(2-8)
と、その時だった。
小さな中庭を挟んだ隣の建物の廊下に、お付きの者を数人従えた髪の長い女性が現れた。
引きずるほど裾の長い着物は蝶や花の柄が艶やかだ。
「ああ、オイチサーン」
デイブがいきなり大きく手を振った。
「ばっ馬鹿者」と、藤吉郎が馬跳びの勢いでデイブの背中に飛びつく。「頭が高い。気安く話しかけるな。控えろ」
無理矢理頭を押さえつけるが、それでもデイブは甲羅から首を伸ばす亀のように中腰のまま顔を向けて手を振り続けている。
向こうも騒ぎに気づいたのか、立ち止まってこちらに視線を向けた。
《お市:織田信長の妹、十四歳。後の浅井長政夫人。浅井家滅亡後は柴田勝家に嫁ぎ、北ノ庄城で自害》
そんな情報がポップアップしたが、姫の姿に見とれてしまい、チェックする余裕などなかった。
絶世の美女だとは聞いていたけど、それ以上だった。
柔和な頬と艶のいい唇には穏やかな笑みが浮かび、和風顔のせいで決して高くはないけどすっと通った鼻筋と丸い額からは聡明さがあふれ、まさに舞い降りた天女のようだが、まわりを囲む付き人たちの間からこちらを見つめる涼やかな目元は武家のお嬢様らしい凜とした気高さに満ちていて、思わずこちらも背筋が伸びる。
令和のどんな女優が演じても足元にも及ばない。
寧々さんのような可憐さとは違う。
触れようとする者の指が折れるような圧倒的な神々しさを持った本物の美だ。
俺の横では柴田勝家が頬を赤くして硬直していた。
鼻の頭には汗までかいている。
このおっさんも藤吉郎と本質は変わらないのかもな。
数十年後に、憧れの相手と結婚するなんて教えたらどうなるんだろう。
『からかうんじゃない』とか、殴られるかも。
そんな想像をしていたら、ふと、お市様とまっすぐに目が合ったような気がして俺は頭を下げた。
令和の高校では女子の眼中にも入れてもらえなかった俺ごときが視線を合わせて良い相手とは思えなかった。
向こうの廊下から付き人の女性が一人だけやってくる。
「姫様がこの者は何者かとおたずねでございます」
「私はデイブでーす。ご存じですよネ」
自分を指さしながら爪先立ちでアピールするデイブを付き人は華麗にスルーした。
「いえ、こちらの御方です」
――え、俺?
間違いなく俺に手を差し伸べている。
「この者は新しく城下に参った南蛮人だそうだ。名前は……」
柴田勝家の紹介を受けて俺は名乗った。
「坂巻悠斗と申します。軍師です」
「かしこまりました。そのようにお伝えいたします」
廊下をもどっていく付き人の背中を追いながら、俺はなぜ聞かれたのか分からずに困惑していた。
「うらやましいぞ、おぬし」と、藤吉郎が俺の背中を何度もたたく。「好奇心旺盛な姫様だからのう。南蛮姿のそなたが気になったのであろう。わしも南蛮の服をあつらえてみようかのう」
藤吉郎は自分の着物に開いた穴から指を出して笑っている。
麗しい姫様に遭遇した男四人はみな思いがけない眼福に表情が緩んでいた。
「ん、オホン。参るぞ」と、柴田勝家が咳払いをして廊下を再び歩き出す。
俺たちは後について御殿の奥へと進んだ。
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