88話
カクヨム版88話を改稿。
明日も投稿が難しそうなので今週も一日前倒し。
次回の投稿は来週の金曜日を予定しています。
「『ゴーズ家が我が家のお抱えに手を出した』だと?」
カストル公爵は家宰の報告を確認しながらも、楽し気に笑みを浮かべた。
彼は、「娘婿の家が以前に紹介した自家のお抱え服飾店に、ゴーズ領特産の糸で独自の布を作らせた」という情報は聞いていた。
けれども、彼の家が「それができるようになった職人を、自家の専属として抱え込みたい」と欲するのは、彼の想定外であった。
そして、この想定外の事態は、公爵にとっては都合が良い状況を作り出せそうなのだった。
故に彼は気分が良く、笑みもこぼれる。
厳密には、ゴーズ家はカストル家お抱えの店に直接手を出したのではなく、そこが専属契約を結んでいた職人の一部を引き抜いた形だ。
カストル家が直接、件の職人と契約をしていたわけではない。
つまり、“お抱えの店”と“契約関係にある職人”との間で解決する問題のため、本来カストル家には関係がない。
実際、過去の事例をなぞれば、カストル家お抱えの店の主人の判断のみで契約を打ち切った職人も存在している。
そして、その判断や結果に、カストル家は口を出したりはしていない。
カストル公爵としては、立場的には自家のお抱えの判断に口を出すことは不可能ではないが、そんなことをする意味がないからだ。
そもそも、そういった事柄を、お抱えの店の主人から事前に相談されたり、事後に結果報告をされたりもしないのである。
公爵は、お抱えの店から、自家の注文通りの品質の衣服がきっちりと納品されればそれだけで満足なのであって、元々、個々の職人などには微塵も興味がないのだった。
「はい。若干無理筋の気はありますが。カストル家お抱えの店の職人の一部を引き抜くのは、『店の質が下がる可能性がある』と言えなくもない。ですから、事前にこの家の内諾を得る一言がゴーズ家からあれば話は別ですが、今回はそれはありませんでした。つまり、この家の影響下にある部分に、手を突っ込んだことになります。ゴーズ家の当主からすれば、おそらく、『件の職人と直接契約しているのは店主であってカストル家ではない』という判断なのでしょう。ですが、この件は、強硬にこちらの言い分を主張して貸しを作る形にできます」
「そうだな。これはゴーズ家の大きな瑕疵であって、当家からすれば大きな貸しになる。貸しである以上は、それを何らかの形で返して貰わねばならんな!」
家宰は、主人の上機嫌な駄洒落発言を聞いて、その部分は沈黙を以てスルーしつつも、「これまでの経緯を考えれば、カストル公爵家はゴーズ家にいろいろな意味で多大な負債があるのだが」とは思った。
だがしかし。
三大公爵家の一つであるカストル家の主の感覚が、世間一般のそれとは乖離しているのを彼は承知もしていた。
彼の主人である公爵が、確実に相手の立場を慮って考える対象は格上か同格までで、下の者への借りは“無きが如し”と都合よく無視する傾向がある。
家のアレコレを差配する家宰から見れば、ゴーズ家は爵位こそ公爵に劣るが実力はカストル家の同格以上だ。
ただ、「成り上がりで家に歴史がない」のと、「当主の魔力量が0である」のに加え、更には「その当主が娘婿である」の三つの点から、カストル家の当主は彼の家を「己の自由になる駒だ」と勝手に考えているだけである。
そうした主人の心の内側を、補佐する立場の家宰は理解できていた。
それ故に。
彼は自己の考えを表情に出したり、言ってもしょうがないことは口に出したりはしないのであった。
「飛行機の引き渡しの最終的な詰めの話し合いを、王都で行いたいって話なんだけどね」
ラックは届けられた書簡の内容を読みながらミシュラに話しかけた。
「ええ。それの概要は使者として赴いた方から情報を貰いましたから、わたくしも理解していますわよ」
「クーガを王都に同行させるのは、やっぱり危険かな?」
「またそれですか。率直に言えば危険ですわね。超をいくつ付ければ見合う表現になるのか悩むくらいには危険ですよ。貴方が言うそれは、クーガを父の前に餌として放り投げるのと変わりませんよ? 先日の服飾店の交渉時にも同じ内容で話し合ったじゃありませんか」
ラックは引き抜きたい職人との下交渉や、服飾店への打診も含めての交渉を、クーガに補佐としてダームを付けた状態でやらせてみたかった。
そうした目論見があったために、当時もミシュラとその件を話し合っていた。
結果はご存じの通り、超能力者が自身で交渉を行ったのだが。
ゴーズ領に先方の使者が出向いて来ての交渉事は、そこに参加させたり代理で行わせても、その時のクーガの立場はホームになるため難易度が低く、余り良い経験にはならない。
と言うか、その程度の難易度の話であれば、現在ラックがクーガに任せているサイコフレー村の代官の執務で経験が積めるのだ。
嫡男の将来的なことを考えるのであれば、アウェイの状態で少々タフな交渉も経験しておくのが望ましい。
先日のそれは、ぶっちゃけると仮に交渉に失敗をしても、時間とお金を掛ければ取り返しがつく案件だったため、経験を積ませるにはうってつけの条件が揃っていた。
しかしながら、ラックが目論んだその計画は、ミシュラの強硬な反対意見でとん挫してしまう。
彼女が反対した理由は、カストル家の存在であった。
カストル家は「次期当主の筆頭候補に、実子のメインハルトを得た」とはいえ、まだ幼過ぎる彼に今直ぐ当主を任せられるわけではない。
カストル家現当主が嫡男にある程度の引継ぎが開始できるのは、最短でも十年は先の話となる。
そして、「そこまで生きて無事に成長できるのか?」や、「そもそも当主を継げるだけの資質があるのか?」という問題だってある。
もっと言えば、「赤ん坊が成長して引き継げるまで、現当主が確実に生きている保証もない」のだ。
魔力量の面だけは全く問題ないことが既に判明はしているものの、知性、人格、性癖などの面ではなにも保証されてはいない。
つまるところ、「メインハルトが当主に相応しい人物なのか?」は、現段階では誰にもわからない。
もし、現当主がまだ年若いのならば別の子を作ったり、子にさっさと孫と作らせて保険をかけ、そちらに期待するという手もある。
だが、残念ながら今回のケースだとそうした手段は難しい。
但し、ラックの超能力を制限なしに使うのならば、それは不可能ではないのだけれども。
ミシュラには今の実父の考えそうなことや、行いそうなことの想像がつく。
彼女の父は、「クーガをひっ捕らえて、繋ぎの当主に仕立て上げるか、メインハルトの成長を待つ間のスペアとして確保したい」と、頭の中のどこかでは考えているはずなのだ。
現状では、ゴーズ家の嫡男はサイコフレー村に詰めており、カストル公が手を出せる状況下にはないため、そうした考えが実行に移される可能性はない。
けれども、クーガがのこのこと王都に出向けば話が変わる。
そんなことは火を見るよりも明らかなのである。
夫のラックが言う「息子に経験を積ませたい」という話もミシュラには理解はできる。
だがしかし、だ。
彼女からすると、「わかりきっている超危険地帯に息子を飛び込ませてまでの、喫緊の必要性、重要性がありますか?」と問うてみれば話が早い。
もし誰かからそう問われれば、「否!」としか言いようがない案件でしかないのだった。
「えーっと。そのですね。何と言うかこう。カストル家の目的が目的なだけに、クーガの生命の危険はないのが確定していてですね。最悪、クーガが連れ去られてもさ。『僕が救出にテレポートとかの力を行使すれば良いんじゃないかな?』とか。そんなことを思ったりなんかしちゃってですね」
ミシュラはラックの言葉を受けて、ギロリと視線を向けた。
「このケースだと、『助けられるから良いでしょう?』という話には乗れませんわよ? それと、クーガが捕まった場合の状況を考えてみてくださいな。確実に二十四時間体制の監視が付きますわよ? よって『誰にも知られずに、クーガの身柄を奪い返すのは不可能』となるはずですわね。つまり、強引に奪い返せば、『貴方の持つ異能の力が、カストル家に知られる』のですよ」
ミシュラはそこまでで言葉を切り、視線で「それでも良いのですか?」と問い掛けてきた。
そこまでのことを考えていたわけではなかったラックは、妻の冷え切った声音でいかにもありそうな推測を述べられて、タジタジとなってしまう。
しかもそこへ、冷めた表情のままの正妻の追加攻撃が加わる。
「クーガの話はわたくしと貴方だけで話し合って決めても良い案件ですけれど、ゴーズ家のことでもありますから今晩の夕食の席で、皆の意見も聞いてみますか?」
他の四人の妻に話をしたとしても、ここまでの話でどう転んでもラックの主張に賛同が得られそうもないことは、さすがに理解できた。
だがしかし。
それはそれ。
これはこれ。
絶対にそんな考えが必要な場面ではないことを承知の上で、「漢には負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある!」と、ゴーズ家の当主は心の中で一度は言ってみたかった台詞を呟いてみた。
勿論、心の中で終わらせ、それを実際に口に出したりはしないが。
この時の超能力者が実際に口に出して発言したのは、全く別のことだ。
「うん。反対されるしかないのは承知の上で、違う視点の意見も聞いてみたいね。特にアスラは、ミシュラと同じで、今のカストル公爵のことを良く知っているだろうしね」
そんなこんなのなんやかんやで、なんとなく夕食の時間に突入し、五人の妻にさらりと話題をふってみるラックは、漢を魅せたつもりになっていた。
どうしようもない、お馬鹿丸出しである。
「ミシュラさん。非常に言い辛いのだけれど。この人は正気なのかしら?」
アスラはラックとの夜のローテーションに入ったことで、多少なりとも妻たちの輪の中に入り込んでいた。
ミシュラからは、「自身への『様』付けを止め、『さん』で良い」とまで既に許されている。
「『常時、正常で正気なのか?』と言われると返答にものすごく困ります。が、今のこの人の発言は『本気の考え』で間違いないですわよ」
「そ、そうなのね。嫡男を生贄に差し出す行為にしか聞こえなかったものだから」
「まぁクーガが殺されることはないでしょうから、若干表現が適当ではないように思いますけれど、気持ち的にはアスラの言いたいことにわたくしも賛成です」
ミシュラは珍しくアスラの発言を支持する。
普段は内心で同意していても、あえて反対する見解をぶつけることが多いのだけれど。
「いえ。殺されますよ。父はやらないでしょうけど、ミゲラか母か、どちらかが殺しにかかります」
「不思議な話だな。何故そんな状況になる? その二人には動機となる理由がないだろう?」
アスラの発言にフランが疑問を口にする。
「あり得るのではないか? ゴーズ家は、ロディアとメインハルトを匿っている家だ。ミゲラの方は何を考えるかはわからんが、母親の方はもう正妻の立場を追われて家からも追い出されるのが確定しているだろう? ゴーズ家に復讐したいと考えても不思議じゃない。ついでに言うと、『戦争の面でもラックを個人的に恨んでいる』と思うぞ」
エレーヌが意見を述べた。
彼女の見解の最後の部分は、他の誰も想定していない話であったため、全員が驚きの表情へと変化していた。
「えっ? 僕何かやったっけ? ロディアたちを匿っているのは事実だから、それが理由で恨まれるのなら仕方がない。でもさ、『スティキー皇国との戦争関連で、ミシュラたちの母親から恨まれるようなことはやっていない』と思うんだけど」
「そう。『何もしていない』から恨まれるんだ。これは、思いっきり逆恨みの話になるがな。ミシュラの母の出身の家を思い出してみると良い。恨みを買う理由が思い当たるはずだ」
そう言われてもラックにはピンと来る事柄はなかった。
ミシュラの母親が、南部辺境伯の家の出であることは知っているけれど。
「ラックはわかっていないようだから、私の推測が合っているのか確認しよう。戦争で『戦果』と言えるものを挙げたのはゴーズ家だけだ。けれど、敵国の人間を殺した数の報告がない。要は、『ゴーズ上級侯爵が率いる戦力は敵の兵器を奪うことができるのに、南部辺境伯領で死んだ人間の仇は取ってくれないのか?』なのだろう? エレーヌ」
「ああ。それもある。他にもう一点。きっと彼女はこう思っているさ。『それほどのことができるなら、何故南部辺境伯の領都に被害が出ないように守れなかったのか?』とな」
ラックはリティシアとエレーヌの発言を聞いて思った。
どストレートに、「そんなの、理不尽過ぎるだろう!」と。
「『敵国の民を殺す面で、戦果報告がないのがけしからん』ってのはまぁ事実を含んでいるから、理不尽な怒りの向けられ方だとは思うけど、『ごめんね』って言ってあげたくなりはする。でもさ、領都の話は限度を超えてない? 僕らは参戦義務の免除中で、参戦要請を受ける前の話だよ? 距離だってべらぼうに離れてるし」
ラックは「スティキー皇国の人間を、殺しまくろう」と思えば、それができたことは事実だ。
そして、作戦上の効率から“できてもやらない”を、彼は選んでいる。
そうである以上、そこだけを切り取って文句を言われるのなら、納得はできなくともその見解を受け入れる余地はある。
しかしながら、参戦義務の免除中に、「実力があるのなら、未然に防げ!」と強要されるのはさすがに違う。
しかも襲われたのは、ラック自身の庇護下の領地ではなく他人の庇護下にある領地なのだからお話にならない。
ここでは誰も気づくことはないが、南部辺境伯の関係者ならラックを恨む理由はまだある。
これは辺境伯側の自業自得の話になってしまうが、「彼の家の配下の暗部の実働部隊を、超能力者が『皆殺しにした』」という立派な実績もあるのだから。
そして、ミシュラの母親はその件において、ガッツリ直接の関係者なのである。
こうして、ラックはカストル公爵家の人々から、様々且つ理不尽な思惑を向けられてゆく状況に陥った。
愚痴の一つぐらいこぼしても、妥当であるかもしれない。
端的に言って、「そんな理由なのかよ?」としか思えない事柄ばかりに、辟易としてしまうゴーズ領の領主様。息子に難しい実務を振って経験を積ませようとしたのは、「女性方面だけ突出してたらアカンのや」と、直接は言い難いためだった超能力者。本当の理由がバレれば、「お前が言うな!」と言われかねない状況に薄々気づいていながらも、平気でそれを棚上げしてしまう自己中心派のラックなのであった。




