119話
カクヨム版119話を改稿。
「『バーグ連邦の切り取りに失敗した』だと?」
スピッツア帝国の皇帝は、補佐官からもたらされた驚愕の報告がを信じられなかった。
彼は思わず玉座から立ち上がって、問い返してしまっていたのだ。
皇帝は事前に百パーセントの勝利を確信していたわけではない。
だがそれでも、だ。
「(かなり高い確率で、何らかの形の成果を上げることはできる)」
皇帝はそのように考えて軍に侵攻作戦を命じている。
故に、敗戦の報告があるにしても、簡単にすぐ負けて戻る形はあり得ないはずだった。
それだけに、冒頭で受けた報告はその内容もだが、それを受け取った時期が早過ぎて想定外であったのだ。
皇帝が持っている常識から言えば、疲弊しているはずのバーグ連邦に負けること自体も信じられない。
百歩譲って仮にスピッツア帝国の軍勢が敗北するとしても、報告が自身のところへ来るまでに経過している時間が異常だった。
急遽編成された侵攻軍の進行速度に、情報の伝達速度を加味して考えれば、今日皇帝が受けた報告は本来ならば五日以上後でなければ届かないはずのモノなのである。
これは、ラックが連邦に向けられたスピッツア帝国の侵攻軍の全ての兵を、一夜にして帝都付近に放り出したことが原因で起きた事象であった。
軍部の混乱や錯綜した情報が、ある程度整理し終わったのは事案発生日の午後となる。
そこから大して時間を置かずに、帝都の宮廷へそれが届いた結果、冒頭の出来事に繋がったのである。
「確報ではありませんが、『人的被害は皆無か、それに近い軽微なモノだ』という報告があがっています。『バーグ連邦がどんな手品を使ったのか?』については、帝国軍作戦本部の見解でも、『現時点では不明』とされています。ですが、たった『一晩』という短時間で、四万人規模部隊の人間『のみ』を、連邦内に構築した簡易陣地から遠く離れた帝都に近い場所へと、移動させられたのは事実です。尚、戦地へ持ち込んだ装備や食料その他の軍需物資は、全て簡易陣地に残されたままのようでして。それらは、『連邦に全て奪われた』と考えるべきだと思われます」
補佐官が皇帝に説明して行く、侵攻作戦の結果に関する詳細情報。
それは、兵力的な損失はなくとも、スピッツア帝国本体への被害が甚大であることを物語っていた。
それをわかりやすく、この国の至尊の座に就いている存在に悟らせるモノとなっていたのだ。
事実として、補佐官の認識や、その説明を受けた帝国の最高権力者が持つに至った認識は正しい。
人的被害はなくとも、武器や防具を含めた装備や食料、野営陣地を構築するための道具類、それを輸送するのに必要となる馬や荷馬車などなど、多くのモノが失われている。
その現実は、「人材以外の全てが失われた」と言っても過言ではないのだから。
戦前に行われた、上からの『大至急』という命令を理由にやっつけ仕事で作成された補給計画。
それが、軍勢の派遣速度を優先させるずさんなモノであったため、本来必要とされる物資の全てが輸送済みではなかった。
よって、帝国軍からすると「僥倖であった」と言えなくもない。
まぁそれでも、だ。
金額ベースで損害を計算すれば、「失ったモノは巨額だ」と言えるレベルに達してしまうだろう。
更に言えば、「失ったのは物資だけではない」のだ。
各々の兵士の持つ尊厳、プライド、士気。
どう表現するのが適しているのか不明な、目に見えるわけではない精神的なモノ。
そのような部分が、ガッツリと失われているのが皇帝には容易に想像できる。
そして、それを想像できてしまうにも拘らず、彼の立場だと帝国軍の上層部や派遣された侵攻軍の指揮官の失敗を咎めねばならない。
信賞必罰は軍の大原則であり、皇帝は立場上、咎め建てを行うことに全く利が見出せなく、また、それをやりたいと微塵も思わなくとも、ここから更に軍部に追加ダメージを与えねばならないのである。
「戦費を消費して得られたモノはない。明確な戦闘行為の末に敗北したわけではないが、『完敗』ということか」
皇帝は疲れた顔で、一気に老け込んだような、自嘲気味の力ない言葉を吐いた。
彼の中では、この時点で、悲願である南進政策を行うのを当面諦めざるを得なかったからだ。
この時点でのスピッツア帝国には、再度の侵攻軍の編成を行う余力がないわけではない。
だが、皇帝の気力は失われていた。
今日、補佐官から受けた報告内容を信じるのであれば、それは愚策以外の何物でもないのを理解するしかないのだから。
そして、皇帝は補佐官の報告内容を信用していた。
受けた報告は腹立たしく、面白くはないため、内容を信じたくなどない。
けれども、彼は気に入らない現実を否定して都合良く改変し、信じないほどの愚物ではなかった。
帝国の皇帝は補佐官にわざわざ指摘されることなく、その程度のことを把握する能力を有している。
「(敗戦理由の分析ができない相手に、同じ方法で挑んでも結果が見えている)」
この考えが、彼ら主従の共通認識となり、態々言葉にするまでもなく出された結論は至極当然の話であった。
そうして、スピッツア帝国の皇帝は、渋々と次の段階へと思考を振り向けたのである。
「作戦が失敗した以上、損失を穴埋めすることが必要だ。ファーミルス王国は戦時体制で魔石の消費量が増えているのだろうな。我が国への輸出量の増加が求められている。幸いなことに、東部の国二つが自滅したせいもあって、王国の魔石の買取額は上昇している。戻った兵を再編成して、訓練も兼ねて魔獣の領域の手前に張り付かせろ。魔獣を狩らせて今回失った分以上の金を稼がせるのだ。その作戦結果を以て軍部の失態に対する処罰を軽減する」
ファーミルス王国の西部辺境伯領から有償で貸し出される戦力なしに、独力で魔獣の領域に踏み込む力は残念ながらスピッツア帝国にはない。
けれども、魔獣の領域から押し出されてくる弱めの魔獣を、帝国軍の数の力で囲んで袋叩きにして狩る能力はある。
勿論、被害皆無で可能な話ではない。
そのため、通常であれば費用対効果の問題があるので、それを積極的に行うことはなかった。
魔獣の領域に対しての魔獣狩りは、必要最小限に留めておく。
少なくとも、過去の帝国軍の事情はそうであった。
しかし、魔石の買取額が上昇してくると事情が変わってしまうのである。
カツーレツ王国の内戦発生時からジワジワと上昇し続けた魔石の買取価格は、最安値の頃との比較で、直近だと倍に近い金額へと値上がりしていた。
現状では、軍の損害をやや多めに見積もって織り込んでも、かなりの利益を出せる状況へと変化してしまっているのだ。
もっとも、それで死ぬかもしれない下っ端の兵士にとっては、単なる金目当ての戦闘行為を強制されるのはたまったもんじゃない話になるのだけれど。
ラックが知ることのないスピッツア帝国側の戦後の事情は、そのように推移していた。
「今、なんと?」
「すみませんが、もう一度仰っていただけませんか?」
バーグ連邦の大公家の面々は、連日となる早朝からの緊急呼び出しに応じて集まった。
そうして、ラックから招集した理由についての説明と、『要請』という名の実質的な命令が行われる。
但し、聞かされた側は『寝耳に水』の話でしかない。
ほとんど全員が言葉もなく茫然としていたのだが、その中の二人のみがなんとか声を上げることに成功していた。
前述の発言はその二人のモノである。
「わかりやすく説明したつもりだが、まぁ良い。もう一度言おうじゃないか。バーグ連邦の領土内に攻め入った帝国軍は、全てを残らず彼の国の帝都に追い返した。だが、彼らが構築した四つの簡易陣地に、武器、防具、食料その他の軍需物資などが丸々残されている。よって、『千名程度を回収部隊として新たに編成し、然るべき指揮官を付けてそれらの物資を回収し、有効に使ってくれ』と言ったのだ。わかったか?」
「あの。昨日、武器の提供を受け、我々に一日かけて防衛線の構築とそれに必要な部隊編成を行わせたのは貴女ですよね? 一体どういうことなのですか?」
再度説明を求めた一人が、改めてラックに問い掛ける。
発言した彼からすれば、「バーグ連邦の存亡の危機だ」と悲壮な覚悟を以て、大至急で自らの担当範囲の差配を深夜まで行っていたのである。
それを、「そんなものはもうどうでも良い」と言わんばかりに、新たな部隊編成を求められては困惑するしかないのも道理ではあった。
「貴君らは自らの職責を全うし、外敵の侵入に備えた。素晴らしいことではないか。但し、私からの援助があってこそ、それが叶ったわけだがな。そして、それとは別に、私は請け負った国防への援助という約定を果たした。『私が』、敵を追い払ったのだよ。だが、戦利品の回収までは請け負っていないから、それを知らせて物資の回収を勧めているだけのことだ。勿論、貴君らが『そんな物資は必要ない』と主張するならば話はそれまでだぞ? しかしな、これは良い機会ではないか? 敵が侵攻してきた事実と、それが追い払われた事実を、貴君らの手の者によって確認することができる機会なのだぞ? 私は『昨日の話を、内心では疑っていた人間もこの中にはいる』と思っている。もう一度言おう。これは『良い機会だ』と思わないか?」
この期に及んで、ラックの眼前に雁首を並べた大公家の面々の全員が、漸く思い知る。
彼らの視点で、バーグ連邦に手を差し伸べた外国と思われる存在の力が、『いかに隔絶的なモノであるのか』を。
大公家に名を連ねる彼らとの交渉の場に常に出てくるのが、未だに真面に名乗ることすらしない若い女性。
彼らが彼女に呼び名を求めて尋ねたら「救世主だ」とふざけた言葉を平然と返した女。
公家の当主たちが内心では、その姿が『若い女』という点と彼女が背後に持つはずの『国の名を出さない』という点で、侮っている部分があったのは否めない。
だがそれでも、だ。
彼女の不興を買うのを恐れたのはここに揃っている全員が同じであり、バーグ連邦として『どこからなのか?』はわからなくとも、この状況で援助を打ち切られても困る。
そのため、彼女の強引なアレコレに、かなり唯々諾々と従ってしまったのも事実だ。
地下資源の権利譲渡の一件。
その約定の書面にサインを求めた時も、起きた事態は『異常』の一言に尽きる。
連邦側は、彼女に面と向かってはっきりとそれを言えはしないが。
彼女は差し出された書面に記された内容を確認した後、そこに堂々と、『バーグ連邦の危機を救った救世主』と書き込んだ。
そして、「何か文句があるか?」と、言わんばかりに威圧を振りまきながら、公家の当主たちの全てを一瞥したのだ。
公家の年長者の中には、彼女が彼らの前から姿を消した後、「あれで、正式に履行される契約が成立したつもりなのか」と嘲笑った者もいた。
更には、「今だけ、援助を途絶えさせることなく引き出すために、良い気分させて乗せておけば良い」と裏で言っていた者すら存在している。
十七の公家は外敵に対しての協力体制が必要なため、協調路線は崩さない。
だが、決して一枚岩ではない。
個々の考えには、当然のように温度差が存在していた。
溺れる者は藁をもつかむのだろう。
バーグ連邦が掴み取り、縋ったのは、比喩的表現をするのであれば、『藁』などという頼りないモノではない。
それは、溺れている者を救出、収容、保護が可能な代物。
藁どころか、高性能を備えた巨大な戦闘艦であったのである。
ラックの存在とは、彼らからすれば、結果的にはそういうモノなのだった。
そんなこんなのなんやかんやで、理解不能ながらも現実を受け入れさせられた者の一部には物資が残されている場所を知らせるために、ラックからざっくりした地図の写しにその位置が記入されたものが渡された。
超能力者からすれば、現実を受け入れられる柔軟な対応が可能な者を、『まだマシ』と言うか『有能な方だ』と判断して優遇しただけの話である。
彼らが得た物資をどう分配するか?
後で確実に発生するであろう揉めるしかない事態へは、関与する気が全くないのであった。
「さて、孤島の方も含めて、喫緊に必要なことは粗方済ませたはず。どうせ、まだゴーズ領に戻るわけにはいかないから、時間を有効に使わないとね」
誰に聞かせるわけでもないが、ラックは自身の考えを纏めるために、何となく言葉が口から出てしまう。
超能力者が行ったのは、報酬として示された地下資源の確保であった。
ここでは、長年の土木作業の経験と、銀鉱石の採掘経験が生きる。
土方マシーンの再来は、連邦内で交通にもの凄い不便を生じさせていた山脈から巨大な山を二つ、あっさりと消し去った。
地下資源を抜き取って運び去った部分に発生した大規模な地下空間には、そこから採取された土砂が詰め込まれたのだ。
その結果、『山が消え去る』という事象を生み出したのである。
報酬の受け渡し時期が明確にされていない、限りなく口約束だけに近いような、ずさんな契約書の存在。
それは『ラックによる地下資源の先取り』と、『バーグ連邦の国土の一部に、大規模な環境破壊』という副産物をもたらした。
もっとも、その環境破壊は連邦内の人間には歓迎されるモノであり、明確に『被害を受けた』と言えるのは、消えた山に存在していた野生動物だけであろう。
超能力者の視点では、「先に報酬は全ていただくけど、『前払い』ってことで良いだろ。後で過払いとかで揉めるようなら、一部返却しても良いし」と、なっていた。
尚、消失した山にいた野生動物たちの内、大型のモノはきっちり狩られて、孤島へ隔離した者たちへ新鮮な肉として供給された。
騎士爵になり立ての頃の気分が未だに抜けない超能力者は、そのような部分で手間を惜しまず、無駄は出さないのであった。
ちなみに、山が二つ消えた地は、連邦内で地下資源の権利を最も多く有していた若者の家の管轄であり、彼は自家の持っていた権利の一部を失う代わりに、棚ぼたで新たな交通の結節点となり、栄えることが確定している未来を持つ土地を手に入れた。
これは単なる偶然で、ラックが意図的に行ったことではない。
それでも、結果的にWIN-WINの関係となったのである。
なんなら、「掘り出せばいつかは尽きてしまう地下資源より、ずっと使える金を生み出し続ける街を得るほうが幸せである」とさえ言える。
しかも、投下する人員や金の必要量も桁が二つほど少なくて済むのだから、該当した公家からの苦情は一切出なかったのだった。
こうして、ラックは、対帝国侵攻軍の後始末を終え、バーグ連邦に対しての援助を一段落させた。
採取した地下資源は、一旦極点に野晒しで仮置きして放り出している。
妻子にも会えず、身体は女体化したままで、孤独に悶々としていた期間は、無事に終わろうとしていた。
実妹の一行が、予想外に早くガンダリウ村にやって来ていることを千里眼で視て知っているけれど、何の対応も不可能だったゴーズ領の領主様。それへの対応を急がねばならないことは重々承知していても、「帰ったら、まずは嫁を押し倒そう」と、考えている超能力者。それを知ったら、ブチ切れそうな三人の船長たち存在が頭からスッポリと抜け落ちているラックなのであった。




