3-15 超越の器
何も見えない。光も、星も、彼女の姿も…。
何も感じない。自分の脈動も、息遣いも、何かに触れる感触も…。
今聞こえてくるのは何処かで抗っているあの夢の中の彼女の声と、もう一つ…。
同じ声でただ冷たく囁くもう1人の声。
「迎えに来て」と言ってきた彼女じゃない…。
しかしその声は確かにあの子の声…。
そんな彼女の声だけが頭に響く。
「私に超越を…。」
「私に超越を…。」
これは夢の中で会った名も知らない彼女じゃない。コイツはきっと彼女のもう一つの一面。
または彼女の権能自体とも言えるモノ。
何かに抗っているあの子の遠い声が段々と近づいて来ている気がした。
「出て……………………じゃ………」
「……………あな……私」
「………………………は…………い」
同じ言葉をずっと繰り返していた。まるで自分ではない誰かにでも懇願するかのように。
その中でも彼女の決して折れない意志を感じる。
呑まれない、まだ終わっていない、私を取り戻したいと…。
それは俺も同じだった。
2度目の…いや、最初からそうだったのかもしれない…。
会談した後の襲撃者の時も、模擬戦で実践した時も…。
あの権能を使った全ての瞬間。俺は呑まれていたのかもしれない。
超越…。確かに彼女の声がそう頭の中に響いた時に俺は思ってしまった。勝ちたいでも生きたいでもなく、超えたいと。
誰かよりも上に立ちたいなんてこと、どんな人でもよく考えることだ、だけどそういうのじゃない。
肉体を精神を能力を、全てで凌駕したい。
そんな渇望があの瞬間の自分自身にはあった。
あんな感情、普段の自分なら出てこない、無欲という訳ではない。ただ、あの行動を自分自身の存在理由にしている。
つまり…。誰か、または何かを超える。そしてそれを自分の第一優先事項の行動原理とすることが根底に急速に根付き、一瞬で自分が自分ではなくなってしまう…または俺自身が乗っ取られる。
そんなことがあの力を使う時に起きていた。
だから同じなのだ。何回か超越を感じてわかった。
超越の権能。その担い手と権利の意思。
担い手は夢の中の彼女。権利の意思は俺が権能を用いる度に俺自身に宿る存在。
彼女は助けて欲しいんだ。権能の意思に耐え切れず、今か今かと救いを求めている。
権能の意思はそれでも自分の存在というものに疑問を持つこともなくただ自身の行動原理に従って働いている。
超越の権能は止まることを知らない。
故に担い手が止まってしまえば権利は一人歩きをしようとする。しかしそんなことはできない。
権利という武器は主人である担い手から望んで切り離されることはないからだ。
ならば何が起きるのか、止まることがない権能は主人を無理矢理にでも進ませるだろう。
たとえ本人がそれを望んでいなかったとしても。
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彼女の声が近づいて来ると、自然と目を覚ました。何か柔らかいものの上に頭を乗せているようだった。
視界がおかしい、床が壁で天井も壁、段々と思い出してきた、武術の講義で模擬戦をしていた。
それで…
「え…?」
「あ、起きた…。」
天井があるであろう方へ頭を向けると天井は視界の半分程しか見えなかった。
そこでようやく正気に戻った。
「え、うわぁ、!?!!!」
俺は一緒に戦っていた女の子に膝枕されていた。
思わず慌てふためきながら床へ転がるように逃げて腰を抜かしたように座り込んだ。
「なにその反応…」
「ティレル先生がこうしといたら喜ぶって言ってたのに…。」
彼女はぷくーっと頬を膨らませながら正座のままでこちらを見ていた。
訳がわからないまま座り込んでいると彼女は立ち上がって手を差し伸べてきた。
「立てる?」
「あぁ…大丈夫。迷惑かけたな。」
彼女の手を大人しく取って立ち上がるとカリナはポケットから1つの鍵の束を取り出した。
「あの人、君のこと無理矢理にでも追い出して仕事終わらせたかったみたいだから。先生に頼んで君が起きるまでの間ここを借りさせて貰ったんだ。」
「なんでそこまで…。」
「ネックレスまだ返してもらってないから…。」
そこまでしてもらう理由なんて無いと思っていたら彼女は出口へ振り向いてそう呟き、「外で待ってるから」と告げて立ち去っていった。
「そういえばそうだったな…。」
まるで長い夢の中にでも居たような気分だった。
この力は確かに強い。それでもやはりわからない力というものは危険だ…。
またこんな事態を招いてしまうかもしれない。
せめてこの力を使うのはは1日1回に留めよう。
そう胸に誓いながらラウルは更衣室に向かった。
着替え終わって少し汗の染みた講義用の服を洗濯するために自身の鞄にしまって武道館の外へ出た。
待っていると言っていた彼女は着替えが済んでいないのかまだ来ていなかった。
【待つか…。】
ポケットの中に入っている彼女のネックレスの存在を手で確認してラウルは壁に寄りかかりながら待つことにした。
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「先生の嘘つき…。」
カリナは着替え終わってもなお、洗面台で流れていく水を見つめていた。
「コイツが起きるのを待つつもりなら膝枕でもしてやんな。」
「えぇ!?」
今まで出したことのないような声が思わず飛び出てしまった。
「そんなにコイツのこと気にかけるなんて…」
「もしかしてコイツのこと気になってるんだろ?」
意地悪そうに目を細めて揶揄うようにカナリアは彼女の肩を優しく叩いた。
「気になってるって…」
「わからないか?お前、コイツのこと好きだろ?」
「なぁっ!!?」
またも出したことのない声が出てしまった。
【私がこの人のことを好き…?】
【どうして?】
【だってまだ2回しか会ったこともないし、私が気にかけているのはネックレスを返して欲しいからであって…。】
「そんなに悩んで…。自分の気持ちに気づいてないんだな?(笑)」
「なんでそんなことあなたにわかるんですか。」
嘲笑しながらそう言う彼女に何か言い返そうと思って思ったが、ただの疑問しか生まれてこなかった。
「アタシは勘がいいからな。人の考えていることなんてなんとなく分かるんだ。」
胸を張るカナリアに言いくるめられるようにそのまま鍵を渡されてここに残れる許可をもらった。
「鍵は外の玄関マットの下にでも隠しといてくれ!」
鍵を渡して武道場から出ていく彼女は走りながらそう言い残して去って行ってしまった。
「好き…かぁ〜。でも、今の私にはそんなことしてる場合じゃないのにね…。」
ついに重い腰を上げた彼女は水道の蛇口を閉じてネックレスを返してもらうために更衣室を出て行った。




