25話
「『ニューゴーズ領の第三夫人が捕縛された』だと?」
北部辺境伯は領境からの伝令の一報に驚いていた。
伝令の男は、ミシュラとラックが搭乗している下級機動騎士が、北部辺境伯領の領境へ来訪した時の当番兵であった。
彼は、フランがシス家の当主宛てに認めた手紙を届けるために、領都まで急ぎでやって来たのである。
ミシュラから書簡を託される際に、「捕縛されたゴーズ家の第三夫人の命に係わるかもしれないので、なるべく急いで」と、彼は言葉を掛けられて念を押されている。
そのため、書簡の中身の“概要のみ”を知っていたわけだが。
「災害級魔獣討伐軍の新たな招集もせず、何をやっとるんだ馬鹿共が! 物事の優先順位もわからんのか!」
フランからの手紙にざっと目を通して内容を把握した後、北部辺境伯は怒りが抑えられなかった。
彼は少しばかり前に王都に出向いて、ゴーズ家からの要請内容を確認した。
その結果、解散したはずの対災害級討伐軍から、やる必要がない“他国の”復興作業に勝手に人員が割かれていた事実が発覚したばかりである。
軍部はすぐさま割かれた人員たちを解放するように動いた。
けれども、中継用の陣地で補給作業に従事していた貴族たちはともかくとして、国外で作業に当たっていた貴族二十七名のうち二十六名を失うという大失態を追加でやらかしてくれた。
その上、生き残っている一名を逃亡者として罪に問おうとしている。
シス家の当主の感覚だと、もう正気を疑うレベルの話であった。
そもそも、復興作業を押しつけた馬鹿共がいなければ、逃亡うんぬんの事態は発生していない。
余計な仕事を強引に無理やりさせた上で、「発生した結果に責任を問うて罪を被せよう」などとは、北部辺境伯からすれば言語道断である。
先日、災害級魔獣討伐軍の招集に関する法律に大きな変更があった。
それは、三十五年分の貴族年金を受け取り放棄することで、招集拒否が可能になるものであり、その点が明文化された法が新たに作られたのだ。
これは、王家と公爵家といった最上位の貴族は拒否できずに対象外となる法なのだが、伯爵家や子爵家が主体となって長年懇願してきた、悲願と言っても良い制度である。
平たく言えば、「中級貴族が後継ぎや当主を失いたくない場合に、命を金で買うような話」となる。
そもそもが、貴族がファーミルス王国から受け取っている年金は、強力な兵器を扱って国民の安全を守ることが前提で、彼らが支払っている税で賄われるものだ。
だから、「そのお金はお返ししますので、戦いません」はある意味、「筋が通っている」と言うか、「理に適っている」と言える。
災害級魔獣は概ね三十年に一度の割合で現れる。
よって、新設された制度を利用して軍の招集を拒否する形で参戦しなかった場合、「金銭面で五年分のペナルティまで付いている」と言えなくもない。
色々な意味で怒り心頭に達している北部辺境伯は、次回の災害級魔獣討伐軍の招集で、自身の出陣については止める気はない。
だが、北部辺境伯家の寄子の準男爵以下については、この新設された制度を利用するつもりでいる。
開拓地を取り纏めているシス家当主の矜持として、全員分の金を軍の財政部に叩きつけて、寄子のスーツで参戦する下級貴族を招集させないことを、彼はこの時に決めていた。
ちなみに、男爵については希望者がいれば二割だけ持つ気である。
なんやかんやと胸の内に思うところがあっても。
それはそれ。これはこれ。
北部辺境伯は、ゴーズ家からの知らせを受けて動く。
今までに溜まっているゴーズ家からの大きな借りは、返せる時に少しでも返しておかなければならないのだから。
そういった打算の面は勿論ある。
だが、それとは別で北部の要として魔獣の領域を抑え込む立場では、今回のような無茶を容認してしまえば、今後の領土防衛や開拓に重大な支障が出るのは確実なのだ。
ゴーズ卿の第三夫人が罪に問われて厳罰を受けるような事態にでもなれば、それは実質死罪と変わらぬものになるであろう。
もしも彼女が失われれば、ガンダ領とニューゴーズ領は完全にファーミルス王国に内心で見切りをつけるだろう。
そうなった時、ゴーズ家の当主は何を考え、どう動くのか?
シス家としてはあって欲しくないし、考えたくもない未来である。
そんなこんなのなんやかんやで、逸る気持ちのままに大急ぎで王都にやって来た北部辺境伯は、上級貴族としての権限を何の躊躇いもなく全て行使した。
その結果、彼の怒りの感情が、更に積み増される事態へと発展して行く。
収監されたリティシアと面会し、彼女から聞くことができた事情。
それは北部辺境伯の想定を超えており、最悪のモノであった。
まず、リティシアはガンダ領から王都へ向かう道中で、襲撃を受けている。
盗賊の類が護送中の一団を襲うのは、仲間が捕まった場合を除けば通常ではあり得ない。
つまりは、襲ってきたのは盗賊ではなく、目的が彼女であることは確実だ。
護送していた人員から二名死亡の被害が出ていることから、襲撃者の目的は誘拐ではなく、彼女の命が狙いだったと思われる。
そうした襲撃を予見していたのか?
影ながら護衛を勝手にやっていたと思われる、ミシュラの下級機動騎士が突如参戦し、賊の撃退に成功する。
尚、襲撃者は全員死亡。
生きて捕まった後に服毒して果てた者もいるようなので、専業の暗殺集団の可能性は高いだろう。
この件に関してはリティシアが持っている情報は少ない。
襲撃犯が片付いた後に、第一夫人の機体に同乗していたラックと、リティシアは言葉を交わす機会があった。
彼女の夫は周囲に護送している人間がいて、彼の発言を聞いている状況だったにも拘らず、「一切飲食はするな。毒殺される可能性がある」と、これ以上なくはっきりと言い放っている。
ことの経緯は、「その後、彼らが王都の収監場所まで護衛を務め、そのまま彼女とは別れている」といった流れだ。
現在は夜。
もう夕食は提供されているが、リティシアはそれに手をつけることはできず、そのまま牢内に置かれている。
面会は「牢の前で牢内の彼女と一定以上の距離を保った上で、話ができるだけ」という形なのだが、北部辺境伯の視界には“提供されたと思われるパン、スープ類の入った器、水”が載せられたトレイが映る。
その状況は、「もし、彼女の夫の予想が合っているのであれば、毒入りの物証が目の前にある」ということだ。
シス家の当主は迅速に決断する。
辺境伯は連れていた従者の一人を、緊急事態での伝令として宰相の自宅へ走らせた。
彼が待つゴーズ家の第三夫人の収監されている牢の前へと、宰相に呼び出しを掛けたのである。
斯くして、二時間後。
宰相の矢継ぎ早の命令で、リティシアの身柄は牢から出され、北部辺境伯預かりとなった。
駆けつけた宰相の差配で、「減刑の確約と、もしも死んだ場合は、希望対象への金銭的援助の確約する」という条件を餌に、収監者の中から毒見役の立候補を募る。
そうして、リティシアが食べるために用意された食事を口にした収監者は、辺境伯の予想を裏切ることなく死亡していた。
「宰相殿。私とニューゴーズ領の領主が動いていなければ、ゴーズ家の第三夫人は死んでおったでしょうな。半日経って調査もある程度済まされたでしょう。さて、此度の件、どうされるおつもりで?」
一夜が明けて翌日のお昼前。
北部辺境伯は怒りを露骨に態度に出すことはしていない。が、宰相に問う声には冷気が漂っているとしか思えないほど、感情が籠っていなかった。
それは表情も同じである。
「リティシアが死んで得をするのは、第三王子と東部辺境伯の次男。彼らがしでかした事柄の全てが誤魔化せるわけではないのは承知しておるでしょうが、生き証人がいなくなれば都合の悪い部分を帳消しにして、罪が軽くなる可能性に賭けたのでしょうな。そして、死んだ二十六名の遺族の怒りの矛先を彼女に向けるように、彼らと軍の一部が動いた事実が掴めた。彼ら二人には陛下の決済で、新型機との入れ替えで解体予定だった最上級機動騎士が与えられる決定が下された。今はまだ捜索中だが、災害級魔獣が発見され次第、彼らと彼らに付き従う手勢のみで挑んで貰う。これが検討中だったために、新たな討伐軍の招集がされていなかった。昨夜の件が陛下の決断への決定打となったのでしょうな。それと昨夜から保護して貰っている彼女の件だが、暗殺が企てられた事実を以て『彼女に罪はない』と判断がなされた。手続きは今日中に全て完了するので、明日以降は自由にさせて良い。だが、『一人だけ生きて戻った』という事実だけで、『死亡した二十六名の遺族からは恨まれている』と思った方が良いだろうな」
「それは重畳。『彼女の件だけは』ですが。彼女とその夫にはその辺の注意は促しておくとしましょう。そして王子と次男に対してですが、これはまた思い切ったことを。外部封印付きで外からキーの魔道具がないと機体から降りられなくするアレをやるわけですか。最後に実施されたのはたしか三百年ほど前だと思いましたが」
貴族が重犯罪を犯した場合で、唯一、問答無用で無罪放免が勝ち取れる制度。
それは、災害級魔獣の討伐を自力で成し遂げることである。
もっとも、それで命が助かって無罪放免となったとしても、貴族としては死んだも同然となるかもしれないわけだが。
周囲の者の目、考え、向けられる感情はそうなってみないとわからない事柄であるし、当事者の実感でしか真に理解できることではないだろう。
制度としては存在し、それが利用された実績もある。
しかしながら、戦う相手が相手であるだけに、過去に自力討伐に成功したという例はない。
故に、実質死罪と変わらないのだが、実子が犯した重犯罪への厳罰で、尚且つ、親としての子への情も捨てきれない国王としての落しどころではあったのだろうけれど。
また、愚かな判断を下した軍部のドアホウと、それを幇助した窓口担当を含む関与した職員たちは全員が処分対象だ。
宰相はルーティンの決済事項を処理しながらも物思いに耽る。
「これで四度目。魔力量0のアイツが絡むとこの国の腐った部分があぶり出される」
シス家当主との話が終わった後の宰相は、必要な指示を出しながらそんなことを考えていた。
「ミシュラ。王都から一旦機動騎士で出よう。リティシアの護送をしている連中の状況を千里眼でチラチラ視てたんだが、なんか怪しいのが近づいてる。護送途中で襲撃があるかもしれない。王都から出たらテレポートする。急ごう」
ラックとミシュラは、リティシアの件で窓口の担当者とあまり有益とは言えないやり取りを終わらせた後、待つ以外に特にやることがなかったため、細々とした生活必需品を買い足すことにして商店巡りを始めた。
ラックは買い物自体は妻に任せて、荷物運び兼千里眼での監視を継続していた。
トランザ村、ガンダ村、災害級魔獣、リティシアの護送。
視る対象が多いため、頻繁な視点の切り替えでちょっと疲弊しかけてもいたのである。
リティシアを護送している一行はこのまま順調に行けば、夕闇が落ちる前には王都に到着するだろう。
視ていてそんなことを思った時、外観から、行商人でも旅人でも移住者でもない、異常に見える集団が護送中の一行に近づいているのを発見する。
そうした状況から前述のラックの発言へと繋がる。
時系列的には、北部辺境伯が宰相を緊急で呼び出すより数時間前。
少しばかり前の話だ。
「ミシュラ。怪しいと思ってた奴らの襲撃が始まった。君はそいつらと同一視されないように注意しながら、狙撃しつつ接近。僕は念動で援護する」
「はい。貴方」
一行から二名の犠牲者が出たものの、ミシュラの操る機動騎士は襲撃者たちを排除することに成功した。
但し、致命傷ではなかったはずの襲撃者も含めて全員が死亡しており、背後関係の情報を得ることは叶わなかったが。
ラックは護送側の生き残りを一瞥し、「ロクな護衛もなしに捕縛して護送とか何を考えているんだ」と思ってしまった。
けれども、「文句を言うべき相手は彼らではないだろう」と自重するだけの分別はあった。
王都までの護衛としての同行を申し出て、それは彼らに了承される。
そうして、数時間の護衛役をミシュラが務めることとなる。
ラックはこの護衛中に短時間ではあるが、リティシアと言葉を交わすことに成功し、彼女に注意を促すことができた。
暗殺全般への注意。
具体的には王都入りした後は、毒殺が最も警戒すべき事態である。
その後は襲撃を受けることもなく、一行は無事に王都へ到着した。
護衛はお役御免となり、リティシアは一旦収監されることになる。
これで彼女の身柄返還要求自体は有効になるはずだが、「それをしてもあの担当者がのらりくらりと言を左右し、ラックの要求通りに彼女が解放される目はないだろう」と予想はつく。
後は「北部辺境伯と軍部の動きを待つしかない」という、自力での解決が不可能な状況。
ゴーズ家の当主は、なんとも情けない自分に腹が立ってくる。が、さりとて今できることは千里眼で状況を監視することだけであった。
どうしてもの事態に陥れば、超能力者は超能力を使うことを躊躇ったりはしない。
全能力を解放して、万難を排してリティシアを掻っ攫う。
ラックはその覚悟だけは決めて、ミシュラ共に一旦テレポートで自宅へと帰還する選択をしたのだった。
北部辺境伯が王都に到着し、リティシアに会う前のラックとミシュラ側の状況推移はこんな感じだったのである。
宰相はリティシアへの嫌疑解除と、無罪の確定の手続きを滞りなく行い、北部辺境伯は彼女を伴ってまずは、自領へと向かった。
領地到着後に改めて移動手段を手配をし、彼女をガンダ村へと送り届ける予定となる。
こうして、ラックは第三夫人の命と名誉を守り切ることに成功した。
北部辺境伯が持つ、権威と実行力に頼り切ってしまったけれど。
以前に災害級の亀型魔獣が倒された場所の周辺で、新たな亀型魔獣が何かを探すように動き回るのを監視し続けるニューゴーズ領の領主様。「未だ放置され続けている災害級魔獣への対応は、ファーミルス王国は一体どうする気なんだ?」と、呟く超能力者。国と軍のやり方に、呆れてしまうラックなのであった。