第86話 開幕前の舞台裏
太陽のように眩しいヴァンパイア、紅月ムルシェ。
自分はその輝きに何度も救われた。
最初は事故で足を故障し回復の見込みはないと言われたとき。
Vtuberと言えどアイドルとして致命的、正直辞めようとすら思った。
「えっ、辞めちゃうのですか……? そう……ですよね。ムルにはわかんないくらい大変なのですよね……」
小動物のような愛嬌。片足負傷の自分より弱そうな女の子。
「でも……ムルがいっぱいお手伝いするのです! 他にもして欲しいことあればなんでもするので……辞めちゃうのは寂しいのです……」
守りたいと思わされた。そのせいで辞められなくなった。
その後の活動も彼女と絡むことが多くなった。
失敗ばかりで手のかかる子供のような同期。
世話を焼きたくなって、目が離せなくなった。
「いつも助けてくれてありがとうなのです! もうムルはエルさんなしじゃ生きられないですよ! なんて……えへへ」
そんな風に言ってくれたこと、今も忘れない。
忘れられないからこそショックだった。
『紅月ムルシェ 活動休止のお知らせ』
何より辛かったのは、初めて知ったのがそんな冷たい文面だったこと。
家庭の事情? どうして自分には何も相談してくれない? 何故返信すらしてくれない?
……その程度の関係だったってこと?
配信でも隠せないくらい病んで、ずっと立ち直れなかった。
立ち直れないまま、今度は他のメンバーから真実を聞かされた。
『紅月ムルシェは導化師アルマの一件を知り、精神状態を懸念した社長が活動休止を提案した』
最初は納得しかけた。
あの子は導化師アルマに随分懐いていたからショックだったのだろう。
しかし考えるほどに沸々と怒りが沸いてくる。
勝手な判断を下した社長に対して。
個人的な事情に彼女を巻き込んだアルマに対して。
そして、紅月ムルシェ本人に対して。
人が離れていくのは寂しいことだって、自分で言っていた癖に。
事情があるのは分かった。だからすぐに復帰しろとまでは言わない。
でも、返事くらいくれても良いだろう。
会えない以上、彼女の本心は分からない。
一方通行に想いを送り続けても、文字だけじゃ届いてくれない。
だから決めた。この想いは音で伝える。
法魔エルが全力を注げる数少ない機会、演奏の舞台で。
◆
◇
「アルさん。フェスもうすぐ始まっちゃいますけど、見ないのですか?」
会場からはかなり距離のある一般宅、四条ルナの住居。
今日も訪問している紅月ムルシェは聞いた。
「いやー……私はいいよ。みんな怒ってるだろうし」
「そうですか……確かにそうですね」
「?」
アルマは同意されると思っていなかったのか、ムルシェの返答に少々驚いていた。
「ムルも怖いのです。今エルさんからたくさんメッセージ貰ってて、読むと怒ってるのが凄く伝わってくるのですよ……」
「あー……」
「でも……本当は逃げちゃダメなことくらいわかってるのです。怒ってると思うなら尚更受け止めてあげないと……」
歩み寄るように、丁寧に説得するムルシェ。
その姿は昔の自分を彷彿させ、あの頃とは真逆の立場だった。
「だから……いっしょに見てくれませんか? ルナさん」
「……しょうがないなぁ」
根負けするように折れる四条ルナ。
逃げ場をなくしてくれたムルシェの隣に座り、配信視聴の準備を始めた。
◇
「遂に始まっちゃいますねー」
「せやなー本番やなー」
「二人とも緩いっスね……とても本番前とは思えないっス……」
慣れた様子で会話するエルとウラノ、それに反応する青ざめた顔のダーク。
するとライブ準備中のジュビアとサタニャが話しかけてきた。
「改めてありがとね! エルちゃんもダークちゃんも♡」
「合わせ練習全然出れなくて申し訳ない」
「いえいえとんでもないっス! シューコさんから話は聞いてるんで!」
「構いませんよー。つまり練習なんかしなくても余裕ってことなんですよねー?」
「そうやなー。一週間前ギリギリに慌てて演奏練習始めるくらいには余裕なんやろなぁ」
「うっ……圧が凄い……」
練習に参加できなかったのもMV制作で忙しくしていたからと理解しつつ、言い返せないのを良いことに意地悪を言う二人。
「冗談ですー。あとムルちゃに連絡しましたよー。アルマさんといっしょに見て欲しいって」
「それは本当に助かる♪ ……見てもらわなきゃ伝わるものも伝わらないからね」
「はいー。エルも伝えたいこと山程あるのでー……昼の部の出番、ちょっと本気だそうと思ってますー」
「珍しくやる気。いいね」
普段通りふわふわした口調だが、その目はいつになくギラついている。
エルを含め、それぞれが想いを抱えてバンドフェスに望んでいる。
明るく、モチベーションを高める本番前の雑談。
しかし一人、バンドフェス初参加のダークは緊張で同じ域に達することができなかった。
「怖いですかな?」
何かを察してくれたのか、ネプが聞いてきた。
「怖い……そうかもっスね。こんなにたくさんのお客さんの前で演奏なんて……」
近くの画面に映されていたライブステージの観客席映像を見る。
すし詰めの人間がペンライトを掲げて笑い合っている。
本当に楽しみにしているようで、それだけ期待されていると実感する。
こんな大きな舞台、もし失敗して台無しにでもしたら。
失敗しなかったとしても、自分なんかの稚拙な演奏で良いのか?
緊張が不安を膨張させ続ける。
「失敗したら、なんて考えても疲れるだけですぞ。我々は普段から1万人近い人数を前にすべてを曝け出している。それも本気で挑みさえすれば結果問わず褒めてくれる生温い世界で。悩むのも今更ではないですかな?」
ネプは先輩らしく語る。
緊張を解すためのマインドを。
「それでも失敗したくないのは分かりますぞ! だから誰かのためじゃない、頑張るのは失敗したくない自分のため。極論全て自己顕示欲! 自分勝手たれ!! と、真繰から言えるのはそんなところですかな」
ふざけたようにアドバイスするネプ。
しかし、人のためにと考えすぎる自分には的確な助言なのかもしれない。
「ふぅ……まだ緊張するけど、ちょっと落ち着いたっス。自分勝手たれ、っスね」
「うむ。それでは真繰は舞台の準備に行きますかな。ダーク氏、演奏は任せましたぞ?」
「っ! 押忍! 任せてくださいっス!」
漫画のようなカッコつけたセリフでニヤリと笑う。
そんなやり取りにテンションが上がり、何より『任せる』という言葉が嬉しくて、ようやくやる気が満ちてきた。
「ほう? なるほど、ダーク氏のスイッチはそこでしたか。覚えておきましょう」
「?」
「なんでもありません。それでは一踊りしてきますぞ」
「あ、いってらっしゃいっス!」
何かに納得したらしいネプは去っていった。
それに乗じて他メンバーも配置に移動し始める。
パフォーマンスメンバーが舞台カメラの前に立つ。
演奏メンバーが楽器を手にする。
引き締まる空気。
ブイバンドフェス本番が遂に始まる。




