59話
「『カストル家が動いた』だと?」
北部辺境伯はカストル家がシス家に事前に内諾を得るために、遣わせた者の情報を得て驚いていた。
辺境伯は、あの家が後継ぎの問題を抱えていたのは知っている。
だが、その問題はあの家の長女が侯爵家からの入り婿を得ることで、既に解決したはずであった。
それに加えて、今回、「シス家からの内諾を得たい」として持ち込まれた案件の内容自体も、彼からすればあり得ない。
よって、驚くしかないのであった。
形としては「内諾を得たい」なのだが、実質的には通告も同じである。
何故ならば、「承諾しなかった場合に中止となるのか?」と言われればそんなことはないからだ。
こうした案件は、「多少の修正が入るのが実現すれば御の字」という話なのである。
「当家としては、ゴーズ家の当主と正妻の心情を想像すると、『明言されていないカストル家の裏の目的』が実現するとは考えられぬ。それに当家が承諾してゴーズ上級侯爵の反感を買うことも、第二夫人を出している家としてはできぬ。だが、カストル家の意向を止める権限を私は持っていない。縁を繋いでいる家として、『表に出していない内容』には反対し、再考を求める」
要するに「カストル家が上の立場であるから、関係がある家として無理筋案件だと忠告はするけれど、止める権限がないので仕方がない。お好きにどうぞ。但し、『シス家は込められている意味には気づいていることと、その内容に納得してないこと』をちゃんと付け加えてくれ」と、北部辺境伯は伝えて、カストル家の遣いの者に御引取りいただいたのだった。
そうして、北部辺境伯は即座にトランザ村へと情報伝達のために人を出すのであった。
人の手配を終えたあと、「こんな時に、婿殿が都合良くテレポートで迎えに来てくれれば助かるのに」と考えてしまったのは些細なことなのである。
「ミシュラ。悪いニュースだ」
ラックは、北部辺境伯から届いた情報の内容を確認して表情を歪めた。
「先ほど届けられた書簡ですか? シス家からのようでしたが」
「うん。僕が陞爵したお祝いの品として、『カストル家が上級侯爵の爵位に見合う服飾品を贈る』という名目で、君の一つ上の姉がここへ来るそうだ。本命の目的は彼女が僕に嫁ぐか、彼女の娘をクーガに嫁がせることらしい」
北部辺境伯は、「カストル家の次女が“公爵の名代として”であるのに“娘も伴って”トランザ村へ赴くことは不自然だ」と見た。
不自然である以上、そこにはそれが発生する理由が存在するのが必然である。
加えて、シス家の当主は、カストル家に何か別の目的があることを察知できない無能ではない。
しかしながら、辺境伯は「ゴーズ家の嫡男であるクーガを、カストル家が狙っている」とまではさすがに考えていなかった。
通常では、そのような要求が通るはずがないからだ。
そのため、「そんな要求をするはずがない」と、無意識下で思い込んでいたのである。
従って、シス家の当主は「“クーガの嫁にアスラの娘を押し込むこと”や、ゴーズ家には爵位に見合う魔力持ちがいないことを理由に、“アスラをゴーズ家に嫁がせる”のがカストル家の第一次目的であり、手段なのだろう」と、考えていた。
要は、「アスラが嫁いで男子を出産したなら、その男子をカストル家に養子として迎え入れるのが、その先にある目的だ」と、彼は予想していたのだ。
つまるところ、北部辺境伯はその予想と知り得た事実をフランの夫に伝えた。
それが前述のラックの発言の原因なのであった。
「お祝いの品の件は、受け入れざるを得ないのでしょうからそちらは良いですが。貴方は本命と考えられる目的を受け入れますの?」
ラックの妻は“冷ややかさ”しか感じられない声で夫に問うた。
「ないでしょ。僕自身が『どういう目で見られていたか?』も知っているしね。ミシュラ的にもあり得ないだろう?」
「ないですね。ただ、アノ人を貴方が娶れば、この家は魔力量の面で基準を満たすことになります。ゴーズ家としてはメリットがない話ではないのですよ。『わたくしたちの感情面を無視すれば』ですけれど」
一旦言葉を切ったミシュラは、もう十年以上も全く係わることがなかった父や姉のことを考える。
彼らへの思い出せる印象は最悪に限りなく近い。
それは、黒いモノが滾るナニカである。
ついでに言えば、結婚して家を出るまでは一応家族として同じ家に住んでいたのだから、実父や姉の考えそうなことは想像できる。
父の考えは簡単だ。
彼は、「カストル家の血を引いていないカストル公爵の誕生を避けたい」のだろう。
侯爵家から迎え入れた婿をカストル公爵とする。
現状はその予定で動いている。
だが、それを避けられるならば避けたい。
そういう話であるはずである。
その考えに至る根拠は単純だ。
長姉ミゲラと次姉アスラの婚約が成立した時、男子が生まれた場合の取り決めが婚約の条件に盛り込まれていた。
ミシュラはそれを知っているので、実父の考えが容易に想像できるのであった。
しかし、そうであるなら疑問も残る。
父が、「アスラと魔力0の夫との組み合わせで、子を望みたい」と、考える理由が不明で不気味だからだ。
では、次姉の考えはどうであろうか?
次姉の現在の立場は罪人を父とする一人娘を持つ出戻りシングルマザーだ。
ミシュラは興味がないので詳細を知ろうとしなかったが、決まっていたはずの娘の婚約は、父親の罪が確定した段階で破棄されているであろうことは、想像に難くない。
また、アスラ自身の将来も暗いであろう。
現時点で再婚していないことがそれを如実に物語っている。
それでも、彼女は魔力0の男性に嫁ぐのは拒否するはずだ。
しかも、「散々嫌がらせをしてきた自覚があるであろう妹が、正妻となっている家へ」という話だ。
“ミシュラの下の立場の夫人として嫁ぐ”などという行為は、彼女のプライドが許さないはずである。
つまり、ゴーズ家側としても受け入れなどあり得ないが、アスラ本人的にも受け入れるはずがない話なのだ。
そんな状況であると考えられるのに、事態は望まぬ方向へと進んで行こうとしている。
アスラが、本来なら受け入れるはずがない婚姻話を受け入れたのであれば、“当主命令が出たのではないか?”まではわかる。
けれども、それが出された理由はよくわからないままなのだった。
「しまったなぁ。こんなことになるとわかっていれば、ことが決まる経緯を監視していたはずなのにな」
「あまり無茶はしないでくださいね。貴方が監視に時を費やせば、他のことが進まなくなるのですから」
ミシュラは、「夫が超能力を使って視ていたとしても、音声を拾えない以上、読唇術でも使わない限り会話内容を知るのは難しいだろう」と考えていた。
仮に読唇術が使えたとしても、同時に複数の人間の唇の動きを見て取るのは極めて難易度が高い作業になるであろう。
更に言えば、「この案件は何人で話し合って決まったことかはわからないが、会話を聞き、参加した全員の考えも読むまでしなければ、ことの経緯を把握するのは不可能だ」と思われた。
つまり、ラックの力を発揮しても、現在の彼の能力では元々無理ゲーだったりするのである。
そこに触れる必要性はないし、知らせなくても良いことなので、ミシュラは特に口に出したり、自身の考えを読んで貰うまではしないのだけれど。
「そうだね。やるべきことはまだまだ沢山あるしね」
そんな感じの流れで一日の仕事終わりの〆となる情報共有の時間は終わった。
あとは、「実際に事態に直面した時に、考えればそれで良い」と先送りしたのである。
数日後、トランザ村の領主の館はカストル家の出した先触れの訪問を受ける。
事前情報通り、カストル家は名代として次姉のアスラを派遣して来ることがそれによって確定した。
尚、訪問を受ける時期は三日後である。
ラックにとっては非常に残念なことに、形式的には正妻の実家が派遣した彼女の率いる一行の訪問を断る理由がない。
そのため、「『歓迎したい』とかないんだけどなぁ」と愚痴をこぼすしかない。
そんな渋々モードへ突入する超能力者だったりするのだが。
そんなこんなのなんやかんやで、アスラは娘を連れてゴーズ領を訪れた。
祝辞を述べ、贈り物に必要な採寸作業の許可を得て、連れて来たお抱え職人が滞りなくそれを終える。
そこまではたいして時間は必要とされなかった。が、次はデザインや布地の打ち合わせだ。これにはそれなりの時間が必要となる。
彼女は立場上、「あとは職人に任せますので」と退室するわけにも行かず、その光景を眺めながらの娘との会話で時間を潰すしかないのだった。
「えーと。ものは相談なんだけど。糸をこちらで用意するので、布を織るところから始めるのは可能かな?」
「はい。糸はどのような種類のものでしょうか?」
ラックは魔獣の領域でしか採取不可能な、蜘蛛型の魔獣の作り出す糸と、芋虫型魔獣の吐き出す糸の二種類を大量に保有していた。
勿論、「大量」とは言っても、布地を量産して大量販売できるほどの物量ではない。
重量で言えば「トン単位」ではあるので、個人で布を織って服に仕立てるにはあり余る量ではあるけれども。
「これは。二種類とも扱ったことがない糸ですね。光沢も手触りもこれまで知っている糸とは一線を画しています。これらを織って布を作ることは可能です。そこまでは断言できます。ですが、染めと裁断と縫製。これらの工程が可能かどうかがわかりません。申し訳ありません」
職人は初めて見る魅力的な素材に心惹かれていた。
相手が貴族でなければ、彼は「お金を払うので譲ってくれ! 色々と試してみたい!」と絶対に言っていた自信がある。
彼は相手が相手だけに、出掛かった言葉を寸でのところで止めた。
“諦めるしかない”とわかってはいたのだ。
しかし、ラックは接触テレパスを使ってそれを知った。
知った以上は、「横流し、掠め取るなどの不正行為を一切しないことを誓えるのならば、試して腕を振るう機会を与えても良い」と、提案するだけだ。
チャンスを逃すことなくその提案に飛びついた職人は、ほくほく顔で王都へと急ぐのであった。
撤収準備を始めた職人たちを横目に、アスラはラックへと話しかけた。
目的の一つであったゴーズ家の子供たちの魔力量を調べること。
それは、「もう不可能だ」とわかっている。
子供たち全員がこの村に滞在していないのだから、そこはもうどうしようもない。
だが、このままなんの収穫もなしに王都へ戻ってしまえば、彼女には悲惨な未来しかない。
覚悟はとうに決まっていたのである。
「内密にお話したいことがございます。ゴーズ夫人とわたくしと娘との四人だけで、少しばかりお時間をいただけないでしょうか?」
ラックはアスラに対して思うところはある。
妹であるミシュラに至っては、そうした感情は彼の比ではない。
それは接触テレパスで伝わって来るので、わかっている。
だが、同時に困惑も伝わって来ている。
立場が変わってしまったせいであるのか?
そこは定かではないが、ミシュラが知る姉の、昔のような態度や言動は全くないからだ。
ゴーズ家の当主は、「他人の目がない場所であれば」と、場を移すことで接触テレパスの行使ができる可能性に賭けた。
超能力者は、「アスラの内心を知りたい」と、考えてしまったのであった。
そうして、四人はラックの執務室へと場を移動した。
そこで、ラックとミシュラは信じられない光景を目の当たりにしてしまう。
母子の土下座である。
訪れ人のもたらした文化の影響は、こんなところにも出ていた。
なんともちぐはぐな世界なのだった。
「ゴーズ上級侯爵、ゴーズ夫人。過去のわたくしの所業はこうしてお詫び致します」
「お母様とわたしの将来は叔父様の判断に全てが委ねられています。叔父様、叔母様。どうかお願いです。お母様とわたしを助けてください」
アスラは謝罪のみしか口にしない。
しかし、娘はそうではない。
これは知識と経験の差から来る部分が大きいのであろう。
だが、そもそも娘には何の罪もないのだから、母と共に土下座をして許しを乞うたり、お願いを口にする必要もないのである。
「ミシュラ。これどうしようか? ここまでされるとね。僕としてはもう昔の話だし、直接の被害はミシュラの方が受けてるからね」
そう言いながら、ミシュラに目配せし、ラックはアスラの頭に触れる。
少々不自然であっても、今は彼が触れても彼女は文句を言える状況ではない。
周囲を視認できない彼女の姿勢は、接触テレパスを使用できる状況を欲していた超能力者にとって、絶好の機会としか思えなかったのであった。
「お姉様。許す許さないの問題は別物として一旦脇へ置きます。一体何事があったのですか? まずは説明してくださる?」
「わたくしは嫁ぎ先が決まりません。条件が悪いのです。この子も罪人の娘であるとして決まっていた婚約はなくなりました。わたくしはもう実家で飼い殺しで良いと考えていましたし、娘はミゲラ姉様に養子として貰って嫁ぎ先を探そうと考えていました」
アスラは淡々と状況を語った。
ラックはそこに嘘や隠している情報がないかを確認して行く。
そうして、彼女の話が当主命令へと進んだ時、絶望へと至ったことを、超能力者は知った。
アスラにはラックに受け入れて貰うしか、選ぶ道がなかった。
一応別の道はある。
ありはするのだが、それは比較する対象として、検討するまでもないレベルの地獄である。
子を成すことが不可能な身体になるまで、十年以上も期間。塔にいる全ての男性を対象に娼婦とならねばならないのだから。
それは、貴族女性どころか、人間としての扱いですらない。
アスラの心中では、「娘の将来も加味して考えれば、元々は嫌悪感を抱くほどの相手であっても、愛する努力をしよう」と、考えを変えるほどに差があるのだ。
過去の経緯から、決定的に修復不可能なはずの関係となっている妹にも、どんなことをしてでも許しを乞う必要もある。
更に、「男子を得た場合は魔力量次第の部分はあるが、基本的にはカストル家への養子へ差し出す」という条件付き。
もっとも、その場合は息子はカストル公爵家を継ぐ可能性が高く、その部分だけは必ずしも悪い話ではないのだが。
アスラには別の目的があったこともラックは読み取ることができた。
ゴーズ家の五人の子供たちの魔力量の調査だ。
但し、彼女は調査を命じられただけで、そこから先のカストル家の目的を説明されてはいない。
まぁ、当主である父の考えが予想ができないほど、彼女の頭は悪くはないが。
こうして、ラックはアスラとその娘をゴーズ家へ受け入れるか否かの判断を迫られた。
実際は彼自身だけで決定するわけではなく、ミシュラの意向次第となるのは確定なのだけれども。
カストル公爵の腹積もりを、間接的に知ったゴーズ領の領主様。「そう言えば、アスラと似たような立場のもう一人の女性はどうしているのだろうか?」と、思い出して呟いてしまう超能力者。「僕に一人引き取れって話なら、もう一人はカストル公、あんたが引き取れよ!」と、全然関係ないところへ八つ当たり気味に思考が向いてしまうラックなのであった。




