58話
「『ミシュラ宛てにカストル公爵家から招待状が届いた』だって?」
ラックは「絶対に起こるはずがない」と思っていた事態に直面し、思わず聞き返してしまっていた。
ゴーズ家の当主は、家と家との関係をはっきりとお互いに確認し合ったわけではない。
だが、現サエバ領となっている辺境の小さな領地を、テニューズ公爵とカストル公爵の連名で自身へと渡された時、それが「『手切れ金のようなものだ』というのが双方の共通認識である」と、テニューズ家の長男の彼は考えていた。
それはカストル家の三女も同じである。
今日まで、実態もそのように推移していたのだ。
ゴーズ夫妻は、本来なら招かれるべきである席に、これまで招待されたことなど一度もない。
具体的に言うと、「ゴーズ家当主の弟や妹、当主の正妻の姉二人といった間柄の人物たちの、婚姻や出産、その他の祝いの席」が、それに当たる。
暗黙の了解で、「自らは参加しないよな? 送付元からすれば、参加されないのが当たり前なんだけど」という前提の招待状が、建前上で形式的に送られて来ることすらなかった。
これまでの実態がそうであったのだから「対応が徹底している」とも言える。
まぁゴーズ家からも、季節の挨拶や節目の贈り物などのお付き合いを一切していないのだから、どっちもどっちでもあるのだけれど。
「貴方。コレどうしましょうね? 『夫君が上級侯爵になったので、別邸として新たに王都に家を持ってはどうか? お祝いとしてその邸宅を贈らせて欲しい。候補がいくつかあるので現地で物件案内をする。家内を仕切るわたくしが、内覧して現物の確認してから決めて良い』という内容が、書かれているのですけれど」
招待状の口実自体は、カストル公爵の六十歳の誕生祝いの席への招待だ。
但し、大々的に行われる会は別で行われる。
ミシュラが招待されているのは、その前に内輪だけで行われる小規模な誕生日会であった。
さすがに、「今まで全く招くことをしていなかった彼女を、いきなり多数の招待客が集う大規模な会へ出席させるのは、危険度が高い」と、先方が判断したのであろう。
ゴーズ家では、夫婦揃って「先行して行われる会で、過去のことを口裏合わせでもしたいのかな?」と考えるしか、カストル家の当主の意図するところを受け止めようがない。
平たく言えば、「僕らが、下手なことを口走らないようにするための、口止め工作だろうか?」と考えることができる。
そうした理由のある、「対価としての邸宅のプレゼントだ」と言うのならば、ある意味彼らにも納得が行く話となる。
もっとも、ゴーズ家が「嬉々として受け入れたい話かどうか?」は、全く以て別であるのだけれど。
「なんかこう、『今更何を?』って感じだよね。『ミシュラだけで、僕が招かれていない』のも、ちょっと変な感じがしなくもないし」
「まずはわたくしにだけ話を通したいのでしょうね。貴方は爵位がファーミルス王国で単独四番目の席次になりましたから。対等以上で話ができるのは父だけですもの。姉の入り婿は次期公爵とはいえ、侯爵家の出ですから当主を継ぐまでは言動に注意を払わねばならないでしょうね」
ミシュラは、「姉たちが、ラックや自身のことをどういう目で見ているのか?」を、知り過ぎるほどによく知っている。
そしてそれは、カストル家の現当主も知るところであるだろう。
ゴーズ家の夫婦を揃って招待してしまえば、「ミシュラの姉たちの失言があり得る」と、公爵は考えているのだろうが、ミシュラに言わせれば「あり得る? 必然で生じる事態でしょう?」のレベルだ。
もし、招待を受けてノコノコと実家に顔を出せば、ミシュラが悪意に晒されるのも必然なのである。
気になる点はまだある。
招待主からは、“可能であれば”と文言が添えられてはいるけれど、「クーガ・ミリザ・リリザの三人を連れて来て欲しい」と書かれている点がそれに当たる。
仮に、ミシュラが公爵家への招待を受けるとしても、その部分は百パーセント拒否確定だ。
絶対に子供たちを連れて行くことはないから、そこを気にする必要はないのかもしれない。
だが、「どのような意図でそれを希望したのか?」は、非常に興味があるのであった。
「四番目か。賢者様の残してくれた写本からもじって真似をすると、『僕は、四天王の中では最弱の立場!』とか言わなければならないな」
ラックは冗談めかした発言をし、ミシュラはクスリと笑う。
「別件ですけれど。わたくし妊娠の兆候があります。まだ医師の診察は受けていないので確定ではないのですけれど。今度は男の子だと良いですね」
「でかした! 性別はどっちでも良いよ。しかし、そうなると、王都へ出向くのは胎教に良くないかもしれないな。ミシュラに『下級機動騎士に乗るな』とは言わないけど、操縦は慎重にね。ま、初めてのことじゃないし、わかってるとは思うけれどね」
もし、女の子が生まれた場合に、それが原因でミシュラが落ち込んでしまうのはラックとしては困る。
生まれた娘が、周囲から「男の子なら良かったのに」と思われて育つ子になってしまうのは、問題があり過ぎる。
子は授かりものだ。
特有の事情として、貴族クラスの魔力持ちの女性は、子宝を授かりにくいのもある。
当主としての本音を言えば、「これまで授かった子は娘の比率が高いので、息子が欲しいな」と、思う気持ちがあるのは事実だ。
しかし、娘は可愛い。
唯一の息子のクーガが可愛くないわけではないが、娘は可愛いのだ。
そこに一人増えたら。
そこには“嬉しい”しかないであろう。
ラックは、「うちの娘は絶対嫁には出さん! 入り婿を取って僕の近くに置くんだ!」まで考えている始末なのである。
その決心があるが故に、ゴーズ家の当主は魔獣の領域の開拓を続ける。
それぞれの子たちに、ちゃんと生活基盤となる領地を残してやる。
それが「親の責任だ」と、考えているからだ。
一族の領地が固まって存在すれば、外からの脅威に一致団結して当たることも可能であろう。
超能力者も人の身である以上、いつかは寿命を迎える定めからは逃れられない。
ミシュラの嬉しい報告をきっかけに、子の将来と領地の未来予想図に想いを馳せるラックなのだった。
そんなこんなのなんやかんやで、夫婦で話し合った結果は、「招待状には、丁寧にお断りする返事を出す」と決まった。
今のゴーズ家だと、王都に別邸となる家を持つ必要性は感じない。
クーガの代になれば話は変わるかもしれないが、ラックもミシュラも過去に実家で受けたそれぞれに対する扱いを忘れてはいない。
つまるところ、「社交の場に参加して、腹の立つ連中とお付き合い? そんなものは御免蒙る!」としか言えない、似た者夫婦なのであった。
「そうか。ミシュラから不参加の返事が届いたか。『上位の爵位を振りかざしても従うことはない』ということだな。とりあえず、クーガの魔力量を知ることができねば話にならん。誰ぞ、良い案はないか?」
カストル公爵は不機嫌な表情をそのままに、周囲に控えている家宰と家臣に意見を求める。
今回の招待状が出された理由。
それは、最大の目的として、「クーガの魔力量を早急に把握したい」という点にあった。
仮に本人が来なくとも、「母親であるミシュラに、口を割らせれば良い」という判断からの話だったのである。
ゴーズ家の四人の娘の魔力量の情報が、「秘匿されている」という事実は、クーガの件を考えると、「全員高魔力の持ち主」という可能性が浮上して来る。
もしも、それが現実であれば、「魔力0の当主の種は極めて優秀だ」という話になる。
母体の魔力量が二千程度でも二十万を超える魔力を持つ子供が生まれるのであれば、更に魔力量の多い母親となる女性を宛がえばどうなるのか?
過去に例のない、高魔力の子供を授かる可能性すら考えられるのである。
そして、カストル公爵の手元には、あと十年は出産可能と思われる出戻りの娘がいる。
三十万の魔力量を保有し、ギリギリ王家の基準に引っ掛かっている次女。
ミシュラとの姉妹仲が険悪であるのは知っている。
ミシュラの夫であるゴーズ上級侯爵に対して、過去には散々馬鹿にした扱いの言動を彼女がしていたことも知っている。
だが、高魔力の持ち主で、「出産可能」という意味での年齢面の条件を満たす女性、尚且つ婚約者がいないフリーな人材に該当するのは、ファーミルス王国広しと言えど、現在二人しかいない。
それは、幽閉された第三王子の元妻と、同じく幽閉された東部辺境伯の次男の元妻の二人だ。
勿論、既婚ではない若い高魔力の女性がいないわけではない。が、そうした人材は全て婚約者が決まっている。
これで、対象の男性が莫大な高魔力持ちの上級貴族ならば、現状の婚約者をかなぐり捨てるような婚約解消話になることもあり得る。
しかし、魔力0のラックが相手であればそれはない。
そんな状況にはなり得ないのである。
現在、ゴーズ家の子供の可能性に気づいている者は極限られている。
次女のライバルになり得る女性の実家は、現時点ではその情報を持っていないはずであり、動くことはない。
けれども、それは現時点の話であって、未来のことはわからないのだ。
カストル家の当主は、「先立って動けるのは今しかない」と、考えていた。
「陞爵祝いと称して、なにがしかの贈り物をアスラ様に持たせてゴーズ領を訪ねていただいてはいかがでしょう? 公爵家の移動用の大型魔道車に、魔力量の検査器具を載せてゴーズ領に持ち込めば、隙を見て子供の魔力検査を行う程度は、なんとか可能なのではないでしょうか? 娘様も連れて行かせれば、『子供同士の交流という名目で、大人の目が離れることもあるか』と考えます」
家宰は一旦言葉を切った。
まだ他に考え自体はあるが、「果たしてこれを言うべきか?」で、彼には迷いがあったからだ。
「ふむ。それで行くか。後はまあ、お前からは言い出しにくいであろうな。出戻りとは言え、主人の娘に『ミシュラの夫に夜這いを掛けろ』とはな。アスラを行かせるのは既成事実を作らせる目的もあるからだろう?」
カストル公爵は家宰の提案を是とした上で、彼が言い淀んでいる内容があることに気づき、それを言い当てたつもりになっていた。
しかし、残念ながら彼が言葉に出さなかったのは別のことである。
「さすがですね。お気づきでしたか。それもあります。もう一つございまして、侍女としてミシュラ様の専属を長く務めた者を一緒に行かせてはどうかと」
家宰は、代々、カストル公爵家へ家人を奉公に出す家に無理を言うことになるため、言い淀んだだけであった。
彼の言に該当する人物は、既に寿退職しており、家庭に入ってしまっているからだ。
しかしながら、ミシュラを懐柔することができる可能性があるのは、係わりが深かった彼女しかいないのが現実なのである。
家宰は自身が仕える家の「当主の希望」と言うか、「意図するところ」は正確に理解している。
だがしかし。
どう考えてみても、「アスラをゴーズ家に嫁がせるのは無理筋だ」と、思われるのだ。
それほどにミシュラはアスラを嫌っている。
まぁ、嫌っている対象は次姉だけではなく長姉もなのだが。
それは脇に置いておくとしても、そんな状態のゴーズ家の正妻を懐柔し、譲歩を引き出せる“かもしれない”人物は、彼が知る限り一人しかいなかった。
尚、家宰は自身が考えてもいない内容を、言い当てたつもりになっている主人の間違いを訂正したりはしない。
彼はさらりと肯定しただけで流す。
家宰がこの家の次女アスラを指定したのは、単にこの家を空けても影響が少ない人物だったからだ。
更には、「癇癪持ちの母子が数日でもこの家から離れて、いなくなってくれると楽だな」まである。
彼はそれを表に出したりはしないけれど。
そんな流れで、話は進み、決まるべきことは決まる。
肝心の贈り物については、現在のゴーズ家夫妻が絶対に持っていない、家格に合う礼装用の衣装と、それに付随する必要な小物類とした。
ゴーズ家の夫婦は、上級侯爵の立場に見合う礼装用の衣装を、持っているハズはない。
陞爵したばかりなのだから当然の話だ。
そして、それらの衣装は、辺境の地では作ることが叶わない。
オーダーメイドで作られるのが当たり前の品であり、それが可能な職人は殆どが王都に身を置いているからだ。
カストル公爵は自家のお抱えへ話を通し、採寸とデザインや使う布地の打ち合わせが可能な人員を、アスラの一行に加えることにしたのだった。
「お父様。わたくし、嫌ですわよ。魔力0の男性と関係を持つことも、ミシュラの夫である人物に嫁ぐことも」
全ての話が終わった後、カストル公爵から決定事項がアスラへと告げられる。
同席していた長姉のミゲラは自身に降りかかる災難ではないため、笑いを必死に堪えていた。
彼女が感じているそれを「他人の不幸は蜜の味」とでも言うのだろうか?
だが、ミゲラはまだ知らない。
父の思惑が全て叶えば、自身の立場が次期公爵夫人ではなくなることを。
また、彼女の夫は、カストル家現当主の後を継いで公爵になることを前提として、この家に入り婿として入っている。
もし、その前提が崩れた場合どうなるのか?
実はミゲラは、妹のアスラのそれを笑っていられる立場ではないのである。
「ほう。聞き間違いかな? この家に生まれて、『当主である私の命が聞けない』と言ったのか? 聞き間違いでなければ、そのような者は孕む迄、幽閉者の塔へ通わせなければならないのだが。悲しいことだな」
カストル公爵の脅しは効果覿面であった。
アスラの顔色は一変し、絶望のそれへと変化した。
命を拒否した彼女に代わりに行わせる行為として挙げられたのは、貴族の女性には最大級の屈辱的な扱いとされるモノであったからだ。
しかも、その場合だと生まれた子は取り上げられ、父母不明の魔力持ちの子供として希望のある家に引き取られて行く。
その実態は、引き取られるとは名ばかりで、裏でオークションが行なわれて買われて行くのが現実である。
「わかりました。ゴーズ家へ訪問する命。お受けします」
こうして、ラックが知らぬ場で、彼自身が望みもしないカストル家次姉のトランザ村訪問が決定した。
ミシュラが実家からの招待に不参加と返事をしたことが、このような展開を招いたのだ。
一寸先は闇。
未来は予測困難なのだった。
想定外の招待状に対して、「ご招待をお断りした後に、何が起こるのか?」に全く、全然、微塵も注意を払っていなかったゴーズ領の領主様。のほほんと、新たに生まれて来る子供の名前を考えながら、今日も今日とて土木工事に邁進する超能力者。神ならぬ身。全知とはほど遠いところにいるラックなのであった。




