19話
「『サエバ領から“領民を奪うな!”って苦情が来た』だって?」
ラックは渡された手紙を開封しながら、呆れ成分が含まれた確認の言葉を述べた。
旧ゴーズ領改め、サエバ領の名となった領地の領主、シス家の三男からの苦情が来たのはラックがニューゴーズ領の領内の整備作業をしている最中だった。
当然、領主の館には不在であるため、やって来た使者に応対したのはフランである。
本来は、ミシュラが応対するべきであったのだが、来訪したのが実家にいた時からの顔見知りの相手であったため、彼女が出たのだった。
結果として、「フランの方が使者から引き出せる情報が多くなるだろう」と考えていた正妻の判断は正しかった。
「使者が出された理由はそうらしい。詳しくは手紙に書かれてるのだろうけどな。苦情の手紙を持ってきた使者は、『諫めてはみたけれど止められなかった』と愚痴をこぼしていたよ」
「夫婦揃って武寄りの領主なんだっけ? 文句の一つも言いたい気持ちはわからなくはないけど、これ『僕に言われてもなぁ』って話だよね?」
短い手紙の内容。
それは、単なる苦情以外の何物でもない、文言にも貴族らしさの欠片もない、簡潔な文章であった。
こういうのは「実直と言えば聞こえが良いのかな?」などと、わりと酷い思考を走らせながら、ラックはそれを読み終えた。
「そうだな。そして、シス家からサエバ領に新たに入れる人の手配はされているはずだ。養父には、時間が十分にあったのだしな」
そうなのである。
この話がされていたのは、テレスが魔道大学校を卒業して帰って来た年であり、その年の秋の収穫が済んだ頃であった。
フランからシス家の当主へ宛てた手紙は、ラックたちがトランザ村に来て直ぐの冬の間に出されている。
北部辺境伯には一年半以上の対応策に費やせる時間があったはずで、サエバ領に新たな人を入れるのは、来年の春からの作付け準備に間に合えば問題はない。
つまり、時間はまだ少しだが残されているのだ。
この話は、王都でラックがガンダ村への移住者を募るのとはわけが違う。
シス家の場合は北部辺境伯領内で、農耕地を継げない農家の三男以降の人材を集めれば良いのだから、やってできない話ではないのである。
「ガンダ村への移住希望者は八百人を超えているのか。ゴーズ村に残るのは、老人とテレス以下の年齢の子たちの一部。年齢は十一歳以上の子が多いとはいえ、女の子が多かったしな」
ラックはミシュラが纏めた移住者の内訳に目を通しながら、「残る人はどういう理由でそれを選んだのだろうか?」などと、益体もないことを漠然と考えていた。
もっとも、それについての正しい答えが得たいわけではなかったのだけれども。
「一部の老人はガンダ村へ移るのを希望するかと思っていたが、その部分だけは意外だったな。まさか、全員残るとは。一応この苦情の件は、養父に手紙で報告しておきたい。ラック。今日中に書き上げるから、明日にでも配達を頼みたい」
フランの判断では「老人の一部も移住するだろう」と、推測していたのだ。
そして、彼女の手紙が北部辺境伯の元へ届けられれば、この苦情はシス家の三男案件から、シス家の当主案件に変わるはずなのである。
「うん。それは了解。しかし、領民の七割近くをいきなり、あっ、いや、今年の春には『今年度の収穫後に移住する』って宣言していたらしいからいきなりってわけでもないのか? でも、それだけの数の領民が、今の領主を見限ったって話か」
フランはラックの自覚のない話を聞いていて、苦笑するしかなかった。
彼女は内心で「比較の対象が悪過ぎるだろう」と、呟くにとどめた。
サエバ領の統治は無難に行われており、赴任したシス家の三男は凡庸ではあるかもしれないが、無能で圧政を行うような領主ではない。
領内は開発がかなりの割合で進んで完了しており、整備済みで収穫量が期待できる農地が豊富にある。
おそらくは二千人程度を養っても、余裕がある農耕生産力もあるはずであった。
更に言えば、塩の生産で現金収入までもあるのだから、現時点では領民が五千人規模まで膨れ上がっても、特に問題なく余裕を持ってやって行ける領地となっている。
通常であれば、領民が逃げ出す。元い、集団移住を言い出すようなことは考えられない領地のはずなのである。
だがしかし。
そのような発展した状況の領地を作り上げたのは、現在の領主ではない。
その点が居住地の選択で重視されているのである。
隣のガンダ領の後見人を兼ねつつ、ゴーズ村を去ってニューゴーズ領の領主をしているゴーズ男爵が、今の豊かなゴーズ村を“短期間で”作り上げたのだ。
その事実を、現在のゴーズ村に古くから住んでいる村民は熟知している。
つまるところ、「移住希望者全員がそれを知っている」という、その一点だけが問題なのであった。
また、それに加えて新生ガンダ村の村民用の家の造作にあたって、ゴーズ村の一部の人間がラックの依頼で駆り出されたことがあるのも原因の一つではある。
彼らは、ガンダ村の整備状況を目の当たりにしてしまっているのだから。
そんな感じの話が終わり、翌朝、フランが認めたお手紙をきっちり配達したラックは、次の事業に着手する。
ニューゴーズ領の“北へ”の拡大である。
それは、トランザ村で種蒔きから行って育てた作物の、二度目の収穫作業を二十七名総出で行った後の行動でもあった。
この時点でのニューゴーズ領は、村、農耕地、人造湖の整備は終了しており、塩田の準備や海水を引き込むトンネル工事もほぼ完了していた。
塩の生産は海水を引き込めば、もう不可能ではない状況まで来ているのだが、人手の問題があるのと、“時期が悪過ぎる”との判断で、まだ止めている状態だ。
この秋から来春前にかけてで、ゴーズ村からガンダ村への人の大移動が起こる。
そうであるから、「サエバ領に追い打ちをかけるようなニュースが伝わることは避けよう」という話となったのだった。
ラックが領地の拡大で最初の目的地に設定したのは、現在の領地の北側。
それは、ファーミルス王国から開拓権を与えられた、ニューゴーズ領の西側でも、その北側でもない。
そこを選んだ理由はいくつかあるが、最大の理由は銀の鉱床らしき物がトンネル工事の最中に発見されたからであった。
銀が豊富に手に入れば、ラックには試してみたいことがある。
なのでとっとと、北の地を自領に組み入れておきたかったのが一番大きな理由となる。
勿論、他にも理由があり、「その理由は?」と言えば、二つ目に大きいのは王国への細やかな意趣返し。
ラックに保証されている二つの元騎士爵領の開拓権には、実は期限というものが設定されていなかった。
王国側は“どの位の期間が妥当であるのか?”が判断できずに、結果的に未設定にしてしまったのであるが、ラックにとっては「迂闊だな!」と言い切れる契約条件である。
しかも、領地替えの条件には、“王国側が”反故にした場合の違約金が千倍で設定されている。
交渉の結果、金貨二十万枚にまで減額されてしまったが、万一王国側が反故にしてくれば金貨二億枚が転がり込んで来る。
もっとも、「そんな事態になれば、素直に払うことは絶対にないであろう」ともラックは思っている。
その時はおそらく武力衝突になるのだろう。
在って欲しくはない未来ではあるけれど、「絶対に回避できる未来か?」と、問われれば答えは「否」となる。
ニューゴーズ領の領主は、そんな理由もあって、領地の防御力と生産力の強化に邁進するしかないのであった。
「見つけた!」
暇を見て千里眼で元カツーレツ王国の領土内の各地を視ていたラックは、遂にサエバ領にある人造湖や塩の生産設備の破壊を狙った黒幕と思われる人物を発見するに至った。
千里眼を使うことに割ける時間が限られていたとはいえ、発見までに実に一年半以上の月日を必要としており、“ひょっとしたら、ここの国の人間ではないのかもしれない”と考え始めた矢先の出来事。
嬉しさのあまり、独り言も出ようかというものだ。
まぁ、単なる治らない悪い癖でもあるわけだが。
しばらく観察した後、ラックは「対応をどうするのか?」を考える。
北部辺境伯に連絡して終わりにするのか?
ラック自らの手でなにがしかの対処をするのか?
放置するのか?
考えつく選択としては、その三つであった。
「貴方。また何か難しいことでも起きましたの?」
「ああ。ミシュラか。前の破壊工作指示の書類の時の指示した奴をやっと見つけたんだよ。場所は特定できた。主っぽい方だけで、入れ知恵した参謀っぽいのがいないけど、どうしようかな? と思ってさ」
「あら? ご自分で対処される気でしたの? 外国のことですから王国に任せる案件だと思いますわよ? 今回の場合であれば、北部辺境伯にお知らせして終わりで良いかと」
ミシュラの意見は常識的なものであった。
そして、彼女は夫が何でも背負い込もうとすることには危機感を抱いていたりする。
安心安全な居場所を作る。
昔から夫の望みはそれだけだ。
だが、たったそれだけのことが“こうも難しいことだ”とは彼女自身、想像もしていなかった。
ゴーズ領へ来て人造湖をラックが作り出し、水の供給と塩の供給を安定させたことで、それは手に入った気がしていたのだ。
辺境の地で安定した領地経営。
それが叶えば手に入ると夫婦で考えていたもの。
クーガが独り立ちするのに困らないだけの受け継がせられる資産。
手に入れようとしていたものは、実現可能なレベルのはずであり、そんな大それたものではなく、願って叶わない望みではなかったはずだった。
金銭的なことでも、“塩の生産を軌道に乗せて安定した収入を確保したら、王国に領地丸ごと奪われる事態になる”とは予想できはしなかった。
それらについては、「考えが甘かった」とか、或いは「考えが浅かった」と、言われればそうかもしれない。
けれども、ミシュラの夫は行商人による不安定な塩の供給からの脱却を目指し、必需品の自給を成し遂げただけの話でもある。
“今度は失敗したくない”という、ミシュラの想い。
夫であるラックが動くことで“王国に口出しされるような事態は避けたい”という考えに彼女が至ったのは、自然なことではあったのだろう。
「うん。それはそうなんだけどね。ただ、今は奴らがいる場所の特定できただけで、『どういう名の、どんな立場の人間か?』という情報はないんだ。そして僕には、現地に行ける能力と、それを調べることが可能な能力がある。更に言えば、調べたついでになにがしかの対処もしようと思えばできてしまう。できるとわかってしまうと悩んでしまうんだよ」
「そうなのですか? 貴方はご自分だけで抱え込み過ぎます。今回は場所を地図にでも示して、その人物の風貌の特徴を伝えて終わりにしましょう」
ラックはミシュラの考えを受け入れ、フラン経由で北部辺境伯に通報することで今回の件からは手を引く。
そう決まったことで、領主としての彼のやるべきことは、後々発生するかもしれない軍事衝突までを念頭に置いた、領地開発のみに絞られたのである。
ラックの超能力は強力だ。
やろうと思えば、国王を含む国の要人の暗殺だって不可能ではない。
しかし、この国と周辺国は、今のファーミルスの王家と公爵家が作り出す、鉄と魔道具が“ある”前提の社会システムができ上がってしまっている。
周辺国は自国にとって余剰となる魔石を全て輸出に回し、ファーミルス王国がそれを全て買い上げて、代わりに安い鉄製品と「生活家電」とでも言うべき魔道具を安定供給する。
周辺国から災害級魔獣の出現による救援要請が起これば、王国はそれにも応じる。
つまるところ、ファーミルス王国による、「魔石の搾取構造ができ上がっている」とも言えるのだが、周辺国にとっては、自国で利用する分以上の魔石を抱えても仕方がないのも事実なのだ。
超能力で今の体制を根底から崩壊させ、社会を混乱に突き落とす覚悟。
そんなものは、今のラックにはなかった。
しかしながら、それは“自衛戦闘までも放棄する”という意味ではない。
物理的に襲われれば、普通に反撃する。
ラックはガンダ領の後見人でもあるので、カールが成人するまではガンダ領にも責任がある。
サエバ子爵が、ガンダ領へ移住しようとする領民を武力を持って止めさせようとしたり、ガンダ領内を通ってニューゴーズ領との境界まで機動騎士で押しかけて来れば、話は別なのである。
「フラン。領の境界にシス家の三男が機動騎士で来てるんだが。『そこまで馬鹿じゃない』って話じゃなかったのか? 連絡が来たのが僕が作業に出る前で僥倖だったよ」
「ラック。養父からは『移住の件はそのまま進める』という返答を貰っている。これは明らかにあいつの暴走だ。領主を任されて増長でもしたのか。私にもわからん」
フランも想定外の出来事で困惑している様子だ。
「で、これは僕はどこまでやって良いの? 武力恫喝だよね? これ」
「関所の破壊や、無理やり押し通るまではしていないから。まだギリギリ恫喝にはならない。ガンダ領への侵入までは、あちらに関所を置いていない現状では文句は言えん」
ファーミルス王国の国内での通行規制はされていないため、領主が侵入を明確に拒んでいない場合は、他の領内を通行しても違法行為にはならない。
それがたとえ中級機動騎士を駆っての移動であったとしても。
日本人の感覚で表現するのであれば、車で乗り付けただけに近い。
まぁ、その車が“戦車の類の戦闘車両だ”とは感じるかもしれないが。
「そうか。それだとこっちから手を出したら不味いのか。じゃあとりあえず出向いて話をするしかないね。リティシアはスーツでトランザ村に待機。ミシュラとテレスは下級機動騎士、フランはスーツで出動。僕はミシュラの機体に乗せて貰う」
こうして、ラックはガンダ村北側の領の境界へと向かったのだった。
サエバ領から文句(物理)を言われる筋合いがない、ニューゴーズ領の領主様。「相手が先に手を出してくれたなら、搭乗者を殺さない範囲でバラバラに破壊するまでは許されるよね?」などと、呟く超能力者。相手のやり口に合わせて、少々物騒な感じに考えが向かってしまっているラックなのであった。




