72話
「『北大陸に送り込んだはずの兵の約半数が、国内に戻っている』だと?」
スティキー皇国の皇帝は、補佐官からの理解し難い報告に驚いていた。
彼は兵を出す命令はしたが、帰還命令など出してはいないのだから、それは当然ではある。
実のところ、報告者の補佐官も、上がって来ている報告書に記載された信じられない内容の羅列に驚くしかない。
けれども、手元にそれが来ている以上は、事実として皇帝に報告するしかないのであった。
「はい。詳細を報告します。本日の未明、国内にある全ての航空基地の滑走路上において、負傷して呻き声を上げて倒れている兵士が多数発見されました。かなりの数の士官も混じっています。一つの基地に付き二千二百名前後。全員が打撲、骨折などの負傷兵。死者は今のところ出ていませんが、重篤な状態の者は百名ほどいるようです。発見された総数は二万を少し超える数。所属は、全員が北大陸へ出した部隊の者でした。比較的軽傷の者から事情聴取した結果は、『今朝の出撃に備えて就寝中だった。激痛で気づいたらここにいた』という主旨の主張が、大半を占めています」
「それでは北大陸の兵力が半減したということではないか! 負傷しているとなればそいつらをそのまま戻すわけにも行かんだろう。二個師団相当か。追加派兵は可能か?」
皇帝はまず、真っ先に戦争の継続のための人員の手配のことを考えた。
ファーミルス王国での調査で得られた情報からは、当初の目的であった森林資源は、大部分が王国では「魔獣の領域」と呼ばれる超危険地帯となっていて、奪うことが困難であることが判明している。
それだけなら、投入する戦力、戦費に対して得られる予定の成果が見合わないため、撤退を検討するレベルであった。
しかし、北大陸の独自の事情がそれを覆す。
王国はスティキー皇国にとって、喉から手が出るほどに欲しい技術を二つ独占していたのだ。
それは、戦争でその独自技術を奪うことを諦められないほどに、魅力的過ぎた。
森林資源を枯渇させることなく、安価に、しかも大量に、鉄を生産する技術と、「使い捨てではない」という便利な魔道具を生み出す技術。
ファーミルス王国の王家と三つの公爵家が、独占して秘匿しているその二つの技術は、今の皇国の状況ならば、強奪を決断するだけの価値がある。
これまでに派遣した兵力の、半数を無力化された現状でも、皇帝の欲望はまだ消えない。
しかも、「大規模な物資の消失」という、後顧の憂いがある状況も併せ持っているにも拘らず、彼の考えは現在でも戦争継続に傾いていたのである。
「派遣可能な二個師団を新たに編成することは可能です。編成するだけなら三日で準備が整えられます。ですが、即時移送する手段がありません。飛行船の修理が完了するまでは追加派兵は不可能です。修理が完了するのは、突貫作業で行って五日後となります」
補佐官は皇帝の問いに対して答えた。
そして、彼は自身が懸念する部分を皇帝に伝えるのも、補佐の仕事の範疇に含まれるのを理解している。
それが、眼前の最上位者の、不興を買う見解であることも、だ。
「懸念がある部分を、お伝えしてもよろしいでしょうか?」
「何だ? 申してみろ」
「手段が判明していないので、事象からの推測であることをご承知おきください。北大陸にいたはずの兵を二万も皇国内に突如出現させ、逆に、皇国内にあったはずの機体、車両、物資は忽然と姿を消しています。これらはファーミルス王国が何らかの手段で行ったことではないでしょうか? もし、それが事実であるのならば、『その手段は他の用途にも、用いることが可能だ』と考えます」
皇帝にとって補佐官の発言は、衝撃的且つ、不快極まりない内容となった。
しかしながら、補佐官にとって幸いなことに、最高権力者は無能ではなかった。
不快感で判断力が鈍るような、愚物でもない。
スティキー皇国の皇帝は、補佐官からの気に入らない内容の発言に対し、聞く耳を持たず、考察を放棄する行動へと繋げるほど、愚かではなかったのである。
「つまり、事前調査した王国の戦力判定に『誤り』がある。この大陸は『安全』ではない。王国には『直接この地に攻撃をする能力』がある。『そう考えろ』という話なのか?」
「はい。端的に申せばそうなります。事象からの推測であるので、あくまでも可能性のお話にはなりますが」
皇帝は思考の海へと深く沈む。
提示されたのは重大な要素であり、補佐官の推測が正しければ、皇国が圧倒的に不利であることがわかるからだ。
だが、現時点では推測であって、確定ではないのも事実である。
「この戦争は、スティキー皇国を豊かにするためにしていることであって、亡国への道を走る行為ではない。手を出してしまったのはこちらが先だ。状況が確定で判明するまでは、或いは、更にこの国に不利な情報が出るまでは判断を保留とする。今は続行だ。兵器の補充、派遣する師団の手配、補給物資の準備と、飛行船の修理を急がせろ」
ラックの行った、拉致からの兵士放り出し攻撃。
それは、遥か遠く南大陸にいる皇帝たちに、こうした大きな影響を与えたのであった。
では、超能力者が拉致を行った犯行現場は?
一体どうなっているのか?
一言で言えば、「大混乱の極み」である。
尚、時系列的には冒頭からの南大陸内での部分より、半日ほど前。
現地の混迷は、同日の早朝の話となる。
攻撃に使用される予定であった機体は、前線基地の駐機場にて、万全の状態で朝を迎えた。
しかしながら、飛行機は無人で出撃することなどできはしない。
ラックが粛々と深夜に行った拉致の被害者には、飛行機を操縦する技能を持つ者が、なんと一人も余さず、全員含まれていた。
厳密に言えば、「操縦を齧ったことはあるが、技量が低すぎて『操縦者としての適性なし』と判定された兵」は、少数ながら前線基地に残されている。
けれど、そんな人材を操縦士として活用するわけにはいかない。
静かなる襲撃者である超能力の行使者は、「待遇が一般兵より良い」と判断できる者を、優先的に狙った。
具体的には、基地内に個室を与えられている人材などを対象とし、寝ていた者は全て連れ去っている。
そこには、指揮をとる階級の人間も多く含まれていたのだ。
要するに、前線に築かれた皇国の航空基地は、簡単に言えば「身動きのとれない状態」に追い込まれた。
機体はあれども、操縦者不在。
エアカバーなく地上戦力のみを出すのは、スティキー皇国の過去の戦訓の見地からすると、言語道断な自殺行為。
しかも、兵士の数も半減している。
士官、将官クラスが軒並み消えて、残された少数の士官、下士官に過大な負担が掛かり、命令系統もグチャグチャ。
スティキー皇国の前線基地は、予定されていた本日の作戦を、実施するどころではなくなっていた。
未明の少し前から、「大規模脱走事件の発生か?」と、大騒動になっていたのだから。
「えーと。まぁ予定通りのことをできる範囲でしてきた。さっき視た状態だと前線基地が今日、攻撃の戦力を出すことはないと思う。万一やれても、対象はこっちじゃないしね。盗み出した物資は何もないから、特に他に伝えることはないよ」
ラックは、空が白みだす前には撤収を終えていた。
超能力者は、浴室で軽く汗を流した後、ミシュラが起き出してくるの待つついでに、千里眼を行使して前線基地の様子を監視しつつ、軽食もとる。
そうしたところに、朝の挨拶と共に相変わらずの美しい容姿の妻が現れ、彼女の夫の発した言葉が前述のものとなる。
「そうですか。では、何かあれば起こしますから、もうお休みになってください。だいぶお疲れの顔に見えますわよ」
「うん。そうさせて貰うね。王都から来る検分の人員の相手は任せるよ」
ラックは今日も孤独に寝室へと向かう。
疲れているのは事実だが、男性特有の生理現象で、滾っているモノがあったりはする。
だがしかし、だ。
妻には妻の日中の仕事がある。
夫側だけの都合で、朝から寝室に引っ張り込むわけにもいかない。
ミシュラはロディアと交代で、夜間に夜泣きする赤子の世話をも負担しているのである。
ファーミルス王国のこの状況で、ゴーズ家で大変なのは超能力者だけではない。
そんなことを自身へ言い聞かせるようにしながら、不満は敵にぶつける方向へと思考を切り替えて行く。
それは敵からすれば理不尽な、単なる八つ当たりでしかない。
なんなら、その対象となる存在が若干気の毒になるまである。
もっとも、戦争中の敵であるから「問題ない」と言えば、ないのだけれども。
そうして、ラックは眠りに就く。
夕闇が落ちれば、三度目の出撃が待っているのだから。
少なくとも、この時点においてはそのような予定となっていた。
リティシアは、ガンダ村で早朝から十五機の機動騎士の出立に立ち会っていた。
昨日、トランザ村で受け渡しが行なわれた機体は、稼働に問題がないかのテストも兼ねて、受領した操縦者と共にガンダ村へと移動していた。
先行してやって来た一人の検分の文官と同じで、「トランザ村で一晩過ごさせるわけにはいかない」という理由もあったからだ。
移動を兼ねたテストは問題なく終わり、翌朝を迎えて王都への移動を開始する。
彼らは、本日王都に戻る予定の、簡易の検分を終えている文官も一緒に連れて行くことは可能であるはずである。
しかし、気を利かせてゴーズ家がそれを提案してみれば、それは双方から拒絶された。
片や「受けた仕事に含まれていない」と言い、もう片方は、「帰りの予定はきちんと別で手配されている」と主張したのだ。
夕食時にそれを聞かされたリティシアからすれば、「急ぎの案件のわりには、ずいぶんのんびりした話だな」と思ったが、だからと言って、それで彼女に何かが起こるわけでもなかった。
そんな昨夜からの事柄をつらつらと思い浮かべつつ、「あれらの機体は、無事に全てゴーズ家へ返ってくるのだろうか?」と、漠然と考えながら、速度を上げて行く機体をゴーズ家の第三夫人は見送るのだった。
一日が過ぎて行く。
ミシュラのいるトランザ村には、ラックが一昨日の夜に盗み出した品々の本格的な検分を行う文官と技術者の団体が到着した。
彼らは本日も含めて明日明後日の詳細な検分を行い、三日後の朝に出立する予定となっている。
勿論、彼らの夜間の滞在先は、エルガイ村の屋敷だ。
そんなこんなのなんやかんやで、日中の時が過ぎれば、ゴーズ家が参戦して二度目の夕食タイムへ突入する。
ゴーズ家の当主は、やる気に満ちていた。
原因は八つ当たりだけれど。
「前線基地は、いろいろ言い合いはしているけれど、肝心な方針が決まらないみたいだね。議事録も視れたけど、そこからわかったのは、『南大陸との情報の断絶が継続中なのと、基地内に操縦士がいない』ってことくらいだ」
「そうか。やはり操縦士なら一般兵より待遇が良いだろうからな。上から拉致って貰ったのは正解だったようだな」
「フランの考えはまたもや的中ですか。軍の参謀の道へ進んでも、十分務まりそうですね」
ラックの発言は、情報遮断と飛行機の操縦士の拉致に成功していることを示している。
フランは拉致対象の内訳の結果について総括し、ミシュラは第二夫人が立案した作戦の優秀さを褒めた。
「空からの攻撃手段を奪っているなら、当面の危険はなさそうだな。一つ疑問に思うのだが、この戦争はどうなったら終わるんだ? ラックは南大陸の人間を根絶やしにして終わらせるわけじゃないだろう?」
リティシアが素朴な疑問だが、核心的な問題へと切り込む。
「そこは問題だな。ファーミルス王国は南大陸に攻め込む手段を持っていない。ラックに依存して、『攻撃は皇国を攻め滅ぼすまでゴーズ上級侯爵に全てを任せる』とか言い出せば話は別だが。この国の上層部との、落としどころの話を先に詰めておくべきじゃないだろうか?」
普段は聞きに徹することが多いエレーヌも、珍しく意見を述べた。
「うーん。南大陸を見渡して気づいたんだけどね。森、林。要するに森林資源がほとんどなかった。鉄の生産用の高炉と思われる設備の付近には木炭と考えられるものがあったのを確認している。つまりあっちの大陸の文明は、『森林資源の枯渇』って危機に陥っているのだと思う。そうなっていれば、是が非でもこの国の鉄の技術が欲しいよね」
ラックの発言の後、妻たちの知恵は懐柔案で二つと、攻め滅ぼす案とが出た。
ちなみに、懐柔案は鉄や魔道具を輸出し、実質的に属国化するわけだが、「搾り取る線を何処に引くか?」で、意見が二つに分かれたのである。
「こちらからの報告が一件。まだ検分が終了していませんが、精査検分中の文官の態度や言動に不穏なものがあります。ファーミルス王国は、ゴーズ家の資産である戦利品を奪おうとする可能性を感じました」
「えーっと。この場合って、何かそれを正当化する法みたいのあるんだっけ?」
「国が編成した軍での成果物の場合は、個々ではなく全体の戦利品の扱いになるため、『一旦、全量が軍の所有に切り替わった後で分配』という形になる。だが、ゴーズ家は戦争に参加は表明したが、招集編成された軍に参加せず、独立戦力として戦った成果だ。なので、その法を振りかざすのは無理だ。けれどな。車両はともかく、『飛行機』が不味い。あれは『それを捻じ曲げてでも』と、なりかねない代物だ」
フランが難しい表情になり、はっきりとそう告げる。
「国の横暴で、またしても『僕の資産を盗もう』ってか? 今回は、それはちょっと許せないな。確定する前に釘をさしておくべきだろうか?」
ラックの言葉を聞いていた、四人の妻の全員が、「それ、元はと言えば、『貴方が“盗んできた”品物』なのだけれど」と、考えてしまったことは、単なる偶然の一致で、些細なことである。
勿論、誰もそれを言葉にして口にすることはなかった。
こうして、ラックは今夜の前線基地への攻撃を保留とし、この後、北部辺境伯と話し合ってみることを決めた。
所謂、「お義父さんの知恵にも頼ろう」作戦である。
結果的に、この夜は攻撃をすることがなくなるゴーズ領の領主様。敵の前線基地は、「今夜も兵士の消失事件が起こってはかなわん」と、夜を徹しての厳戒態勢であるのを、千里眼で視るだけで終えた超能力者。攻撃せずに放置していても、敵を激しく疲弊させるラックなのであった。




