13話
「『塩の対価を現金ではなく、余剰作物にしたい』だって?」
ラックは、不在時にミシュラ経由で塩についてで追加のお願いが来たこと、それ自体に驚いていた。
周辺の開拓村からの要請で塩の販売はしていたが、元々、積極的に販売しようと思って受けた要請ではない。
はっきり言ってしまうと「渋々売っている」のだから、「それを買い手側も承知しているはず」という思いがある。
そのような状況下で、“販売方法に更に注文が付く”とは思ってもみなかったからだ。
「ええ。現金収入が元々乏しいので、手持ちの現金に限りがあることと、余剰作物を行商人に売って現金を得ようとすると、そのお金が塩に化けることを見透かされて、安く買われてしまうそうです。『ゴーズ領では急激に人口が増えたせいで、食料事情に余裕がないのであれば、適正な価格で換算して貰って塩に換えたい』というのが、周辺の開拓村の主張ですね」
「今年はそれでも良いけどさ。来年の収穫予想は租税の支払い分と村民で食べて行く分を除いても、緊急時の備蓄分に少し回すのが可能な程度に農地を広げたよね?」
「そうですね。貴方が良質な土を魔獣の領域から運んでくださるので、ゴーズ領は新規開墾した部分からでもある程度の収穫が見込めますから。来年の秋の収穫までの期間限定になります」
時の流れを整理すると、ミレスが魔道大学校へ入学したのが春、リティシアたちがゴーズ領に来たのが初夏。
この冒頭の話がされたのは、時系列的には塩の販売を始めてから5か月が経過している時期であり、ミレスが二年生に上がる春の出来事である。
「じゃ、“ゴーズ領の来年の収穫が終わるまでの期間限定”と念を押した上で対応するってことで。ただねぇ、僕が心配することじゃないけど、その話だとゴーズ領の来年の収穫後までに塩の事情が改善してないと詰むんじゃないの?」
「そうでしょうね。このままだと行商人との関係も悪化するでしょうし、先行きは暗いですね」
「うん。これ、どう考えても、ゴーズ領が逆恨みされるような気がする。塩を売ってあげて、感謝されるんじゃなく、追加で恨みまで買うとか馬鹿馬鹿しい話だよね。フラン経由でお願いされたから、シス家への貸しにするって話で始めたことだ。責任はシス家に取って貰おうじゃないの。行商人の独占商売だから、彼らが強気に出るって部分もある。これを機にシス家で開拓村への定期の隊商を設置して貰うと良いんじゃないかな? 行商人が完全に撤退すると、それはそれで不味いことになるから、そうはならないような匙加減で調整して貰おう。大変だろうけどね」
「ラック。定期隊商の話はシス家が昔、開拓村へ打診して断られた経緯があるのです。『シス家に物流を握られるのは危険だ』という行商人たちの入れ知恵に、各騎士爵領が乗っかった形です。実際は、シス家が本気になれば行商人の通行を許可しないこともできるので、各騎士爵領の決断をどう判断して良いのか迷う話なのです」
フランから語られた話は微妙だった。
行商人たちの入れ知恵が完全に間違っているわけではないし、開拓村が“シス家が設置しようとした定期隊商を断った判断が正しい”とも言い切れない。
加えて言えば、シス家が本気になれば行商人の北部辺境伯領内の通行を許可しないことは、確かに可能ではあるだろう。
だが、それは一度でも行った事実が情報として広まれば、“新規で開拓に出ようとする騎士爵はいなくなる”という危険な手段でもある。
騎士爵がファーミルス王国に対して敵対行動をしているなどの、それを行うに足る明確な理由があれば、当然話は別になるのだけれども。
これは、物資の供給ルートの手段の話になる。
複数共存が良いのか?
どこかの独占が良いのか?
そのような話ではあるのだが、売り手側の事情は独占する方が利が多いのは事実なのだ。
故に、慈善事業でなければ、進んで利が薄くなる共存を選ぶのもおかしい話になる。
行商人は複数存在するのだから、その意味では元々共存しており、競争原理が一応働いている。
けれども、資本力が違うシス家の大規模隊商が乗り込んでくれば、状況が大きく変わる。
昔の話で当時の詳細な事情は謎ではあるが、ラックに推測できるのはそんなところだ。
そして、その推測は概ね合っているのである。
「そうだったのか。でも、行商人たちに足元を見られる今の状況だと、考えも変わるんじゃないかな? 大規模な隊商の設置はしない形で、シス家の利を追及するんじゃなく、開拓村への細やかな援助。赤字を出してまではやらないで良い。そんな話で纏めて欲しいね。ぶっちゃけ調整が大変な仕事になるとは思うけど、開拓村へ恩が売れるからシス家にとっても悪くはないでしょ。あ、これをやったからってゴーズ家への塩の件の借りがなくなるわけじゃないけどね」
貸しは貸し。
シス家はフランの実家であるから、ある程度の融通を利かせるのは吝かではない。吝かではないのだが、今回の塩の件はことが大き過ぎて、到底ある程度の範疇に収まる話ではない。
よって、ラックの判断としては“しっかりと貸しを作った”という話なのだった。
これらの出来事は、ラックが海水を引き込むトンネル工事を行っている最中の時期の話であり、ミシュラの双子の出産がそう遠くない時期の話でもあった。
この世界の文明というか、技術の進歩というか、とにかくそういう部分は歪だ。
訪れ人の賢者が持ち込んだ地球の知識で実現し、発達したものと、そうではないものの差が激しい。
家電的なものやバイクや車、銃や大砲といった武器や、スーツ、機動騎士。そういった品々は魔道具の技術改良で実現したが、例えばコンピューター、電子回路、通信を含む電波関連、そういった分野の道具は実現できていない。
その原因は、概念を伝えて、元からあったものを利用したり改良すれば実現できる品物と、ゼロから作り出さなければならない品物との差が如実に出ているから。
例えば、コンピューターはCPUから始まって電子部品の塊である。
それは、“概念だけしか伝えることができなくても、作り出せる道具だろうか?”という、至極単純な話なのだ。
真空管、半導体の代表とも言えるトランジスタを始めとする、集積回路やその他の電子部品の数々。
それらを作り出せるだけの知識を持った人間が、都合良く訪れ人としてこの世界に来てはいない。
そして、マザーマシンも何もない所からのスタートになるのだから、作り出すのは無理ゲーの話でもある。
それは、電波技術や電話などの通信技術についても同じだ。
故に、レーダー的な道具はないし、情報の伝達手段が人による伝令、発光信号、打ち上げ式信号弾、笛、銅鑼などの音によるもの、狼煙、そういった方法に限られていたりするのであった。
ちなみに、乗り物の中で、飛行機は未だに開発が難航していて実用化されていない。
その理由は、魔素の濃度が地表から離れれば離れるほど薄くなるからだ。
高度百メートルやそこらであれば大差ないのであるが、それ以上の上空に上がれば急激に魔素が薄くなって魔道具の魔石の消耗が使い捨てと同レベルまで落ち込む。
魔道具をエンジン代わりとする飛行機は開発が続けられているが、魔素の濃度は目に見えるものではなく、薄い所に少しでも入れば直ぐに燃料切れと同じ状態になり、墜落する羽目になる。
事故が多発し、ファーミルス王国でも実用化の目処が全く立たないため、開発中止が何度も議論されている状況だったりする。
一度事故を起こせば魔力持ちの搭乗者の命が失われる可能性が高く、助かっても重傷は免れないのだから仕方のない話ではある。
では、魔道具の利用以外で飛行機の開発をとなると、真面な内燃機関のエンジンが作れる技術はない。
燃料の問題もあり、そちらは早々に断念されたという経緯なのだった。
ミリザとリリザが一歳となる頃、テレスはその少し前に魔道大学校に入学するために王都へと向かい、ゴーズ領を離れた。
彼女の下級機動騎士を遊ばせておくのは勿体ないので、卒業までのいない間はフランが使用することに決まった。
但し、フランも出産してからまだ三か月ほどしか経っておらず、赤子の世話もあって機体を使用する機会はまだそう多くはなかったけれども。
それはそれとして、遂に海水引き込みのトンネル工事は終了した。
当初の予定より工期が伸びたのは、ラックが万一の事態に備え、予備のトンネルを作って複線化する計画に変更したからである。
斯くして、ゴーズ領には“直径百メートルの海?”が誕生した。
海水をくみ上げる設備や、塩を生産する設備を作成することへの着手はこれからであるが、三か月後には塩の生産が始められる予定となっている。
ついでに、魚介類の養殖も手掛けたい。
ラックの野望は留まるところを知らないようであった。
但し、“魚介類の養殖が、野望の範疇に入るのか?”は、議論の余地があるだろうけれども。
また、この頃にはシス家が主導して作った定期隊商も、初期に起こった問題点を概ね解決し、順調に稼働していた。
東部のカツーレツ王国跡地での内戦は未だ続いており、塩の供給問題はゴーズ領での対外的な塩の販売を始めてからの情勢と全く変わっていない。
だが、シス家の隊商が稼働している。
隊商がいれば、余剰食糧の売買は問題なく行われるはずであり、ラックは「周辺の開拓村から恨みを買うことはない」と安心していられるはずだった。
しかし、人間には「嫉妬心」というやっかいな代物があるのである。
ゴーズ家の当主には、残念ながらその部分への視点が欠けていた。
それは村民の何気ない一言が発端だった。
「塩をゴーズ領で作るんだべか? 塩って勝手に生産して良いものだったべか?」
その村人は特になにがしかの専門知識を持っていたわけではない。
だが、農作物の生産には税が掛けられており、畜産物の売り上げにも税が掛かることは知っていた。
塩にも何かがあるのではないか?
発言した村民は、そう考えただけのことである。
ラックはそれを聞いてドキリとした。
その辺の部分の知識がないのだ。
ならばと、ミシュラへと目をやれば彼女も同様に“知らない”という表情をしている。
それは、フランやリティシアも同じだった。
そのような事態が偶発的に発生したことで、“生産を開始する前で良かった”と、ラックはそう思いつつ、ミシュラを連れて王都へと確認に出向くのであった。
王都の税を仕切る役所へ出向いたゴーズ夫妻だったが、「海もないのに塩が生産できるとか頭がオカシイ領主が来た」と、窓口では取り合って貰えなかった。
けれども、それでも二人は食い下がって情報を聞き出す。
相手の態度から埒が明かないので、「では、岩塩が出た場合はどうなるのか?」と、話を少し変えて、海塩の話はついでとして聞く。
そんな感じでラックとミシュラは、役人から情報を引き出すのに成功した。
税は塩の生産量の一割相当をお金で納める。
基準となる塩の価格は毎年変動するので、春に王都へ確認に来ること。
そして、塩の生産行為自体には届け出が必要。
これらが必要な情報であった。
ついでに魚介類の養殖についても聞いてみたところ、前例がなく「漁業の税が適用されるのではないか?」と、あやふやな答えであった。
ラックの側としても、今年着手できるかが怪しい話であるので、「来年までに確定情報をください」として、それについては引き下がったのである。
本命の話で塩の生産の件は、許可制ではなく届け出制であった。
故に、ラックは届け出をしようとした。
だが、役所が受理をしない。
受理してしまえば、役所の人間がゴーズ領に生産確認に出向かなければならなくなるからだ。
そして、もし、それが空振りの確認になっても届出者に罰則はない。
お役所仕事はことなかれ主義なのである。
少なくともこの国においては。
「受理されないのであれば、受理しない理由を文書にして出してください。正当な理由で不受理なら当然できますよね? 法もそうなっていますから。わたくしたちはそれが発行されれば、裁判所に供託の手続きをしますので」
ミシュラはそう言い切り、不受理証明をもぎ取った。
供託する金額で揉めることがないよう、今年の塩の基準価格の書類と税率の書類も添付させるのを忘れない。
こうした部分では、頼りになり過ぎるぐらいのしっかり者の妻である。
余談になるが、この手の話は無駄に妙な知識を持っていた訪れ人のおかげで、ファーミルス王国の法整備がされている部分がある。
色々とちぐはぐな世界ではあるが、そこで生きて生活している人々は、そういうものだと受け止めてしまうので、それで終わりの話だったりもするのだ。
とにもかくにも、そんな経緯で王都の裁判所に向かったゴーズ夫妻は、書類を提出して供託の手続きに入る。
だが、生産実績がないため、年間の生産量が不明だ。
提出した二人から「どうしましょうか?」となったところで、受理する側から「それでしたら追加供託金の可能性ありの特記事項を付けておいてください」と、指示が出された。
ラックたちは手持ちの現金であった、金貨三百枚をとりあえず供託し、手続きは完了したのであった。
そんなこんなのなんやかんやで、アレコレした結果、三か月後にはゴーズ領で生産した塩が初出荷される。
その情報が周辺の開拓村に流れた時、ゴーズ家の近隣の村を治める領主たちが何を考えたのか?
彼らは、“羨ましい”と考えるだけで済むはずがない。
嫉妬心に溢れ、“なんとか奪えないか?”と、そういうアブナイ発想に傾いて行く人間もいたのである。
こうして、ラックはゴーズ領での塩の生産と供給に目処を付け、トンネル工事とは別の土方仕事は山積みのため、まだまだ忙しい日々は続く。
養殖設備の造成とガンダ領の整備がまだ終わらないのだから仕方がないのである。
周囲から羨望と嫉妬と欲望が、向けられているとは気づかない、お気楽で無頓着なゴーズ領の領主様。「とりあえず、他の案件を順に片付けねばいつまで経っても終わりが見えてこない」と呟く超能力者。「ガンダ領の整備が終わって、そちらもゴーズ領並の税収になれば、僕も準男爵に成れるかなぁ」と、そんな未来に思いを馳せるラックなのであった。