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と、そこへ、ひょろりとした体格の若侍が入ってきた。
「これはいったい誰の物じゃ」
そいつが掲げ持っているのは上がり口で脱いだ俺の靴だった。
――ちょ、何してんだよ。
脳内ディスプレイにステイタスがポップアップする。
《今川氏真:今川家第十二代当主二十三歳:蹴鞠の名手:統率13、武勇15、知略8、政治14》
今川義元の息子だ。
こっちは親子とは思えないほどの凡将だ。
史実でも今川家を没落させるわけだから妥当なのか。
突然現れた息子の姿に、父親が立ち上がる。
「そちはなにゆえにここにおる」
「親父殿が兵を引くと早馬で知らせがあったので、助太刀をと参ったのでおじゃる」
「馬鹿者。そちに家督を譲ったのは駿河を任せるため。当主が二人とも戦場に出向いて万一討たれたらどうする。後世までの笑いぐさじゃ。そのくらいの知恵もないとは情けなや」
そういうあなたこそ、うつけにやられた大間抜けとして笑い物にされてるんですけどね。
ただ、義元が叱るのももっともだ。
早めに家督を譲って隠居するのは戦国時代には良くあることで、若い当主の後ろ盾として古参の家臣ににらみをきかせつつ、次の時代へと家名をつないでいく手段だったし、史実の桶狭間でも、今川義元はすでに氏真に家督を譲って駿府を任せていたおかげで、親子共倒れにならなくて済んだのだ。
これに関しては、今川義元よりも織田信長の方が本能寺の変で失敗している。
戦国のならい通りに長男信忠に家督を譲っていたものの、明智光秀に襲われたとき、信長親子は二人とも京都にいて逃げられないと悟った信忠も自害し共倒れとなり、結果として豊臣や徳川に天下を横取りされたのだ。
だから、令和では今川義元を笑うけど、本当は信長だって最期まで『うつけ』だったのだ。
そんな歴史的評価など知るよしもない不肖の息子は偉大な父の思惑など無視してずかずかと広間へ入ってくると、控えの間の襖を開け放った。
脳内中継画像が現実の風景に切り替わる。
制服姿の俺を見つけた瞬間、もう目の前に詰め寄っていた。
――お、おい、なんだよ。
「これはその方の物か」
まっすぐなまなざしが俺を見つめる。
あまりの圧に、俺は目をそらしながらうなずいた。
「そちの履き物はどうなっておるのだ?」
俺の通学用ランニングシューズを氏真はなめ回すように眺めている。
「デイブとかいう南蛮人の履き物とも違うようじゃな」
同じ洋風でも、戦国時代のイギリス人の布靴と令和のランニングシューズはさすがに違う。
柔らかい素材でできた甲の部分や固い靴底を、臭いまでかぎながら調べている。
「変わった臭いがするのう」
いや、あの、それ、クサいとしたら、俺のせいなんだけど。
泥にはまったりして汚れちまったからな。
「この素材はなんじゃ?」と、プラスチックの靴底を指で弾く。
石油からプラスチックを作る方法は脳内検索すれば出てくるだろうけど、説明するのは難しい。
「南蛮由来のものですね」と、俺はごまかした。
「牛や馬の革などで代用できるであろうか。しかし、この靴底の複雑な模様を刻むのは難しそうであるな。この軽い布地も麻のような手触りだが違う素材のようじゃな。南蛮の技術はやはり素晴らしいのう」
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