15話
「『北部辺境伯領で塩の生産がされている』だと?」
ファーミルス王国の国王は、宰相からの報告を受けていた。
宰相の報告内容では彼の地は北部開拓村であり、北部辺境伯領ではなかったけれども。
それ故に、場所を誤認している国王へは、報告者である宰相から直ぐに「いえ。場所が違います。陛下」と訂正の直言がなされたのであった。
ことの発端は裁判所に勤めていた一人の事務員の行動。
とある供託金の金額が膨れ上がった事実を確認した男は、裁判所の事務を仕事としていた。
彼は目に留まって確認した事実から、税を取り仕切る役所の対応に不審な物を感じてしまう。
そして、このままでは埒があかないと、内々で宰相が異常事態に気づくような工作を仕掛けたのである。
勿論、これは法の範囲も、妙な供託金に気づいた事務員の仕事の範囲も逸脱しており、完全な越権行為だ。
故意にやったことがバレれば大事になる話でもある。
あくまで彼が独断でやったことであり、工作であって、組織的に行われたことではない。
形は違うが、現代日本人の感覚に合わせて表現をするなら、内部告発に近い物と考えて貰えばわかりやすいだろうか。
事務員は細かなミスを偶然を装った形でいくつも行い、さり気なく宰相の目に入ってしまうように苦心した工作を行ったのだった。
そして、そうした男の労力は実り、宰相は動き出す。
事態も動くのであった。
「正確には北部開拓村、ラック・キ・ゴーズが治めるゴーズ領です。位置としては北部辺境伯領の東部から北に三つの開拓村を挟んだ所となっています。少し東に目を向ければルバラ湖があり、東部辺境伯領もそれなりに近いですね。内乱中の元カツーレツ王国の海岸線までの直線距離では四百キロメートルもない場所です」
「そのような内陸部で塩か。岩塩の鉱脈が見つかったのだな? して、生産量はどの程度あるのだ?」
内陸部で海塩が生産されると考える人間はまずいない。
よって、国王が間違えるのは仕方がない。
「いいえ。生産されているのは分類で言えば海塩です。現地に人を出し、実態を確認しました。『直径百メートルほどの窪地』とでも言えば良いのでしょうか? 『そこから海水と思われる塩分を含んだ水が汲み上げられ、塩田で塩が生産されている』とのことです。年間生産量がおよそ千トン。金額ベースだとキロあたり銅貨一枚が基準価格で、これはここ数年ほぼ動いていません。ですので、その金額で換算すると、基準額が金貨一万枚、納税額が金貨千枚となります」
納税額は基準価格の一割となるため宰相の発言は正しい。が、ゴーズ領の領主であるラックが手に入れる売り上げ金額は別である。
良心的な値段で出しているつもりの彼の塩の販売価格は、基準価格の三倍なのだった。
「領主の名に何やら聞き覚えがあるぞ? 確か、テニューズ家の長男ではなかったか? あの魔力量が0であったという。ということは、その地は元は王領ではないか!」
「その通りです。素晴らしい記憶力ですな。陛下。ですが今は王領ではなくゴーズ領です」
「欲しいな。王領でなくとも良い。東部か北部の辺境伯領には組み入れたい。何か手段はないか?」
宰相は予想ができていた国王のその発言に、用意していた答えで応じる。
「正攻法で行くなら、国庫から対価を支払っての領地替えです。彼の地は今、最前線となっていますので、以前に滅んでいる騎士爵領の部分が北に二つありますから、その二つを代替地として与えて開発させる。但し、その地は既に魔獣の領域に飲まれておりますので、いきなり領民を連れて行ける状態ではありません。ゴーズ卿を準男爵に陞爵させ、開拓権を与えて他の開拓者をその地に入れないという保証。現ゴーズ領の何処かに、と言っても北側の境界に近い所になるでしょうが。そこに開拓の拠点となる住居を認めること。税の優遇。そんなところでしょうか。対価の金額が凄いことになりますが」
「慣例では租税分を引いた後の、予想収益の十五年分であったか?」
「はい。代替地を与えても真面に収穫が得られるまでが長いですから。代替地を断り、金銭補償を受け取った上で、王都で法衣貴族として王宮に出仕し、緊急時の予備兵力も兼ねる選択をするケースもありますが」
そして、宰相は金額を王に告げた。
「対価を支払う形で金銭補償を行った場合の金額は、概算でおよそ金貨六十万枚。出せない額ではないですが、大きいですな。すんなりと合意しない場合は上乗せもあり得ます」
「元々は王領であったことを考えると、支払いたい金額ではないな。他の案を出せんのか?」
国王は宰相に更なる案を求めた。良い案があれば宰相は先に言うであろうから、ダメで元々と内心は考えているのだけれど。
「何処か近隣の領を暴発させ、国内での貴族同士の戦闘行為を理由に、追加で罪状を幾つか付けて、それらを棒引き相殺する形の領地召し上げ。或いは、ゴーズ家には北部辺境伯のシス家が、第二夫人を出していますので圧力を掛けて貰い、シス家への合併ですな。どちらも後のことを考えるならやめておいた方が良い手段です。テニューズ家かカストル家を通じて、交渉する手もあるにはありますが、これは無理筋でしょう」
国王は最後の無理筋の話だけは、即座に理解ができた。
公爵家の子であったラックやミシュラの話は耳にした記憶があるからだ。
彼が知る限り、実家とは実質絶縁状態でもおかしくはない。
「わかった。金を支払う方向で。北部辺境伯へ合併して管理させる形にせよ。ある程度はシス家にも金銭負担を求めろ。それと、国からの動きがなくとも、勝手に暴発する馬鹿はいつの世にも存在するものだな? 後の委細は宰相に一任する」
そんなこんなのなんやかんやで、国王の意に沿うべく宰相の差配は動き出す。
まず手始めに行ったのは、国の税を取り仕切る部署でゴーズ家が提出しようとした塩生産の届け出を不受理として、受付拒否をしたドアホウの処分から。
宰相自身は直接関与していないが、商業ギルドや、あまり評判が良くなかった貴族向けの装備の店もゴーズ卿が係わったことで、結果的に良い方向に向かったのは報告が上がって来ていた。
奴が係わると腐った部分があぶり出されて浄化されて行く。
単なる偶然のはずであるが、これで三つ目。
似たようなことが続けば期待はしたくなる。
この時の宰相は、そんなことを考えていたのであった。
トランザ領から領の合併話を持ち込んだ使者が来て、帰って行ったのは塩の生産が始まって約一年が経過した夏の出来事だ。
春にはミレスが学校を卒業して戻ってきており、テレスは二年生になっている。
ラックの土方工事であったガンダ領の整備は終わり、大河から水を引く水路も完成した。
新たに整備された水路は人造湖の揚水場に接続されており、湖に水を供給している。
この工事が完了したことで、ラックの人造湖への補水作業は一切必要なくなっていた。
もっとも、塩の生産で水分の蒸発量が増えたのが原因なのか、降雨が以前より増えたせいもあり、超能力者はここ一年ほど、全く氷山を運んで来てはいなかったのだけれども。
大河からの取水量は、流れる水の総量からすると下流の水の利用に影響が出るほどの量ではなかったため、心配された取水による苦情は来ることはなかった。
リティシアに言わせると、「上流側に権利があるので、そもそも文句を言われる筋合いではない」とのことであったが、それでも下流の既得権を侵せば、恨みを買うのは明白であるので、ラックは彼女の言を聞いても無言の笑顔で流していたけれども。
盛夏の候が終わりに近づいた時、ラックは千里眼を使ってトランザ領の監視をしていた。
そうして、偶然ではあるが、魔獣がトランザ村を襲っているのを視認する。
四体のスーツと大砲が防衛戦を行っているが、北と西から襲われており、現況は明らかに劣勢であった。
ラックは、ゴーズ領が荒されることがないよう、彼の領地の監視を頻繁にしていた。
けれども、監視期間中に四体のスーツがどれか一体でも魔獣の領域へ出て、魔獣の間引きをしているのを一度も視たことがない。
つまるところ、間引きをしなかったことで、魔獣が増え過ぎて二正面から襲われている。
そういう事態なのだろう。
超能力者は、東部への救援依頼と思われる使者が出されているのも千里眼で視ていた。
放っておくか?
救援を出すか?
今まさに起こっている事態への対処で、ラックは迷いに迷っていたのである。
「貴方。難しい顔をされてますわよ。何かあったのですか?」
「うん。今、トランザ村が魔獣の襲撃を受けている。狼型の五メートルクラスの個体が総数で二十匹。集団で言えば二つ。北側から十二匹、西側から八匹で領内に侵入されたようだね。大砲一門とスーツ四体で戦っているけど、かなり劣勢。今はまだ、村の中に侵入されてはいないけれど、もう時間の問題じゃないかな? 『ゴーズ領から救援を出すかどうか?』の判断を迷っている」
「そうですか。わたくしは貴方の命令がない限りは出ませんわよ? フランも出させません」
ミシュラの返答はラックにとって意外であった。
彼女なら「『直ぐに出る』と言い出すか?」と、ラックは思っていたのだ。
「あら? 意外でしたか? わたくしだって助ける相手の選り好みぐらいしますわよ? 今、襲撃を受けているのは、ゴーズ領を襲う企みをしていた領主とそれを支えている領民なのですよね? 仮に助けたとして、感謝だけはされるかもしれません。けれども、その後、ゴーズ領を襲って来るのです。わたくしからすれば、今の状況は盗賊団の砦が襲われているのと大差ないですよ? 『盗賊に養われている家族に罪はない』とか、或いは、『盗賊の普段の生活の補助をする裏方に罪はない』などという甘い考えは持っていません。それに、そもそも、『救援依頼がないのに押しかけで駆けつけて、救援が間に合う』などという状況は本来あり得ないのです。貴方のように遠くから視ていて、瞬時に現場に現れるとかは通常できませんし、先方だってそんな期待は持っていませんよ?」
「そうだな。ミシュラ様の仰る通りだと私も思う。それにトランザ領は、東に接している領地との相互救援の約定を結んでいるはずだ。もっとも、過去の経緯からして、救援戦力を出して来るかは疑問だがな。そして私は今、あの時のガンダ領は、幸運に恵まれたのだと改めて実感しているよ」
「リティシア、そろそろ“様”付でわたくしを呼ぶのはおやめなさいな。スミンが真似をしたら困ります」
「ああ。なかなか癖が抜けなくて。気を付けるよ」
リティシアはラックの娘を出産した後、元ガンダ領の領主夫人という意識がかなり抜けた。
家の中での立場も向上し、今はミシュラが信頼を置くほどだ。
彼女はゴーズ領の第三夫人としての役割を完璧に熟しているのだから、それは当然ではあった。
リティシアはカールの後見人に名を連ねているが、その役割はラックに全てを委ねている。
勿論、自身の連れ子への母親の顔は見せるが、きっちりと使い分けがされていた。
ガンダ領の整備も終わり、後は新しい村民を入れるだけとなっている。
来年からは作付けも始められる。
カールへのガンダ領引継ぎの目処が立っているのが大きいのだろう。
第二夫人のフランが、未だにそういう意味でのミシュラの信頼を得ていないのとは、対照的な話ではある。
そうなってしまっているのは、背後の家の有無も関係があるのだろうけれど。
リティシアの実家とは、ゴーズ領の北に接して”いた”領地の家なのだから。
「そうか。僕は迷っていたけど、君らの話を聞いたらそうだなと納得してしまったよ。うん。このまま、状況を見守る。もし、生き残りがいたら後で対処を考える」
この時点で、もうトランザ村の運命は、ラックの中では確定した未来だったのかもしれない。
トランザ村の村人が魔獣に食われるのを直接視るのは忍びないので、超能力者は千里眼の視点を少し遠くからに切り替えた。
そして、スーツだけでの逃走が発生するかどうかを注視する。彼らが“最後まで命を張るのかは怪しい”と、ラックは思っていたからだ。
「リティシア、フランを呼んでくれ。ガンダ領の北側防壁の関所の扉を閉じて、ガンダ領内側に彼女の下級機動騎士を半日待機をさせる。現地に機体を送り届けるのは僕がやる」
フランの乗る下級機動騎士をラックが送り届けたのとほぼ同時刻。
遂にトランザ村は狼型の魔獣の侵入を許した。
そんな流れから、ラックは千里眼で予想した光景を視る羽目になる。
スーツ四体は村の防衛を放棄して、ガンダ領へと延びる街道へと走り出していた。
「フラン。トランザ領から逃げて来るスーツ四体。絶対に通すな。僕が今から扉を開けられないようにこちら側は土砂を積み上げておく。それからガンダ領の東側からの侵入も可能性としてはあり得る。ここの作業が終わったら、ミシュラを東に配置する」
「わかりました」
ラックはゴーズ領へとテレポートし、ミシュラへ事情を説明した後に、共にガンダ領へと向かう。
東側も当面封鎖だ。
そうして、超能力者の考える防備の配置が終わった時には、魔獣によるトランザ村への蹂躙は終了していた。
おそらく生存者はいないだろう。
村を襲撃していた魔獣たちは、次なる行動に移っていた。
村から逃げ出したスーツの逃走経路を辿るように、移動を開始していたのであった。
逃げ出したスーツの装着者である四名は、ガンダ領の関所の扉が閉じられていることに怒り狂い、扉の破壊を試みた。
それには結構な時間を必要とし、やっとの思いで破壊に成功した時。
彼らが見たその先にあった光景は、ガンダ村へと続く街道ではなく土の壁であった。
そのように時間を無為に費やした彼らの背後には、魔獣の追手が迫っていたのである。
こうして、ラックがガンダ領への進入路を閉ざしたことも少しばかりは影響し、トランザ領はあっさりと滅びへの道へ歩み出した。
まだ領主が生きているので滅亡確定ではないけれど。
敵性領地トランザ領からガンダ領への逃亡者の侵入を、絶対許さないマンのゴーズ領の領主様。先回りして逃げ場を塞ぐのに、大忙しとなる超能力者。領地替えの話を持ち込む王家の使者が、王都を発とうしているのを未だ知らないラックなのであった。