62話
「『カストル公爵からの要請』だと?」
北部辺境伯は、知らされた内容に驚いていた。
内容自体も驚きだが、カストル家が筋を通す形を踏襲している点にも信じられないものを見た気分にさせられたのだ。
シス家が持つ王都の情報網から、別でもたらされた情報で、カストル家の新妻が殺されかかったことは知っている。
辺境伯が情報共有のために、ゴーズ上級侯爵へそれを知らせるための使者を出したのは昨日のことだ。
そして、「現段階で、カストル家の遣いの者がシス家に到着している」ということは、「昨日のうちに、彼の家でこの内容が決断されている」という事実を示している。
派遣されてきた者を別室で待たせ、シス家の当主は返答をするために考えを纏める作業に入った。
筋を通す形で知らせてきた内容とは何か?
それは、「暗殺されかかった妊婦を、安全な場所に匿いたい」という目的を果たすのに最適な場所として、ゴーズ領トランザ村の領主の館を選んでいることの通達であった。
そしてシス家へは、それに伴って必要な部分へのお願い事となる。
シス家は北部の要であり、ゴーズ家との関係性はいろいろな過去の事情もコミコミで深い。
カストル公爵が態々知らせてきたのは、それが理由の一つではあるだろう。
しかし、本質はやんわりとした助力のおねだりである。
対象となる人物のゴーズ領へ到達するまでの安全保障。
勿論、これはシス家の影響下の地域における部分だけの話だ。
まずあるのが、「ファーミルス王国としての利益を、考慮して貰いたい」という前提の考え。
それを基にして、「『カストル家からゴーズ家への、対象者受け入れ要請』に対する、シス家からの口添え」が、求められている。
更に、「可能であれば、信頼できる医師の派遣も」となっていた。
「『王国の利益』でも『間違い』とまでは言い切れぬが、ここは『カストル家の利益』と言う方がしっくりはくる。進んで『是非とも協力したい』と言うほどの事柄ではないが、大元はゴーズ家がカストル家へ働きかけたことが原因で発生した事態だ。上級侯爵の性格も考慮すれば、対価次第ではあるが、『受け入れる方向性で最終決着』となるであろうな。しかし、『実質的にカストル家と縁を切りたい』と、願った家であるが故に頼られるとは。なんとも皮肉なものだな」
対価は急遽用意された最上級機動騎士をメインとし、それに加えて「滞在費」と称するそこそこの額の金子。
ちなみに、この用意された機動騎士は、魔道大学校で長年持て余していた余剰機体を、カストル家が国王に願い出て買い上げたものだ。
元が学生用であるため、操縦性は素直の一言。
操縦席の安全性も、より一層重視されて作りこまれている。
操縦者の登録もフリーだ。
但し、その分、別の部分の性能が控えめになってはいるのだが。
滞在対象の本人に操縦させて機体をトランザ村へ持ち込むことで、「移動時の安全性を担保し、移動時間を短縮する」という目的もある。
更に、「滞在中に万一の緊急事態が発生した場合、使える機体がないと困る」という最上級機動騎士を持ち込む大義名分もある。
しかも、「滞在期間が終了して王都へ戻る時は機体を置いて行くので、最終的にはそのままゴーズ家への対価ともなり得る」という寸法だ。
北部辺境伯の視点で考えても、用意されているメインの対価はゴーズ家が欲する筆頭のものとなっている。
と言うか、他の報酬ではおそらくあの家を満足させるものはない。
現在進行形で危険に晒されている妊婦が、「確実に安全」と言い切れる場所。
関係者全ての利害関係も考慮に入れれば、トランザ村より条件が良い場所は、経験豊富な辺境伯ですらも他には考えつかない。
寧ろ、「良く考えついてそこを選んだな」と言いたい気分である。
これまでの経緯を考えれば、ゴーズ家の面々がカストル公爵に好意的であるはずはないのだから。
だが、逆に言えば、「好意的でなくとも、『条件次第で、公爵の要望が受け入れられる』と考えるだけの理由が、あの家に存在するのも確か」ではあるのだが。
トランザ村。
彼の地は「陸の孤島」と言って良い場所であり、周辺の領地も含めて要塞化されている地域の中心地だ。
ゴーズ家の本拠地となっている村でもある。
村がある騎士爵領相当の、所謂、旧トランザ領の領地内における人口は少なく、「余所者が入り込めば直ぐに露呈する」という条件も存在する。
そもそも、本拠地となっている騎士爵領相当の範囲の土地に、領主が許可しない人間が入り込むこと自体が、限りなく不可能に近い。
仮にその第一関門をなんとか突破して領地内に入り込めたとしても、そこから更に「砦化している村内へ侵入する」という手順が必要となる。
それらは無許可でこっそりとトランザ村へ入りたい人間にとっては、困難極まる条件となるだろう。
暗殺を目論む不逞の輩にとっては、鬼門以外の何物でもない。
これはつまり、「ゴーズ家が妊娠中のカストル公の妻を匿う形で滞在を許可した場合、彼女を現地で害するための人材を、カストル家の関係者が手配不可能なことを意味する」のである。
トランザ村は王都に比べれば魔獣の領域がとても近く、現在最前線となっているのは北方向に騎士爵領二つ分を挟んだ場所だ。
距離で言えば、七十キロメートルほどしか離れていない。
本来なら「最前線から近すぎる」として、「魔獣の襲撃」という脅威に晒される危険性を考慮に入れなくてはならない。
つまり、「『重要人物を安全に匿うには、不適当だ』として、即座に検討対象から外されるはずの地だ」と言える。
だがしかし。
それは普通の領地であれば、その点に異論を挟む余地などないのだが、これがゴーズ領トランザ村限定だと話が変わる。
堅牢な長城型防壁の存在と、砦化されている村に加えて、ゴーズ家が保有する潤沢な戦力と、次々に魔獣の領域を解放して開拓を成功させた実績が、その部分を否定するからだ。
カストル公爵は確証を持っていないはずだが、シス家の当主は「災害級魔獣ですら、ラックの能力の前では無力である」と考えていたりする。
北部辺境伯は、ゴーズ上級侯爵が秘匿し続けて来た、テレポートの能力を打ち明けられた時点で、「ゴーズ家の最大戦力は、機動騎士やスーツを含む魔道具の類ではない」と、気づいていたのであった。
チリン。
シス家の邸内には、ラックが訪れた時に鳴らされる独特なベルの音が響いた。
北部辺境伯はテレポートで時折やって来る娘婿のために、内側と外側で別々に施錠でき、尚且つ、辺境伯自身のみしか外側の鍵となる魔道具を持っていない、隠し部屋を用意している。
タイミング良くやって来てくれたラックと、ざっくりと話す時間がとれるのは、シス家の当主としては僥倖であった。
「今、カストル家からの遣いが来ておる。その者は私の返答次第で一旦王都に戻るか、このままゴーズ領へ向かうか、が変わるだろう。話の内容は『先日暗殺されかかった新妻』に関係しておる。『ゴーズ家が画策した』結果の婚姻相手の身の安全を守るために、『彼女をトランザ村へ預けたい』ということだ。当家へは、それに関しての協力を求めておる。具体的には、道中の安全と医師の派遣だな」
「えーと。昨日の今日で、そんな話になっているのですか? そのお話を受ける義理は、もうないはずですけど」
ゴーズ家へアスラを迎え入れる条件に、カストル家との関係性のリセットが含まれていたハズであり、それが有効であれば名分がないハズである。
少なくともラックの認識はそうであった。
但し、それとは別で、「もし、その話を断ってしまって、その女性が王都で殺害される結果となれば、『自身がやりきれない思いになるのは確定だろう』」とも考えてしまったが。
「その点は、な。『王国の利益に繋がるので協力して欲しい』という大義名分を出してきよったわ。『カストル家の利益の間違いじゃろう?』と言いたくはなる。だが、入り婿の元侯爵家の次男にカストル公爵家を継がせるよりは、『実子の男子の方が』となるのは正しいからの。もっとも、『生まれて来る子が男子だ』と決まったわけでもないのに、気の早い話なのだがな」
「そこですか。まぁゴーズ家としても『十年後にあの家に男子がいなければ』という条件で次の話に転がるので、子供が生まれて来るのに協力すること自体は吝かではないですよ。家としても『利益にならない』とまでは行きませんからね。でも、あまり楽しい気分になる話ではないので、『報酬は弾んでくれるんでしょうね?』と、『万一自然流産などの事態になった場合、その責任を問わない』が確約されないと、受けられませんね」
ラックと北部辺境伯の会話は、短時間で終わらせることができた。
事前情報の話が昨日で新鮮であったこともあり、「懸命に思い出して考える」というレベルではなかったからだ。
そして、報酬面も悪い話ではなかった。
ある意味、ドライに「国から重要人物の長期の護衛依頼を引き受けただけ」と割り切れば済む話なのである。
ラックは特に用事があったわけでもなく、土木作業の休息として気まぐれで顔を出しただけであるので、話が済むとサッとテレポートでいなくなる。
北部辺境伯は、待たせていたカストル家の遣いへ、「ゴーズ家がその話を了承するのであれば、当家は協力する」と告げて、この一件を終わらせたのであった。
「ミシュラ。今夜か明日、カストル家の遣いの者がここへ来る。用件は昨日の話に出た暗殺されかかった夫人の保護。期間は不明だけど、少なくとも出産が終わって落ち着くまではこの館に逗留して貰うことになる」
「あら。そんな話になったのですか。貴方が良いなら、わたくしは別に構いませんよ。出産の結果次第で実母に取って代わる人になるわけですけれど、我が家の子供たちへの干渉を避ける目的で、身代わりにして巻き込んだ女性ですから。大切に、丁寧なお客様扱いにして『無事に“男の子”を産んでください』まであります」
ラックが聞いてきた情報によれば、実質的に前金となる滞在費として提示されている金額は、ミシュラ目線で報酬込みで考えても「十分な額」と言えた。
その上で、中古とはいえ、成功報酬で最上級機動騎士が一機手に入るのだ。
ゴーズ家の正妻は実父への不満も恨みもある。
だが、それを理由にして、夫へ「この話は断って欲しい」と、願い出るほどではない。
ミシュラは腹を括る。
彼女の心情には、「最上級機動騎士は機体の絶対数が限られており、入手するチャンスは逃したくない」という事情も大きく影響しているのだけれど。
ミシュラは実母に対しての感情も決して良いものは持ってはいない。
母からすれば「三人目も女の子か」と、ガッカリしたのは理解できる。
しかも上の姉二人とは違って、保有魔力量でマイナスの材料が更に追加された。
ミシュラは公爵家の子としては信じられないほどに、魔力量の低い子供であることが判明してしまったのだ。
そうなれば、「真面な婚姻政策の駒としてすら、使えない子だ」と、認識されたのも腹は立つが理解はできる。
父はそれでもラックとの縁談を纏めてくれた。
だが、母は三女に対して、公爵家令嬢としての最低限の教育を施す“手伝い”すらもロクにしていない。
それらの知識、教養は、父が見栄で手配した教師を通じてのものと、彼女が独学で貪欲に学び取った結果だ。
もしも、感謝する部分があるとするなら、美貌に関する遺伝子を譲り受けたことしかない。
同じ実子であるにも拘らず、「姉二人とは、限度を遥かに超えて明確に差別されていた」という事実は重いのだった。
ミシュラは育った環境の影響で、両親への感情は通常の肉親へ向けるものとは程遠いのが実情だ。
従って、実家のカストル家からの要請があっても、実質的には赤の他人以下から受けた要請の扱いしかしない。
建前や見栄が必要な部分では、「一応の配慮はする」というだけなのである。
このような過去の事情から来る感情が理由で、ゴーズ家の正妻を務めるミシュラは、「片や実父が喜ぶ結果になっても、もう片方で実母への意趣返しができる」と思えば、今回の案件は、「夫の判断に反対する必要などない」という結論に落ち着くのだった。
そんなこんなのなんやかんやで、カストル家の遣いの者がトランザ村へ到着する前の段階で、ゴーズ家では情報入手から対応への結論を導き出すところまでの全てが終了してしまった。
ラックは明日も通常の土木作業に出るため、ミシュラに逆提案する形での条件書面を作成して貰いサインを済ませた。
既に今夜の来訪はなさ気な時間帯へと突入したため、明日の不在時に来訪を受ければ、「予想していましたので準備済みです。これをお持ちください」と、ミシュラが対応して済ませる段取りとしたのである。
そうして、ラックはテレポートでフリーダ村へ赴いてフランへ情報共有の説明をし、リティシアとエレーヌを連れて戻って閨へと籠る。
昨日の段階で、カストル家で起きた暗殺未遂の情報は、アスラを除く妻の全員が知っていた。
そうであったため、今回の案件の対応はミシュラと二人だけで決定してしまって事後報告となってしまったのだが、それを不満に思う妻はいなかった。
フランからは、「滞在する女性を受け入れたあと、これまでのような夜の時間はどうする気なのか?」とツッコミを受けたのは些細なことである。
尚、この案件の事情が知らされず、完全に蚊帳の外なのはゴーズ家ではアスラ母子だけに留まる。
もっとも、それは時間差が発生するだけで、最終的に情報伝達はゴーズ家の庇護下の地の全てに対して実行される。
そうすることで、情報共有が行われるのだけれど。
今宵もゴーズ領の領主様は平常運転。爆発しろ!
こうして、ラックはカストル家の遣いの者に会うことなく、事態を進展へと導くことに成功した。
ゴーズ家の受け入れ条件は迅速に伝達され、精神的に疲弊していたカストル家の新妻は即座に王都を発ったのだった。
詳細知らずで安易に依頼を受けた暗殺者たちが、現地に近づいてみたら頭を悩ませるしかない領地造りに成功しているゴーズ領の領主様。長城型防壁を前に立ち往生して、「この壁、どうやって超えたら良いんだよ!」とブチ切れる者が複数存在する未来があるのは、防壁を設置した時点では思いもしなかった超能力者。不埒者が言う文句など、知ったことではないラックなのであった。




