第4話 稀子の脳力
「まずは第陸部隊から、最近の愚者について報告を」
龍二の進行に、拓哉が頷く。彼は律儀に頭を下げてから、口を開いた。
「ご報告致します。ご存知の通り、ここ数ヶ月の愚者の討伐数は上昇傾向にあります。組長様の直轄部隊である第陸部隊の出動要請は約40件増加、特攻部隊である第漆部隊は約70件、治癒部隊である第捌部隊は約50件の増加です」
拓哉は懐から資料を取り出すと、水月の前にそっと置いた。資料にはわかりやすく色分けされたグラフが示されており、一目見ただけで出動数の増加が確認できる。
「もう表世界のパソコンを使いこなしていらっしゃるのですね」
水月は驚いた表情を浮かべつつもそれを手に取り、一枚一枚に目を通した。拓哉は水月の動きを注視したまま口を開く。
「ありがとうございます。一枚目に部隊別出動数の推移と傾向のまとめ、二枚目に被害者数と組員の負傷者・死者数の推移、三枚目に愚者の討伐数と実力の推移を載せてあります」
「組員の中から死者は出ていなくても、被害を受けた人間の死者数は増加していますね。愚者との戦闘で負傷してしまったせいで戦闘不能状態になっている組員の数も増加傾向…このままいくとまずいことになるでしょうね」
彼女は資料を一通り見たあと、それを兄に手渡す。ずっと彼女を観察していた拓哉は、水月が人差し指で唇を弄んでいるのを見ると、少し考えてから口を開いた。
「ですが、ここ一年、組員の中で死者が一人も出ていないことは素晴らしい功績です。一昨年から取り入れた、年二回の階級試験制度が功を奏したことかと思われます」
彼の言葉を聞いた瞬間、水月の人差し指の動きがぴたっと止む。どこか表情が和らいだ彼女は、少し微笑んで頷いた。
「そうですね、こうして数字に現れてくれたことは良かったです」
彼女の返事に、龍二はちらりと拓哉を見やった。
拓哉は、水月が不安になった時、唇を弄る癖があることに気づいており、咄嗟に話題を変えたのだろう。水月が幼い頃から護衛としてそばにいた龍二ならまだしも、まだ数年しか行動を共にしていない拓哉が既にそれに気づいており、さりげなくフォローしたことに彼は驚き、感心した。さすが最高幹部に選ばれた者といったところであろうか。
◆◇◆◇◆
水月が拓哉と会話している間、ただ静かに妹に手渡された資料を確認をしていた区宇魔は、ふと口を開いた。
「で、今の状況で、愚者の動きはどうなっていると推測できる?」
「はい。七大将頭の目撃情報も出てきていることから、やはり表世界にて生き残りの皇族の方を探しているものと思われます。但し、今は弱者を送り出して様子見、といったところでしょうか」
拓哉がそう冷静に答えると、全員が納得したように頷く。
実は、愚者の中にも階級は存在する。
愚者を生み出し、その集団を取りまとめている禁忌の双子の姉妹、紅蘭と紫蘭は、首長と呼ばれる。また、この双子が初めて生み出した愚者にして最高傑作・紫苑明玉は覇者の異名を持ち、今や首長である双子も逆らえないという。
そして、この覇者・明玉が気に入った実力者七名が七大将頭である。
明玉は自分が面白そうだと思わない限り、戦闘には出てこない。また、七大将頭も彼のお気に入りであるため、やはりなかなか表には出てこない。にも関わらず、そんな彼らが表世界で目撃されているということは、かなり大胆に動き始めているということだ。
「彼らの狙いが私たち兄弟であるうちは、まだうまく立ち回れるかと。ただし、彼らの狙いが“龍月組”に切り替わった時は…わかりません」
水月は目を伏せ、小さなため息を漏らすと、ゆっくりと立ち上がった。棚の方へ向かい、そこに飾られていた直径20センチほどの水晶玉を台座ごと手に取ると、慎重にそれを机の上に乗せる。
「いかが思われますか、暁月様」
彼女がそう水晶玉に話しかけた途端、宝玉の中に曇りが見え始めた。それはだんだんと変化し、やがては水月と同じ綺麗な白髪を持った、一人の男性を映し出す。
その瞳は紫水晶のように透き通っており、心の奥底まで見透かすかのような鋭さを持っていた。実際にこの場に存在しているわけではないのに、彼の持つ雰囲気は威厳に満ち溢れており、どこか畏怖すら感じさせる。
「水月、あんまり僕を呼びすぎるとまた倒れるよ?《《天界との通信》》はそれなりの体力を消費するんだから」
水晶玉に映し出された男性は、彼女にそう声をかけると、肩を竦めた。
彼こそは、裏世界の初代皇帝かつ初代龍月組組長・龍月星暁月である。約1500年前に活躍した水月の祖先で、史上初の稀子でもある。
稀子とは、数百年に一度生まれるという、特別な能力を持った子どものことだ。
実は彼らは、特殊能力を手に生まれてくると共に、初めてのことを一から習得する能力が極めて低いというハンデを背負っている。普通の異能者でも簡単にできるような基礎的な技ですら、稀子はなかなか会得できない。その代わり、一度習得した技の威力は、一般的な技とは比べ物にならないほど強いんだとか。
ところで、天界にいるはずの暁月が、どうして水晶玉を通して会話ができるのだろうか?その理由は、実は水月の能力にある。そしてその能力こそ、彼女が組長の座を継いでいる理由なのだ。
「ご心配なく。術力の出力制御には慣れましたので」
水月は暁月の言葉にそう返すと、暑い、と呟きながら狐面を外した。彼女の左頬に、今までなかった花の模様が紅く浮かび上がっているのが見える。ある特定の術を使用している時のみ、このような模様が浮かぶのだ。
「ふーん、さすが僕の末裔、組長らしさが出てきたかな?」
暁月は彼女の頬の模様をじっと見たあと、どこか誇らしげな笑みをその顔に浮かべた。
深夜の闇に浮かぶ高層ビルの最上階、夜の騒がしい街の明るさすら届かないこの場所で、史上最強の術師と呼ばれた水月の祖先・龍月星暁月は、自身の末裔の力によって、再びその実力を発揮することとなる。
◆◇◆◇◆
「で、話は聞いてたけど、愚者が動き出したから、そろそろ水月たちも動き出そうってわけ?」
宝玉の中に浮かび上がった男___暁月は、じっと自身を見つめている水月にそう訊ねた。その声は、先程までの孫娘を愛でるかのような優しい声ではなく、かつて一つの組織を率いていた長としての、厳かな声であった。
「はい、ですが…」
「正直今のままでは全滅するだけで勝てるわけがない、と?」
暁月は、彼女の言葉を先読みしてそう問うた。水月は少し俯いたものの、こくりと小さく頷く。彼女の言葉を聞いた暁月は、こて、と首を軽く捻った。
「うーん、まぁわからなくもないけど、水月が危惧するほどではないんじゃない?だって…」
「半数は生き残れます。但し、それは明玉との戦いを避けた場合のみ、です」
「…そうだね」
今度は水月が彼の言葉を先読みした。この会話を聞いていた最高幹部は、みなが気まずそうに顔を見合せた。会話の内容に全くついていけなかったからだ。
水月の隣でそれを聞いていた龍二も、またか、と苦笑いを浮かべる。そして言いづらそうにしつつも、みんなのためにと口を開いた。
「暁月さま、水月さま、《《稀子同士》》の会話は論理の飛躍が著しく、一般の者にはよくわかりませんので、どうかご配慮を」
龍二の言葉を聞いた暁月は、少し難しそうな顔をした。
「えぇ…そう?《《僕ら》》にとってはやっぱり何の違和感もないんだけど?ねぇ、水月」
彼に賛同を求められた現組長、水月は、なんの躊躇いもなく、こくりと頷いた。
そう、実は暁月だけでなく、水月もまた特殊な力を持って生まれた“稀子”なのである。