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75話

「『戦車を含む車両と、飛行機の機体が消失した』だと?」


 スティキー皇国の北大陸侵攻軍“臨時”司令官は驚いていた。

 厳戒態勢下の軍事基地から、兵器が消えてなくなるとは?

 彼は、単純に「何かの冗談か?」と思った。

 臨時司令官の感覚は、極めて常識的な範囲に収まっている。

 ただただ、超能力者によって作り出された現実が異常なだけであった。


 消失が報告されたのは、操縦士不在のため出撃待機状態から駐機状態へと移行していた機体や、陸上戦力の車両の大部分。

 勿論、基地が保有していた兵器の全てを失ったわけではない。

 少なくとも“現物の存在の有無”という意味合いに置いて、それは正しい。


 夜間でも厳重な警戒態勢が敷かれていたため、監視の目があった部分の兵器については“一応”無事であった。

 しかしながら、車両や機体“だけ”が残っていても、はたしてそれが「使用に耐える状態なのか?」は別なのである。


 粘度の高い、固体に近い液体。

 おそらくは油性の潤滑剤のような物質。

 それが操縦席にぶちまけられた上に、漂う強烈な異臭。


 不用意に吸い込んでしまい、意識不明の状態になった整備員もいることから、毒性のある気体が操縦席から発生していることまで考えられる。

 要するに、「残された兵器は、そのままで使える状態ではなくなっていた」のであった。


 飛行機に関しては、既に操縦士がいないのだから機体が使えない状態であっても、現状であれば戦力の増減という観点からすると大して影響はない。

 けれども、監視されていた車両や機体であったにも拘らず、「何時・誰が・どうやってやったのか?」が不明な状況で、使用不能に追い込まれた点は不味い。


 つまるところ、兵器の消失事件に新たな事案が加わることで、士気の更なる低下は避けられなかったのだった。


 そもそも、それ以前の問題で、「兵の士気を高いレベルで維持できていたか?」と言われればそれも怪しい。

 大規模な兵の脱走を疑わざるを得ない兵士消失事件が発生したのは、一昨昨日(さきおととい)の夜である。

 前代未聞の「北大陸侵攻軍の司令官までもが、消失者に含まれている」というその事件は、結果として下士官や兵だけではなく、「夜間当直に当たっていた将校以外の、将官や佐官を含む士官全員がいなくなる」という事態へと繋がった。

 未明からの作戦行動開始のため、その少し前から基地全体が準備行動へ移行しようとした。

 その時に初めて、起き出して食事を済ませたあとに集合するはずの兵がいないことに気づく。


 事態の発覚は、一人の下士官の問い合わせから始まる。

 規定の時刻になっても、足りない兵の数は一人二人の話ではなく、誰一人として集合場所に集まって来ない。


 明らかな異常事態だ。


 夜間当直に当たっていた下士官の彼は、「兵たちの集合を確認し、作戦行動の開始後、休息に入る予定」であった。

 彼は眼前の異常事態に対して、思わず、「今日の作戦が中止になったのを、自らが知らされていなかっただけなのか?」と、疑ってしまう。

 だが、司令部の夜間責任者に問い合わせても、そのような事実はなかった。


 こうした流れから「もぬけの殻のベッドを多数確認し、大規模な脱走を疑う事態へと発展した」のが、ことの経緯なのだった。

 当然、予定されていた作戦は実施不可能となり中止。

 兵数が半減し、多数の士官も行方不明。

 更に追加で、「司令官までいなくなった」という事実まで発覚すれば、残された兵の士気は駄々下がりになるのが必然というモノである。


 しかも、だ。

 残された人間がいくら調べても、「多数の兵士がいなくなった」という事実は動かないのに、「彼らが脱走した」という形跡は全く見つからない。

 正に「忽然と消えた」としか言いようのない事態は、信じたくはないが完全にオカルトの領域。

 これで「気味が悪い」と感じない人間は、異常者でしかないであろう。


 そうした、前提となる事件があった上で、本国との情報のやり取りも何故か継続遮断状態。

 その後一晩の厳戒態勢を敷き、兵が疲弊しているのは承知だったが、それでも二晩めの厳戒態勢に突入した。

 そんな中、追加で別の事件が起こったのだ。


 残された軍人の中で「階級が一番上だった」という理由“だけ”で、技術将校は臨時で代行として北大陸侵攻軍の司令官を任された。

 実のところ、「貧乏くじを押し付けられた」と言っても過言ではない。


 北大陸侵攻軍“臨時”司令官は、己の能力を完全に上回る事態に直面し、茫然となるしかなかったのだった。




「お前らが、侵略戦争なんて始めるから悪い。僕はミシュラを泣かせてしまったんだぞ! その責任。取って貰うからな!」


 完全な八つ当たりの独り言をこぼしながら、ラックは次々と前線基地の兵器や物資を奪って行く。

 勿論、見張りの目がある部分には”盗み出すという意味では”手を出さない。

 だが、現在の基地には無用の長物となっている飛行機の類の方面は、「さほど厳しい警戒」だとは言えなかった。

 敵が配置できる人員の絶対数を、超能力者がフランの作戦に従って拉致により減らしたこと。

 それが、こんなところにも影響を及ぼしていたのである。


「外側からガッツリ見張っていてもな。無駄無駄。操縦席部分にこっそりこれらをテレポートで送り込むだけだと、見えない部分の異常にお前らが気づくのは、はたして何時になるのかな?」


 超能力者の感覚的には、前線基地に存在する飛行機の類の九割弱を奪うことに成功している。

 車両の類は七割程度だろうか。

 燃料タンクが埋設されている場所もラックは透視で暴き出し、中身をこっそりと奪い去る。

 食料、医薬品、弾薬の保管庫は警戒態勢が非常に厳しく、ほとんど手を出せなかったことは残念だ。

 けれど、全体的に考えれば、それで結果が左右されるほどのことではない。

 そのため、今回はスルーだ。


 ゴーズ家の当主の攻撃対象は、前線基地だけに限定されているわけではないのだから。


 続いてラックが狙ったのは、スティキー皇国の生産力を支える工場であった。

 こちらも、超能力者は夜間も交代制で稼働しているところには手出しをしない。

 だが、しかし。

 夜間休業している工場に関しては、話が別となる。

 人目のない夜間に暗躍するゴーズ家の当主は、生産設備となる機械類と保管されている原材料を次々と奪って行く。


 ラックは、こうした工場からの略奪に関しては、民需、軍需の区別を一切していない。

 それらが、「一体どちらなのか?」の判別ができないし、「その労力をかける時間もなかった」からだ。

 現実問題として、「どちらか片方の生産だけに特化しているとは限らない」という点もあったりするわけだが。


 現時点では、ラックにスティキー皇国の人間全てを根絶やしにする覚悟まではない。

 但し、皇国の軍はファーミルス王国の南部辺境伯領への攻撃で、軍人以外の人々に多数の死者を出している。

 それが確実である以上は、「民間の部分を明確に区分けして、手出しをしない」という選択は必要なかったのだった。


 フランの頭脳から生み出された、最初の作戦計画の段階では、これらの工場へは放火のみで済ませて短時間で数を熟す方針であった。

 それが覆ったのは、飛行船の技術が欲しくなったからだ。

 放火犯が窃盗犯に変貌した理由はそれである。


 残念ながら、今のゴーズ家には、飛行船に関する部品を生産する工場を選り分ける方法がない。

 ラックは、そこまでの全てを調べ尽くす時間を捻出できなかったのだ。

 故に、焼失の恐れが出てしまう「放火」という安易な手段は、断念せざるを得なかった。


 スティキー皇国は広い。

 一つの大陸の統一を成し遂げて年月を経た国家であるため、人が住む街は多数あり、人々が生活するのに必要な物資を作り出す工場は多々ある。

 もしも、ラックが全てを視て、それが何の工場かを調べ、選別する方法を選んでいたら、膨大な時間が必要とされたであろうことは想像に難くない。

 そのようなことをしていたら、工場へ手を出すのは先延ばしするしかなかったはずだ。


 つまるところ、ラックにはアレコレを盗み出す対象の工場を、区別して選別することに拘って、精査する時間なんてなかった。

 よって、「もう見つけた順に、無差別略奪で良いや」と、超能力者が開き直っただけ。

 そんな話なのだが、国内の夜間休業体制の生産工場に対する、無差別設備盗難の被害に遭った側の皇国からすれば、これはたまったものではない。


 超能力者の八つ当たりによるやりたい放題が終わった後、時間を置いて朝を迎えれば、それ以降に彼の所業が発覚する。

 それは、ほんの数時間先の未来の話になるわけだが、起きてしまった事態に頭を悩ませ、対応に追われる皇国の人々が多発する長い一日が始まるのである。




 スティキー皇国には、国内の治安を維持するための憲兵大隊という武装組織が存在する。

 憲兵大隊は、内部で軍警と民警の二つの部門に分かれているが、どちらに所属しても受ける訓練や所持する装備は同じだ。

 ラックが原因となる工場の盗難被害は、民警が主に対応すべき範疇の仕事。

 平常での彼らの体制は、民に一般的な良識があるのが前提となっていた。


 犯罪を犯した場合に捕まれば受ける刑罰が、周知されて抑止力となっており、ランダムにそれなりの頻度で行われる見回りで、それを補助する形が防犯の基本となっている。

 それ故に、犯罪への対応は「未然に防ぐ」と言うよりは、「事後対応に重点を置いている」と言える。

 つまり、「初回」と言うか、「超能力者が行なった初日の犯行は、『想定外であり仕方がない』」で、諦められる部分があるのだ。


 だがしかし。

 複数の同様の犯行が一晩のうちに広範囲で行われた以上、それは「プロの窃盗犯の犯行」と見なされる。

 そうなると民警には、「翌日以降に同じことが起こらないようにする対策」が、当然のように求められてしまう。


 次にどこが狙われるのか?

 その予測は、「困難」というレベルを遥かに超えて、「不可能」であった。


 民警は、正確且つ正直に内情を言ってしまうと、「被害実績に特定の傾向がない以上、犯行現場はランダムに選ばれて窃盗が行われている」と判断するしかない。

 平たく言えば、「犯行現場の予測など不可能」なのである。


 プロファイリング、ベテランの勘、ありとあらゆるなんやらかんやらを駆使しても、不可能なモノは不可能なのだ。

 けれども、そんな素直な民警のギブアップを、皇帝も、一般の国民も、許すはずがない。

 そのため、少なくとも、「次回の襲撃を防ぐ努力をしています」という姿勢を明確に示さねばならない。

 結局、彼らにできたことは、「非番の人間を全て動員し、定年退職したOBたちにボランティアを懇願して、見回りを大幅増員することだけ」であった。


 これらが“スティキー皇国で、ラックの犯行の未来に起こること”の実例なのである。


 それはそれとして、ラックによる超能力での八つ当たりの憂さ晴らしという、皇国の人間の立場から見れば、「理不尽の嵐」としか思えないモノが到来した夜は終わる。

 まぁ、スティキー皇国は戦争を仕掛けた側であるので、「因果応報」とか、「自業自得」とか、言えなくもないのだけれど。


 ラックは帰りがけの駄賃に、スティキー皇国の皇妃と思われる女性の宝飾品を、ごっそりと盗み出していた。

 そうして、ミシュラへのご機嫌取りの材料を確保する。

 超能力者は、「宝飾品ごときで、妻は誤魔化されてくれない」のをちゃんと承知はしている。

 それでも、「何もしないよりは、百倍マシであろう」という考えからの行動だ。

 もっとも、客観的に見れば、「盗品で誠意を示そう」というのが、どこか間違っている気がしなくもないのだが。


 尚、夜が明けた後のスティキー皇国内で起こる、フランが予想しているアレコレの事態に対しては、「次の夜も楽しみに待っててね!」としか考えていないラックだ。

 皇国は、絶対に怒らせてはいけない相手の怒りを“間接的に”買ってしまったのであった。

 怒りの元凶がアレなだけに、実に酷い話である。


 そんなこんなのなんやかんやで、一晩の大仕事(怪盗紳士)を終えたラックは、既にミシュラが待っている執務室へと戻った。

 勿論、豪華な宝飾品の数々を目立つ形で抱えて。


「これ。お詫びの印。こういうのも、今後公式の場では必要になるから、無駄にはならないと思って」


 浮気がバレたダメ男の、言いそうなセリフと行動の上位になりそうな、そのまんまの領主様。

 そこには威厳も何もあったものではなく、子供たちには絶対に見せてはいけない姿だ。


「はぁ。もう良いです。貴方が出た後、アスラを問い詰めました。実は、昨日朝、彼女が貴方の元へ行く前の段階で、家臣経由でわたくしに急ぎで面会の申し出があったのです。アスラには“事前に”確認と許可を求める意思はあった。昔の意趣返しの一環で、『後回しにする』のを告げたのはわたくしで、『結果に責任が皆無』というわけでもありませんの。『生理的欲求の発散』でもあったわけですしね。ですが、大目に見るのは今回だけですからね?」


 ミシュラはそっとラックの手を取る。

 言葉には出したくない思いを、正確に伝えるためだ。

 その意図を悟るダメ夫は、接触テレパスを発動した。


 まだ子供ができるような行為までは、していないことは確認が取れています。

 しかし、「昨日の行為がきっかけとなり、『アスラを今までと同様に扱えなくなる』のが、貴方という人だ」と、わたくしは理解しています。

 永遠に昔のことで憎悪を維持するのはわたくしも疲れますし、今回のことは一つの転機として受け入れます。

 ですが、あったことをなくすことはできません。

 アスラへは、「ゴーズ家に貢献して尽くして貰うことで、昔のアレコレを上回る働きを以て、わたくしは許しの方向へ思考を向ける」ように致します。

 この決断へのわたくしの想い。

 貴方には伝わりますわね?


 流れ込んでくるミシュラの考えと気持ち。

 ラックは自然に流れ落ちる涙を頬に感じながら、黙って妻を抱きしめた。

 孤独な超能力者の最大の理解者となり得るのは、やはり長年連れ添って来た彼女しかいない。

 それを改めて思い知った瞬間でもあった。


 こうして、ラックは夫婦の危機を一つ乗り越え、早朝から寝室へ向かって久々に絆を更に深めた。

 仮に、他者から、「戦争そっちのけで、一体何をやってるんだ」という、至極ごもっともなツッコミがあったとしても、そんなものは些細なことなのだった。


 事後に、「じゃあコレ、必要なかったね」と、大きな宝石やアクセサリーの類を売り飛ばす方向に思考を切り替え、引っ込めようとしたゴーズ領の領主様。ニッコリ笑顔の正妻に片付けようとした手を素早く掴まれ、それを黙って阻止された超能力者。「こういうところは、ミシュラも普通の女性なんだな」と、わからされてしまったラックなのであった。

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