第2話 孤高の秀才
夜の空に、真っ赤な血飛沫が飛んだ。愚者の頭は円を描いて空を飛び、ごとんと地に落ちた。
区宇魔はうまくいったと思い、妹の方へ視線をやった。しかし、首を獲ったにも関わらず彼女は地を蹴っていた。それを確認した兄は、咄嗟に首のない愚者の体を蹴り落とす。妹の動きからすると、まだ何かが足りていないらしかった。
水月は兄のその行動に頷くと、落ちてきた愚者の身体を空中で捉えた。《《それ》》はまだ動いていた。背に手を回し、矢に炎をつけると、至近距離からそれを水月に向けて放つ。
「海龍術式、守舞・水壁」
彼女はそれをわかっていたかのように冷静にそう唱えた。途端、愚者と彼女の間に厚い水の壁が立ちはだかり、炎の矢を阻む。海龍の術だった。
飛行魔術で空に浮いた水月は、頭のない愚者の腹を思いっきり蹴り上げる。それを木の上で見ていた区宇魔は、何かを理解したように呟いた。
「ああ、そっちか」
区宇魔は、妹の蹴りで自分の元へ再び帰ってきた愚者の体の背を、今度は真っ直ぐ縦に斬り裂いた。これでどうだと妹の方を確認すれば、水月は、満足そうに微笑み、親指をぐっと立てる。
「ギャアアア!!!」
耳をつんざくような愚者の断末魔が響き、その体は塵と化して消えた。これが彼女たちの仕事、愚者の討伐である。
水月は愚者が完全に散ったことを確認し、飛行魔術を解いて地へ降りると、先ほど水の壁で自身を守ってくれた海龍を抱きしめた。しばらく戯れたあと、彼女と同じように飛行魔術を使って木から降りてきた兄の元へ駆け寄る。
「よくわかったわね、兄さん」
「急所が背中って…珍しすぎるだろ」
妹は満足そうにしていたが、区宇魔は納得していない様子で頭を掻き、納刀した。
愚者は不老長寿の身体を手に入れると共に、身体の一部が非常に脆くなる。しかし、その急所は個体によって違う。
つまり、人間とは違って首と胴体が離れたとしても、すぐに死ぬとは限らない。その代わり、彼らは急所を突かれればその体は塵と化す。遺体も遺骨も何も残らない。
「哀れな生き物ね、生きた証拠が誰かの命を奪ったことだけだなんて」
水月は小さな声でそう呟いた。龍月組本部に事後報告を送っていた区宇魔は、よく聞き取れなかった妹の独り言に首を傾げる。
「ん?なんか言ったか?」
「いいえ、なんでもないわ。思ってたより弱かったし、早く帰りましょ!女の人も多分助けられるわ」
彼女は微笑んで誤魔化し、兄を急かした。兄妹の契約龍である月龍と海龍は、二人の様子を見届けると、再び空へと飛んでいった。
◆◇◆◇◆
被害者の女性の傷はかなり深かったが、手持ちの手拭いで圧迫して止血することはできた。水月は、組員全員が無事であることを確認すると、女性と組員を連れて神社の入り口まで降りた。
そこには、先ほど区宇魔が本部に連絡した時に呼んだ、龍月組で所持している大型バスがあった。このバスには、後方に医務室が備わっており、愚者との戦闘で負傷した者を車内で治療できるようになっている。
「兄さん!姉さん!」
神社から出るなり、バスの方から一人の少年が駆けてきた。区宇魔と水月の唯一の弟、鬼神結だ。彼もこの兄妹と同じく白い髪を持っており、その瞳は宝石のように綺麗な翡翠色をしている。
「結!まだ寝ていなかったの?」
水月は、無邪気に抱きついてきた弟を優しく抱き止め、困り顔でその頭を撫でた。まだ十歳の子供だ。早く寝ていてほしいというのが姉としての心境だろう。
「兄さんからの連絡があったんだもの、駆けつけないわけにはいかないでしょ?」
にこっと無邪気な笑みを浮かべた結は、被害者の女性を運び終えた区宇魔にひょいっと抱き抱えられた。
「ほーら、結。遊びで呼んだんじゃないんだ。しっかり仕事頼むぞ」
兄にじっと見められ、くすぐったそうにした弟は、自信満々に頷いた。
「任せて!僕に治せない人間なんていないんだから!」
◆◇◆◇◆
柔らかい月の光は、暗くなることを知らない都会の街には届かない。だが、眠らない夜を見下ろしている存在には届く。
「龍月星水月…やはり生きていたのね」
栗色の長い髪を持ったその女は、夜の闇にそんな独り言を残し、高地に建つ寺の奥の扉から、別世界へと消えた。
◆◇◆◇◆
結は言葉通り、その女性の傷を見事に治した。再生能力の低い人間の抉られた箇所を傷一つなく治すのは至難の技であるが、彼はそれをこの揺れる車内で、それもわずか十歳にしてすんなりとやってのけた。これが彼が孤高の秀才と呼ばれる所以である。
「ありがとう、結。さすが私の弟ね」
水月は彼に礼を述べ、いつものようにその頭を撫でてやった。
「これくらい当然だよ。ところで姉さん、怪我してない?兄さんも大丈夫?」
「へーきだっての、そもそも俺がいながら水月が怪我するとかありえねぇし」
心配する結を、区宇魔がひょいと抱き上げ自身の膝上に座らせる。この年齢なら嫌がってもおかしくないが、彼は大人しく兄の膝に座っていた。水月はその様子を微笑ましく思い、ただそばで見守りながら静かにバスに揺られていた。
バスは数十分の旅の後、“月華グループ”と書かれた高層ビルの入り口に着いた。大きな西洋風の門が開かれ、警備員が道を開ける。この会社は、表向きはいくつかの分野に展開する企業だが、実は龍月組の表世界での資金集めのための会社である。
水月は運転手に礼を言い、停車したバスから降りると、警備員の方へ向かった。
「夜までご苦労様。今日の仕事は終わったから、もう閉めちゃっていいわ」
彼女の言葉に敬礼を返した彼らは、指示通りに大門を閉めた。一瞬ぽわっ、と、ビルの周辺に膜が張られたかのように、薄い光が見える。これは彼女たちを守る結界であり、ビル一つを丸ごと囲むように敷地内をぐるっと囲っている。つまりは結界を張れるこの警備員たちも、裏世界の者だ。
「お疲れさま、水月。敵はどうだった?」
敷地内に張り巡らされた結界の強度を確認していた水月に、一人の男性が話しかける。長い黒髪を風に遊ばれ、漆黒の優しげな瞳をもち、柔らかな笑顔を向けた彼は、水月たちが着ているのと同じ袴を着ていた。白と黒のグラデーションで染められた羽織には、金糸で蝶の刺繍が施されている。
「父さん!」
水月は男の方を振り向くと、一目散に駆け寄り抱きついた。男は咄嗟に彼女を抱きとめ、苦笑いを浮かべる。
「おっと!全く…危ないだろう、水月?怪我はしていないかい?」
「うん!父さんこそ、体は平気なの?」
「ああ、心配かけたね」
彼は優しく水月の狐面を外し、怪我がないことを確認すると愛おしそうに微笑んだ。同じように駆け寄ってきた区宇魔、結も抱きとめ、みな怪我をしていないことを確かめると、安心したようにその頭を撫でる。
三兄弟に懐かれているこの男は、“父さん”とは呼ばれているが、実は彼らの実父ではない。彼らの実父は、先代の皇帝かつ組長を務めていた龍月星秀水であり、約六年前に亡くなっている。
かつてこの秀水に仕え、水月たちの護衛を務めていたために、今こうして彼女たちと行動を共にしているのがこの男、柴田龍二である。水月率いる第七十六代目の龍月組で、まだ幼い組長の補佐を行う幹部長を務めているだけでなく、今や彼らの父親代わりとなっていた。
「お帰りなさい。みんな揃っているよ。幹部会を始めようか」
子供たちを撫で、そう声をかけた彼に全員が素直に頷き、会社へと戻っていく。面をつけた彼女たちの顔は、先ほどの年相応の子供らしい笑顔とは異なり、組織を率いる皇族としての顔であった。