スリング⑤
初等科に入学してからしばらく時間が経った頃、アデルは頻繁に、1人の男の子の後をついて回っていた。
「ねぇ。待ってよ。」
と声を掛けるが、相手はどんどん庭園を進んでいく。
学園には、主に授業を行う大きな建物の他に広い庭園があり、その奥には雑木林も広がっていた。隠れ鬼などしたらやりがいがありそうだが、歩道は手入れされているため遠くからでも見通しは良くなっている。
午前中の授業が終わり自由時間になると、カイルは庭園の方に向かうのが日課になっていたのだが、今日もしつこく、
「待ってってば。カイル!」
と大きく張り上げられたアデルの声が後をついてくる。
カイルが素早く、バランス良く、最短距離でいつもの道を進むので、一向に距離は縮まらない。なんとか追い付こうと、彼の歩みを止めるために大きな声で呼び掛けてみるが、止まってはくれない。
そんな二人のやり取りは、既に気にも留められないような日常の光景の一部となっていた。
・・・
入学前の父王の言葉を曲解し、一番を目指すことを決めたアデルは入学当初、とげとげとした言動の一匹狼で、周りの生徒に一目置かれていたカイルに羨望の眼差しを向けていた。
濃紺の少し長めのストレートの髪を両サイドに均等に下ろした髪型と、藍色の瞳、整った顔立ちをしていた彼は、周りの生徒たちに比べて幾分も大人びてみえた。身のこなしはしなやかで軽く、その素早い動きに強さを感じたアデルは彼をまねるため、お付きの人のように四六時中付け回していたのだ。
まだ、幼さが残る子ども達。その二人の様子を遠巻きに見て、からかったり止めたりしないのかと不思議に思うかもしれないが、周りの生徒達は別の目的で忙しかったため、呆れられることはあっても基本的に放っておかれていた。
というのも、周りの、特に貴族の子どもたちは、王女かもしれない女子生徒と仲良くなるように、殊更優しく接するようにと言われてきているからなのだが、いつの間にか雑木林に雲隠れしてしまう男子生徒二人に興味を持つ者はいなかった。
世間では、アデル姫は病弱な深窓の姫君という噂がまことしやかにささやかれていた。体調不良を理由に、王族が出席するはずの行事などを全て欠席していたので、その噂の流布を止められなかったらしい。
その噂を信じた大人たちの助言により、学園に入学出来た生徒たちは、病弱そうな女の子を見つけては優しくしようと、子ども達なり精一杯心を砕いていた。
よって、一匹狼的な生活をしていたカイルと、それを追い回すアデルは、学園では浮いた存在となっていた。
マキという名前は、アデルの学園での偽名だが、アデルの本来の母譲りの漆黒の髪は、熱で痛めて茶色く緩くウェーブがかかっているので、誰も王女本人と認識せず安全であった。
・・・
さて、せっかくの自由時間をマキことアデルに付け回され、最初こそ迷惑そうだったカイルだが、道中、アデルが枝や切り株に引っ掛かり転んで傷だらけになっていると、手を貸してくれたり、消毒のためにナニーのところに連れて行ってくれたりと面倒をみてくれる様子。
きっと、初めこそ同年代との付き合い方が分からなかったが、次第に並んで歩くようになり、少しずつ会話も増え、いつの間にかいつも一緒に行動する親友のような存在となっていった。
親友と呼べるくらいに仲の良い存在が出来たことが嬉しくて、アデルは月に一回行われる父王との会食で意気揚々と彼について話すと、翌日、カイルは父王に呼び出され、学園へ戻ってくることはなかった。
・・・
親友を失った悲しみに、男子として猛々しく生活していたことも忘れ、人気のないところでしくしく泣いていると、しばらく疎遠にしていた幼馴染が優しく頭を撫でてくれた。
過去を思い返すと多少思うところもあるが、やはり、昔からの知り合い。すぐに距離を縮め、アデルは徐々に元気を取り戻していった。
しかしまた、父王に自分の友達のことを自慢すると、それをきっかけとして、その翌日から親友を学園で見かけることはなくなった。
カイルが突然、学園から消えてしまったことも現実だった。
立て続けに起こった重大事件の主犯を父王と断定したアデルは、
「カイルとジンを返して!」
と感情的に心から訴えるが、
「アデル、好きな人と結婚したいなら、君が一番にならなきゃダメだよ。」
と、優しくなだめるような返答。
何か、取り返しのつかないことをしてしまったと感じたアデルは、話の通じない取り付く島もない大人を前に、二度と同じ間違いを繰り返さないことを心の中で誓うことしか出来なかった。
そういえば、入学前に、
「この学園で一番優秀な学生が、おまえの”はんりょこうほ”になるんだ。」とか、
「優秀な子が、私の大切なアデル姫と結婚して支えてくれるのであれば安心だな。」と期待に満ちた口調で大人たちが話していたのを聞いた気もする。
男の子として不貞腐れた生活をしていた彼女は、その時は気にも留めていなかったが、
「結婚する子を選びたいのなら一番にならなくてはならないよ。一番になったら、自分で決めていいから。」
等と、やたら一番を強調していたことを思い出していた。