(7-13)
信長が立ち上がって縁側に出る。
「今日この場へこの者たちを連れてこさせたのは我らの手札とするため。同盟が成立した暁には帰してやる。安心せよ」
「では……」と、酒井忠次が目を細めて信長を見上げた。
「うむ。松平との同盟、この信長、受けることにする。酒井殿、これまでの手配ご苦労であった」
「ははっ。ありがたきお言葉。松平家を代表し、この忠次、お礼を申し上げまする。身命を賭して必ずや約定を違えることなくこの同盟を両家の発展のために堅守いたしましょうぞ」
「二つ条件がある」と、信長は酒井忠次の前に立って松平家一同を見下ろした。「元康殿は,今日この場で『信康』と名を改めよ」
退き佐久間が合いの手のように言葉を挟む。
「それはつまり、殿の一文字をお譲りになると」
「両家の友誼の証じゃ」と、元康を指す。「そもそも、その方は元康ですらない影武者なのだからな。新たな名で出直すが良い」
実際のところは、名前の一文字を与える偏諱は上から下へおこなわれるものであって、この同盟が対等でないことを示そうという意図がある。
そもそも、『元康』という名前自体、今川義元から一文字をいただいたものだ。
つまり、信長はこれまでの今川家との関係を捨てろと迫っているわけだ。
松平側がそれを断ることなどできるわけがない。
ことの成り行きを理解できずぼんやりした作兵衛の頭を押さえつけながら、酒井忠次が額を床にこすりつけて礼を述べた。
「ありがたきご配慮。殿に代わって喜びを申し上げまする」
「それともう一つ」と、信長が俺を指した。「そのサカマキを引き渡せ」
酒井忠次も本多忠真も俺を見る。
俺は二人をまっすぐに見返してうなずいた。
覚悟していたことだ。
今さらビビったりなどしない。
藤吉郎が俺の後ろに回る。
「おい、立て」
乱暴に引きずられたくはないので、俺は素直に従った。
と、その時だった。
「お兄様、お祝いの膳をお持ちいたしました」
「おお、市か。みなの者に振る舞ってやってくれ」
お市様が侍女たちを引き連れて広間に入ってくる。
張り詰めていた空気が和らぎ、藤吉郎もいったん俺を放した。
「そちらの南蛮の方にも。お口に合うか分かりませんが」
お市様が自ら俺のところへ膳を運んでくださった。
「ありがとうございます」
――後でおうかがいいたします。
そう、ささやかれたような気がして目を上げると、お市様は涼やかな表情を残して何事もなかったかのように兄信長のかたわらへ進み出ていき、居並ぶ家臣たちを見回して微笑みかけながら礼を述べた。
「此度の戦でも織田家のために力を尽くしてくださった皆様のためのお食事でございます。どうぞお召し上がりくださいませ」
「ははっ、ありがたき幸せ」
武骨な家臣たちはみな膝に猫を載せられたかのように頬が緩んでいる。
退き佐久間のお礼の言葉に家臣たちがみな唱和する。
「我らみな、お館様のために」
「おーうっ!」
お市様と侍女たちが退席してからは遠慮のない宴会となった。
松平の一行は居心地悪そうに隅の方で食事に手をつけている。
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