第84話 クリエイター 絵毘シューコ
腐ってもクリエイター。
描けば、創れば、誰だってクリエイター。
……どこまでが底辺クリエイター?
◇
しばらく何もしてない。配信も、イラストも、何もかも。
SNSに《病んだから休みます》と一言告げてそれっきり。
みんなに申し訳ない。早く立ち直るべき。
そう思う……思うだけ。
「あー……。悩んでも意味ないってのに……」
虚空に悪態をつくのも何十回目か。
胸の内を占領している靄の正体はなんだ? 怒りなのか? 何に対する?
納得できずにまた一人問答を始める。
「異迷ツムリ……」
同期の一人で、一番苦手な存在。
あいつは私が欲しかったものを全部かっさらっていく。
でも私はあんな素直に生きられない。
羨望とも劣等感とも違う、同族嫌悪に似た何か。
なのに私にもすり寄ってきて、そのせいで嫌いになりきれない。
そう思っていた。
「ほん……っとうに腹が立つ……」
なりすましなどという、Vファンであれば誰でも分かる禁忌。
それもよりによってアルマさんの……許せるわけがない。
……けど、本能的にあいつを責めちゃいけないと感じている。
もしも自分が同じ立場だったらどうしていたか。
推しのために何かしたい、そんな衝動を自分は抑えることができるだろうか。
当事者なら悩むだろうことは理解しているからこそ、一番腹が立っているのは……。
「言えよ……黙ってたら私が怒ることくらい分かってた癖に……」
この数ヶ月、推してきた人間が別人であったという事実。
気付けなかった自分にもムカつくし、いつかこうなると分かって黙っていたあいつにもムカつく。
大方私と疎遠になることを恐れたってところか。
「嫌いよ……嫌い。きらいきらいきらい……きらい、なんだってば……」
もし事前に伝えてくれていれば、完全に嫌いになって終われた。
それで済ませられなくなるまで隠しやがって……全部あいつの想定通りみたいで腹が立つ。
いくらでも出てくる憤りの理由、でもこの感情は本人にぶつけないと決めた。
異迷ツムリに対する感情はそんなところだが……まだ心は晴れない。
「はぁ……やっぱり。異迷ツムリだけじゃない……。やだなぁ……推しにこんなこと思う日が来るなんて……」
本物の導化師アルマは今何をしているのか。
無断で活動休止するほどだ。やむを得ない事情があったのだろう。
でも、どんな理由があったとしても……。
「私の知ってる導化師アルマは……後輩に負担かけて見ないふりなんてしない。しない、けど……」
推しに対する解釈違い、最早自分の推してきた人と同一人物かすら懐疑的になる。
わからない、わからない……わからない。
「どうしろってのよ…………」
推しを追いかけてVTuberを目指して、推し活に人生の大半を捧げてきた身。
目標を見失い生きる目的すら不透明になる。
思考がまとまりきらず四散し、また振り出しに戻る。
「あーやめやめっ! これ以上ヘラったら本気で死にたくなるわ!」
やはり同じことの繰り返しでは前に進めない。一度思考を切り替えないと。
自分のしたいことは脇において、やるべきことを思い出す。
「MV用のイラスト描かないと……ああ。そういやオリ曲も歌うんだっけ、フェスで。んー……あれ歌うのか……しかも大観衆の真ん前で」
オリジナル曲、4期生では魔霧ティアに続き2人目の披露。
しかしシューコに渡されたのはいわゆる電波曲。
癖が強く、根が真面目なシューコはなんとも気恥ずかしかった。
「……もっかい聞いとくか」
気分転換に丁度いい、そんな思考で自分の曲を耳に流す。
ヘラった頭に中毒性のあるメロディが染み込む。
初見では忌避した電波風の歌詞、しかし改めて聞き直すと違った印象を受けた。
「……なんだ。今のシューコにぴったりの曲じゃん」
感情移入。
絵毘シューコのために作られた曲ということを思い出し、納得する。
「うん……これでいいや。絵毘シューコの生き方」
傷心の痛みを一時的に忘れ、立ち上がる。
動き出せなくなる前にとある人物へのメッセージを打ち込んだ。
(シューコ)《ロカさん。あの約束守ってもらっていいですか?》
ロカ・セレブレイトとの約束。
それは4期生学力テストで高得点を獲得した御褒美。
(シューコ)《コラボはいいんで、話をさせて欲しいんです。今、本物に》
本物、つまり導化師アルマ本人。
仕事用の連絡経路はおそらく異迷ツムリにしか繋がらない。
となれば私用の連絡手段を持っている誰かに頼るしかない。
この2通のメッセージに対し、数分置いて返信が来る。
(ロカ)《連絡して送っておきましたわ。本人にその気があれば反応があるでしょう。ダメだったら申し訳ありません》
察してくれたのか、何も聞かず対応してくれる。
(シューコ)《それで十分です》
一言だけ返信、端末を机上に置き、目の前で正座して目を瞑る。
すぐには連絡が来ないかもしれない。
でも、どれだけでも待てる。むしろ待ってやる。
あなたが動くまで私も動かない。
「私が考えることくらい、元導化師のあなたなら分かりますよね?」
………………。
『シューコちゃん、かな?』
「……連絡ありがとうございます」
鳴動した端末を最速で取り、その声を聞く。
連日聞いた馴染みのある音。けれど、久々に聞く本物の音。
「まずは謝罪を。推しに凸るなんて迷い人にあるまじき行為、心よりお詫びします」
『いいよ。むしろ謝るのはこっちだから……ごめんね。推しがこんなんで』
改めて聞いても違いが分からない。
もしかしたら今も騙されているのかもしれない。
あんなに焦がれ続けた推しとの会話なのに、何故こんなにも恐れを感じるのか。
「アルマさんはシューコなんかに話したいこととかないと思うんで一言だけ……。ファンの戯れ言と思って聞き流してください」
けどその思考はノイズでしかない。
今はただ目の前の導化師アルマに、自分の作り上げた幻想に決着をつけたいだけ。
「ずっと大好きでした。今は……大好きだけど、大嫌いです」
『…………うん。ありが』
瞬間、シューコは聞き終わる前に電話を切った。
これ以上聞けば揺らぎそうだったから。
ようやく心の整理がついたところなんだ。邪魔しないでくれ。
胸のうちに抱えていた靄がようやく晴れた。
純粋で澄みきった……暗い藍色。
光輝く世界にはもう戻れない。
私はもう、この藍色の闇の中でしか生きられない。
「…………よし。描くか」
忘れたくないから、この心内を表現しよう。
私にできる表現方法で、ちょうど今手掛けている大きな作品に刻もう。
絵毘シューコの新たな1ページを、この筆で描く。
……………………。
…………。
……。
「……お゛ぇ。キッツ……まあ2徹もしたら当然か」
ただ黙々と作業に没頭して2日。
飲まず食わず寝ず、心の次は体に大きな負担がかかった。
「でもおかげで……悪くない出来」
不思議と気分は悪くない。
限界が近い体に鞭打ち、連絡用の端末を手に取る。
見れば数十件の連絡。マネージャーの返信催促メールとメンバーからの声かけ。
ありがたい。心配かけて申し訳ない。けど、今は返してる余裕ないからごめんなさい。
誰にも返信することなくシューコが連絡相手に選んだのは……。
「ニオさん。お願いがあります」
『あっシューコちゃん!? みんなめちゃめちゃ心配してたよっ!?』
「あー……適当に言っといてください。大丈夫なんで。そんなことより……」
『そんなことって……でも大丈夫ならいっか!』
どんなときも明るくポジティブに返してくれる。
その気遣いが今はありがたい。
虚ろな意識の中、シューコは用件を伝える。
「それより……描き直したいんですけど良いですか? MVのイラスト」
『ん? 全然良いけど、どこ差し替えれば良い?』
「全部です」
『あー全部……って全部っ!? 今からそれは流石に……』
既に動画の半分以上が完成している。
イラストを全て差し替えるとなれば、当然動画も全て作り直しだ。
猶予は残り1ヶ月弱、厳しいことは分かってる。
「一部描き上げたんでサンプル送ります」
でも曲げられない理由もある。
強い意志を表明するため、有無を言わせずアップロードしたイラストのリンクを送りつける。
『あー……確かに、これは雰囲気統一したくなるかも……』
理解を得られ、自分の選択を肯定されたように感じる。
自分の絵で揺らいでくれた先輩に最後の一押し。
「お願い……できませんか?」
『……しょうがないなぁっ。こんな凄いの出されたらやるしかなくなっちゃうじゃん』
「! ありがとうございます……無茶なワガママ聞いてもらっちゃって」
『ほんとだよっ。……でもそういうの、クリエイターらしくて嫌いじゃないよ』
最後に嬉しい言葉をくれ、ほどなくして通話を終了する。
本当に良い先輩だ。自分なんかには勿体ないくらい。
ようやくやりたいことが一段落し、急激な眠気に襲われた。
でも最後に、寝る前に伝えなきゃ。
この3日間絵毘シューコの活動は完全に停止、日課のイラスト投稿すら止めてしまった。
いい加減近況報告しなければ杞憂民も限界だろう。
ボヤけた思考の中、思いつくままにメッセージを殴り書き、推敲もせず投稿。
そのまま端末を投げ捨て、泥のように眠りについた。
《病み上がり。超眠い。寝る。起きたら配信する。心配してくれた人ありがと。……もう迷わないから》




