。


「“花を摘む”とは、こういうことですわ。……まさか、他の意味で使われていたのかしら?」


 アレクの喉が音を立てた。

 笑い声が波のように広がる中、彼はただ立ち尽くしていた。




 ◇




 夜会は、嵐のように終わった。

 令息たちは一様に青ざめ、令嬢たちは清々しい笑みを浮かべていた。


 けれどフォンティーナは、満足してはいなかった。

 胸の奥で、何か小さな痛みが残っていた。


 ――本当は、あなたを傷つけたくなかったのに。














 翌日。

 スナラデア邸の庭に、アレクが訪ねてきた。


「……入れていただけないだろうか」


 門前で頭を下げる姿は、昨夜とは別人のようだった。

 メイドが驚いて奥へ駆け込み、やがてフォンティーナが現れる。


「……来ると思いましたわ」


「謝りに来た。……いや、言い訳かもしれないけど」


 彼の声は低く、真剣だった。

 フォンティーナはため息をつき、庭のベンチを指さした。


「座りなさい。立ち話では落ち着きませんわ」


 アレクは腰を下ろし、少しの間、黙っていた。

 噴水の音が二人の沈黙を埋める。


「俺、軽率だった。本当に悪かった。あんな噂、面白半分で話すべきじゃなかった」


「そうですわね。あなたの軽口で、どれだけ多くの令嬢が不快な思いをしたか、ご存じですの?」


「ああ……痛いほど、昨夜見せつけられた」


 アレクは苦笑し、頭を掻いた。

 その仕草があまりに素直で、フォンティーナは思わず目を逸らす。


「……けれど、あなたが謝りに来たのは、少し見直しましたわ」


「本当は、昨日からずっと後悔してたんだ。笑ってごまかしたけど……お前が俺の婚約者で良かったと思ってる」


「まぁ……ずいぶん正直に言いますのね」


「恥ずかしいけどな。けど、昨日あの場で、俺は完全に負けたと思った。けど、あの時、お前が花を咲かせた瞬間、……綺麗だと思ったんだ」


「……あら、皮肉のつもり?」


「違う。本心だ。笑ってた連中も、たぶん本当は、みんな見惚れてたと思う」


 風が吹いた。鈴蘭の香りが、彼の言葉とともに届く。

 フォンティーナは少しだけ笑い、目を細めた。


「あなた、やっぱりずるい方ですわね。謝罪の中に口説きを混ぜるなんて」


「そうしないと、きっと会ってもらえないと思って」


「……そうですわね。あの夜の仕返しをしないと、気が済みませんわ」


「まだするのか?」


「ええ。次の夜会では、あなたの方から花を差し出してもらいますの。もちろん、今度は恥ずかしい意味ではなく」


「つまり……正式に、俺を求めてくれるってことか?」


「さあ、どうでしょうね?」


 フォンティーナは微笑み、立ち上がる。

 その背に、アレクがそっと声をかけた。


「なあ、フォンティーナ。……俺、本当にお前のこと、綺麗だと思ってる。昨日も今日も、これからも」


「……その言葉、軽く聞こえませんように」


「軽くなんかない。俺にとっては、お前が“摘まれたくない花”なんだ」


 フォンティーナは一瞬、動きを止めた。

 それから、少しだけ振り返り、微笑んだ。


「……今のは、少しだけ素敵でしたわ」
















 数週間後。

 再び開かれた夜会。今度は春の夜風が心地よい庭園だった。


 フォンティーナは白いドレスに鈴蘭の髪飾りをつけ、ゆっくりと歩く。

 そこへ、アレクが現れた。手には一輪の白薔薇。


「……来てくれたか」


「ええ。今度は、あなたの番ですもの」


 アレクは少し照れたように笑い、花を差し出した。


「これを、“摘んで”くれるか?」


 フォンティーナは目を瞬かせ、ふっと笑った。


「ええ、喜んで」


 彼女が花を受け取ると、魔力の光がほのかに灯る。

 薔薇が花束へと変わり、空気に香りが広がった。


「ねえ、アレク様。花を摘むというのは、本来こういうことですのよ」


「どういうことだ?」


「誰かを想って、花を手に取ること。……相手を傷つけず、優しく触れることですわ」


 アレクは彼女の手を取り、そっと囁いた。


「なら、もう二度と間違えない。これからはずっと、摘むよりも、守る方でいたい」


「……本当に、そう思ってくださるのね?」


「誓うよ。俺の花は、君だけだ」


 月光が二人を照らす。

 白薔薇と鈴蘭の香りが混じり合い、夜風に乗って流れた。


 周囲では、他の令嬢令息たちも和解の微笑を交わしていた。

 くだらない噂は消え、代わりに花と言葉の礼節が戻ってきた。


 フォンティーナはアレクの胸に寄り添い、静かに囁く。


「ねえ、アレク様。あなたのそういう顔……初めて見ましたわ」


「そりゃ、前まではバカだったからな」


「ふふっ、ようやく素直になりましたのね」


 二人の笑い声が、月夜の庭に溶けていく。

 “お花を摘む”という言葉に、新しい意味が宿った瞬間だった。







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