(3-8)
勝家の後ろに控えていた家臣たちも畳に拳を打ちつけ、一斉に声を上げる。
「そうだそうだ。このまま宿敵に頭を下げて和議など結べるか」
憤る森可成に池田恒興も呼応する。
「柴田殿、拙者もお供つかまつる」
「我も!」と、佐々成政が続けば、「おう、わしもじゃ!」と簗田政綱も立ち上がる。
「我ら織田家中の意地、今川に目に物見せてくれるわっ」
血気盛んな家臣団に肝心の織田信長だけがうろたえている。
「そ、その方ども、ならぬ、ならぬぞ」
柴田勝家以下、立ち上がった家臣団がみな弱気な主君を見下ろし、拳を振り上げる。
「では、もはやこれまで。殿にはこれまでお世話になり申した。我ら猛き武士、良き死に場所を見つけたりと、後の世に伝われば本望でござる。えいえいおーぅ!」
地鳴りのようなどよめきと共に、みなが一斉に走り出す。
「城下に陣触を出せ。明朝までに丹下砦へ集結じゃ!」
丹下砦は大高城の北にある今川方の鳴海城を囲む砦の一つで織田家の前線基地だ。
「戦じゃ、戦じゃ!」
「血が騒ぐのう。これほど愉快なことはない」
吹っ切れたかように目をギラギラと輝かせながらみなあっというまに甲冑を身につけ、馬にまたがったかと思うと一目散に駆けていく。
――いよいよか。
一時はどうなることかと思ったけど、ようやく、シナリオ通りに桶狭間の戦いが実行されるんだ。
「おいっ」
藤吉郎が俺の背中をたたく。
「おぬしも何をぼけっとしておる。戦の支度じゃ」
――そうだ。
俺の仕事はまだ終わっていない。
脳内マップに表示された桶狭間とされる場所へみなを誘導しなければならないんだ。
だが、肝心の織田信長は家臣団の暴走を呆然と眺めているだけだ。
「これ、南蛮人」と、立ち上がり、俺のそばへのっそりとやってくる。
「はい、私に何か」と、俺はひざまずいて見上げた。
「家のために妹を犠牲にする。そちは、わしを冷たい兄だと思うか?」
お市様のことだ。
俺は感情を消して答えた。
「これも戦国のならいかと」
「わしも織田家の棟梁として、いつかはこのような決断をせねばならぬ時が来ると覚悟しておったが、いざ伝えるとなると、胸が痛むものよな」
遠くを見つめるようなキリッとした目をしたかと思うと、それを隠すかのように、俺に背中を向ける。
非情な決断を下さなければならない戦国武将の悲哀がにじむ背中だ。
と、いきなり振り返ったかと思うと俺の肩を分厚い両手でがっちりとつかんだ。
「なにしろ、市はあれほどの美貌だ。日の本一、いや、唐の楊貴妃も嫉妬する天地開闢以来の麗(うるわ)しき妹だ。そうであろう」
――いや、こいつ、ただのシスコンだ。
「わしは鬼にでも悪魔にでもなってみせるが、本当は市にだけはつらい思いをさせたくはないのだ」
鼻息荒く語られても俺の心はどんどん冷めていく。
――あんたがつらい思いをしたくないだけだろう。
ただ、好きでもない男のところへ妹を嫁がせなければならない兄の立場を気の毒だとは思う。
だが、そこを乗り越えてもらわないと、織田家の天下統一は夢と消えてしまうのだ。
だいたい、桶狭間の合戦に勝てばお市様を人質に出さなくても済むのだ。
うじうじしてないで戦えばいいのに、史実を知っている俺と違って自信がないのはどうにもならないのか。
なにしろ、圧倒的な戦力差と、やり直しのきかない責任の重さがのしかかってるんだから無理もないのか。
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