(8-6)
それからすぐに、数人の足音が聞こえてきた。
鍵を持った男がやってきて、格子戸を開けた。
さっきの見張り番とは別の男だ。
「お館様がおまえに話があるそうだ。控えよ」
お市様が来たことを知られないように、心結が見張り番を変えさせたのだろうかと考えているうちに、織田信長が牢屋の中に入ってきた。
「邪魔をするぞ」
まるで友人の部屋に遊びに来たような気さくな雰囲気で驚いてしまう。
「その方らは下がっておれ」と、外の者たちに声をかける。
「しかし……」
「心配することはない」と、あぐらをかいて俺の前に座り、肩越しに手を振る。
お館様の機嫌を損ねないように、お付きの者たちが雨の中に姿を消した。
「これで腹を割って話せるな」
なんと答えたら良いのか分からず、俺はとりあえず平伏した。
狭い牢屋にあの戦国の風雲児織田信長と一対一。
俺は頭を下げたまま迷っていた。
懐には今川の短刀を忍ばせている。
今ここでやれば確実に歴史は変わる。
一撃必殺。
自分も成敗されるかもしれないが、非力なお市様と違って、俺だったら不意打ちで信長の体に短刀を突き刺すことくらいできるはずだ。
相打ちなら上出来だ。
お市様との約束、早速今この場で果たすべきなんじゃないのか。
――いや、待てよ。
血が上った頭がすうっと冷えていく。
さっき河尻のおっさんがここに来たことは見張り番に見られてるんだよな。
もし俺が信長を刺したら、河尻のおっさんが短刀を差し入れたと誤解されてしまう。
ただのファッション好きのおっさんに濡れ衣を着せるのは申し訳ない。
そんな迷いが好機を潰してしまった。
「面を上げよ」
笑みを含んだ声がして、俺は平静を装った顔を無理矢理仕立て上げながら体を起こした。
「回りくどいことは嫌いだ。率直にたずねる。その方、南蛮人ではないな」
俺たちはまっすぐに視線を交わしながら話した。
「はい。生まれも育ちも日本……日の本の者です」
「本当はどこから来た?」
未来から来たと言ってもいいものか一瞬悩んだが、むしろその場合の反応を見てみたかった。
「五百年後の未来の世界から来た……と、申し上げたら信じていただけますか」
「だろうと思っていた」と、真顔で即答だった。
――えっ?
あまりの飲み込みの速さに俺の方が動揺していた。
「他の者なら荒唐無稽な夢物語と一蹴するであろうが、わしは信じるぞ。むしろ、その方が話のつじつまが合う。あらゆる可能性を排除して最後に残った結論ならば、それがどれほど滑稽なものであれ、合理的な正解とすべきではないか。わしはつねにそう考えて行動しておる。世間ではそれをうつけと呼ぶようだがな」
なんだか名探偵みたいな台詞を言っているが、目の前にいるのが織田信長だと、そんな理屈もすんなり俺の心に染みこんでくるから不思議だ。
元々は、未来人なんて俺の存在の方が異物なんだけどな。
「このことは、わしとその方だけの秘密であるぞ。誰にも申すな。これまで通り南蛮人ということにしておけ。良いな」
「はい」と、デイブのことが頭の片隅にちらつきつつも、俺はうなずいた。
「あらためてたずねる。その方、この戦国の世の成り行きを知っておるのだな」
「はい、未来の世界には、この時代の記録がたくさん残っておりますので」
「なるほど」と、信長は顎に手を当て長く息を吐くと首をひねりながら腕組みをした。
さっきまでお市様と二人きりだった狭い牢屋に、今度はその忌み嫌う相手と対面している。
そんな奇妙な状況がむずがゆくて俺は鼻の頭を掻いたが、信長はしばらく黙り込んでいた。
雨の音が激しくなったり治まったり、暗い夜の闇を揺るがして風が吹き抜けていく。
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