17話
「『フランからの手紙が届いた』だと?」
北部辺境伯であり、シス家の当主である彼は久々の義娘からの手紙に「何事だろうか?」という思いしかなかった。
先日、王家からの使者が、シス家にゴーズ領の併呑統治の話を持ってきた。
そしてその際に、彼は「ゴーズ家に領地替えの打診をする話」を聞かされる。
そうして、「彼の家に補償する金銭的な負担をシス家に三割ほど求めたい」という件も含め、領地替えに伴う提示される条件の内容も、先に開示を受けていたのである。
義娘からの手紙は、もしそれについての相談であれば、ボリュームがなさ過ぎるように思えた。
厚みから判断すれば、おそらく紙一枚であろう。
故に、開封前に内容を予想することができず、疑問に思ったのだった。
ここで唐突ではあるけれど、これまで詳細を出していないので、貴族と平民の関係、そして魔力量、年金や子供のアレコレを整理。
五百以上の魔力持ち“男性”は非常時に軍の招聘に応じる義務がある。それがあるからこそ、貴族位が与えられ、年金が支払われてもいる。
特例で妻になっている女性を除くと、五百以上の魔力持ちの女性は一律で金貨十枚を毎年支給される。
しかし、特例の場合を除いて、軍の招聘に応じる義務はない。
ファーミルス王国の平民階級は貴族が保有する武力で守られており、それ故に貴族の年金の原資となる税を支払う。
勿論、支払った税の全てがそこに使われるわけではないが。
日本人の感覚に合わせて表現するのであれば、騎士爵の年金である金貨五十枚は税引き後の年収五百万円に相当する。
これが、魔道大学校を卒業していれば、爵位を持っている限り死ぬまで支払われるのだ。
ちなみに、“招聘を受ける非常時とは何か?”となると、それは大規模天災と同等かそれ以上の被害が出かねない、災害級と称される百メートル以上のサイズの巨大な魔獣が出現した場合だ。
概ね三十年に一回位の割合で、魔獣の領域や海から現れるそれの撃破が非常時招集のケースの仕事となる。
一応、外国との戦争が起こった場合もそれに該当する。が、長きに渡ってそのような事態は発生していないのでそちらは忘れ去られているに近い。
魔力持ちは子供を授かる率が低い。
平民同士の結婚と比較すれば半分以下となる。
魔力量が釣り合っていてその状態であり、魔力差が大きい相手だと更に子供ができる可能性が低くなる。
ちなみに、ここで言う釣り合っている状態とは、魔力量が大きい側の九割以上の数値であることを指す。
男性側の魔力量が低い場合はまだましではあるが、それでも、平民同士の子作りと比較すれば七割以上も下がる。女性側が低い場合は、なんと九割以上だ。
しかも、相手が平民階級だった場合は、妊娠中に魔力中毒と呼ばれる病で、母体となる女性が死ぬ可能性までもある。
そして、以上と表現されるのはそれが目安であって、魔力量に差が広がれば広がるほど+αで子供を授かる率が下がるからである。
生まれて来る子の魔力量は、最大値を見ると、何故か母親の魔力量の影響が大きい。
研究は続けられているが、原因は未だに謎だ。
数学には強かった賢者が、自身の寿命が尽きる寸前までデータを取って分析し続けたのだが、晩年には「うん。わからん!」と匙を投げた位の代物である。
例えば男性五百、女性十で子供を授かった場合、生まれて来る子は一から三百の間となる。これが逆に男性十、女性五百となると一から千五百五となる。
幅の計算式は上限だけは判明しており、男性>女性の場合は男性の魔力の六割、男性<女性の場合は(男性+女性)÷2+女性×2.5が上限値となる。下は両親の値によらず最低値は一になる。
ちなみに男性=女性の場合は上限値が(男性+女性)÷2の二割減から二割増しの範囲に大部分はなってしまう。
大部分はとなっているのは、極まれに極端に下振れするケースがあるからだ。
もっとも、そうなる原因は不明なのだが。
授かった子供の保有魔力量を分布割合で見た場合、男性側が高い方が中間値を超えた上限に近い方の割合が大きくなる。
具体的には、一から三百の子が得られる組み合わせで言えば百五十以上の子供が七割ぐらいになる。
勿論、上限に近い子の数は知れているが。
逆に、女性側の魔力量が大きい場合は、母親の魔力量と同等以上で子供が生まれて来るのは一割を切るほどに低い。こちらも具体的に言うと、一から千五百五の組み合わせだと、五百を超える子が十人に一人もいない。
男性の場合と比較して考えても、百五十以上の子供の数は完全に負ける。
それ程低い側に偏るのだ。
そして、男女同等の場合は分布が中央値に偏る。
平たく言えば、母親の魔力量が大きい場合は、子供は比較的授かり易いが、低魔力の子供が生まれて来る可能性が非常に高くなる。だが、母親の魔力量を超えて来る子供が稀に生まれる。
父親の魔力量が大きい場合は、子供が授かりにくいが、父親の魔力量の三割を超えている子供が生まれる可能性が高くなる。
但し、上限値が父親の六割に制限され、上限値に近い子が生まれる可能性はかなり低い。
そして、両親が同等の場合は子供を授かる率が一番高く、同等の魔力量の子供が生まれる可能性が高くなる。
貴族の数を維持するために男性が当主となる理由がこれであり、魔力量が低い男性が高魔力の女性を妻に迎えることを喜ぶ理由もそれである。
更に言えば、騎士爵、準男爵が使い捨てに近い形の扱いになる理由もここにある。
そして、高魔力量の妻を迎え、陞爵するには開拓が一番可能性がある道だったりするのだった。
冒頭の話に戻ろう。
フランの手紙の内容は、王家から意見を求められた場合にシス家として出す意見への提案であった。
王国による固定価格での塩の全量買い上げ。
付帯条件は領内で利用分は除外すること。
それだけが書いてある手紙だが、文章で書かれてはいないメッセージが込められているのを北部辺境伯は理解する。
彼は、それだけの頭脳も政治感覚も持ち合わせているのだ。
シス家の当主は、手紙に込められた裏のメッセージとして五つを受け取った。それが以下に挙げる五つとなる。
・ゴーズ領の領主は領地の召し上げに納得してはいないこと。
・シス家が、ゴーズ家に提示された内容を知っているとゴーズ領の領主が考えていること。
・シス家が、ゴーズ領を併呑し、塩の生産に取り掛かった場合、今の価格維持は“別の生産地”の出現により不可能となること。
・今回の仕儀をシス家が主導してのことだと疑いを持っていること。
・ラックとの夫婦仲を良好に保てていること。
つまるところ“この手紙が出せている”という事実が、彼女が離縁されておらず、夫婦仲が良好であることを示しており、シス家が出す意見に提案したいことがあるのは、ゴーズ家の王家に対する不満の表れである。
出す意見を提案に従えば、シス家にメリットがある。すなわちそれは、もし、やらなければ不利益があることを示しており、この場合はシス家に対しての疑惑だろう。
シス家はゴーズ家への提案内容を知っている。
もしくは、そこにシス家の思惑が絡んでいる。
なんなら主導までしてるんじゃないか?
そういうことが読み取れるわけであり、実行すれば享受できる利益をとして、“多少なりともラックやミシュラからの疑いの目は晴れるだろう”という、フランの実家への配慮を感じられた。
それは塩の価格維持の話も同じことである。
王国から使者を通じてゴーズ家に提案された内容に、北部辺境伯として思うところはある。
王国が今のゴーズ領を召し上げたい理由は理解できるが、対価が問題だ。
金額については慣例に沿っているので、安いとは思うがそこは仕方がない。
だが、しかし。
代替地が大問題なのだ。
現状で“出せる土地がないのだろう”という点は理解できても、魔獣の領域の開拓権と陞爵を持ってそれに代えるのは問題があり過ぎる。
今回の件は“前例を作ってしまう”という意味においても、不味い話となる。
出せる土地がないのであれば、他の条件を積み増すべきなのだ。
開拓拠点として、“現ゴーズ領内の北部に居を構えること”を許す点についても非常に不味い。
新しい領主が赴任しているのに、配下ではない状態で旧領主が領内に居座っていれば領民感情がどうなるか?
決して良い方向の話にならないことが容易に想像できる。
飛び地となる場所でそんな事態は避けたいのが、北部を預かる辺境伯としての本音である。
現場を知らない文官たちが出せる知恵に、限界があるのは承知しているが、そんな条件で使者を送り出してしまう王や、宰相に一抹の不安を覚える。
シス家の当主としては、王国への反意は微塵もないが、“もう少し現場への理解を深めて欲しい”とは切実に思ってしまうのだ。
ラックに恨まれたくはないため、彼が自ら提案することはないが、北部辺境伯としての政治感覚で行けば、こうしていたという案はある。
もし、今回の件を彼が主導するのであれば、ゴーズ家を王命で強制的にシス家の寄子としていた。そうやってゴーズ領を北部辺境伯領に組み入れた上で、ラックを代官としてそのまま据え置く。
更に、準男爵への陞爵と金銭の補償を五割増しの金貨九十万枚に増額して彼に与え、北部は自由に切り取って貰う。
後々になって、隣接する北側一つ分の騎士爵領を解放した暁には、男爵への陞爵することを現時点で確約し、そうなった時には代官と解放地の領主を兼任する形だ。
辺境伯から見た彼は“ガンダ領の整備の後は北の開発を考えていた”と予想していたからこその話でもある。
なんなら先に男爵位をやってしまっても良い。
長い目で見れば、彼に手放させる塩の生産地が生み出す利益は大きい。
それを王国への貢献と考えれば、それでもおつりが来るはずなのだ。
間違っても“代替地で魔獣の領域を”などと馬鹿な案は出さない。
仮にそれが開拓実績がある場所だったとしてもだ。
魔獣の領域の解放とは、それほど簡単にできることではない。
北部辺境伯はそのことを熟知していた。
そんなこんなのなんやかんやで、色々な思惑を胸に抱いた状況のままシス家の当主は王都に呼び出されたわけであり、その後の流れは前話の最後付近の部分の状況になるのだった。
「ガンダ村もそうだったけど、村民がいない村ってのは寂しい感じがするね」
ラックは誰に向かって言っているのかよくわからない発言をした。
独り言に近く、特に深い意味はないのだろうが。
旧トランザ村の跡地へと彼のテレポートでやって来たのは、彼と妻の三名、実子が五名と養女のミレス、それに加えて、ルティシアとカールに直臣扱いの十四名の女性であった。もう一人の養女であるテレスは、まだ学生であるためここにはいない。
村としての再建予定地に鎮座しているのは、下級機動騎士が二機。
その他にフラン用のスーツとリティシア用の新調したスーツがある。
防衛用の大砲はガンダ村の分も合わせて王都で発注済みであり、完成後に機動騎士で受け取りに行くことになっている。
実際にはそう見せかけて、テレポートで運んでしまうのだけれども。
後は、自家の直臣扱いの彼女たちの武装や乗り物も持ってきている。
季節は晩秋。
完全な冬が訪れる前にある程度の村の整備は完了させねばならない。
今日の所はテントを設営して魔獣対策の壁を仮設置して終了である。
「貴方。ここの村の名前はどうするのです? 新たに名付けますか?」
「うーん。ゴーズ村って付けれないんだよね。もうあるから。僕としてはどうでも良かったんだけど、塩の功績扱いで村の名前はゴーズ家との係わりを残すって話だったからね。面倒だしトランザ村で良いんじゃない? ニューゴーズ領トランザ村。そうするよ」
翌朝からラックが取り掛かったのは村の砦化。元い、村の外周の防壁の整備だ。
当面は行商人も来ないだろうということで、川の部分を除いて、村へ出入りできないように完全に囲ってしまう予定となっている。
機動騎士二機とスーツは、建物の残骸の撤去と領主の館の縄張り作業に割り振り、直臣の十四名は農耕地ででき上がっていた作物の収穫作業に取り掛かる。
この村の農耕地は、夏の終わりから放置されていた場所で、虫や動物、小型の魔獣の食害を受けており、そう良い実りがあるわけでもない。
しかしながら、きちんと収穫すれば全員がしばらく食べられるだけの食料にはなる。
要は「無駄にする必要もないので、有効利用しましょう」という話だ。
水については小さな川が流れており、五百人規模の人口を支えられる水量がある。
水源として井戸も併用されていたようで、いくつかは無事に残っていたのであるが、数か月使っていなかったことで水質に問題が出ていた。
よって、一度水を全量汲み上げて浄化しないと、今後の使用に耐えるのかが怪しい状況となってしまっていた。
今は良いが、後々には新たな井戸をいくつか作る必要はあるのだろう。
そして、それはそれとして、ラックは将来的には、この領にも人造湖を作ってしまうつもりでいた。
これまでの王国の記録上では、この周辺は干ばつ被害に見舞われることはなかった。
けれども、「いざそれが起こった時に慌てるのは愚策である」と、超能力者は思っている。
故に、独自の水源は必要なのである。
少なくとも彼の価値観においてはだが。
ミシュラを除くと、ラックの行う村の整備を実際に見るのは、全員が初めての経験であった。
各人はそれぞれに思う。
”こんなことを、領主は一人でやっていたのか!”と。
彼女らは完成形を日常的に見ていたので、領主がそれを作り出せることは一応理解はしていたけれど。
しかし、一日で成果を見せられると、受ける衝撃というものは大きくなるわけで。
結局の所、色々な感想が入り混じったが、個々の最終の思いは一つに一致していた。
魔力量0って平民以下のはずなのに、今日一日だけでナニコレ?
ラック以外の全員がそんな感想を持った状態で、トランザ村の跡地到着後二回目の夜を迎えたのだった。
幼少期から魔道大学校の卒業に至るまでの期間、「過酷」と言っても良い環境に置かれたのが原因で、ラックの精神力は鍛え上げられている。
超能力は精神力に依存するものであり、他者が驚愕するような土方作業量をその能力で熟しても、肉体的な疲労は少ない。
今の彼は土方マシーンとして最適化されているのであろう。
こうして、ラックのニューゴーズ領での新たな領主生活がスタートした。
金貨二十万枚を懐に入れている、成金塩長者のニューゴーズ領の領主様。「魚介類の養殖事業には結局手を出せなかったなぁ。いつか必ず実現してやる!」と、思わず呟いてしまう超能力者。新天地で決意を新たにしたラックなのであった。