第91話 久茂ダークのヒーロー
幼い頃、ヒーローに憧れた。
弱きに手を差し伸べる頼もしい存在。
必要なのは正義の心と誰にも敗けないパワー。
そんな少年心で掲げた夢で、己を鍛え始めた。
実家は日本武道の道場、鍛錬に最適な環境だった。
道場に通う毎日を過ごして成長した。
けど成長していくうちに女であることを自覚し始めた。
オシャレな同年代の子を見て、ちょっと羨ましかった。
自分には似合わないかもしれないけど、綺麗な女性をカッコいいと思うようになった。
複雑な心境を抱えた思春期を超え、鍛錬を辞めようと思ったのは高校3年、進路選択の時期。
「なんで辞めるかって……もう意味ないからっスよ。兄さんが道場継ぐなら続ける必要もないし、女の自分がこれ以上鍛えたところで……」
自分が道場に通っていたのは助けられる人間になりたかったから。
でも自分に助けたい人間は居ない。
家族も大切だけど、助けがいらないくらい強いし。
就職を期に道場通いも辞めると、そう言ったら猛反対された。
「折角鍛えたならアスリートにでもなれば良い。大して勉強もできないのに普通に就職して何になる?」と。
期待してくれていたのかもしれない。
でも自分が応えたい期待はそういうのじゃない。
「……そうじゃないんスよ。腕っぷしだけ強くても何も助けられない。自分は……普通の人を助ける力が欲しかった」
言うだけ言って家を出た。
単なるワガママだ。
才能があっても、なりたい自分になれない世界にこれ以上居たくなかった。
同じ血が流れる父親も直情的で、二言目よりも先に手が出る人だと知っていたから、力付くで引き止められる前に逃げた。
とにかく逃げて、遠くに行くために電車に乗って、終点まで乗り継いだ。
既に夜遅い時間、急に家を出たから禄にお金も持ってない。
帰るに帰れない。泊まる場所もない。
困り果てて駅のホームに座り込むことしかできなかった。
そんなときだ。自分のヒーローに出会ったのは。
「そこで何してんの?」
声を掛けてくれたのは綺麗な女性。
少し疲れている雰囲気だけど、困ってる自分を気にしてくれた。
「助けてあげよっか」
手を差し伸べてくれた。
それどころか遠慮も跳ね除け、無理やり手を掴んで引っ張ってくれた。
これがヒーローじゃなかったらなんだ?
憧れど真ん中。それが後に絵毘シューコとなる人物のファーストコンタクトだった。
「ふーん。面白い人生送ってんのね」
「面白い……? まあ普通とちょっと違うかなとは思うっスけど」
家に連れてかれて、自分の身の上話を話した。
驚くでもなく淡々と反応するダウナーな年上女性。
「で、あんたはどうしたい? 家に戻りたくない?」
「それは……今はできれば帰りたくないっスね」
こんなワガママ言ったら迷惑かもしれない、申し訳なく思いながらも本音を言う。
対して女性はあっけらかんと答える。
「そ。じゃ電話しなさい。友達の家に泊まるって」
「え?」
「え?じゃないわよ。一言言わなきゃ誘拐になるでしょうが」
「あっはい……じゃなくて! なんでそんな親切にしてくれるんスか?」
純粋に疑問だった。
見ず知らずの自分をここまで助ける理由なんてないはずだから。
「ただの気まぐれよ。その代わり飽きたら即追い出すから、それが嫌なら精々飽きさせないよう頑張んなさい」
ぶっきらぼうに言う。
気分で人を助けるなんて、どこまで本心かは分からない。
でも、まるで物語の主人公みたいだ。
そう思ったら益々惹かれた。
そして共同生活が始まった。
女性は料理上手で部屋はいつも綺麗、生活能力が高いらしい。
家事能力ゼロの自分も教わりながら実践してみたけど中々苦戦した。
ただ女性も完璧超人というわけでもないらしい。
一応漫画家を目指してるとのことだけど、実際に漫画描いてるときは話しかけるのも怖いくらい不機嫌になる。
かと思えばVTuber?なるものの配信を見るときは人が変わったように上機嫌になる。
強い女性。けど情緒不安定な脆い一面もある。
そんな彼女を支えたくて明るく接し続けた。
初めに言われた飽きられないようにという目的もあったが、純粋に笑顔が見たかった。
そんな生活を1週間。
流石に親からの連絡が多くなってきたので一度帰ることにした。
女性は背中を押してくれて、付き添いまでしてくれて。
「娘さんを預かっていた者です。家族関係に水を差すつもりもないのですが……第三者が居たほうが冷静に話し合えるかと思いまして。一度落ち着いて娘さんの話を聞いてみませんか?」
そんなフォローまでしてくれた。
本当に面倒見の良い人だ。感謝してもしきれない。
そうしてしばらく話し合った結果……。
「父さん。自分この人みたいなカッコいい女になりたいっス!」
「なんて素晴らしい女性だ……貴女になら安心して任せられる! 娘をどうかよろしくお願いします……!!」
「なんでそうなったん? 家族揃って頭沸いてんの?」
説得の末、家を出ることを正式に認めてもらった。
その条件が女性との同居、自分の生活能力の低さを知っている家族からすれば当然の判断かもしれない。
彼女は最初こそ断ろうとしていたが、
「もちろん娘をお願いするからには生活資金の援助は惜しみません!」
「あ、それなら大歓迎でーす」
父親の一言で快諾していた。
自分よりお金を選んだみたいに見えてちょっとショックだった。
学校を卒業し、晴れて社会に出て働くことになった。
それと同時に再会した共同生活。
小さな幸せを感じられる、平和な日々。
「今毎日楽しいんスよ。それもあの日助けてもらえたおかげで……本当にヒーローみたいっスね。改めて感謝してるっス!」
ふと、幸せを噛みしめるように告げた感謝の言葉。
すると女性は意外な言葉を返してくれた。
「あーあれね。案外私の方が救われたのかも」
「え? いや自分迷惑かけただけで何もできてないっスけど……」
「それが逆に良かったのかもね。私基本メンヘラだから、あの頃もかなり病んでたのよ。それこそ知らん人連れ帰るとかいう奇行に走るくらいには」
「奇行っスか……それに助けられたんスけどね……」
助けてくれたときの心情を教えてくれた。
自分が憧れた強い女性は、己も誰かの助けを必要とする弱い人間なんだと語る。
「で。生活力皆無で悩みまで抱えてる癖に馬鹿みたいに明るく生きてるあんた見てさ、色々どうでも良くなったのよ。あ、私って結構ちゃんと生きてんだなって」
「何気に酷くないっスか!?」
辛かったときのことを笑い話にできるくらい明るくなった。
自分の存在が、誰かの助けになっていた。
「ごめんごめん。けどこれでも今の生活楽しんでんのよ。だから私もあんたと会えて……その、良かったわ」
そのとき、自分のなりたいものが完全に定まった。
自分が助けたいのは誰かじゃない。
救い、救われる関係。
自分を助けてくれる人のヒーローでありたい。
強く、強くそう思った。
◆
◇
フェス会場を出た。
徒歩5分の場所に駅。電車に揺られること一時間程。
胸に抱えた靄はずっと晴れない。
導化師アルマ、私の推しはもう居ない。
だから彼女が戻って来るまでは自分の活動に専念すると決めたのに。
異迷ツムリはいつだって私の障害として立ち塞がる。
「言いたいことあるならはっきり言えよ……バカ」
私はアイツとどうなりたいんだ?
仲直り? 直すほどの仲もない。
完全な決別? 同じ箱でそれは無理がある。
ずっと考えてる。
異迷ツムリというノイズとどう決着をつけるべきか。
考えていたら自宅の最寄り駅に着いた。
「……帰るか」
電車を出て、改札の方向へ歩き出す。
しかし足を止めさせられた。
駅のホーム、息を切らして座り込む女性。
普通の人なら見て見ぬふりをするのだろうか。
私だって、知らない人間なら素通りした。
「ダーク……あんたなんでここに……」
ここに居るはずのない人間が居たら、声を掛けずには居られない。
「走ってきたっス……シューコさんを追って……ゲホっ」
「どうやって来たかじゃなくて……いや電車より速く着くのもおかしいけど。それよりあんたフェスは……!」
化け物じみた回答は一旦脇において、今最も重要なことを聞く。
ブイバンドフェス昼の部はもう始まっている。ダークもそこで出演予定だ。
ここに居て良いはずがない。
すると彼女は呼吸を整える様子を見せ、しばらくの後に回答する。
「えっと……一番聞いて欲しい人が居ないと思ったら我慢できなくって。連れ戻しに来たっス」
「はぁ? あんた何馬鹿なことを……シューコなんかほっといて良いのに」
「あーそれ無理っスね。シューコさんはいつだって自分の一番なんスよ。一番憧れてるヒーローなんス」
「ヒーローって……」
ヒーロー、その単語を彼女の口から聞くのも久々だ。
出会った頃に聞いた、子供じみた夢の話。
「憧れて、助け合える関係になりたくて。でも、理解したくてもできなくて……。だからせめて、ずっと側に居ようって決めたんス」
いつだって純粋で、真っすぐで、眩しい。
私なんかに憧れるなんて勿体ない。
「シューコさんが傷ついてるときはどこに居ても絶対駆けつけるって決めてるんス」
その光に一度救われたんだっけ。
ウジウジ考えてるのが馬鹿らしくなるくらい、うるさい光。
「……この時間じゃもう間に合わないわね」
「あー……あと30分くらいで出番来ちゃうっスね……」
「はぁ……仕方ない。行くわよ」
「え? 行くってどこに?」
ダークが私をヒーローだと思ってくれるなら、私が引っ張ってやらないと。
助け合える関係、それを求めてくれるなら……。
「決まってるじゃない。歌いに行くのよ」
私を助ける役目、任せてあげる。
◇
バトルマーメイドのステージが終わった。
舞台から降りつつ小声で話す。
「伝わった……かな」
「どうだろ。でも信じるしかないんじゃない?」
「……うん。そだね」
二人の会話を聞きつつ、その後を覚束ない足取りで追う異迷ツムリ。
導化師アルマの歌唱、ダンス、演技力、全てを本気でトレース。それも1時間を超える長丁場。
肉体疲労に精神疲労の重ねがけ、既に意識は薄れつつある。
そんな状態で裏に戻ると、何やらスタッフたちが慌てている様子だった。
不思議に思っていると、話を聞いたらしいジュビアが驚いたように声を上げる。
「え? ダークちゃんが居ない?」
「はい……ネプさんの話だと準備中に飛び出して行ったきり帰ってきてないみたいで……」
どうやら次の演者が居ないらしい。
何故居ない? 本人の身に何かトラブルが?
普通なら真っ先に心配の言葉が出たはずだ。
「どうしようか。出番までもう時間ないし……」
みんなが困ってる。
不測の事態、このトラブルを回避するには……。
「観客が待ってる。演者は居ない。でも……私がいる」
「ツムリ?」
ああ、いつものことだ。そう思った。
朦朧とする意識の中、疲れ果てた頭で思考する。
機械的に自分の使命を導き出す。
「やらなきゃ。できるかな。リハ映像良すぎて無限にリピったから覚えてる。けどフィジカルが足りない? いや、みんな初見だから完全じゃなくていい。振り付け変えてそれっぽく見せれば……」
「待って待って。何しようとして……!」
先輩の呼びかけを無視して自分のすべきことに没頭する。
「久茂ダーク、久茂ダークらしく……すぅ」
いつもと演じる人間が違うだけ。
分析、投影……完了。
「――――っし。行ってくるっス」
即興の久茂ダークがステージに足を踏み入れる。




