(8-7)
「その方との約束通り、松平の一行は岡崎へ返した。世良田村の者たちも一緒に連れていかせた」
「あ、そうなんですか」
あっさりとした言い方に、俺は思わず素で返事をしていた。
「影武者とて、いや、影武者だからこそ、家族は大切であろう。同盟に対するわしからの誠意だ」
意外と寛大なところもあるものだと感心していると、そんな俺の表情を見て信長が苦笑している。
「申したはずだ。もとよりそのつもりだ、と。わしは約束は守るぞ」
「申し訳ありません。いぶかしんでいるわけではございません。寛大な御処置、ありがとうございます」
「その方の提案通り、松平を東の防壁として、わしは西へ向かう。無駄に敵を作るいわれはないからな」
お市様から聞いた話があるので疑いの気持ちはあるけど、合理的判断という点で言えば、信長の思考は一貫しているようだった。
「未来から来たその方は今川の侵攻を知っておったのだな。本来ならば桶狭間なる場所で義元を我ら織田の軍勢が討ち取っておったのか」
「はい。下剋上の有名な例として、学校で習います」
「学校とは?」と、信長の眉が上がる。「その方、足利で学んだのか?」
足利学校のことか。
「いえ、私のいた時代には、各地に学校が作られ、子供たちはみなそこで学ぶことになっているのです」
「ほう、なるほど。それは素晴らしいことだな。わしも参考にしよう」
話せば話すほど名君のように思えてくる。
飲み込みは早いし、即断即決、良いものはすぐに取り入れる気風こそ、まさに織田信長らしい。
「だが、その桶狭間で我々は今川義元を取り逃がした。それは歴史を変えたことになるな」
「はい、その通りでございます」
「ならば、その方の知っている知識はこれ以後は何の役にも立たないことになるではないかな」
――うっ。
さすが覚醒した真・信長。
痛いところを突いてくる。
「私には未来の出来事を知っている他にもいくつもの能力があります」
俺は脳内に情報が表示されるステイタス画面の話をした。
「たとえば、この雨があとどのくらいでやむのかも予測できます」
「ほう、易者もできるのか」
「占いではありません」
「分かっておる。そう向になるな」
信長は緩急自在に俺を揺さぶってくる。
翻弄されるたびに俺の心は削られていく。
俺ごときが到底かなわない相手なんじゃないのか。
そうやって家来たちはこの覇王に飲み込まれていったんだろう。
「だが、その程度でこの戦国の世に通用すると思っておるのか」
「たしかに、このたびの戦で本来成し遂げるはずだった結果を得ることはできませんでした。今川家は無傷で撤退し、強大なままです。ですが、私はこれまでに千回以上、天下統一のシミュレーション……つまり、試行錯誤をおこなってまいりました。ですから、状況が変わったとしても、それに対する別の対応を考えることは、他の誰よりも熟練していると自負しております」
「なるほど」と、信長は静かにうなずいた。「単刀直入にたずねる。織田家に禍をなす者がおるとすればよその大名家ではなく、身内のサルではないかとわしは思うておる」
――うわっ。
話をすっ飛ばして、いきなり核心を突いてきた。
「それは半分正解で、半分は間違いです」
俺は日本史上最大の裏切り者のレッテルを貼られたあの武将を思い浮かべていた。
「そういう言い方は好かん。はっきり申せ」
「木下藤吉郎はお館様のために身命を賭して戦い抜きます。それは間違いありません。藤吉郎は出世のためなら何でもしますが、それはあくまでもお館様の下で功績を挙げて家臣として自らも利益を得るためでございます」
「じゃが」
「はい、ですが……織田家に禍をなす者は他におります」
俺は史実を知っている。
これからの未来に起こる出来事をもうすでに知っている。
その一方で、お市様との約束も忘れてはいない。
俺は織田信長の天下統一を阻止しなければならないのだ。
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