117話
カクヨム版117話を改稿。
「『ラックがいつ戻るのかわからない』ですって?」
ドミニクはゴーズ家の夕食会が解散になった直後のタイミングで、飛行船一番船の船長レフィールを同乗させた下級機動を駆って、トランザ村の領主の館へと訪れていた。
その状況に至った経緯は、今朝からのドミニクの行動が起点となっている。
狂気の研究者兼技術者は、ここ数日で自身の前に姿を見せないラックについて、不審さを感じた。
それ故に、妾の立場となっている三人の女船長に、彼女らの夫である男の動向を確認したのであった。
それは、「彼女たちなら上級侯爵になった甥と定期的に閨を共にするため、何らかの情報は持っているだろう」と判断しての、軽い気持ちから興した行動。
しかしながら、そこでドクが知ることができた情報についてを端的に言えば「期待外れ」となり、「藪蛇」ともなる。
姿を見せなくなった甥っ子の妾たちから得られたのは、「夜の当番の日であるにも拘らず、夫が迎えに来なかった」と言う実に寂しい話でしかなかったからだ。
ゴーズ家の当主の行動が、これまでの日常から逸脱している。
ドミニクはそれを確定させたと同時に、ションボリモードの三人を宥めなくてはならなかった。
そして、困ったことにゴーズ家の隠し村的なアナハイ村に住む人間は、現在の状況を打開でき、尚且つ禁止事項に触れない手段を持っていない。
ラックの叔母には、今の状況では甥から許可されていない最後の手段を行使する以外に、ゴーズ家と連絡を取る方法を考えつかなかった。
そこまでの思考に至ったドクは、取るべき手段を躊躇うことなく決断する。
それは、良くも悪くも、彼女らしい実行を伴うものだ。
そうして、ドミニクは最後の手段の準備へと行動を移した。
彼女が具体的に行ったのは、夜の帳が下りるのを待って、試作下級機動騎士(飛行試験型)を積んだ一番船を離陸させ、村を無人で空にするという暴挙なのであった。
完全に陸の孤島と化しているアナハイ村では、ラックから禁じられている飛行船の無断使用以外にトランザ村へ向かう方法がない。
そのため、ドクの興した行動は仕方がない面はあるのだけれど。
一番船の船長であるレフィールが最低限の配慮として、ドミニクからの強硬な指示に対して夜間飛行を選択したのは、飛行船も試作機も他者に見られる可能性が低い時間帯だからだ。
暗い中での視認はそもそも困難であるし、万一見られても、見間違いなどの誤認と思い込んで貰えることもあり得る。
もっとも、夜間飛行は航行と操船の難易度を跳ねあげてしまうのだが。
とにもかくにも、そうした経緯で三人の船長とその息子たち全員にドミニクを加えた一行は、アナハイ村を離れた。
レフィールはアウド村へと飛行船の針路を向けたのであった。
尚、村の全員が一番船に乗り込んだのは、「飛行船の運航に必要な人手を確保する」という運用面での不可避の事情があったせいである。
他者からの目の問題もあって、彼女たちは直接トランザ村に飛行船で乗りつけるわけにも行かない。
そのため、一旦アウド村へと着陸し、そこからは機動騎士での移動を選択する計画だ。
そうして辿り着いたトランザ村の領主の館で、ミシュラから得られた情報にドクが驚きを以て問い返したのが冒頭の発言なのだった。
「あの人は、バーグ連邦で発生した死病への対処に出ました。『戻れない』という知らせのみは毎日届いていますが、詳細な情報は一切ありません。わたくしの推測ですが、ゴーズ領に病を持ち込まないために、『あの人に、病が感染していないこと』を確認する期間が必要なのではないでしょうか? そうでなければ、『行ったまま一度も戻らない』という状況は合理的な説明がつきません。レフィール。あの人はトランザ村を出る前の段階では、今の状況を予測していなかったのだと思います。ですから、連絡がなかったのは、許してあげてくださいね。ルクリュアとサバーシュにも伝言を頼めるかしら?」
ミシュラは冒頭のラックの叔母の発言に対し、自身の推測も加えた状況説明を以て答えた。
そして、正妻の責任として、妾のレフィールに言伝を頼む。
トランザ村に来ているのはドミニクとレフィールの二人だけであるから、一番船を守るために残った二人の妾にも、ミシュラは配慮せねばならない立場であったからだ。
「わかったよ。そういう事情なら仕方がないね。だけど、ラックがいないとアナハイ村は詰んでしまう。それなりの物資の備蓄はあるが、『年単位の長さで無補給が続く』とかになればあの村で生きて行くのはさすがに無理だ。なので、緊急時の連絡方法の確立か、飛行船の使用ルールの緩和を求めたい。今回の飛行で禁を破ったのは承知している。けれども、事情があってのことだけに軽い罰で済ませてもらいたい。できれば不問にして欲しいね」
「今回の飛行は、出来立ての新型試作機のテストも兼ねているのよ。『レフィールたちへ処罰』をという話になるのなら、わたくしが代わりに責任を取りますわよ」
レフィールはミシュラの言葉に了承の返事をしたあと、主張するべきところはしっかりと主張した。
今回の事案への最終判断を下すことは、領主代行を務める正妻の権限を越える。
そのような案件であるため、レフィールは厳密にはミシュラにではなくラックにそれを直接伝えるべきなのだ。
けれども、彼女はここではその点を承知の上で、あえて言葉に出している。
それがミシュラの『領主代行』と『ゴーズ家の妻たちを束ねる』という、二つの立場からの口添えを期待しての発言であったのは、現状の場を共有する三者全員の共通認識となっていた。
レフィールに続いたドクの発言も、『今回に限り』という条件で『契約違反への処罰不問』を期待してのことになる。
彼女自身も含め、アナハイ村の住人は村外へ出る自由を制限されているからだ。
「あの人も『そこまで杓子定規に厳格なことは言わない』とわたくしは考えています。想定外の事態に対応するには、『事前に決められた契約内容だと不備があった』のは事実でしょうしね。わたくしからもその点は口添えしておきます。結果の確約は無理ですけれど、まぁ大丈夫だと思いますわよ」
そんな流れの話は短時間で切り上げられ、ドクとレフィールは機動騎士でアウド村へ向かう。
夜空が白み始めるまでには、まだまだ十分に時間の余裕がある時刻。
だが、本来トランザ村に来るはずのない彼女たちは、滞在時間が短いに越したことはないのだった。
薄々とは気づいていても、ゴーズ家の正妻がこれまであえて直視せずに、考えないようにしていた点。
それは、『超能力の行使者』という、唯一無二の存在の持つ力への依存が顕著なゴーズ領の現行体制についてだ。
この度迎えた、『ラックの予定外の不在が長期化する』という初の事態は、超能力者の不在が長引くと様々な部分に無理が生じる体制が基本となってしまっているのを、ゴーズ家の面々に痛感させた。
ミシュラは今回の事案で、改めてそれを思い知らされることになったのである。
「『バーグ連邦が燃えている』だと?」
スピッツア帝国の皇帝は補佐官からの報告を問い返しつつも、バーグ連邦への対応策を考えていた。
尚、スピッツア帝国とは、ファーミルス王国の北西に位置し、南側でバーグ連邦とも国境を接する国である。
スピッツア帝国の皇帝には、『自国の版図を広げる』という領土的野心があった。
しかし、現実問題としてファーミルス王国に喧嘩を売る選択肢と、魔獣の領域に手を出す選択肢はない。
よって、必然的にバーグ連邦の領土を狙うしか、帝国に領土的野心を叶える道は残されていなかった。
実のところ、領土的野心を持つのは今代の皇帝に限った話ではなく、歴代のスピッツア帝国の皇帝の全てが、バーグ連邦を併呑することを悲願としていた。
勿論、そこには帝国にとっての必然の理由がある。
もっとも、それは連邦の人間からすれば、「勝手なことを言うな」と、罵声を浴びせるのが必定の理由ではあるのだけれど。
スピッツア帝国が北に接する魔獣の領域側は、その拡大を抑え込むためにファーミルス王国の西部辺境伯領から有償で定期的に軍事協力を要請しているのが常であった。
その費用は馬鹿にならず、決して安いモノではない。
しかしながら、その費用を出し渋れば森の拡大を放置することになり、結果として帝国の領土は徐々に魔獣の領域に浸食されてしまう。
つまるところ、『金を掛けねば領土が縮小する』という恐怖が、歴代の帝国皇帝をして南進政策を考える原因でもあった。
そうした前提がある状況下で、バーグ連邦の謎の伝染病に関する情報はスピッツア帝国にも入ってきており、国境の厳重な封鎖は既に行われている。
幸いなことに、バーグ連邦と接する国境地帯は起伏に富んだ地形の礫砂漠が広がっていた。
そのため、連邦が激しい業火に包まれていても、帝国側へ飛び火して延焼する可能性はない。
鎮火したのを確認できてから、侵略を即座に開始するのであれば。
その構想を練るのなら、スピッツア帝国には今しか機会がない。
南へと侵攻するのであれば、軍の準備に時間が必要なのである。
「出火の原因はなんだ? 事故などによる失火か? 故意に行った、伝染病に対する最終手段か?」
皇帝は考えを纏める材料を欲して、補佐官に問うた。
この問いは実のところ、皇帝自身の中では既に結論が出ていたりするのだが、補佐官の考えを確認する意味で出されたものであった。
「南部国境封鎖で発病の可能性がある者は、経過観察中です。ですから、そこで手に入る連邦の情報しかありません。それ故に、最新の情報とは言い難いのですが、発病者の致死率が百パーセントなのと、治療方法が不明のままです。よって、汚染地域を切り捨てた可能性はあります。報告の対象範囲の推定地域は広く、『事故の線はない』かと考えます」
補佐官の返答は皇帝の考えと一致しており、前提となる条件が確信に近いものとなる。
しかしながら、今回軍を出すとなれば、最大の問題は『伝染病の存在』だろう。
スピッツア帝国の版図を拡大できたとしても、病の蔓延によって国力が衰えるのであれば意味がない。
「二つ聞こう。『鎮火した跡地に侵攻軍を出したとして、焼き払われた跡地でも病の感染はある』と思うか? 軍を出した場合、切り取れる落としどころは『連邦の大公家のいくつ』に相当する? こちらが出せる戦力は四個師団の四万人とする」
「疫病の浄化目的で土地を丸ごと焼き払った過去の例を参考にすると、感染の可能性は低いでしょう。派遣した軍の帰還時に待機期間を設ければ、万一の国内への流入も防止可能だと思われます。バーグ連邦が軍を展開できるのは、現在の国境から三割ほど後退したあたりが限界だと推測します。その根拠は『失われた人口』ですが、それに加えて、『食料の生産能力もかなり喪失している』と私は考えます。大公家の領地の数で言えば、『四つか五つは奪い取れる』のではないでしょうか」
スピッツア帝国が持つ情報は古いため、判断ベースはバーグ連邦が実際に失った国力、戦力、兵站維持能力より高い水準での予測となっていた。
彼らの見積もりは結果的にかなり厳しめに行われており、連邦が独力で帝国に抗うのであれば補佐官の予測の倍の規模まで国土を奪われてもおかしくはない。
スピッツア帝国の皇帝らは知らないが、現在のバーグ連邦の国力はそこまで衰えてしまっている。
但し、『弱れば殴られ、奪われる』と理解している連邦側が、黙ってそれを放置するのか否か?
スピッツア帝国側の思考には、『外部からの援軍』という存在の部分が欠落していた。
もっとも、両国間の戦争に関与できる国はファーミルス王国しかなく、彼の国は国是により関与できる能力を有していても絶対に出張って来ることはない。
それは過去の歴史が証明している厳然たる事実であるため、バーグ連邦が対スピッツア帝国戦に自国の戦力以外を投入してくる可能性を、帝国の上層部が排除してしまったのは、至極当然なのだけれど。
そんなこんなのなんやかんやで、スピッツア帝国はバーグ連邦侵攻軍の派遣を決定した。
拙速は巧遅に勝る。
その言葉の意味を知る彼らは、『今回の侵攻作戦では、時間が何よりも貴重だ』と判断した。
故に、補給物資の手当がずさんなままで兵を興したのである。
無人の焼け野原を行軍するスピッツア帝国軍四万。
それを迎え撃つことになるのは、たった一人の女性であった。
もっとも、その女性の姿は偽りのモノであり、中身は男性のラックなのだが。
「(この状況下で侵略を企てるのは、狂気の沙汰以外のナニモノでもない)」
ラックの視点では、スピッツア帝国の軍事侵攻の可能性について、そのようにしか思えなかった。
そのため、『バーグ連邦が援助への対価としてラックに差し出す地下資源』の条件に、『国土の防衛』が含まれていても、その点を気にはしていなかったのだ。
ゴーズ家当主が持つ常識からすれば、『謎の死病が蔓延っていた危険な地を欲する』とは考えにくい。
そうである以上、『仮にスピッツア帝国が連邦の領土への武力侵攻を実行に移すことがあったとしても、その時期は年単位で先のことになる』と楽観視していたのだ。
しかしながら、その予測は無残に裏切られる結果となる。
超能力者は「『まずあり得ない』とは思うが、『国土の防衛』を引き受けた以上は」と、一応警戒する形で、定期的にスピッツア帝国と領土が接する部分を中心に千里眼の行使をしていた。
その結果、ラックは帝国の領土侵攻軍を発見してしまうのであった。
この時のラックは妻たちの英知に頼れないことで、自身のみで下した判断に誤りや至らなさが生じてしまう点を痛感していた。
だがしかし、だ。
よくよく考えてみれば、『事前に帝国軍の侵攻を予測できていた場合でも、対応していたのは自分一人だけだ』と気づいてしまう。
最終的にやることが変わらないのならば、過程での判断ミスなど些細なこと。
すっぱりとそう割り切った超能力者は、思考を戦闘モードへと切り替えて行く。
それは、スピッツア帝国の侵攻軍の兵士にとって、悲劇だったのかもしれない。
はっきり言ってしまえば、「全ての敵を殺してしまうレベルの、完全殲滅戦を仕掛ける」のは、今のラックの力を以てすると不可能ではない。
寧ろ、それを選択して良いのならば、「手段的には楽である」とまで言える。
だが、『それができる』のと『それを安易に選ぶこと』は決してイコールとはならないのだった。
何故なら、超能力者はスティキー皇国との戦争の際に、フランの作戦立案時の考え方から得ているモノがあったからだ。
何が一番困るのか?
一体どこが困るのか?
そこを考えた上で、自軍に最大の利益を得る戦略。
そうした考えからすれば、バーグ連邦内に侵入して来るスピッツア帝国軍を殲滅して安易に軍事力を削ぐことは、彼の国の魔獣の領域に抗う戦力のマイナスへと繋がってしまう。
それは、ゴーズ領から見れば西方に二千キロメートル以上遠く離れた地の話となる。
けれども、親戚関係となっている北部辺境伯領にとっては、他人事ではない。
視点を大きくしてファーミルス王国から見ても、スピッツア帝国の国力の低下は好ましい話ではないのだ。
こうして、ラックは南の孤島に隔離した人々への支援を行う傍らで、スピッツア帝国の動向を見張っていた結果、彼の国の侵攻軍への対処を余儀なくされた。
一人対四万人の戦いの火蓋が切られるのは、もう誰にも止められない事態へと進んだのである。
相変わらずのワンマンアーミーをすることになってしまったゴーズ領の領主様。ここまでの行動で精神面にクル部分が多々あって、精神的にはイロイロ厳しい状態に置かれている上に、敵軍を相手に暴れるとアッチ方面の欲求が爆発しかねない超能力者。「早く男の姿に戻らないと、性別を偽ったままの姿でアヤマチを犯してしまいそうで怖い」という謎の恐怖心が呟きに現れてしまうラックなのであった。
2025年の初投稿!
1月中にもう1回と2月に3回程度の投稿を予定しています。




