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68話

「『南部辺境伯の領都が焼け落ちた』だと?」


 北部辺境伯は、立て続けの急報に驚くばかりだった。

 半日前には、「『スティキー皇国』を自称する国と、戦争状態に突入する」という情報が、王都より届いた。

 未だ王都からの出撃命令も招集命令も出されてはいない。

 だが、北部辺境伯領は既に戦時体制に移行している。

 戦争には即応力が何よりも大切だからだ。


 シス家の当主は、此度の戦争で“空を飛ぶ相手”との戦闘となるのを、前以て予想していた。

 また、単なる勘からではあるが、それが「厳しい戦いとなる」のを予感はしていた。

 だが、たかが半日で、「南部辺境伯が防備を固めているはずの本拠地が、落とされるまでの事態」は、完全に想定外である。

 何故なら、辺境伯という役目は、外敵からの襲撃を常に想定に入れている立場であるからだ。

 もっとも、彼の地での想定する相手は、海から這い上がって来る魔獣がメインのはずではあるけれど。


 防衛戦力は、南部地域に比べれば北部地域のほうが充実している。

 北部は魔獣の領域が近い以上、それは当然のことだ。

 けれども、「南部辺境伯の領都に対して、短時間でそこまでの被害を与えられる攻撃が、可能な相手と戦うのだ」となれば、北部辺境伯は「最悪だと、手持ちの戦力では負けるかもしれない」と考えざるを得ない。

 加えて、シス家の当主は、更に戦慄すべき事実に思い至った。

 それは、「この戦争の相手には、『戦力の集中を以て相対することが不可能』なのではないか?」という点だ。


 敵が使用する空は、移動経路を限定されない。

 しかも、現時点では、敵の出発地さえ定かではないのだ。

 その上、相手は襲撃する時と場所を自由に選ぶことができる。

 防衛戦となれば、襲撃場所を事前に特定できない限り、戦力を集中して待ち受けるのは不可能。

 そんなことは明白である。

 となると、複数箇所を守るには、戦力を分散配置する必要が出てきてしまう。

 仮に、何処かに戦力を集中させる選択をすれば、即ちそれは無防備な場所を作り出すことになるのだ。

 これは、「貴族が義務を放棄するのと同義」となってしまう。


「機動騎士はどうなったのだ? 破壊されたのか? 他にも知っていることがあれば、全て話して欲しい」


 王都からの伝令が持ってきた書簡の内容は、「南部辺境伯領の領都が、焼かれて壊滅した」としか書かれていなかった。

 辺境伯領の人的被害や、味方の戦力的な被害。

 それらに加えて、敵の戦力に与えた損害。

 そういった、今後に向けた判断に必要な情報がない。


 北部辺境伯が判断材料にしたい、喉から手が出るほどに欲しい情報。

 それが、何も記載されてはいなかったのだ。

 勿論、敵の航空機の性能や戦術の情報だってないのである。


「すみません。他にはこれといった情報は。あっ! 伝聞でよろしければ。『王都に南部の情報を持ち込んだのは、最上級機動騎士一機』だそうです。それと、『宰相が全軍の招集命令を出す準備に入った』とも聞きました」


「『全軍』か。こちらから宰相殿へ伝令を出すとしよう。『招集で戦力を引き抜かれた場所の防衛はどうなるのか?』とな。情報に感謝する」


 伝令を下がらせ、北部辺境伯は王都へ走らせる人員の手配を命じた。

 そうして、預けるための書簡を作成しつつ、彼は思考の海へと沈む。


 シス家の当主が知っている南部辺境伯は、領内の戦力として最上級機動騎士が三機、上級が三機、中級が八機、下級が二十機を所持していたはずだ。

 だが、これらの全てが領都に集中していたわけではない。

 そのことを北部辺境伯は理解している。


 おそらくは「領都に、南部辺境伯自身と、家族の機体である最上級の三機、それ以外では上級一機、中級二機、下級五機程度が常駐戦力として置かれていた」と思われるのだ。

 それに加えて、固定式の大砲も十門から二十門はあったであろう。

 しかし、「それだけの戦力で、防衛が成功しないほど、敵の戦力が叩きつけられたこと」は、結果が証明している。


 大砲は地上目標を撃つ目的で設置されている。

 そのため、「空から来る敵に、有効な攻撃はできていない」と考えるべきであろう。

 となれば、初期は最大でも十一機の機動騎士の火力で防衛を行ったはずだ。

 勿論、時間の経過に伴って、「近隣に配備されていた機体が、応援に駆け付けた可能性」はあるが。


 そこまで考えていたところに、ラックが訪れた証であるベルの音が鳴り響いた。

 北部辺境伯は、「ちょうど良い。可能であれば、南部辺境伯領の現状を見るために連れて行って貰おう」と、あっさりと思考を切り替える。

 彼は、書き上げた書簡を渡した後、超能力者が待つ隠し部屋へいそいそと向かうのだった。




「相談に来ました。もう南部の領都の話はご存知ですよね?」


 ラックは、単刀直入に切り出した。


「ああ。『可能であれば、現場を見に連れて行って貰いたい』と思っていたところだ。だが、その前に。私が知っていないと思えることで、婿殿が知っている情報が欲しい」


 そうして、ラックは「南方にある大陸の国が仕掛けて来た、侵略戦争が開始された」と思われることと、「この大陸の南東の海岸線付近に、『敵の前線基地と考えてよい軍事施設』が、建設されている」という事実を語った。

 ついでに、その基地に配備されている人員規模や、兵器の数や種類についても、大雑把に説明して行く。


「ふむ。それほどか。だが、その基地だけなら場所が確定しておれば、機動騎士を差し向ければ対処できそうだ。『問題なく近づくことができれば』だがな」


「一つ気になることが。今回、私の方で、その基地の動向には注意を払っていたのです。ですが、南部辺境伯の領地を襲ったと考えられる数は、そこから出てはいません。南方へ向かって二機ほどは出ましたが、それだけです。但し、それとは別で百ほどの数の航空機が一気に到着した時があります。時系列的に、『それらが南部を襲撃して、基地へと飛来したのではないか?』と。もしそうであるなら、『襲撃部隊の出発地は、敵の本国』になります」


 北部辺境伯はラックの話を聞いたあと、僅かな時間だが考え込んで間を置いた。

 そして、決断した表情で言葉を紡いだ。


「それはまずいな。前線基地を潰しても攻撃される可能性があるわけか。ところで婿殿、ここまでの話で私は、『婿殿が、テレポート以外に私に知らされていない能力を持っているのだな』と、確信するに至った。最初は、『それらの情報は、現地へ行って見て来たのだ』と思っていたが、それでは辻褄が合わない。そのように感じてな。そこの部分の秘密は、開示して貰えないのか?」


 ラックは、自身の持つ能力の全てを、他者に打ち明けるつもりはない。

 もし、それをしてしまうと、「人対人の関係を保てなくなる」と考えているからだ。

 唯一の例外はミシュラだが、彼女ですらも、夫が持つ超能力の知らない部分は“ある”のである。

 但し、そこは「必要がないから態々教えていないだけ」という部分ではあるのだけれど。


 それはそれとして、今目の前にいるのは、なんらかの秘密があることに気づいている相手で、尚且つ気づいたことをラックに知らせる“誠実さ”を持つ相手。

 そのような人物に対して、気づかれた部分を開示しないのは失礼に当たるし、今後の信頼関係にも影響が出るのは必至である。

 つまるところ、「少しばかり、腹を括る必要が生じた」と言える。


「お義父さん。さすがですね。前提を先にお伝えしておきます。僕は人間です。ちょっと他人とは違う能力を持ってはいます。けれども、感じること、考えることは人の範疇から飛び出る存在ではありませんし、そのような存在になりたいとも思いません」


 ラックは一旦言葉を切って、フランを娶ったことで「お義父さん」と呼ぶ存在になった人物の全てを観察する。

 北部辺境伯の態度に変化はない。

 そうである以上、超能力者の覚悟の段階は、少しだけ上がる。


「能力の名称で言うと『千里眼』です。狭い意味では『透視』とも言います。そのような言葉が、能力を表すのに相応しいものとなっていて、『概ね字面からある程度、力の内容が理解されるようなものだ』と考えています。要は、この場から遠くを視ることができる。そんな能力を僕は持っています」


「やはりな。負担をかけてすまんな。私は、『婿殿を人外として恐れることも、そう扱うことも絶対にしない』と誓う。勿論、一切他言することもない。もし、『この誓いが破られた』と感じた時は、この身を如何様(いかように)にしてくれても構わんぞ。これが、私の誠意と覚悟だ」


 ラックから見てシス家の現当主とは、「ある時点以降から、ずっと信頼に値する人物」だった。

 テレポートの能力を打ち明ける前の時点で、彼の心中にも“直接”触れている。

 それに加えて、この場でのやり取りで、更にその信頼は強化されたのであった。


 尚、「孫娘のルイザに会うのに、便利に力を利用させて貰うこともあるだろう。だが、そこは許してくれよ?」と、最後にしっかりと付け加えられたのは、彼ら二人だけの秘密である。


 そんな流れで、ラックはテレポートを敢行した。

 まず最初は、スティキー皇国がある南大陸の、首都と思われる最大の都市を一望できる場所へ。

 勿論、北部辺境伯を連れてだ。


 ラックがそうした理由。

 それは、「お義父さんに敵国の実態を感じて貰うには、それが一番だ」と判断したからだ。

 続いて、二人は築き上げられた前線基地が一望できる場所へ、と飛ぶ。

 最後は南部辺境伯領の領都の現状を確認して終了だ。


 じっくり、たっぷり、舐るように。

 そこまでは行かない。

 だが、それでも。

 シス家の当主は、現場の生の情報を両の眼で十分に確認することができた。


 本来であれば、聞き取りか書簡でしか得られない情報。

 それも、伝達速度を加味して考えれば、従来では考えられないほどに精度と鮮度が違う。

 もっと言えば、「ファーミルス王国の技術では到達できない南大陸にも、辺境伯は足を踏み入れて来た」のである。


 これらのことが、如何に価値があるのか?


 北部辺境伯は、そこを十分過ぎるほどに理解していた。


「敵の航空機の航続距離。この点が重要だ。断定できるほどの確度ではないが、おそらく、『本国からファーミルス王国の北部へ、直接至ることができない』のではないだろうか? もし、そうでなければ、南部を襲ったと考えられる部隊の事後の行動の説明がつかぬし、リスクを冒して、前線基地を建設した意味がない。どう思う?」


「賛成です。往復約三千キロが、無補給で不可能ではない。けれど、大して余裕があるわけでもない。航続距離の性能は、四千キロあたりと考えられます。つまり、前線基地を叩けば、私たちの北部地域の領地は当面の安全が確保できますね」


 この時点で二人が正解を知ることはないが、この推測は的を射ていた。


 スティキー皇国の航空機で爆撃に使用されるタイプは、「胴体に爆弾を積み込んだ状態で、増槽なしなら航続距離二千六百キロ。翼下増槽を使用すれば、四千二百キロ」という性能なのである。

 勿論、これはカタログスペックであるから、気流状況と操縦や速度の質で数字は変動する。

 現実的に安全に運用できるのは、三千五百~三千八百キロあたりまでが限界であろう。


 北部辺境伯の領都は、今回襲撃された南部の領都からは二千キロを余裕で超える距離を間に挟んでいる。

 ラックの領地ならば、更にその先となるのだ。

 つまり、皇国側に燃料切れでの墜落覚悟の攻撃でもされない限り、「現在の性能のままなら、南大陸からの直接攻撃はまずない」と、考えても良いのが実態だったりするのである。


 先行して前線基地が作られ、十分な物資と人員の輸送が完了するまで皇国が派手に動くことがなかった理由。

 それが、機体の航続距離にあるのだった。


 ちなみに、戦車や車両を含む物資輸送には、貨物用飛行機以外にも大型の硬式飛行船が使用されている。

 寧ろ飛行場の整備が終わるまでは、発着に整備済み滑走路を必要としない飛行船の有用性が高かった。

 文字通り独壇場であったのだ。


 飛行船の運用は、飛行機に比べ、速度や高度に制限が大きくなってしまう。

 そのため、発見されにくい夜間のみの限定運用とされた。

 そうした運用方法が徹底されたため、輸送任務で飛行中の飛行船の姿をラックは目撃することができなかった。

 つまり、超能力者がその存在を察知することはなかったのである。


 そんなこんなのなんやかんやで、北部地域を拠点とする上級貴族の二人は、認識の共有を終えた。

 彼らは未だ直接被害を受けていないため、勝手に報復攻撃へと移行するわけには行かない。

 戦場は国内と、旧アイズ聖教国の支配地域内が予想され、入植を始めた人々からのファーミルス王国の軍の侵入と、武力行使の許可も形式上は取り付けねばならない。


 シス家の当主は、「流れの行商人からの、真偽不明の情報」なるものを急遽捏造した。

 これは、「嘘も方便」と言うか、「必要悪」となる。

 何故なら、未だ前線基地の情報を持っていないはずの王都の連中を、動かす必要があるからだ。


 辺境伯は、「形式上の許可を取り付ける」という、たったそれだけのために。

 彼は、「アイズ聖教国の跡地に、スティキー皇国が前線基地を建設済み」という内容を、宰相へ連絡する兵を追加で走らせたのであった。

 王国は過日の苦い経験があるため、真偽不明の情報であっても、可能性があるならば国外での武力行使や、軍の侵入許可の手配が怠られることはない。

 そのはずなのである。


 こうして、ラックと北部辺境伯の有意義に過ごした時間は終わり、打つべき手は打たれた。

 超能力者は、「ひとまずはこれで様子見」と、解散してトランザ村に戻って翌朝を迎えてみれば、「免除されているはずの軍の招集命令が、王都から届けられた」のを知る。

 あり得ないはずの書簡を見た彼は、愕然とするのであるが。


 千里眼での情報収集で、「国ごと隷属? 冗談じゃない!」とは思うけれど、ファーミルス王国の動きとスティキー皇国の動きを把握しきれていないゴーズ領の領主様。「様子見の先送りをしようとしたら、理不尽な戦力抽出命令が来てしまったでござる」としか言いようがない超能力者。「もう面倒だから、前線基地だけ僕が潰して、あとは北で引き籠ってやろうかな?」などと、アブナイ方向に思考が傾きかけたラックなのであった。

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