36話
「『北部辺境伯からの急使が来た』だと?」
宰相は北部辺境伯が王宮へ向けて「第一報として出した使者が訪れた」という報告を受ける。
彼の執務中には緊急性の低い案件は上級文官が情報を止めてしまうため、使者の訪れをこの段階で告げられた時点で緊急案件の可能性があった。
そうして、宰相は使者からの情報でティアン領が滅んだことを知ったのだった。
「陛下。最北東の最前線であったティアン領が滅んだそうです。詳細情報はまだなく、第一報の段階ですが」
「ほう? ルバラ湖近辺は水の事情が良いこともあって安定していたと記憶しておったが。魔獣の領域と接しておれば、そのようなことも『時には起こる』ということだな」
「はい。隣接しているガンダ領やゴーズ領にも被害が出る可能性もあります。シス家の次期当主が現地確認へと出ているそうですので、続報待ちですな」
報告をしている宰相としては、安定して領地経営ができていた騎士爵領の一つが滅んだのは痛い。
新規開拓が安定する前にとん挫する例は多くとも、一定の水準を超えれば上の爵位が見えて来る。
そういった「希望がある」というか、「夢が見られる状況」でなければ後に続く者が出なくなるからだ。
夢敗れる者が多く発生してしまっても、極一部の成功者が男爵以上へと駆け上がって行く。
そのようなサクセスストーリーがなければ、北部の魔獣の領域を抑え込むことは難しい。
国の制度的にも、それが前提となる貴族制度となっている。
よって、言葉は悪いが、騎士爵や準男爵は夢にチャレンジして淘汰されてくれなくては困るのである。
宰相の観点から行くと、ゴーズ家のラックは騎士爵から男爵に駆け上がっている存在であるのだが、彼の場合はスタートが特殊過ぎるのと“特例”の爵位であって本人の魔力0なのがまずい。
これを「夢が実現した実例だ」と示すには、問題があり過ぎるのであった。
「その場所にあるのであれば、跡地はガンダ領かゴーズ領になるのではないか? 両家とも今は男爵だが、将来魔力量の問題で、上の爵位へ陞爵できなくなる事態がありえるのではないか?」
国王は珍しく、将来起こり得る話を正確に予測して宰相に話を振ってきた。
「陛下。それはその通りなのですが、ゴーズ家に『子爵相当以上の魔力量を持つ娘を嫁に出すことができる家があるのか?』の問題があります。そして、彼の家がガンダ家を庇護下に置いている以上、ゴーズ男爵の正妻の実家である、カストル公爵家の面子を潰すような娘をガンダ家には出せないのです」
ゴーズ家とガンダ家。
二つの家が子爵になるには“特例”の制度を使う以外に道はない。
ラックの魔力量は0であるし、ガンダ家の当主のカールも魔力量は全く足りていない。
但し、カールの場合は現在の後見人の魔力量が足りていれば良いので、本来は妻を娶る件に関しては時間の余裕はある。
つまり、ゴーズ家に子爵級の魔力量の娘を嫁がせ、その者をカールの後見人とすれば時間が稼げるのだ。
だがしかし。
その方法には「ミシュラの実家がカストル公爵家である」という一点が、最大の問題として立ち塞がるのである。
仮に、カストル公の家の面子の問題が無視できたとしても、まだ別の問題もある。
適当な年頃の娘が(娘と言って良い年齢の女性であるかは疑問だが)そもそも存在するのか?
若い娘は嫁ぐ相手が既に決まっているであろうし、ラックの年齢に近いそれなりの年齢の“魔力持ちのワケアリ女性”は、都合よく存在してくれてなどいない。
魔力量的な意味でここでは関係ないが、先の不祥事で未亡人となった女性が多く、そこの部分もなんとかしたい。
宰相は可能であれば縁談を纏めて、「未亡人のまま」という状況を止めたいのだ。
ラックは領地的には優良物件なので、その相手として活用したいところはある。
だが、ここでも既にいる第一夫人と第二夫人が問題になるのだから悩ましい。
養う能力はあるのだから、後五人くらい引き受けて欲しいのが本音なのである。
もっとも、嫁ぐ側が魔力量0の相手に嫁ぐのを、嫌がる可能性が高いのだけれど。
「そうか。幽閉した二人の相手では、魔力量が高過ぎるであろうしな。難しいものだな」
国王と宰相の話は、ここまで進んだところで話題は他へと移って行く。
ラックに係わる部分は特に急ぎで結論を出して、なにがしかの決定しなければならない案件ではなかったためだ。
彼らには、国を運営していくために、話すべきことは他に色々あるのであった。
「話には聞いていたが、これがエルガイ村か。私としては見た印象から『エルガイ砦』とでも呼びたいところだがな」
「そうですか? 村を守る防壁は立派かもしれないですが、中はまだまだ発展途上ですよ。住民の確保の問題も未だに解決していませんしね」
「それだ! ゴーズ卿は何故、フランを通してシス家へその点の助力を要請しないのだ? 勿論、ひも付きを警戒するのは理解はできる。けれどな、要請を受けた場合、『その点も配慮して民の選別を行ってから送り出す』ぐらいのことは当然の話だぞ?」
ルウィンはさらっと微妙な問題に踏み込んで来た。
ラックとしては、突っ込んだ話するのを避けたい話題である。
「私的な雑談で公式の場ではない前提でお答えしますね。当家は他所に出したくない情報がそれなりにあるのは、色々と調べておられる北部辺境伯様が一番ご存じでしょう。そしてそれはルウィン様も承知しておられると思います。受け入れる領民の縁者が別の管轄の領主の元にいて、交流があって情報が流出するのは当家としては避けたいところです」
ラックは一応、「領主としての本音はこんな感じですよ」という話を先に出しておく。
そして、あまり言いたくない本命の理由も続いて述べる。
「ですが、一番の理由が別にあります。今、人口がどんどん増えているガンダ領の住人たちの要望なのですよ。『俺たちの子供の入植する場として残して欲しい』というのがね。それを無視して『先住民になってしまう住人を受け入れるのはまずい』という判断です」
現時点でラックに対してそのようなな要望を出す住人は、ゴーズ領の領主への絶大な信頼を寄せる熱烈な信者、なんなら「狂信者」と言っても良いほどの存在だ。
但し、ゴーズ教などという宗教はないが。
彼らのゴーズ家への忠誠心は高い。
仮に新たな住人を別で手配して入れたとして、同等のそれを得られるかはわからない。
酷い時を知らない新しい移住者であれば、「期待する方が間違っている」まである。
十年、いや、早ければ五年後には、現在のガンダ村の住人たちは将来を見据えて、「トランザ村やエルガイ村への一家での移住」を決断する者が出てくるであろう。
そして、領内の人的交流があるレクイエ村やフリーダ村で、追随する者が出てくる可能性は高いのだ。
ガンダ領の領民の声を聴いたラックたちは、未来予想図が脳内に描けたことで、考えを変えた。
ゴーズ家の面々は、「焦って領民を募集して入れよう」という案に対しては、既に消極的になってしまっていたのであった。
「そのような話になっているのか。だが、いくらそれが理由であっても、ティアン村の復興、この地の北側の開発、それにおそらく意図的に卿が手を出していない西側の地もある。特にサエバ領の北側、旧デンドロビウ領は卿の妻の一人の実家があった場所だ。更にその北には旧ビグザ領もある。それらへ開発を広げて行けば自然増の人口で賄うだけでは追いつかなくなるのではないのか?」
「リティシアの実家のことまでご存じとは。さすが次期北部辺境伯様だけあって知識量は豊富なのですね。人口の増加は今後五年で千五百人ほどと予測しております。それ以降は緩やかに増加することになるでしょうが、それでも十年後には二千人増、つまり現時点で約二千人いる住民が倍の四千人に増えます。増えた分の子供たちが親になる頃には、人口の増加速度が上がると見込んでいます」
ラックはティアン村を抱え込む気はなかったが、ルウィンは彼が抱えるのが当然の話をしている。
“この短時間でどうやったのか?”や、“何が起こったのか?”は、シス家の長男には理解できなかった。
しかしながら、ラックたちを回収した時点で、初期の復興作業の完了が確認できている。
これはゴーズ家が「ティアン領の復興に向けて、相応の手間を掛けています」と主張しているのと同じであるし、直系の男子を保護している現場も見ているのだ。
ゴーズ家の当主の胸の内がどうであれ、外から状況を見ているルウィンの判断は極めて妥当なモノであった。
また、ルウィンがラックとの雑談からで新たに知った、人口増加状況の情報。
それからは三十年後の未来を想像した時、自然増で人口一万に届いていても全くおかしくないことを理解させられる。
自然増でそこまでとなれば、別途移住希望者が大量に流れ込んでくることもあり得る。
そんな未来にはラックは隠居し、クーガの代になっているかもしれない。
ゴーズ家を頂点としてゴーズ領と配下のガンダ領の人口も加えれば、三万~五万の規模に膨れ上がっているかもしれない。
もし、それが実現すれば、伯爵家の規模に届こうかというレベルだ。
ゴーズ領は領地の場所が最前線の地でもあるから、状況次第ではこの国に五つ目の辺境伯家、即ち、“北東部辺境伯”なるものが誕生する可能性だってあるのである。
ルウィンは「義妹のフランがこの家に嫁いでいて良かった」と、心の底から思う。
そして、「父の当時の判断を自分ならできたのか?」と考えると、「まだまだ現当主から学ぶべきことが多い」と自覚して、身が引き締まる思いになったりするのであった。
エルガイ村の領主用の館に到着した四人は、屋敷の維持で最低限在住しているゴーズ家の直臣に世話になり、一晩の時を過ごす。
だが、ラックはこの屋敷にもある専用の自室に一人で入った後は、直ぐにテレポートでガンダ村、トランザ村へと順次移動し、状況認識の共有化を行う。
ラックが最初に向かったガンダ村のリティシアの元には、フリーダ村から情報が届いていた。
その情報の中にはティアン家の娘の件があり、ゴーズ家の当主はティアン家の生き残りがブレッド君だけではないことを知るのだった。
「ルウィンが現地確認に出てきて、ラックと鉢合わせしたのか。そして、フリーダ村でティアン家の娘を保護し、エルガイ村で息子を保護か。リティシアのような親がいないだけで昔のガンダ村で起きた状況と同じだな。つまり、ラックは実質的に後見人に名乗りを上げている状況なわけだ」
フランは状況を聞いて整理する。
彼女は、ティアン家を丸ごと抱える覚悟が定まっているようには到底見えない夫に、穏便に今後の方針を決めるための助言をするのであった。
「そんなつもりはなかった。だけど僕の行動は、そう受け取られるのが自然みたいだね」
やってしまったことは仕方がない。
自らの意思で選んだ行動である。
クーガの勇み足が切っ掛けだったとしても、選択をしたのはラックなのだ。
そして、自身の能力を鑑みれば、ティアン領を抱える余裕はある。
超能力者の心中では、「僕は積極的にそれをやりたいのか?」という問題であったに過ぎないのだから。
「ミシュラはトランザ村で待機。明日以降も今まで通り執務を可能な範囲で処理を頼む。それと、この後クーガを連れて来るからお説教もよろしく。リティシアにはガンダ村をそのまま任せてきている。フランは今から僕と、フリーダ村へ機動騎士で出て貰う。フリーダ家をどうするかはまだ決めていないけど、明日からしばらくの間、フリーダ村の防衛と雑務、ティアン領の領主の娘のケアも頼む。それと、クーガへのトランザ村への帰還指示。機動騎士から長時間降りられなかったから、結果的にもうちょっとした罰になってしまっているけどね」
ラックはエルガイ村に滞在していることになっているので、フリーダ家に直接顔を出すわけには行かない。
そのため、フランにはフリーダ家の第一夫人宛ての手紙を託す。
手紙の内容は彼女の派遣理由と役割であり、実質的には命令書に近いものとなっている。
そして、待機中のはずのクーガへの帰還指示も彼女に託す。
指示に従ったクーガの乗る最上級機動騎士がフリーダ村の外に出てしまえば、超能力者がテレポートで拉致してしまうのだけれども。
そんなこんなのなんやかんやで、色々と済ませた後、ラックは深夜にエルガイ村に戻った。
後は眠って、しれっと朝にトランザ村から直臣が運んで来る報告書を受け取れば良いだけである。
勿論、内容は事前に知っているけれど。
「そうですか。姉がフリーダ村にいるのですね。そして僕がティアン家の当主を継ぐ立場ですか」
「その話だとそうなるな。だが、その前にブレッド。君は、魔道大学校を卒業せねばならない。その時までは後見人を立てる必要がある。君に思い当たる人物がいるのであれば良いが、いなければシス家かゴーズ家を頼るのが現実的だ。そして、後処理を開始しているゴーズ卿が、現在それに立候補している立場となる」
情報を持ってやって来た直臣からの、「やらせ」と言って良い報告を受けた後、ラックはルウィンとその妻、そしてブレッドの三人へと話をした。
超能力者が彼らに語った内容は、ゴーズ家が現在把握している今回の一件の関連情報についてだ。
その結果が、前述のブレッドとルウィンの二人の発言なのだった。
「お隣の領主として、できることをしただけだから、後見人になる意思を示すつもりではなかった。だけどね。ブレッド君がティアン領を受け継ぐ気があるのなら、ゴーズ家は条件付きでそれを受ける。でも、君には『家だけを継いで、領地を持たない』という選択もあるんだ」
ラックは「この道は選ばないだろうな」とは思っていても、一応選択可能な別の道も示した。
後になって「あの時知っていれば」と、なってしまうのを防ぐためである。
もっとも、先に知っていても「あの時あっちを選んでいれば」と、後悔することもあり得るのだけれど。
こうして、ラックはティアン村の現地確認を終えたルウィン夫婦に亀肉のお土産を持たせて送り出し、ブレッドの決断によりティアン領の後見人を妻たちと共に引き受けたのである。
魔獣に荒された領地の、本格的な復興作業に従事することになったゴーズ領の領主様。フリーダ家に残された未亡人の処遇にも、責任を持つ必要がある土方親父な超能力者。フランがフリーダ村でその件についての相談を受けているのを、まったく気づいていないラックなのであった。




