27話
「『災害級魔獣の行方が完全にわからなくなった』だと?」
宰相は午前中の執務をしている最中に、緊急の報告を受けていた。
早朝に「監視対象を見失った」という第一報を受け、「現在捜索中」とのことだったのだが、捜索後の第二報は「発見できず、手掛かりもない」であった。
準備していた第三王子と東部辺境伯の次男の機体は、今日出撃する予定であったため、第一報を受けた時点で待機命令へと切り替えられていた。
そんな最中への第二報だったのである。
「幽閉者たちの今日の出撃は完全中止。彼らの待機命令を解く。明後日以降に出す予定であった、『対災害級魔獣討伐軍の招集命令』も再度魔獣が発見されるまで凍結。魔獣の捜索に使える人員の増強案を一時間以内に取り纏めて提出せよ。急げよ!」
宰相の指示により文官がバタバタと動き出す。
それはそれとして、巨大な魔獣を「見失う」という状況自体が異常であった。
捜索を担当した者たちからは、「辿れる移動の痕跡がない」との報告を受けた。
ならば「空を飛んで移動した」とでも言うのか?
そんなことはあり得ないのだから、人手を増やして周辺を丁寧に捜索すれば、直ぐにでも再発見されるだろう。
この時の宰相は事態を楽観的に捉えていた。
ラックが災害級魔獣を討伐済みで、その巨体を解体して持ち去っているとは知らずに。
第三王子と東部辺境伯の次男は、出撃して災害級魔獣と戦うことが罰であり、その戦いに勝利することができれば無罪放免、負ければ死。
古くからある制度を利用したそのような決定がされていた。
そのため、今のところ強制の子作りをさせられる幽閉者としての扱いは、受けていなかった。
もし、そうした扱いを短期間でも受けていれば、彼らは出撃を渇望したはずであろう。
だが、彼ら二人には、「ほぼ確実に死ぬ戦闘に赴くより、生きている方がまだマシであるだろう」という考えがあった。
彼らは、「生涯幽閉が過酷な状況に貶められる刑罰だ」と、知識として知ってはいた。
しかしながら、それを実際に体験していなかったために、その本当の過酷さを理解してはいなかったのだ。
加えて、「時間を稼げれば、親である国王や東部辺境伯が、なんとか救い出してくれるだろう」などという、甘い考えも捨てられずにいた。
彼らの親は、重罪を犯した息子たちを死地へ送り出す決定を既に出している。
それが「恩情である」という認識なのだからそんなことは起こるはずもない。
けれども、そういったことが理解できる頭脳の持ち主であれば、今回の原因の事件のような馬鹿なことをしでかしたはずはないのである。
出撃準備命令が待機命令に代わり、その待機命令も解除されて出撃停止になったことで死が遠のいたのを喜ぶ二人。
それを、他の参加者である出撃を希望した幽閉者たちは、愚か者を哀れむ目で見ていた。
そして、「そのような視線にすら気づかないほどの、愚劣な後継者候補だったのだ」と、準備作業に従事していた周囲の人々は知ってしまった。
知りたくもない情報を知って、「こんなののために自分たちは、出撃準備作業で仕事に追われていたのか?」と思うと、「仕事へのやる気」というか「情熱」というか、そういったものが急激に失われて行く。
望まなくとも、実感されてしまう。
上が腐れば下も腐る下地ができて行く。
ファーミルス王国はいつか限界を迎える時が来るのかもしれない。
「貴方。これは加工が追いつきませんわよ? 冷蔵や冷凍の魔道具に頼っても、相当な量が腐ってしまいます。どうするのですか?」
徹夜明けの夫を更に働かせる選択しかできないのは、非常に心苦しいミシュラだ。
しかしながら、指摘せずに放置できる事柄ではない。
先に倒した亀さんのお肉が、まだ未加工状態であり余って冷蔵や冷凍されている所に、更に大きな個体を倒して、素材を持ち込んでいるのだ。
そんな状況になれば、パンクするのが当たり前であった。
「うん。わかってる。極点付近の陸地に保管場所を作ってそこへ置いておくよ。人が住める所じゃないし、生き物も魔獣もそうはいないだろうからね。ちょっとした貯蔵施設を作ってくるつもり。とりあえずは先に適当に運んでしまうね」
氷山の件といい、今回の件といい、ラックは極点付近の環境や資源を好き勝手に私物化して、利用しまくる気満々であった。
その極寒を「便利に使える“僕だけの天然の冷凍庫!”」と、考えていられるのは、サイコバリアで身を守り、テレポートが使える彼だけの特権なのかもしれない。
誰からも苦情が出る話ではないので、良いのだろうけれど。
二人がそんな話を終えて動き出そうとした時、リティシアが執務室へと入ってくる。
「おはよう。ようやく戻って来れたよ。外の状況を見れば忙しいのはわかる。シス家が動いてくれたのはフランを通じて手を打ってくれたのだよな? フランにももう昨日礼は言ったが、『旦那様にもきちんと礼を』と思ってこちらへ来た。昨夜は『ガンダ村に来てくれる』と思って期待していたけれど、この状況を見れば『何をしていたのか?』がわかるから、『寂しかった』と思うのは私の我が儘だな」
「ああ、ごめん。千里眼でずっと状況は視ていたから無事に帰って来たのは知っていた。僕は『リティシアが色々な意味で疲弊しているだろう』と思っていたんだ。だから、『ガンダ領で落ち着く時間も必要だろう』と考えていた。そして、今日の日中に顔を出すつもりではいたんだよ? だけど、確かに帰って来た妻を出迎えない夫はダメダメだよね。僕の甘えだった。ごめんなさい」
“領主として領の安全を優先した”とか、“徹夜作業に向けて睡眠を取ることを優先した”とか、災害級魔獣を討伐してしまうことで、“リティシアの件に係わっていた上級貴族が無罪になる可能性を潰した”とか、色々な事情が複合していたのだ。
要は、そうなってしまった理由は、ちゃんとある。
つまり、「ラックが選択を完全に間違った」という話でもないのだが、夫としては、結果的にダメな行動の部類に入ってしまうだろう。
横で聞いていたミシュラは、「昨日の夕方から夜にかけての何処かの段階で、ラックがテレポートでリティシアの精神面のフォローもしている」と、思っていた。
それだけに、「え? 一晩放置したの?」状態となる。
そして、「今後は第二夫人、第三夫人へのこういう心の機微の方面でのフォローを忘れないようにしなければ」と考える。
ラックは対人スキルが低いわけでもないけれど、ミシュラが思い返してみれば、対女性に関しては特に鈍感というかうっかりが多い気もする。
おそらくは十歳以降の超能力に目覚めた後の夫の人生において、幼少期から成人するまでの期間に、接触テレパスで知りたくなかった事実を何度も突き付けられている。
そのせいで、どこかしら他人への興味が希薄になっているのであろう。
そう言えば、「自分も婚約破棄されかかったまで行ったこともあったのだ」と、十数年前のことを懐かしく思い出してしまうミシュラであった。
そんなリティシアの一幕も終わり、ラックはその日の大半を凍寒の地で過ごす。
超能力者は亀肉の保管をする作業をしながら、「肉の放出時の入手経路の詮索をどう躱すのか?」を考えていたのだが、良い案が何も思いつかない。
行商人だけが相手なら出所を詮索されても突っぱねるだけで良い。
だがしかし。
購入者が高魔力持ちばかりだと、そちらからの圧力が掛かってくるのは容易に予想が付く。
そうして、「妻三人に知恵を出して貰うことにしよう」と、いつもの結論に落ち着くゴーズ家の当主は平常運転だ。
それが良いことかどうかは、議論の余地があるだろうけれども。
翌日のラックはテレスと彼女の機体と共に、ガンダ領に訪れていた。
リティシアをトランザ村に連れて行って、一緒に考えて貰う必要がある。
そのため、ガンダ村の留守を守るお仕事をテレスに任せるのであった。
そんなこんなのなんやかんやで、トランザ村の領主の執務室にはラックと妻三人が揃っていたのである。
「というわけで。僕は悩んでいます。『素晴らしい知恵が提供されること』を期待しています」
さらりと丸投げ宣言をしてしまうあたりは、「領主としての威厳とかプライドとか大丈夫なのか?」と、通常であれば妻たちが悩むような状況であるはずなのだ。
けれども、残念ながら彼女たちは、悪い意味でもう慣れてしまっている。
それは、「そういう夫だと諦めている」とも言うが。
残念な部分が目立つこともあるが、ラックの物理的なアレコレの実行力は比類なく高い。
突出している能力があるのだから、妻たちは夫の多少の欠点には目を瞑るべきなのであろう。
そんな夫の発言を受けて、ミシュラは苦笑しながらも答える。
「今のこの村の在庫分の加工が終わるのが、ガンダ村から応援を出して貰っても後二か月は掛かります。その時点で春の農作業の時期も既に被りますし、そこからは加工できる物量は更に少なくなるでしょう。つまり、少しずつ運び込むことになるのでその都度狩ったと誤魔化すことは不可能ではありません。ですが、それでも『その亀型魔獣は何処で狩ったの?』の部分が問題となります。それと、肉以外の素材はお蔵入りにしないと、大きさでバレます」
ミシュラの案は「今後どうせ加工できるペースが落ちるから、極点付近に置いてある在庫は少しずつしかトランザ村に持ってくる必要がない」という考えである。
続いてリティシアも意見を述べる。
「この領の北部の開拓度合い次第の部分はあるのだが、そちらにも海水を引き込むのであれば、そこに亀型の魔獣がいても不思議ではない。大きめの海水の水場を作っておけば、言い訳が立つのではないか?」
「私の考えもリティシアと同じだな。直径一キロを超えるような『海水湖』とでも言うべきモノをでっちあげるのが良いと思う。養殖だったか? 新しい事業もそこで起こすのが良いのではないだろうか? 少数に限るが、なんなら小型の亀の魔獣をそこでコッソリ飼育するまでやって、偽装工作に走っても良いだろう」
フランの考えも述べられ、初期の意見は出揃った。
ここから更に三人の妻でお互いの意見から細部を詰めて行くのであるが、ラックは結論が導き出されるまで待つのみであった。
「うん。じゃ、僕は北の整備を続けて海水湖を作り出せば良いんだね? ニューゴーズ領に繋いだ海水のトンネルは北を通ってるから、そこから引き込むのならそう時間を必要とせずに完成させられる。淡水はこの領の人造湖から水路を伸ばす。後は元々ある川と井戸で対応ってことで村の予定地も整備してしまおう。外側の長城だけはもう完成しているから、内部の魔獣の駆除をこれから徹底的に行う。作業期間の目標は『夏が終わるまでに』ってところかな? 実際は前倒しになると思うけど」
「貴方。そこまで完成しているのならもう北という呼称はやめておきませんか? 領地名なり村の名前なり、固有の名称を付けた方が良いと思います」
ミシュラの提案はもっともな話である。
現在はゴーズ領の名前はどこにも使われていない。
ゴーズ村がある領地は、サエバ領に領地名が変更されている。
よって、北側の領地名は「ゴーズ領で良いか」となってしまった。
「村の名前もついでだから付けてしまおう。命名、エルガイ村。特に意味はないけれど。そんな名前が思い浮かんだから、それにするよ」
こうした話の流れで、決めるべきことは決まり、新しく開拓していた北部も領地名や村の名前が決まった。
尚、ラックがどうやって名前を考えているのかは、詮索してはいけない。
絶対に、だ。
いいね? わかったね?
三十日ほど経過した時、王都から連絡事項を携えた使者がトランザ村へとやって来た。
現在、災害級魔獣の行方が完全にわからなくなっており、捜索規模は縮小されて継続が決定。
追加日程で更に三十日間捜索しても見つからない場合は、捜索隊を解散とする。
ゴーズ家の当主に知らされたのは、そのような事柄であった。
そして、「対象が発見されることがなければ、対災害級魔獣討伐軍の招集は行わない」との話。
更に、王都からの使者は追加で、「王国からニューゴーズ領のみへの内々の要請もあるのだ」と明かす。
彼が持ち込んだ話の内容は、亀肉の加工品の定期購入。
主目的となる使用用途は、幽閉者への提供なのだった。
探しているという災害級魔獣は、既に討伐して解体撤去済みなのだから「いくら探しても見つかるはずないんだよなぁ」と、ラックは思った。が、それを態度に出さないのは当然のことだ。
そして、別件として要求されたのは亀肉である。
ラックとしては、以前から幽閉されている者には特に思うところはないのだが、今回、最上級機動騎士で出ようとしていた二人には「ガッツリと私怨がある」と言って良い。
未だに情報が明かされないため、その二人が“誰なのか?”を正確に知ることはできていない。
だが、千里眼を駆使して覗いた顔からすれば、一人は超能力者が見知った王族であった。
もう一人は視ても誰だかわからなかったが、上級貴族なのは確定している。
故に、ゴーズ家の当主として、定期購入の話には条件を付けたのだった。
まず、前提として在庫がない場合の販売義務はないこと。
無限に調達し続けるのは不可能であるから、「なんとしてでも亀肉を用意しろ」という話にされては困るからだ。
次に、毎回の購入時に前回購入分の全量の内訳明細として、幽閉者以外での利用量を明らかにすること。
これは「転売や政治利用を防ぐ目的からだ」と理由も説明している。
最後に、その他の条件として、販売開始時期は捜索隊の解散後。
つまりは「私怨の対象に食べさせるのであれば、売りますよ」という条件であり、「僕たちは怒っていますよ」という意味を暗に込めるのだった。
こうして、ラックは国からの要請を条件付きで受け入れ、亀肉の加工品の卸でちょっとした復讐をすることになった。
魔獣の話も亀肉の話も、なんとなく面倒事から逃げ切れそうで、気が楽になっているニューゴーズ領の領主様。北の地の整備が終わると、二つ分の村民募集が必要になる厳し過ぎる現実へは、意図的に目を逸らしている超能力者。その辺は現実逃避して「いずれ、なるようになるさ」と、考えることを止めているラックなのであった。