89話
カクヨム版89話を改稿。
「『ゴーズ家が鹵獲したスティキー皇国産の飛行機の研究が、サエバ領の北端付近で行われることが決定した』だと?」
魔道大学校の「閑職」と言っても過言ではないポストである飛行機の研究開発の責任者は、思いもかけない情報に激しく声を荒げて問い直した。
彼はこれまでのやり方を変更したくなかったからだ。
具体的には、飛行機の理論の研究や設計、部品製造を魔道大学校内の工房と王都の工房への外注で行い、実機の最終組み上げを王都から四十キロほど離れた専用の実験場で行う形を崩したくないのであった。
しかし、件のサエバ領とは、王都から遠く離れた辺境の地なのである。
「我々、飛行機の研究者は、ゴーズ領に技術担当部分の検分の人手を出して報告を上げたあとは、結局蚊帳の外でしたね。まぁ、今までに投入されてきた王国の資金に対して、『これが成果です!』と、胸を張って言える結果を出せていないので、『王宮勤めの文官連中からの信用がないのは当然』と思えますけれど」
責任者の助手を務める男は、上司の怒声を聞かされたため、まずは顔色をうかがった。
そうして、次の段階で諦め顔のまま紡いだ言葉が、前述のものとなる。
「こちらの要望としては、『一機をとりあえず丁寧に分解して、再組み上げをゴーズ領で行い、組み立て工程を十分理解した上で、心臓部の動力機関をここに輸送して研究する』と伝えた。それで、検分時の報告書にその要望に沿った計画書を添付して提出していたはずだが?」
「あの時点では、飛行機の所有権はゴーズ家にあって、所謂、領地貴族の管轄から王国の管轄に所有権を移すことは決まっていませんでした。ですから、あの添付部分は『考慮されていない』と思います」
実際、宰相を含めた文官たちは、飛行機が全量譲渡されるのが決定してから、完全白紙の状態のスタートで研究場所も方法も、なんなら派遣する人員も決めるつもりであった。
勿論、そのような方向性の話になってしまったのには、それなりの理由がちゃんと存在する。
そもそもの話、飛行機の機体の形状自体は、素人目で見ても長年ファーミルス王国で研究されて作られたそれの試作品と大差がない。
ここでは関係ないが、飛行機の機体の形状は、ファーミルス王国側の大元が訪れ人である賢者の知識からスタートしているのと同様に、スティキー皇国の生みだした飛行機の完成形の元となったのは、彼の国の訪れ人の知識だったからである。
両者とも現代日本人の一般的な知識として、飛行機の形状の雑な絵を提供する程度のことはしていた。
それ故に。
外観の形状が似通ったものになっていたのは「必然」とも言えるのだった。
何の話かと言えば、「検分の調査結果から、『心臓部』と言える動力部分のエネルギー供給源が魔石ではない以上、それは魔道具ではない」と、王宮で判断されたという話。
「魔道具ではないモノであれば、魔道大学校で研究を行う必然性はない。寧ろ、今までの研究の失敗の経験からくる思い込みが、新技術を受け入れるために必要な思考の柔軟性を阻害するのではないか?」
そういった意見が、宰相以下の文官たちの事前打ち合わせの段階で、優勢となったのだった。
「決まった事柄は仕方がないのか。苦情は苦情で入れるとして、人の配置をどうするか。辺境の地へ私が赴くわけにもいかないし」
言葉を切って考え込んだ上司に、助手は無情に告げる。
「あの。決定の通達の中に、この研究室から人を派遣する要請の文言はないのですけれど」
研究開発の責任者を務める男は、横柄にも通達書の内容確認を助手に丸投げで任せていた。
彼は、そうして要約の報告を受けていたのだ。
つまり、通達書の内容に自らは目を通していなかった。
彼の表情は、怒りから激怒か憤怒か判別がつかないものへと昇格する。
続いて、「なんだと!」と、怒鳴り声を上げながら眼前の部下の手から文書をひったくる。
怒りで真っ赤に充血した目で、通達書に書かれた文字を真剣に読み込む上司の様子は、クールな助手の視点からすると滑稽に思えるのだった。
「ない。ないぞ。どこにもない。これはつまりだ。『当然のことだから態々書くまでもない』と思い込んで、あの連中がこれに書かなかった。そうだな?」
上司の無茶振りな同意を求める言葉に、瞬時に「やばい」と、自らが置かれた状況を悟る助手。
彼は冷静に逃げの思考に切り替えて、「お前、ちょっと確認してこい!」と言われる前に「~しかない」という感じの発言で上死の思考を誘導するべく、先手を打ちに行く。
「そういうこともあるかもしれませんね。それでしたら、『学長に報告して確認していただくか?』もしくは、『ご自分で直接問い合わせるか?』のどちらかしか手段はないかと思います」
助手の彼は、「王宮の文官が、このような部分でのミスをするはずがない」と、内心では思っていた。
何故なら、上司の言う「あの連中」は、予算や利権に関係する部分ではまずミスなどしないからだ。
彼らは、良くも悪くもそういう世界に生きる生き物でしかない。
但し、助手の肩書を持つ男は、それを眼前の頭に血が上った上司に、正直に伝えるほど愚かではなかった。
それ故に。
彼は自己の意見は曖昧なままにし、保身に走る。
そうして、多少なりとも賢い助手は、「結果が決まり切った未来」としか思えない事態を招く、事実確認の責任からは逃亡をはかったのである。
「ドクは先行してゴーズ家と契約したし、必要な設備の輸送も決まっていたから、実質的には『こちらは全部金額換算して、差額の不足分を現金で貰えばそれで良いよ』状態だったんだけどさ」
ラックは王都での交渉から帰還して、ミシュラに愚痴をこぼした。
「そうですわね。何かありましたの?」
「飛行機の総数は三百三十六機。当初の設備分でミシュラの見積もりは輸送機五機分だったよね? 追加の魔道具やらなんやらの分で二機分相当が上乗せ。但し、残りの三百二十九機分は全部が輸送機じゃないからね。『小振りな機体の評価が下がるのは仕方がない』としてだ」
「ええ。そこの部分はこちらでも事前に話が出ましたわね。ただ、大型な輸送機は動力部分の出力が大きいので価値が高い。なので、輸送機一機は小型機の三機分相当くらいで見積もってもおかしくない。そういう話でしたわね」
「うん。まあ要するにだ。逆に聞かれたんだよね。『ゴーズ家は魔道大学校の機動騎士関連部門の最高責任者だったドミニク様に、いくらの値をつける気なんだ?』とね」
何となく話の方向性が見えてきたミシュラであったが、ここではそれをスルーして普通に自身の考えを述べる。
「それは。『わたくしたちが値付けするモノではない』と思いますけれど。強引に評価するのであれば、彼女がゴーズ家に来る前の王国の評価として、稼ぎ出す生涯賃金が基準になるでしょうね。そこにこの家特有の縛りが不利益として乗っかる形ですわね。その前提で考えれば五割増しか、二倍となる十割増しあたりが妥当でしょう。けれど、わたくしなら最低三倍は出しますわね」
「こちらが求めたのはドク個人を指名したわけじゃなく、『機動騎士の製造ができる技術者一式』だよ。だから部位ごとの専門で、全部で四人。それも相手の希望とこちらの条件を擦り合わせて報酬を決めるつもりだったんだから、価値を金額で換算する基準はその想定額の合計か、ミシュラが言ったようにドクの稼ぎ出す予定だった生涯賃金が基準となる。僕としては、『ドミニクさんの件は彼女が魔道大学校で稼ぎ出す予定だった生涯賃金の五倍で考えても良いし、部位ごとの専門家を雇った場合の報酬の合計との比較で高い方を適用して構わない』と言ったんだが」
「つまり、『それ以上の金額換算を吹っかけられた』と? それは、ゴーズ家の追加持ち出しが必要なレベルでしょうか?」
ファーミルス王国の王宮側は、おそらくラックが呆れるしかない論法を持ち出したのがわかってしまっても、ミシュラは夫の話の先を促し、最後まで丁寧に話を聞く姿勢は崩さない。
彼女が自身の意見を口にするのは、夫の言葉が途切れて止まった時だけだ。
ミシュラは、「夫の愚痴を聞く」というのは、そういうことであるのを理解していた。
勿論、ゴーズ家の正妻にも、王国への怒りや呆れの感情が夫と同様に、至極当然に存在するけれど。
「うん。ま、求められたのは現金ではないけどね。車両全種を各五台。王国の追加要求は二十種類の百台だったよ。これまでの打診での感触では、現金や他の条件が付け足されると考えていた。だから話が意外過ぎたし、対価の釣り合いとしても疑問だよね」
引き渡し交渉の場での話は、北部辺境伯の配下の人員の手で全ての飛行機をサエバ領に移動させる部分に変更はなかった。
これは既にシス家の内諾を得ている話である。
そのため、文官たちがなんらかの変更をしたくても、動かしようがなかったのが実態なのだが、ラックはそれを知ることはない。
また、決定事項であった貸し出し中の機動騎士の機体の返却も、以前に決めた条件のままであった。
王宮側の最終的な主張は、「先行して出した『ゴーズ家の要望を遥かに上回る技量の持ち主』と、王家が管理する機動騎士の製造に関係する工房や魔道大学校にしかない技術の流出の価値は、『全てを合算すると、引き渡される飛行機の全量の価値を上回る』」というものだった。
故に、「足りない分を『控えめに』追加する」という、ラックからすると謎でしかない恩着せがましい話だったのである。
「非常に残念ですけれど。ここは、叔母様には王都にお帰りいただいて、再交渉するほうが良いように思えますけれども」
「僕もそう考えてしまった。ドクには既にいろいろと見せてしまって、アレコレ知られているけど、もうここまで来ると僕の秘密が王国に知られるのは遠い未来の話じゃなくなりそうに思える。だから、そこはもう諦めても良い気がしている。なので、『ドク本人が絶対了承しないだろうし、強引にお帰りいただくと、何を言い出すのか、やらかすのか、そのあたりはわかったもんじゃない』って現実は脇に置いて、『じゃ、技術者の入れ替えでも良いし、最悪白紙化して交渉をやり直しても良い』と言ったんだが」
「王宮側の主張として、『それを認めない』となったわけですか」
「ま、そういうことだね」
ファーミルス王国の宰相は、配下の文官たちの考えを取り纏めた上での最終判断を下した。
その結論は、「ゴーズ家に吹っ掛けてから譲歩して、追加の支出は抑える」というモノだった。
それでも彼が「王宮側の主張を押し通せる」と、判断した理由は二つある。
一つは、王宮側で想定すらしていなかった立候補者である、魔道大学校の機動騎士関連の元最高責任者を、「ゴーズ家が手放すわけがない」と考えた点。
もう一つは、仮に駆け引きでゴーズ家が手放す話を持ち出したところで、「既に先行してゴーズ領で身柄を受け入れている以上、国としてはその体制で動き出しており、ドミニク様を元の地位と待遇に戻すことはできない」と突っぱねることができる点。
これは、はっきり言ってしまうと、「ゴネ得もかくやあらん」のレベルでしかない。
また、追加で要求した車両の類は、欲しいことは欲しい。
けれども、それらは所詮、「ファーミルス王国に絶対に必要」という品物ではなかった。
つまるところ、追加要求はブラフであった。
交渉の過程でその部分を譲歩して引っ込め、飛行機の対価を既に決めてあった用意済みの部分だけで終わらせる話に強引に持って行く。
それが、ファーミルス王国の文官の頂点に立つ男の目的だったのである。
宰相は、ゴーズ家が予想していない部分で奇襲を仕掛け、国に出せるモノがないのを誤魔化す手段に出たのだった。
「で、最終結論は僕らは飛行機三百三十六機を全て引き渡す。その際の必要経費は王国持ち。追加で引き渡す品物はなし。ゴーズ家が得るものは、これまでに発注済みのアレコレとドク本人。それで全て」
そんなこんなのなんやかんやで、ラックとミシュラで話し合ったことは夕食の席で妻全員に情報共有される。
当然のように不満は噴出するが、実質的に実害がないのも全員が理解していた。
実のところ、引き渡される飛行機とは、夕食に参加している面々の視点だと、「ファーミルス王国にとって金属の塊以上の価値があるのか?」が疑問だからだ。
今回引き渡される飛行機は、全機体に燃料がない。
その原因は、ラックがそれを全て抜き取ってしまったからなのだが、ここで重要なのは、「燃料がなければ、稼働実験が不可能だ」という点。
ファーミルス王国が用意できる植物由来の油は、むろんある。
だが、それはスティキー皇国で燃料として使用されていたものとは、燃焼特性が異なってくる。
よって、無理にそれを飛行機の燃料代わりに使えば、短時間で動力部は壊れてしまうだろう。
そもそも、短時間でも動くかどうかも怪しい。
そのあたりの話は、スティキー皇国に派遣したゴーズ家の人材から得られた情報で、既に判明していることなのだった。
「非常に腹の立つ話に終わったようだが、『先に動いて手を打っていたゴーズ家の勝利』と言って良いのではないか? 皇国に派遣した人材からの情報で、潤滑油だったか? それもきっちり抜き取ったのだろう? もう引き渡しするアレらは、初期段階から研究開発するのとたいして変わらんよ」
フランは完全に飛行機の仕組みを理解しているわけではない。
魔道具では使われることがない内燃機関独特のシール材、潤滑油、冷却用の液体は彼女の理解の範疇を超えるものであるからだ。
それでも、スティキー皇国で学びつつある人材から説明をざっくり受ければ、それらなしでは動力部が焼き付いて壊れることだけは簡単に理解できた。
フランはそれらの存在の重要性だけは、即座に理解したのである。
そうした部分を理解すれば、フランはどう行動するのか?
そんなものは過去の事例が証明している。
悪魔的思考が得意なゴーズ家の第二夫人は、超能力者に機体からそれらを抜き取る話を持ち掛けたのであった。
こうして、ラックは飛行機の引き渡しの話を決着させた。
超能力者の知らない所で、ファーミルス王国の王宮の文官連中と魔道大学校の間に更なる軋轢が生じていようとも、そんなことは知ったことではない。
どれだけ激しく揉めようともゴーズ家には関係がなく、些細なことなのだった。
ファーミルス王国がサエバ領に派遣した技術者兼研究者たちは、ロクに稼働試験ができない現物の山に文句たらたら。それを「予想していた苦情」として持ち込まれることになるゴーズ領の領主様。「ゴーズ家に解決させるのが当然の案件」と、苦情を持ち込んできた王都からの使者に対して、「僕らが開発して作ったモノじゃないので、そんなことを言われてもどうにもできません」と、ニッコリ笑顔で言い放つ超能力者。想定通りに事態が進行したことでガッツリ意趣返しができ、多少なりともスッキリしたラックなのであった。




