49話
「『ヒイズル王国が消滅した』ですって?」
クーガの教師役兼ゴーズ家の相談役を務めるダーム・バーニールは驚いていた。
自身がヒイズル王国の初代国王を退き、次代へ譲ってからまだそう長くはない。
なので、「何故そんなことになってしまったのか?」と、疑問には思う。
だが、今はそれを考えている時間がなかった。
「はい。アイズ聖教国の軍三万がヒイズル王国の北方より攻め入りました。ミシュラ様からのクーガ様宛ての指示書はこれです」
伝令としてトランザ村からサイコフレー村まで魔道車を飛ばして来た家臣は、そう言って預かって来た書簡をダームへと手渡した。
元国王だった彼は色々な想いが胸の内を駆け巡っていたが、それを外に出すことはなく書簡に押されたゴーズ家の印を確認する。
そしてクーガへとそれを開封して渡したのだった。
母の綺麗な字で書かれた指示内容を、クーガは確認する。
明らかに自身で対応できる内容ではなく、暗に母からの実質ダームへの丸投げであることは直ぐに察せられた。
加えて、「教育係の差配を見て、感じて、学べ」という、両親からの込められた想いも、聡い息子は同時に受け止めていたのである。
「ダーム。これは僕の手にはまだ余る内容だ。差配は任せる。学ばせて貰うよ」
クーガはそう言って指示書をそのまま教育係へ渡した。
次期当主として彼が実務の全てを引き継ぐのは、最短でも魔道大学校を卒業した後になる。
この時点で、「それまでに学んで、身に付けねばならないことはまだまだあるのだ」と考えることができるラックの息子は、優秀な領主に成れる資質を確かに持っているのだった。
父からの“しっかりとした薫陶”を受け、気になる女性を囲う資質“だけ”は既に開花しているけれど。爆発しろ!
そんな流れでゴーズ家の意向を受けたダームは、受け取った書簡の指示内容にさらりと目を通した後、即座に矢継ぎ早に指示を出して行く。
続いて、彼は全ての差配を終えた後、出した指示の理由、意味、予測される結果などをクーガに丁寧に解説して教えて行く。
実質的にサイコフレー村の代官を熟すこの老人は、自身の役割を正確に理解し、その職務を全うしていたのである。
そうして、ダームは無事に湖上の避難民全員を受け入れた後、トランザ村へ結果を報告するための伝令を走らせた。
その結果、ふらりとラックがサイコフレー村に姿を見せ、彼はアイズ聖教国の動きを知ることになったのであった。
「ラック様、そのお話ですと、東部辺境伯領は専守防衛の部分を二重に破っていることになります。一つは、東部辺境伯領内から国外に布陣して手を出していない聖教国の軍への攻撃。もう一つは、“旧カツーレツ王国の領土内”での武力行使。この二つです。そして、承諾を得ることなく、旧カツーレツ王国の領土へ軍を侵入させています。この部分もこの国の方針として表明しているモノを守っていないことになります」
ラックは“自身の認識に間違いがあったこと”をダームの言で気づかされた。
ファーミルス王国は、当事者である国から要請がない限り、外国で軍は活動できない。
但し、攻撃を受けた場合の反撃のケースは例外扱いで許される。
けれども、今回の反撃を行った場所は戦った相手の国内ではなく、無関係の外国であった。
よって、「確かに国是を破っている」と言える。
平たく言えば「無関係の国に勝手に軍を入れ、その国と戦ったわけではないが武力行使をしている」となる。
侵入してしまった他国の領土内。
そこに、住む人間との戦闘行為が目的だったわけではない。
しかしながら、規模はともかくとして、戦闘行為の結果により国土の破壊は確実に行われているし、「誤認して巻き添えで死亡した現地住民が、絶対にいない」とも言い切れない。
実際、ラックは集落らしき場所で両軍が戦闘状態になったのは視ているのである。
「そういうことか。おそらくそれに気づいている者はこの国にはいないだろうな。その手のことには敏感なはずのミシュラも気づいていないから。僕らは反撃自体が問題なのを理解していることで、そこで思考が止まってしまっていたようだ。そして国としては『反撃が正当な権利である』という認識になった時点で、それが行なわれる場所の問題は思考の外側に置かれているんだろうね。所謂盲点になってしまっているんだろう。そうでなければ、追撃に出るの自体を躊躇ったハズだからね。今のダームの指摘は助かる。ありがとう」
東部辺境伯はアイズ聖教国へ軍を向けている。
その名目は「戦争を仕掛けられたから」となっているわけであり、報復戦争となっている。
これを辺境伯が主張する以上、アイズ聖教国は「我が国のどの部隊がそれを行ったのか?」から始まって、「ではその部隊はどうなったのだ? 帰国していないし、所在もわからないが?」と主張を繋げることができる。
ラックはその部隊が一兵残さず殲滅されたことを知っている。
だが、殲滅されていてもそのこと自体が証拠として機能してしまう。
そうである以上、「皮肉なものだ」と言える。
要は、聖教国は「本当にそんな部隊がいたのか? その部隊が貴国に先制攻撃をしたのか? もしそうであるなら、その部隊は何処へ“どうやって”消えたのだ?」と問うことで、ファーミルス王国がどう返答しようとも、国是を破っている証拠にしかならない状況を作り上げることに成功しているのである。
つまりは、ファーミルス王国は完全に詰んでいる。
ここから王国に都合が悪くない状況へと持って行くとしたら。
その方法は二つ。
アイズ聖教国を消滅させるか?
内々で手打ちにしてなかったことにするか?
その二つの内のどちらかしかない。
ラックは、東部辺境伯が消滅させる方を既に選び取っているのを、千里眼によって知っている。
また、超能力者はこの国のトップの状況までは、千里眼でフォローしていないため知らない。
この時、国王や宰相は「東部辺境伯がそれなりの段階でことを収めるだろう」と漠然と考えており、その思考は、どちらかと言えば前述の「内々で手打ちにする方法寄り」だ。
王宮の二人は、「全ての軍事行動が終了してから、国と国との交渉の場に移れば良い」という考えなのである。
但し、国王たちには「ファーミルス王国が国是を破っている」という認識はない。
故に、あくまで「それなりの落としどころで、手打ちにする交渉をする」という認識であり、「なかったことにしよう」という話ではないわけだが。
ここまでが時系列的には前話のラストの部分までで並行して起こっていた状況であり、ラックが知ることがない情報も含めての推移でもある。
そして、舞台は東部辺境伯の侵攻軍の話へと移る。
「この魔獣の数は一体何だ? まるで魔獣の領域ではないか!」
東部辺境伯次期当主は、十分な戦力を率いてアイズ聖教国へ踏み込もうとしていた。
しかし、そこに立ち塞がるように無数の魔獣が現れたのである。
尚、これは時系列的には三男が追撃戦を行っている最中と同じ時間軸となる。
アイズ聖教国は不完全ながらも、魔獣を誘導する技術を一応使用に耐えるレベルで実用化していた。
先だって発生した大型の魔獣が聖教国から流れて来た件も、実はその技術を用いての試験の結果であった。
簡単に聖教国をファーミルス王国に蹂躙されるだけで終われば、教皇の望みを叶えることはできない。
それなりの力を見せ、王国側を交渉のテーブルに誘導せねばならないのである。
その方法論としての策の一つが、この魔獣の誘導だった。
東部辺境伯領から一定の規模以上の戦力で聖教国へ攻め込むとなれば、使われるルートというモノはある程度絞られる。
攻め込む側の彼らは、アイズ聖教国を「格下の弱小国だ」と見下している。
故に聖教国側からは、彼らが奇策を用いる可能性は検討されなかった。
本命と思われる場所に集中して魔獣を誘導し、それが「図に当たった」という流れとなる。
尚、魔獣の誘導技術の根幹となるのは音だ。
宗教国家であったが故に、聖教国では教会で使われる音楽、楽器が独自の文化として発展していた。
教会で特定の曲目の演奏があると魔獣の被害が不自然に増加する点に着目し、研究が続けられた。
その結果、人間には聞こえない領域の音で、魔獣が好んで集まってくると思われるモノと、逆に忌避して逃げるモノの二種類が判明したのだ。
何故か中型から大型種に効果が強く、小型の弱い魔獣には全く効果はなかった。
そして、旧カツーレツ王国の領土を蹂躙した災害級にも決死隊が実験に赴き、効果がないことが確認されている。
ついでに言えば、「長期間同じ音に晒され続けると、個人差は大きいが人体にも健康被害が出る」のも判明していたりする。
また、効果があるとされる中型から大型種についても、「全てに必ず効果がある」とはとても言い難く、結果が安定してはいない。
故に技術としては“まだ不完全”なのである。
対魔獣戦へと移行した現状は、事前に予測不可能な事態であり、東部辺境伯家の次期当主としては不満しかない。
だが、魔獣相手にそんな不満を漏らそうとも、相手がそれで引いてくれるはずもない。
彼が率いる戦力での対応策は、撃破一択でしかないのだ。
そうして、最上級三機、上級四機、中級六機、下級十二機とスーツ二十五体、移動大砲十門が魔獣の集団とぶつかった。
一昼夜に及んだ戦闘は、幸い戦力的低下を伴うような被害をスーツ五体と移動大砲二門のみに抑えて、全てを討伐という結果で終了した。
人的被害限定ならば、被害皆無であった。
しかしながら、戦闘による操縦者の疲労の問題は避けられない。
加えて、燃料代わりとなる魔石の補充と、簡易整備が必要な状況に追い込まれてもいる。
つまるところ、アイズ聖教国はここで貴重な時間稼ぎをすることに成功していたのである。
この状況から、東部辺境伯側の戦力が報復戦争を諦めて引くことはない。
それを見越している聖教国側は、それも確定の事実としてファーミルス王国への使者を“初戦の時点”で出発させていた。
出された使者が使用できるルートは三つ。
旧カツーレツ王国を経由する北回りルート。
海上から南部辺境伯領を経由する南回りルート。
通過が許可されないかもしれない東部辺境伯領を経由するルート。
その三つにそれぞれ使者が出された。
これは、確実に情報を伝達するための保険の意味合いも含んでいる。
使者が最大限に急げば、最短で二日後、最悪でも四日後には王国の宰相の目に情報が触れるはずである。
ファーミルス王国中枢からの戦闘停止命令が出るまで耐え抜けば、聖教国の目論見は成ったも同然となる。
勿論、「どのレベルでの達成になるかはさておき」という話にはなるのだけれども。
そんなこんなのなんやかんやで、東部辺境伯家の主力の軍はアイズ聖教国の領土へ侵入した後も魔獣の襲撃を一度受け、思うように距離を進めてはいなかった。
勝手に動いている別動隊としての三男も北部から侵入しており、足止めを受けていないそちらの方が教都への到達は早くなるであろう。
そして「報復戦争」という名目で国ごと滅ぼす気満々の二つの軍勢は、本来であれば道中の集落も全て殲滅するべきである。
だが、「ロクに抵抗できる戦力を持たない場所に時間を割くよりは、聖教国の中枢部を真っ先に潰すべきであろう」という思惑で、二人の指揮官の意思は一致していた。
真っ先に潰すのは、「国の中枢部に逃げる時間を与えたくない」という考えもあってのことではあるのだけれど。
「攻め手は一直線にアイズ聖教国の教都を目指している。北側からの方が早く着きそうだね。正規って言うのも変だけど、嫡男が率いている正規軍は二度目の対魔獣戦をしている。ちょっと『聖教国側に都合良く、魔獣が現れすぎだ』と思うんだけどね」
ラックはミシュラにアイズ聖教国の状況を告げる。
ダームと話をした後の彼は、ティアン村のエレーヌ、フリーダ村のフラン、ガンダ村のリティシアと、テレポートすることで自身の妻たちに直接会って情報の共有を行った。
それが理由で、超能力者がトランザ村の執務室に戻った時には、サイコフレー村へと出かけてからかなりの時間が経過し、ミシュラが知る状況に変化が生まれていたからだ。
ちなみに、他の村へは伝令を出して情報共有を済ませている。
やはり、妻とそうでない者では、対応に差が出るのが当然ではあるのだろう。
ラックはヒイズル王国の消滅時以降、使える時間の全てを千里眼での監視に使用していた。
つまり、同居しているミシュラ以外の妻とは全く会っていない。
超能力者は常人とは違う。
テレポートを使えば僅かな時間を捻り出すだけで他の妻たちに会うことが可能である。
そうであるのに、それをしていなかった。
そして、ここで重要なのは「相手もそれを理解している」という点だ。
通常ならば、最低でも一日おきに夜の時間を共に過ごしていたのである。
それが突然、何の連絡もなく、会うことすらない状況に変化する。
これがストレスにならないはずはなかった。
ダームから、「ところで、この状況はゴーズ家関連でどこまで共有されていますか?」という質問を受け、ラックは遅まきながらその事実に気づかされたのである。
そうして「慌てて順に会いに行った」というわけだ。
ここ数日で、妻たちと夜のゴニョゴニョを全くしなかったこと。
それが会いに行った理由ではない。
パトスがほとばしっていたからでは決してない。ないったらない。
こうして、ラックはちょっとばかり落ち込んでいたミシュラ以外の妻たちのケアを、ギリギリセーフで間に合わせた。
もう数日気づくのが遅れれば、ゴーズ家の家内事情が深刻な事態に陥ったことは想像に難くない。
緊迫した国外の戦場の状況とは関係なく、家庭内の危機を迎えかけた鈍感うっかり者のゴーズ領の領主様。いくら優先順位の高い仕事があろうとも、妻や子をないがしろにしてはいけないことを胸に刻んだ超能力者。「それはそれ。これはこれ」なのだと、改めて学ぶことになったラックなのであった。




