(4-9)
と、その時だった。
さっき俺たちが休憩した神社の辺りに何本もの旗が立っていた。
織田木瓜の家紋だ。
「お館様だぞ!」と、振り向いた藤吉郎がぶんぶんと腕を振って俺を手招く。「早く来い!」
――助かった。
物見の帰りを待たずに出馬してきていたのか。
さすが、もはやうつけではない神速の真・織田信長だ。
槍を構えて待ち受ける織田の兵を見て、追いかけてきた松平の雑兵どもが恐れをなして逃げていく。
ひざまずいた藤吉郎が馬上の信長に向かって報告する。
「お館様、敵は松平でございまする」
「うむ、ご苦労。このままやつらに引導を渡せ」
「ハハッ!」
――いや、ちょっと待て。
俺はとっさに信長の前で腕を広げた。
「攻撃の中止を!」
「ば、馬鹿者、お館様にご無礼であるぞ」
焦った藤吉郎が蛙跳びに俺の頭を押さえ込んだが、俺はそれを振り切って前に踏み出た。
「いいえ、松平の兵を討ってはなりません」
もう一つ大事な史実を忘れてはいけない。
桶狭間で弱体化した今川家から独立した松平元康は織田信長と清洲同盟を結び、末永く忠実に東方の盾となるのだ。
松平元康を討ち取ってしまうと、織田家にとって盤石な防壁がなくなり、今川やその背後の武田との防戦で手一杯になって上洛など夢と消えてしまう。
だが、家臣団は俺の意見を鼻で笑った。
「何を今さら」と、池田恒興が怒鳴る。「この場所へ我らを導いたのはそもそもおぬしではないか。松平とて織田の宿敵。絶好の好機を見逃すなどありえん」
――だから、今川がいるはずだったのが、シナリオが変わったんだっつうの。
「そうじゃ、そうじゃ」と、佐久間信盛まで同調する。「殿、この好機を逃さず、今すぐ全軍に出撃命令を」
あの退き佐久間ですら前進を進言するのであれば、家臣団はすでに一致団結したも同然だった。
「お待ちください」と、俺は食い下がった。「ここはむしろ松平に恩を売り、織田方に引き入れる好機とお考えください」
ここで判断を誤れば、挽回することは不可能だ。
もうすでに今川義元を討ち取ることはできなくなった以上、少しでも今後につながる方策を考えるべきなのだ。
だが、信長はため息をつきながら首を横に振った。
「親父殿の代から三河とも駆け引きはあった。元康とて、かつては織田の人質だったこともある。だが、結局のところ、強い者につくのが戦国のならい。その結果が今の状態だ。松平が織田につくことなどあり得ぬ」
「松平の後ろにいるのは今川だけではございません。甲斐の武田や小田原の北条もおります」
「だからこそ、松平だけでもこの機に潰しておかねばなるまい。ここで三河を潰しておけば、当分の間は今川も尾張に手を出すことはできまい」
覚醒した信長でさえも、目先のことしか考えられないのか。
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