7話
「『フランを第二夫人でも妾でも良いから、ゴーズ家に嫁がせたい』だって?」
ラックは、ミシュラの書いたメモ書きを千里眼で視ていて、驚きから思わず口に出して内容を読み上げてしまった。
北部辺境伯であるシス家が、“ラック相手にフランを第一夫人で嫁がせたい”という話と、寄親寄子の話はセットであったはずであり、それは既に断っている。
辺境伯側のフランも領地間の距離の問題や、ミシュラが正妻で既に迎えられていることと、カストル公爵家の体面の問題を考慮すれば“それは当然でしょう”と、受け入れて話が済んでいるはずである。
「一体、何が起こったんだ?」
ミシュラのメモ書きは書き続けられる。
シス家の方針に変更があった。
当初の“可能であれば縁を結びたい。だが、ゴーズ家の返答次第では諦める”という方針を変更して取り消し。
現在の方針は“必ず縁を結ぶ。条件に付いて話し合いたい”となっている。
ラックは状況を理解した。
現状のゴーズ領は、北部辺境伯領を通過して来る行商人に物資を依存している部分が大きい。
それ以外からの行商人が全くいないわけではないが、比率としては北部辺境伯領経由のルートがなくなったら困るレベルにはなる。
シス家と完全に敵対して、“ゴーズ領へ行く行商人は通すな!”とかされでもしたら、非常に困ることになるのだ。
なんでもかんでもテレポートで輸送することに頼っては、ラックが不在になったら即領地として詰んでしまう。
しかしながら、逆に言えば、「超能力者がテレポートで物資の供給を行うことができるうちは、最悪の事態が発生してシス家と敵対関係になっても、当面破綻することなくゴーズ領の運営が続けられる」という話でもある。
「うーん。僕は別に『新しい嫁が欲しい』とかないし、寧ろ『要らない』まである。しかも、フランさんはゴーズ家にシス家が送り込むスパイって面は絶対あるよな。『“縁を結べた”とシス家が誤解でも誤認でも、この際してくれさえすれば良いから』ってまで考えの範囲を広げても、婚姻以外で今のゴーズ領で受けることができる条件はあるのか?」
聞いている人間がいないから良いようなものの、思いっきりヤバイ内容の独り言で自問を口に出しているラックである。
そして、そのような都合の良い、ゴーズ家から提案できる条件。
それは、ひょっとしたらあるのかもしれないが、残念ながら今の彼では思いつかない。
更に悪いことに、ミシュラのメモから下級機動騎士の整備をタダで受けてしまったことを知る。
それについては、「フランを送り届けた対価だ」という話にはなっている。
けれども、領主の立場の気持ちとしては「シス家に借りを作った」と言える状況だ。
「うわー。やばい。これ僕詰んでる? フランさんを嫁にするしかない? そりゃあ政略結婚で好きでもない相手と結婚とかあるんだろうけど。彼女だって僕を好きかどうか? ないな。ない。どう考えても家のためだよな。ミシュラもゴーズ領のことを考えての決断をするよね? 僕が求め過ぎて相手をするのが少々辛いから、“一人増やそう”とかそういう理由じゃないよね?」
更にヤバイ内容まで口走っている。
ミシュラが行為自体は嫌いではなく、寧ろ「好き」とまで言えると思っていることは知っているが、同時に「身体的にはちょっとしんどいかも?」と思っていることも知っているラックだ。
若さからの衝動が抑えきれないから、その方面は仕方がないのだけれど。
ヤバイ発言駄々洩れだったけど、誰もいなくて良かったね!
そうこうしているうちに、ミシュラの考えが書き記された。
“断ることができないと考えて、なるべく良い条件で纏めます”と。
彼女は、魔力量が少なかったことで嫁ぎ先がラックになったが、教育自体は公爵令嬢として恥ずかしくないレベルの物を受けており、それをきちんと身に着けている。
但し、老獪の域に達するには実務経験がまだ足りていないため、至らぬ部分がないわけでもないけれど。
そうした正妻の持つ実力と資質、努力の結果を、ラックは理解していた。
そのため、今は彼女の判断に委ねても良い。
カストル家の当主は、万一嫁ぎ先が変更になった場合でも困らないように、ミシュラに対してその部分の教育はしっかりと行っていたのだ。
それが、娘への愛情から来るものではなかったとしても。
バランス的には、縁があるから辺境伯側からちょっとしたお願いはし易い。
でも無茶なお願いとか、強制でなんでもかんでも断れないようにとまでは行かない。
そんな微妙な匙加減の距離感が求められる。
要は“仲の良い隣人程度で行こう!”なお話。
将来的に、クーガがゴーズ家を継ぐことに問題が出る事態を、今の段階で予め完全に潰しておくのは必須だ。
ゴーズ夫妻の実家の両公爵、すなわち、テニューズ家とカストル家には、北部辺境伯であるシス家から“下手に出て”纏まった条件を連絡して貰う。
ミシュラが考えたことはそのあたりであった。
貴族家としての力関係は、シス家がゴーズ家を上回っている。が、“ゴーズ騎士爵夫妻の実家の体面を尊重していますよ! だから仲良くしましょうね!”と関係者以外が認識する状況に持って行く。
そうすれば、少なくともカストル家の体面は保たれ、ミシュラの父からの横槍はないであろう。
もっとも、実際はシス家が無理やりゴーズ家に婚姻や寄親寄子の関係を迫ったとしても、「もう独立してる家のことだから」と放置される可能性もあり得るのだけれど。
ミシュラが考えたアレコレの中で、一番悩むのはラックの心情だった。
利害関係が計算できる知性を、彼女の夫は所持している。だが、嬉々として自分以外の女性を受け入れる夫ではないことも重々知っている。
もしそうでなければ、既に愛妾の一人や二人いてもおかしくはないのだ。
後継者の男子はもう授かっているのだから。
しかし、彼女の愛する夫には、現時点で他の女の影が微塵もないのである。
誰にも明かしたことのない夫だけが持つ能力を、ミシュラだけに最初に明かしたという事実は大きい。
当人からすれば、“超能力を持っていることを明かせば、人外のバケモノと認識が改められ、離婚も含めた距離の置かれ方をする可能性がそれなりにあった”と思っていたはずなのだ。
接触テレパスでミシュラの心情を読み取り、事前に“そうなる可能性がどの程度か?”を調べてはいただろうけれど、それでも完全な自信があったはずがない。
ミシュラの知る、ラックという夫はそのような人間であり、だからこそ、夫が自身のアレコレへの覗きをしていることに気づいても、放置していたのである。
彼女の夫は、彼女以外の女性に対して、そのような行為をしてはいなかったのだから。
おそらくは夫もミシュラ自身も、家族からの扱いが同じ家にいた兄弟姉妹と比べて全く違っていたことで、“激しく歪んでしまっているのだろう”と彼女は思っている。
お互いにお互いを必要とし、依存する関係。
ラックがミシュラの浅ましさを受け入れた日、あの日の夜、ミシュラの打算が恋に変わった時からそれはもう変わることがなかったモノ。
そこへ、“異物を入れよう”という話をラックがどう受け止めるのか?
そのような話を妻として受け入れる考えを持つミシュラへ向ける、ラックの心情にどのような変化が起こるのか?
“大丈夫だ”という自信はある。が、夫が望まない無理を強いることも事実である。
故に、彼女はゴーズ領に帰ってから“言葉ではなく本心を読み取って貰って伝えよう”と心に決める。
接触テレパスに隠し事はできない。
このような時は、嘘偽りなく本心を伝えられる便利な能力だと感謝したくなるミシュラなのだった。
もっとも、ラックの側のそれを自身は知ることができない不公平さに、少しばかり不満はあるのだけれど。
そんなこんなのなんやかんやで、フランがゴーズ家に嫁ぐと決まった時の、条件の調整についての裏側には“ラックとミシュラの心の葛藤があった”という話である。
ゴーズ領で歓迎会が終わったその日の夜。
フランは独りの夜を過ごしていた。
彼女は身の回りの世話をする従者やメイドをシス家から連れて来ることなく、ゴーズ領に一人でやって来た。
そのため、領主の館に自室を与えられても、初日から落ち着くことはなかった。
本来は初夜を迎える状況となってもおかしくはない夜なのだが、「領主である夫の許可を事前に得ることなく話を纏めてしまったから、一晩二人の時間が欲しい」と正妻のミシュラに言われてしまえば、彼女はそれを受け入れるしかない。
そして、明日からは「確定ではないが」と前置きはあったものの、武器の扱いの指導をする仕事を任される可能性が高いことはラックから話があった。
その点には“もう人材を確保しているのか!”という驚きがありつつも、自身に個別でやれる仕事があるのは素直に嬉しい。
急転直下の現状では、”手持無沙汰でじっと部屋にいるだけになれば辛いだろう”という予測は容易についてしまうからだ。
全ては明日からのこと。
そこまで考えた時、今日一日の疲労から瞼が落ちてしまったフランなのだった。
同じ夜、ミシュラはラックと共に時を過ごしていた。
言葉も交わすが、接触テレパスでの本心を伝える行為が、夫の心に平穏と妻への思いを更に熱くさせる事態を同時にもたらした。
ラックもミシュラも「フランはあくまで政略結婚の相手。割り切った関係で接しよう」という話で合意したのである。
そして、ここではあまり関係ないことではあるのだが、接触テレパスは行為を行う時に使用するとゴニョゴニョだったりする。
故に、彼女は行為自体が好きであり、“新たに迎えた第二夫人にもこれが与えられるのか?”と思うと、“独占ではなくなる”という寂しさもちょっとあったりする。
接触テレパスに隠し事はできない。
そんな“悪用?”なのだった。爆発しろ!
歓迎会の翌日。
ラックは子供たちの魔力量検査が終わった後、彼女らのことをミシュラとフランに任せた。
近く、領の境界の関所で働いて貰うつもりであるので、色々な知識を教え、早急に知識と技術を吸収させる必要があるのだ。
残念ながら、それはラックの超能力で解決できることではない。
そして、もっと残念なことに、彼には他人にものを教えるという適性というか、才能というかが、壊滅的になかった。
孤独と漫画を友として育った代償であるのだから、それは仕方がないことではあるのかもしれないが。
十五人の子供たち。
昨夜はラックの家に全員寝る場所をなんとか確保したが、領主の館の規模からすると現状のままでは手狭である。
別の場所に住まわせるという選択もあるのだろうが、彼女たちに任せたい予定の仕事が仕事だけに、できれば手元に置いて管理したいところだ。
なので、領主としての考えは増改築一択である。
領主の館の庭を少し潰して建て増しをし、上に伸ばす増築と地下室の造成。
村民の家の建築や、水路や防壁の工事を延々と行った過去の経験がここで生きる。
彼が一日の時間を掛けて、あっさりと増改築は終了した。
超能力は便利過ぎる!
庭には、ミシュラ用の下級機動騎士の格納庫と、フランが持ち込んだスーツの保管庫も設置した。
但し、スーツは自室に置きたいと彼女が考える可能性もあるので、そこは後から話し合って保管庫を使うかどうかを決定すれば良い。
一日の訓練を終えて戻って来た十七人が、全員驚いて絶句していたのは些細なことなのだった。
そうして迎えたフランとの初夜。ラックは心の中で「ごめんね」と言いながら彼女に催眠暗示を掛ける。
彼女は、おそらくはそういったものに対する訓練を受けており、耐性があったのは事実なのだろう。が、接触テレパスで耐性の弱い所を調べ、そこからじっくり剥がすように攻めて、暗示を丁寧に深く掛ける超能力者の手法に抗うことは限りなく不可能に近い。
フランは陥落し、ラックの超能力を見ても“それをシス家に報告しなければならないことだ”と認識はできなくなったのである。
ちなみに、子供たち十五人にも催眠暗示は既に終了している。
いずれは漏洩する秘密なのは理解しているし、その時を迎える覚悟もラックにはある。
だが、できうる限りその時を遅らせたい。
ゴーズ家の当主である超能力者は、自衛のための労力を惜しむ気はなかった。
それはそれとして、その夜のラックは義務は義務できちんと果たした。
フランもそうであった。
事前に「初めては辛い」と聞いていた彼女は、色々と覚悟していたのだが、行為が終了した後、「あれは嘘だったのか?」と誤認したのは些細なことである。
超能力者以外に、接触テレパスとヒーリングを使いながら行為に及ぶ人間は存在しない。
離縁して別の男性に嫁ぐか、浮気でもしない限り、夫の特殊性に彼女が気づくことは一生ないけれども。
訓練が始まったことで、ゴーズ家は最終的には彼女たちに必要な魔道具を揃えなければならない。
それにはお金が必要であり、それは今直ぐポンと出せる金額ではない。
だが、「用意するのが不可能か?」と言われるとそれは違う。
超能力を用いて、当主が魔獣の領域で狩りをして販売用の素材を確保すれば良い話なのだ。
魔獣なら、いくら狩ろうが誰からも文句は出ない。
装備の購入資金を稼ぎ出すために、ラックは連日、魔獣の領域へ通うことになるのだった。
そんな話でお金のことをミシュラと寝物語で始めた時、夫は妻からちょっと呆れた目で見られてしまった。
ゴーズ家の正妻の知識によると、騎士爵や準男爵はそういった装備を現金一括払いで買うことはまずない。
例外となるのは上位の貴族から買い与えられる場合ぐらい。
通常は店に対する借金で、それも没落で不払いに終わるリスクを店側が負う。
だからこそ「『店との力関係が』という話を前に説明しましたよね?」と言われてしまうと、聞いたような気がしなくもないがはっきりとは覚えていないラックである。
販売する側に貸し倒れリスクがあるため、利幅が大き目に設定されている。
それ故に値段が高くなり一括で買うのが難しい。
一般的に、騎士爵や準男爵が高額の品を買い求めると、そんな悪循環な話となってしまう。
「わたくしたちがニコニコ顔で応対されたのは、前金を支払って残債もスーツ引き渡し時の一括払いの契約だったからですよ。結果は散々でしたけれどね」
そこまで言われてしまうと、ラックとしては覚えていなかったことが申し訳なくなってくる。が、ミシュラの夫は今の話も多分忘れてしまう自信があったりもする。
全く困ったもんである。
こうして、ラックは現金を用意する算段に追われると同時に、関所を設置するまでの間、領内の千里眼による監視の仕事で忙しい日々を送ることになった。
子供たちから「この国風の新しい名前が欲しい」と、笑顔で希望されてしまったゴーズ領の領主様。「僕が十五人分の女の子の名前考えるのかよ?」と、茫然となる超能力者。責任重大な予想外の追加のお仕事に、頭が痛くなってきたラックなのであった。