(2-14)
俺は瓢箪顔の男に向かって声を上げた。
「今一度お考えください。これは天下統一への重要な第一歩でございます。これは危機なのではなく好機です。桶狭間へ一点突破、これしか方法はありません。この好機を逃せば、今川を倒すことはできず、織田家は滅ぼされてしまいます」
実際、俺は『信長のアレ』でそういう結果を何度も見ているのだ。
それはそのまま、この場にいる家臣団、奥方様やお市様まですべての人々の生活や幸福が失われるということだ。
これはゲームなんかじゃない。
目の前の血の通った人々の人生なんだ。
兵力の差は圧倒的でも、こっちには史実という強力な裏付けがあるのだ。
ただ、それを信じさせることができないのがもどかしい。
だが、信長は饅頭を頬張り、俺の進言を鼻で笑うばかりだった。
「天下統一だと? わしは天下など狙ったことなどない。そもそも天下とはわしらのような田舎大名の領分ではない。源氏の名門や摂関家に委ねるべきものであろう」
源氏の名門とは室町幕府の足利将軍家、摂関家とは藤原氏を代表する五摂家と呼ばれる家柄の貴族で、どちらも別格の存在だ。
「今川が尾張を狙うのであれば、是非もなし。和睦するのも一つの手であろう」
天下の野望を持ち出したのに、まさかの逆効果とは。
「応じるとは思われません。京に通じる道筋にいる敵はすべて排除するでしょう」
史実において信長自身がそうしたことだ。
「ならば市を今川に嫁がせればよかろう。そこまでの誠意を見せれば話を受けざるを得まい」
主君の言葉に家臣たちが一斉に息をのむ。
たしかに、ただの政略結婚ではない。
戦国随一の美貌を誇る姫が嫁ぐとあれば今川とて無視するわけにはいかないだろう。
藤吉郎が喉を詰まらせ、饅頭を吹き出しながら胸を叩く。
「しかし、と、殿……それはあまりにも」
柴田勝家がにじり出たものの、言葉を継ぐことができない。
――それはあまりにも酷なこと。
誰一人言わずとも、みなの表情にそう書いてある。
重苦しい空気を吹き流すように当のお市様が口を開いた。
「わたくしは構いません」と、かたわらの鷺山殿を見やる。「お義姉様も尾張のうつけに嫁げと言われて織田家に来られたのですから。その苦労に比べたら、どうということはございません」
「ふふふ。言うのう。それでこそ我が妹。よくぞ申した」
信長一人ご満悦だが、家臣団はみな唇を噛み切るほどに震えている。
――ちくしょう。
良くねえよ。
全然良くねえよ。
いいわけないじゃんかよ。
なんだよ。
せっかく戦国時代に来たのに、このまま何もできずにゲームオーバーなのかよ。
俺にプレゼン能力がないばかりに織田信長を説得できないなんて。
こんなの話が違うだろ。
《その方の申すことは今ひとつ信用できない。お引き取り願おう》
《あなたの野望もこれまでです》
俺の脳裏に、何度も見たそんな画面がちらつく。
一度やってみてうまくいかなかったら、別の方法を試せるのがシミュレーションゲームだ。
俺は何度もトライし、失敗し、そのたびに新しい勝ち方を見いだし、成功を収めてきた。
だが、これはゲームじゃない。
失敗したら、それで終わりだ。
リセットしての二度目はない。
無力感に背中を丸め、俺はため息をつくしかなかった。
まもなく清洲は今川の大軍に蹂躙され、目の前の人たちが殺されるのだ。
お市様だって、好きでもない男のところへ嫁がされ、二度と家族にも会えずに一生を終えるんだ。
史実では、浅井家が滅んだ時に娘たちを連れて尾張に帰ってきたけど、兄を許さず別居していたわけだし、どちらにしろ不幸な結末でしかない。
だからこそ、そうならないために、俺がやらなくちゃいけないんじゃないのか?
俺がこの時代に来た理由はそれしかないじゃないか。
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