40話
「『ルバラ湖の対岸の地域が、ゴーズ家の庇護下に入りたい』だって?」
ラックはサイコフレー村に配属した家臣からの、予想もしない報告に驚かされた。
ゴーズ家の当主は整備が完了したサイコフレー村に、新たに加わった家臣の一部を最近になってから振り分けて常駐させていた。
彼らには、今回持ち込まれた案件に対する決定権はない。
そのため、領主へと報告が上がったのである。
「はい。元カツーレツ王国の内戦が収束に向かっており、近々終息宣言が出て、マークツウ王国として建国する事態になりそうらしいのです。が、『その統治下に組み入れられると、今の生活よりも苦しくなるので、なんとかならないか?』と話が持ち込まれたのです」
「話はわかった。だけどこれは『国外の地域をファーミルス王国に組み入れる』って話になってしまう。はっきり言うと『僕の裁量では許可は出せない』よ。国是的に宰相や国王陛下に話を持ち込んでも、『許可は出ない』だろうな」
話が持ち込まれた場所はサイコフレー村だが、庇護下に入りたいという対象の地域は南北方向に広い。
ラックは現在直轄する村として、トランザ、エルガイ、ラーカイラ、サイコフレー、アウドの五つを抱えている。
今回の話は土地の面積がそれに近い規模であり、なんと騎士爵領での四つ分相当の地域、人口八千人ほどが旧カツーレツ王国を見限った形だ。
場所としてはレクイエ村の対岸から北方向へ。
ルバラ湖沿いにサイコフレー村の対岸までの一帯である。
「貴方。これはグレーゾーンの話になりますけれど、その規模であれば独立して国を興す方法があります。この地は辺境ですので、隣接する国や村などからの援助要請には独自の判断で対応して良いことになっています。勿論、法の範囲を逸脱することは禁止されていますし、ファーミルス王国への“事後”報告は必要ですけれど。そして、最終的に外交として国が出張ってくれば、指示に従う必要はあります。が、それはその時の対応で良いはずです」
横で聞いていたミシュラが、さらりとラックに助言した。
ゴーズ家の知恵袋の一人は、今日も健在である。
「ふむ。まぁ隣国が安定するのは望ましい事柄だし、僕らも隣接している地が友好的な方が良いことも確かだ。けど、そんなことしたらさ、そのマークツウ王国って国ができ上がってから揉めるんじゃないの?」
「国としての庇護ができていない状態が長く続きましたし、真面な対応ができなかったせいでの災害級魔獣から甚大な被害を受けている土地が含まれています。ですから、『戦争を吹っかけてくるような実力行使が跳ね返せる』のであれば、『民を守れないで税だけを取ろうとする国とは、縁を切って独立する』という言い分自体は通ります」
ラックの妻は視線で「貴方が長城型防壁を作って、囲ってしまえば良いのです」と、語っていた。
ゴーズ家として戦力を国外へ出しての、戦争協力は不可能だ。
だが、対価を受け取っての土木作業の受注には、問題はない。
請け負った土木作業がどんなに大規模なものであろうとも、対価が分割払いとなり、それがさもラックに税を納めているかの如くに他人の視点では見えたとしても、全く問題はないのである。
少なくともファーミルス王国の法では。
ゴーズ領の領主であるラックのみが作り出せる、長城を模した防壁という存在。
その堅牢さは、上級機動騎士以下に使える魔石を体内に宿した、大型の魔獣の襲撃を防ぐことを想定しており、それに見合った強度というか耐久力で作られている。
但し、いくら堅牢と言っても、さすがに災害級魔獣の攻撃を防ぐことは、想定を超えるので不可能だけれど。
長城型防壁は、ファーミルス王国の機動騎士を使用して破壊活動をされれば、数日レベルのかなりの長い時間を必要とはするものの、なんとか破壊が可能ではある。
だがしかしだ。
機動騎士も含めた高い攻撃力を発揮できる魔道具は、他国にはない。
つまりは、ミシュラの考え通りにラックが長城型防壁を作り上げれば、ファーミルス王国から攻められるのでない限り、国土丸ごとの籠城が可能となるのだ。
しかもその籠城は内部に生産地を抱えているため、所謂兵糧切れとなることもない。
ファーミルス王国は頑なに過去の偉業を成した賢者様の言を守っていて、一切の外征をしない。
ラックが所属する王国とは、隣国が自ら戦争を吹っかけない限り、安全な取引相手として存在するのみとなるのである。
高さ三十メートルの威容を誇る堅牢な長城型防壁は、幅というか厚みが最大で十五メートルであり、最も薄い部分でも十三メートル程度だ。
ちなみに、厚みに幅があるのは、取り付いて登るのが困難なようにオーバーハングして曲面で仕上げられているから。
おまけに高温で表面を溶かしているため、ツルツルのなめらか仕上げでもある。
高さというものは、それ自体で戦闘面では有利に働く部分が存在する。
敵からの攻撃は届かず、味方からの攻撃が一方的に可能な状況が生み出される場合があるからだ。
但し、相手のみに長射程の大砲に相当する武器が存在すれば、話が変わってくることもあり得る。
けれども、双方が同じレベルの武器、それも飛び道具は弓の類と投石が主体だったりすると、「高い位置から攻撃できる」というのはそれだけで計り知れない利点と化すのだ。
ゴーズ家に庇護を申し入れて来た地域では、「ゴーズ家の庇護する地にある防壁の情報が半年ばかり前から蔓延している」と言って良い状況となっていた。
ゴーズ家の直轄する村がある騎士爵領相当の地は言うに及ばず、庇護下に入っているガンダ家、レクイエ家、フリーダ家、ティアン家の管轄している領地もまた同様の堅固な防壁に守られている。
その情報は、ルバラ湖の対岸にあって、それらの村へ向かう行商人が通過して行く旧カツーレツ王国の勢力範囲でも、知れ渡っていたのである。
旧カツーレツ王国側の対岸にあるそれらの村を訪ねて、聳え立つ立派な防壁を直に目にした者も中には存在し、そうでなくとも行き来する行商人たちからの情報も入る。
現地の住人は「防壁ができた後は、以前であれば時折迷い込んできていた中型以上の魔獣が、一切姿を見せなくなっている」と語り、そんな話を聞かされれば羨ましくもなるというモノだ。
魔獣の被害とは、馬鹿にならないのだから。
そんな状況の中、内戦が収束に向かっており、新たに発足するであろう国への所属と荒廃した国土を立て直すための重い税の話がこの地にも舞い込んだ。
他に頼るべき者がなければ、ひょっとしたら「受け入れるしかない」と諦めて従ったかもしれない。
逆らって軍を向けられれば、捻り潰されるだけだからだ。
しかし、現状では対岸の情報が入って来ており、「ゴーズ家の傘下に入れて貰う」という選択肢が出て来ていたのである。
「要は僕に『独立を維持できる拠り所となる防壁を作ってくれ』という話になるわけだね? どうせ重い税を毟り取られるなら、それを作って貰って独立して、対価を僕に支払う方がマシ。実質的にゴーズ家の傘下に入れば安価な塩の供給だって受けられるから言うことはない。魔獣の被害が出た場合は『救援を即座に求められる』ってのもあるんだろうね」
「そうですわね。人口規模としては総数で約八千人。南側の東部辺境伯領とも接している地に人口は集中しています。そこが『街』と言って良いレベルになっていますわね。建前は国ですけれど実質的には『自治領』って感じでしょう」
“どうするの?”という視線を向けているミシュラに、ラックは頷いて返す。
この瞬間に南北方向で百二十キロメートル、東西方向で六十キロメートル(三十キロメートルが二つ)が当面の優先整備決定となったのである。
実質的には色々な意味でゴーズ家の庇護下に入るが、形としては独立国。
ラックは政治に口を出す気はないため、傀儡政権ではない。
南側の街の規模が大きいため、そこを首都として国の形をとることが決定された。
そうして、国名の名付けを要求されたゴーズ領の領主様は、“ヒイズル王国”の名を贈ったのであった。
ラックは「隣に友好的な国がある方が良い」という理由だけで、長城型防壁の整備を引き受けたわけではない。
対価が「分割払いで支払われる」とは言え、それだけではメリットが少なすぎる。
では、最終的に要望を受け入れる判断を後押しした条件とはなんだったのか?
端的に言えば「魔力持ちの雇用」である。
旧カツーレツ王国に限った話ではないのだが、ファーミルス王国の魔道具で魔力量二百以上でないと扱えない品は輸出されてはいない。
故に必要性がないため、約八千人の国民全員が魔力量は未検査である。
全員の検査を実施して、「魔力量が高い人物は、ゴーズ家が好待遇で雇用する」というのが、条件に含まれていたのであった。
勿論、強制での雇用ではない。
だが、ゴーズ家の雇用条件を提示されれば、転ばない人間は存在しないであろう。
そんなこんなのなんやかんやで、ラックは約六十日の時間を費やし、ヒイズル王国のルバラ湖側を除く外周の防壁工事を完了させる。
工事期間が過去の事例より大幅に短縮されているのは、慣れの部分と超能力の成長の両方が原因だ。
ラックは自身の持つ超能力を成長させる方法を、明確に把握できてはいない。
けれども、過酷な状況で使い続けると、できることが増えて行くことを経験的に知っていた。
厳密には精神的苦痛に耐えることが超能力を成長させるのだが、その条件を彼が正確に知ることは難しい。
それは目に見えるものではないのが原因なのだけれど。
未だ試していないため、現時点では本人は気づいていないが、機動騎士を同時に二機連れてのテレポートもいつの間にか可能になっている。
通常ならあるはずの体力や身体能力の加齢での衰えと違って、超能力に対してのそういうモノは今のところ感じられない。
老齢と言われる年代になれば話が変わるのかもしれないが、現時点では衰えるどころか成長を続けているのである。
もっとも、体力や身体能力も若返りを使用することで、二十歳の時期のそれを保っていたりするのだけれど。
ラックによる整備が終わったことで、ヒイズル王国は建国を宣言した。
ゴーズ家はその件をファーミルス王国に対して事後報告を行う。
その報告は国是に反する話ではなく、実態はともかくとして体裁だけは整っている。
そのため、国土を接する小国の隣国として、王国からはあっさりと承認がなされた。
そして、ファーミルス王国が承認してしまえば、周辺国もそれに倣う。
斯くして、ヒイズル王国は誕生し、正式に国として認められたのであった。
ちなみに、この時点においてマークツウ王国は、どこの国からも承認されていなかったりする。
これは王として立った男性がカツーレツ王国の王族の血筋を主張し、旧王国の領土全ての継承を主張したことが大きな原因となっている。
未承認のマークツウ王国の南側に接しているアイズ聖教国は、彼の国の内戦中に併合を希望した南部地域を幾つか取り込んでいた。
しかも、ファーミルス王国やスピッツア帝国、バーグ連邦に国境の変更を正式に表明して承認されていた。
それを「元に戻せ!」と主張しているのだからすんなりと話が纏まるはずがないのである。
その上、ヒイズル王国が承認されてしまったのだから、もうマークツウ王国の主張が通る可能性はない。
諦めて現状維持での国境線を認めれば、血筋が詐称であると各国が思っていても、目を瞑ってもらえて国家として承認される。
しかしながら、その点に思い至らない指導者が国王として立ってしまったのが国としての不幸の元凶なのだった。
東部辺境伯が、旧カツーレツ王国の内戦中に難民の受け入れを拒否していたせいもあって、かなりの数の難民がアイズ聖教国に流れ込んでいる。
大迷惑を被っているだけに聖教国は譲る部分が絶対にないのだから、交易を正式に再開して国力の回復を狙うのであれば、マークツウ王国は現状維持を呑むしかない。
聖教国側は「国として機能して安定さえしてくれれば、別に国としての承認や国交の回復、交易はどうしても必要ではない」と思っていたりするのだから、交渉の余地がないのであった。
追い込まれれば暴発する。
それは「世の中の常」と言えるかどうかは微妙な話ではあるが、ことを今回のマークツウ王国に限定すれば、間違ってはいない。
何しろ、ヤバイ王とその側近で国の上層部が構成されたままなのである。
元々何の権利も所有していないのに、武力と策謀で内戦を終息させた手腕は保持されたままであり、過去の実績による自信もある。
交渉ができないとなれば、彼らが武力に頼ろうとするのはある意味必然であったのだろう。
勝手に独立して建国したムカツク小国を踏み潰して、その勢いでアイズ聖教国へとなだれ込む。
そんな計画が立てられ、実行に移されようとしていた。
結果的には何事も起こらず、マークツウ王国は破滅と混迷の道を突き進むのだが。
「防壁があるから攻められても平気だけど、そのような考えの上層部しかいないってのが問題だね。後継ぎのお子さんはいるようだから、僕としては次代とそれを支える人たちが賢明であることに期待するよ。ってなわけで、ご退場願おうか」
千里眼でマークツウ王国の状況を把握していたラックは、ヒイズル王国へ兵を向ける準備の命令書が作成されたのを視て、その時点で彼らを放置することを諦めた。
ゴーズ家の当主は、進んで殺人がしたいわけではない。
しかし、害しかない人物に悪意を向けられれば、黙って放置するほど人間ができてもいない。
マークツウ王国の主要な側近も把握している超能力者は、全員の排除を孤独に決断した。
それを実行することを、誰かに知らせる必要性も知って貰う必要性もない。
不必要な精神的負担など背負わせるべきではないのだ。
夜のお相手が二人共夢の世界へ旅立った後、ラックは深夜に「暗殺」と言うのが表現として適している手段に出た。
具体的には現地へテレポートして、透視と念動を使い、脳内の血管に血栓を複数置いてきただけである。
万一命が助かったとしても、深刻な後遺症が残るのが確定な残虐な方法であるにも拘らず、出血を伴うわけでも刃物で刺殺するわけでもない病死に見える暗殺であった。
やり方がやり方だけに、見た目で精神的負担の追加ダメージが加算されないのは、彼個人にとっては良い点だ。
こうして、ラックはマークツウ王国の企てを事前に摘み取り、彼の国の安定を先延ばしにさせたのである。
必要になれば非情になることもできるゴーズ領の領主様。レクイエ家のウォルフを思い浮かべ、「お前は僕にこんなことをさせる道を選ばないでくれよ」と心の中で呟く超能力者。持っている能力だけなら、“超一流の暗殺者”を名乗ることが可能なラックなのであった。




