(4-6)
「すでに大高城へ向けて出立したというのでござるか」と、藤吉郎が割って入る。「ならば、桶狭間なる場所へ急いで確かめねば」
「いや、それがのう」と、簗田政綱の口は重い。「付近の農民に聞いたところでは、今朝方早く、明るくなるのを待たずに三河方面へ去ったというのじゃ」
――ん?
「それじゃ、逆方向じゃないですか」
思わず俺も口出しをしてしまった。
三河は尾張の東にある松平の本拠地で、さらにその東が今川領の遠江や駿河になる。
「つまり、兵を引いたと?」
前田利家の問いに簗田も首をかしげてうなる。
「どうやらそうらしいのだが、わしにも分からぬ。とにかく、沓掛城にはおらぬことは間違いない」
「どうする」と、利家が藤吉郎を向く。「追って探すか?」
「いや」と、藤吉郎は首を振った。「予定通り、桶狭間なる場所へ行こう。もしかしたら、沓掛城を出て大高城へ向かっておるのかもしれぬからな。そこで今川の軍に遭遇しなかったら、沓掛城へ行ってもいいわけだし。二万以上の兵がいるなら、隊列だけでも一里以上にはなる。よもや見逃すことはあるまい」
「なるほど、そうするか」と、前田利家も拳をぶつけ合わせた。
「では、わしはとりあえずお館様の元へと知らせに参る。また会おう」
簗田政綱はまた馬にまたがって去っていった。
おれは脳内マップに指示された方向を指さした。
「あと少しで桶狭間に着くはずです」
「よし、急ごう。また雲行きが怪しくなってきたな」
藤吉郎の言うとおり、灰色の空には鯨みたいな黒い雲がいくつも流れ始めていた。
靄が晴れてきたが、湿気を含んだ空気がまとわりつき、全身汗まみれで息が荒くなる。
三人組はもう文句も言わずに黙ってついてくる。
桶狭間とされる地点にあと数百メートルのところまで来たが、周辺は牛が放牧されているような草原で身を隠せるような木がほとんど生えていない。
膝丈くらいの草に紛れるように身をかがめながら少しずつ進む。
「おい、おぬし、どこまで行っても谷間などないぞ」
藤吉郎の声には怒りの色がにじんでいた。
馬の背のような丘の上に出たところで、前田利家が前方を指した。
「おい、見ろ。あれは……」
みなで灌木に隠れて半分だけ顔を出して様子を見ると、槍で武装した兵士たちが牛の群れの間を縫うように東へ向かって行進していた。
「今川ではないな」と、藤吉郎がつぶやく。「あれは松平の軍勢だ」
「ということは、大高城へ入ったやつらか?」
前田利家の問いかけに、顎をつまみながらうなずく。
「今川が沓掛城から撤退したから、前線の大高城を守る意味がなくなった。それで松平も三河へ帰るということのようじゃな」
「骨折り損のくたびれもうけか」と、利家が笑みをこぼす。「疲れ切って足取りも重いようだな」
たしかに、きのう丸根砦を全滅させた軍勢とは思えないほど覇気がない。
事前の情報通り、五千人が引き上げていく隊列はところどころ間延びして、まるでやる気のない高校生だらけのマラソン大会みたいだ。
情勢が変わると、これほどまでに士気が下がるものなのか。
兵士を鼓舞する武将の統率力がいかに重要かを俺は身に染みて感じていた。
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