第5話 違和感
「そもそも、読心術は生まれつきのものだから、意識しないと気づけないわけ。わかる?」
暁月はめんどくさそうに口を尖らせ、頬杖をついた。子供っぽい態度の祖先に、水月は呆れたように小さく息をつく。
彼のいう読心術とは、優れた観察眼と洞察力、推測力から相手の思考をなんとなく察して先読みする、稀子特有の能力である。彼らは意図せず、口調や文脈、表情から、相手が何を言いたいのかを予測できるらしい。
暁月曰く、まるで心を読んでいるようだ、と言われたことから、この術名がついたんだとか。
「言葉足らずで申し訳ありませんでした。説明いたしますので、しばしお待ちを」
水月は、この自由奔放な祖先を無視して、部屋の棚から墨と硯、和紙と筆を取り出した。瞬時に魔術で小さな滴をつくり、硯の陸へ垂らすと、優しく墨を磨る。
「まず、現段階での龍月組組員は約二万一千名。そのうち、紫面は十五名、青面は四十七名。赤面ですら五千名もいません。それに加え、現在戦闘不能もしくは療養中の組員が約四百名います」
磨った墨の上からさらに水滴を垂らし、墨を墨池へ流す。説明しながらも丁寧に墨汁を作った彼女は、先ほど口にした面の色で区別される階級と、階級別の組員数を紙面上に整理していった。
「黄面が最も多く、約一万二千名。黒面が約三千名、白面がまだ一千名近くいます。この階級と実力が呼応するものと仮定すると、まず七大将頭と《《対等に戦える者》》は五十名程度しかいません」
彼女の言葉に、煌弥が首を傾げた。
「七対五十やったら、圧勝なんとちゃいますの?」
「…あなたは組長さまの言葉をちゃんと聞いていなかったのですか?」
すかさず、氷華が彼をキッと睨む。煌弥はひぃっと情けない声を上げると、自分自身の部下の後ろに隠れた。その様子を、暁月がくすくすと愉快そうに笑いながら見ている。
水月は、軽く咳払いをして暁月を黙らせると、氷華さん、と彼女の名を呼んだ。氷華は水月の声を聞くと、背を正して素直にその口を閉じる。水月は小さく吐息を漏らすと、申し訳なさそうに説明し直した。
「まわりくどい言い方をしてしまいましたね。問題は、対等に戦える者が何名いるか、ではなく、彼らを討伐しきれる者が何名いるか、にあります」
階級別に見れば七対五十でも、それは違う組織の階級を上から無理やりに対応させているだけに過ぎない。階級の制定に同じ実力の基準を設けているわけではないのだから、そこには必ず差が生じる。
「今の七大将頭のうち、二名は一千年以上、三名は五百年以上倒されていません。つまり、私の前に生まれた歴代稀子ですら倒せず、《《封印するしかなかった》》。それほどの相手が、他にも山ほどいるのです」
水月の言葉に納得したかのように、煌弥は何度か頷いた。そして暫く考えたのち、不安げな顔になると、また口を開いた。
「それって…俺らに倒せるもんなん?」
「煌弥…敬語を使いなさい!」
これを聞くのは何度目だろうか。真夜中の高層ビルの最上階に、もはや聞きなれた彼女の怒鳴り声が響いた。
◆◇◆◇◆
「ふう…これでよしっと」
数分後、柱に縄を括り付けた拓哉は、軽く手を叩いた。
「ごめんなさいね、拓哉さん。いつもありがとう」
水月は申し訳なさそうに彼に礼を述べる。拓哉の後ろには、二本の柱にそれぞれ括り付けられた煌弥と氷華の姿があった。二人の頭には、お揃いのこぶが一つずつついている。
「いえ、とんでもないです。寧ろずっと天話術を使用してくださっているのに、こいつらのせいで話が進まず、申し訳ありません。かなりの術力を消費するはずなのに…」
拓哉は二人の代わりに頭を下げた。水月は首を横に振ると、私は大丈夫よ、と微笑んだ。
天話術というのは、彼女が会得している、死者と会話する術だ。これは、今は亡き水月の母・霜月美桜が巫女としての仕事の時に使っていた術と同じ類いのもので、一般的には、死者の魂を自身の体に乗り移させることで対話を成立させる。
しかし、稀子である彼女は、自分の身体を使わずに、死者の魂を特殊な宝玉の元に呼び出すことで、会話をすることができる。まぁ、先ほどの拓哉の言葉通り、色々と削られるものはあるのだが。
「ところで水月様、一つお伺いしても?」
騒がしかった二名が黙ったところで、やっと真面目な拓哉が口を開いた。彼女は不思議そうにしつつも、こくりと頷く。
「封印、というのは、どのようにするのでしょうか?」
「…え?」
彼のその言葉に、水月は違和感を覚えた。少しの間首を捻り、黙り込むと、暁月の方へ目をやる。
「あ、消えてる…」
その時には既に、彼は宝玉から姿を消していた。本当に自由極まりない人だ。
「暁月様、お戻りください!ここからが本題なんです!」
水月は少し乱暴に宝石を揺すったが、彼が再び現れることはなかった。
「全く…」
彼女は呆れた様子で、今日で一番大きなため息をついた。
「まぁいいじゃないか、水月。今日はもう遅いし、暁月様もお疲れなんだよ。きっと」
そう水月に声をかけた龍二は、膝上に寝かせた結の頭を優しく撫でていた。どうやら、弟も疲れて眠ってしまったらしい。
「…まだ何も話していないんですけど」
珍しく焦った様子の水月は、気に食わない様子でそんなことを口にした。
「今日はお開きにしますか?組長さまも長く天話術を使われたことですし、お疲れでしょう?」
拓哉は彼女を労いつつ、そう提案した。
「…そうね、結局私が得られたのは拓哉さんが作ってくれたデータだけだったけれど。これを元にもう少し考えてみるわ、ありがとう」
彼女がそう口にすれば、柱に縛り付けられていた2人が待ってましたとばかりに騒ぎ出す。
「拓哉ぁ!早くこれ解いてくれ!」
「如月、私を縛り付けるなんていい度胸ですね…殺しますよ?」
「はいはいわかった、今解いてやっから。そもそも、会議の進行を妨げるお前らが悪いんだぞ」
各部隊の隊長三名は、そんな最高幹部らしからぬいつものやりとりを繰り広げる。いつもそれを微笑ましそうに見ていた水月の顔には、どこか曇りがかかっていた。
◆◇◆◇◆
最上階の部屋から最高幹部九名が退出し、水月たちが帰宅の準備を始めていた頃、ふと暁月が水晶玉の中に姿を現した。
「…水月、わかったかい?」
彼は傍で羽織を畳んでいた水月に、小声で話しかける。彼女は暁月と目を合わせるなり、力強く頷いた。
「今日の会議、あのまま進めなくてよかっただろう?機転を利かせて姿を消した僕に感謝してほしいね」
「はて、本当に機転を利かせて消えたのか、ただ面倒になって消えたのかは微妙では?」
彼女はただ真面目な顔でそう返す。暁月が映し出された宝玉を、専用の紫色の布で包むと、そこに彼の姿は映らなくなった。それでも、彼の声は水月には聞こえる。それが彼女の天話術だからだ。
「で、これからどうする?恐らく今この組はかなり危険な状態にあるよ?」
彼の言葉に、水月は頷いた。龍二に抱きかかえられ、ぐっすり寝ている弟と、自分の荷物を無言で運んでくれた兄の顔をじっと見たあと、父の方を見やる。彼は水月の視線に気づくと、にこっと微笑んで彼女を手招きした。
「今は一旦様子見です。重要なデータは全て屋敷へ持ち帰り、私の部屋で保存します。それでも奴の元へ情報が流れているようであればまずいですが…まずは相手がどこまでの範囲で動ける者なのかを確認しなければ」
水月は小声でそう返し、愛する家族のもとへ向かった。エレベーターに乗り込み、魔術をかければ、そこにはなかった地下一階へのボタンが出現する。
「そう…大事になる前に片付けなさい。これは組長命令だよ」
暁月の重みのある言葉が、水月の耳に届く。彼女はエレベーターの外のガラス越しに広がる、都会の闇をただ静かに見やった。
「…御意」
誰に応えるでもなく、まるで自分に言い聞かせるような彼女の小さな決意がひとつ、夜の星空に落ちた。