1話 プロローグ
主人公を含む登場人物の個人名は2話から登場します。
初めて知った真実は彼に大きな衝撃を与え、苦渋の決断を促した。
彼が怒りの感情を覚えることはなく、存在するのは諦観と感謝の気持ち。
故に彼の口から出た言葉は、冷めたものでしかない。
「ふうん。やはり君もそんな風に考えていたんだね」
彼の横に並んで座っていた彼女は、重ねた手がビクンと震え、驚愕の表情を浮かべた。
「あの。いきなり何を仰るの?」
「ああ。言葉で取り繕う必要はないよ。僕にはわかってしまうんだ。大丈夫。婚約は取り消すよう僕の方から両親に言っておく。カストル公爵家にもきちんと申し入れするから。いままでありがとう」
見目麗しい公爵令嬢。
今日まで内心を悟らせることはなく、上手く誤魔化してきたのは立派であった。
だが、彼に隠し事をし続けるのは不可能である。
接触テレパスを欺くことはそれほどに難しいことなのだから。
訪れ人。
ファーミルス王国の外から来た人間の全てを指すその言葉には、異世界という所から来て偉業を成し遂げた賢者の存在も含まれる。
賢者は異世界の『科学技術』を代表とする様々な知識をファーミルス王国に、いや、この世界にもたらした存在だ。そして、王国建国の立役者の一人でもある。
その直系の子孫であるのに、この彼は蔑まれていた。
先祖返りと称する遺伝的な問題で魔力がない。
魔道具を全く扱えない人間だからだ。
賢者の知識は魔道具の発展にも寄与し、この国は魔道具大国へと成り上がった。
以来四千年余、この国は魔道具に重きを置き、それを取り扱うことや生産に必要となる魔力量の高さが人の価値を決める。
貴族家は魔力量の高さを維持するために貴族同士の婚姻を繰り返しており、平民の平均が十程度の魔力量に対し、最下級の騎士爵ですら五百が基準となる。高位の貴族家ともなれば十万を超えるのが普通だ。
ご先祖様の偉業で彼の家は公爵家。
その第一子の長男として生まれて来た彼は、賢者の直系であるテニューズ公爵家当主を務める父と、前王の娘、王女の身分でこの家に嫁いで来た母を両親としている。
長子が男子として生まれて来たことは、彼が知る限り、大きな喜びをテニューズ公爵家にもたらしたらしかった。当時の彼は当然赤子であるからあくまでも伝聞となるが。
そして、一年後に行われた、期待を込められた魔力量の検査結果は悲しみしかもたらさなかった。
出産間近であった母は心労で倒れかけ、心身の健康状態が心配された程である。
両親は取り乱し、「これは何かの間違いだ。赤子の取り違えが起こったのではないのか?」と、産科を生業とする病院に調査を命じた。
そうして、当時居た赤子全ての遺伝子検査が行われる。
だが、得られた検査結果はテニューズ家に残酷でしかない。
彼と公爵家との親子関係はそれにより証明されたのだった。
貴族としては無価値な存在。
魔力量からいけば平民よりも下の価値しかない存在である彼は、それでも生かされた。
本来なら病死などの適当な理由をつけ、闇から闇に葬られてもおかしくはなかったにも拘らず。
彼は、当主の色々な思惑が重なり、不気味な存在だと思われつつも、何かがある赤子だとして、直ぐに殺されることはなかった。
生かされたのは、単に“直系で血を繋ぐことができる男子を、とりあえず確保だけはしておく”という保険的意味合いもあったのだ。
更に言えば、魔力0が発覚した時には、直ぐに次の子供が生まれてくることが確定していたのも、彼が生かされた理由のひとつであったのかもしれない。
尚、殺されることがなかった直接の最大の原因は、時折起こっていた謎の身体の浮遊現象である。
彼は魔力は持っていなかった。
しかし、超能力は持っていたのだ。
身体の浮遊現象は、物心つく前の赤子の段階で能力が漏れ出た結果であった。
彼がそれを持っていることを自覚することができたのは、十歳を超えたあたりの時期。
但し、自覚した後も任意で制御してある程度使いこなすことができるようになるには、更に二年の時が必要であったのだけれども。
彼の一歳下には豊富な魔力を持つ双子の弟と妹がいる。
長子の男子が家の継承を基本とするこの国。
基本から外れることになる、魔力0の無価値な長男を飛ばしての、豊富な魔力を持つ次男を次期当主と決定すること。
それは、全く問題がないわけではなかったが、周囲の王侯貴族に受け入れられることでもあった。
魔力0の彼は、遺伝子的には賢者の血統であることは間違いないため、カストル公爵家は極端に魔力が低い、二千の魔力量を持つ三女を彼の婚約者として出してきた。
こちらも、デキ損ないとか欠陥品レベルで魔力が低くとも、公爵令嬢であることは事実であった。
要は、余物同士でくっつけて縁だけは結んでおこうという目的だ。
双方の公爵家の利害は一致した。
両公爵家の恥部となる当人たちをまとめて辺境に追いやり、捨扶持を与えてお茶を濁すつもりになったのである。
カストル家にとっては、引き取り手のない令嬢の体の良い処分先であったのかもしれないが。
「待って下さい。『婚約を取り消す』とはどういうことですの?」
「言葉通りの意味だよ。魔力0の男と結婚なんて嫌なんだろう? 『他に嫁ぎ先がない以上こいつで我慢するしかない。わたくしの最善はテニューズ家の財産で贅沢をして暮らすことしかないわ』って考えていたんだろう? だが、僕と結婚してもテニューズ家からの援助はそう期待できはしない。君の望む生活は事前に『不可能だ』と結論が出ている以上、不毛な政略結婚はするべきじゃないだろう。政略結婚に愛を求めるのは間違っているのかもしれない。けれども、僕も自分を嫌っている相手と結婚なんてしたくはないよ」
彼の言葉には一部に嘘が混じっていた。
しかし、テニューズ家は彼の弟を次期当主とすることを決めており、後々は彼に援助が薄くなるか、なくなる可能性は高い。
家からの援助に、期待できないことは事実である。
接触テレパス。
彼が行使した能力は、身体の一部が触れている場合に、その時に考えていることが伝わって来るものだ。
よって、何でもかんでも自由に相手の思考を読み取れるわけではない。だが、相手がその能力の存在や、思考を読み取る条件を知らなければ、防衛するのは難しい。
これまで、この令嬢の彼への態度は悪くなかった。
寧ろ、彼の視点では「比類なく優しい態度の唯一の存在だった」とまで言える。
勿論、彼女自身の魔力が低く“男爵家か準男爵家に嫁げるかどうか?”のレベルの評価であることにも原因はあるだろう。
しかも、家格の問題でそれは実現不可能な話でもあるわけで。
だが、それは置いておくとしても。
彼がここで彼女を突き放すのは、彼女の望みが叶わないとわかってしまった以上、これまでの彼への態度に対してのお礼でもある。
彼へ向けられた彼女の優しさが、たとえどんな理由からだったとしても。
それは確かにあったのだ。
事実は動かない。
彼に優しい態度を取る人間は、他には誰も居なかったのだから。
彼女の持つ優れた容姿があれば“正妻の地位は難しいかもしれないが、贅沢な生活を送ることができる相手を探すのは不可能ではない”と思われた。
「浅ましい女でごめんなさい。そんな考えがあったのは事実ですし、それを知られてしまってから言っても信じて貰うことは難しいかもしれませんわね。ですが、婚約の取り消しは止めて欲しいです。贅沢な生活ができなくても良いです。食べるに困るまで追い込まれるのは、さすがに嫌ですけれど」
嘘を言っているような思考を、彼は読み取れなかった。
こうなってしまうと、彼としてはしばらく様子見で行くしかない。
二人は共に、来月には魔道大学校へ入学せねばならない。
故に、婚約を解消するタイミングとしては今がベストだと彼は考えたのだ。
けれども、これも成り行きという物だろう。
彼は彼女に惚れている。
より正確に表現するのであれば、好意や愛情は勿論あるが、重度の依存症も加わっている。
彼女の飛び抜けて美しい顔立ち。
彼女は、容姿だけでも“傾国の”と形容詞が付いてもおかしくはない美貌と、均整のとれた体型の持ち主であった。
その上、彼に打算からのものとはいえ、長きに渡って優しさを以て接してくれた、ただ一人の存在。
そんな唯一無二の女性に彼が惚れないわけがなく、結婚したい相手と考えるのが当然だった。
しかし、彼は接触テレパスで婚約者の打算の真実を知り、彼女の損得に配慮して婚約の解消を申し出た。
彼は彼女の幸せを第一に考えたのである。
それでも、彼女が彼の判断を承知の上で、彼との婚約関係の継続を望むのであれば、彼に否はない。
あるはずがないのだ。
三年後、魔道大学校の卒業と同時に正式に彼女と婚姻関係となれるのかどうか?
未来のことは誰にもわからないのだった。
魔道大学校。
この学校は、ファーミルス王国に接する魔獣の領域の拡大を防ぐ目的の一環で存在している。
魔獣の領域は広大な森であり、そこから人が住む領域に魔獣たちが這い出る。
それらに人類が対抗するために、必要な魔道具を生み出す兵器工廠が大元の母体となった。
そして、研究開発の人材と魔道具を扱える人材を量産する目的で作られた学校だ。
魔道具の取り扱いと魔道具の制作に係わる基本理論を主に学び、王族と貴族の子弟子女の入学が義務付けられている。
一般的な教養も合わせて学ぶ場でもある。
入学義務者は満15歳から三年間通うことになっており、一般的な日本人の感覚に合わせて言えば、専門性の高い高等学校に近い物を想像すれば、似たような物であるかもしれない。
ついでに言えば、学び舎でもあるが婚活の場ともなっている。
要は、婚約者を持たない人間は、好条件の異性を捕まえることに割と真剣になる必要がある場を兼ねているのだ。
もっとも、本当に条件の良い立場の者は、入学前に“婚約済み”となっているケースが大半なのだけれども。
「僕は十一組だな。まあ予想通り最底辺クラスだ。君は五組か。ギリギリ男爵家の集団に入りこめた感じかな?」
「魔力量の結果で振り分けられるだけですから仕方がないですね。使える魔道具の枷がある以上、上から順に与えられる装備の数で決まるわけですし。もっとも、一組用の装備が足りなくなるケースは過去に例がないらしいですけれどね」
「らしいな。装備は余ってるけど使える奴が居ないって理由が情けないけど、それだけの魔力量を持った子供がホイホイ生まれて来るはずもないしな。まぁ戦場に出る可能性がある道具に適性があるっていうのが、幸せなことなのかどうかは、魔力がない僕としては判断できないけど」
ちなみにクラス分けは一組が、王家、公爵家、侯爵家、辺境伯家が主体。二組が伯爵家、三組が子爵家、四組と五組が男爵家、六組から十組が準男爵家と騎士爵家がそれぞれ主体となっている。十一組は魔力五百に満たない落ちこぼれのクラスだ。
体内魔力の保有量は魔道具との親和性の指標。
所謂、ファンタジー世界の魔法という現象が体内魔力を使用して起こせるのではない。
魔道具との親和性次第で、そこから大きな影響力を持つ現象が引き出せるかどうかだ。
魔力量が少なければ、魔道具の小型拳銃を持って引き金を引くことすらできないが、この世界の王族ならそれこそ戦艦大和の四十六センチ砲を手で持って撃てる。比喩的表現をするのであればそんな話なのである。
まぁ、あくまで比喩的表現であり、大和の四十六センチ砲はこの世界に存在しないけれども。
勿論、この世界には火薬も存在している。
よって、魔力が少ない一般人でも使用可能な、魔道具に分類されない銃火器類というものも一応存在はしている。
しかし、魔道具であれば道具があれば良いのに対して、火薬が必要な銃火器は当然ながら弾薬が別途必要となる。
資源、製造、輸送、保管、管理。
全てにお金が絡む上に、銃火器を扱う訓練にも弾薬は消費され、それは費用に直結する話だ。
扱える人間が限られるとはいえ、便利な代替品がある以上、火薬を使用する銃火器類が量産されることはなかった。
そして、量産されなければ製造コストが高止まりするのは至極当然の話だ。
どうしてもそれでなければならない理由がなければ、廃れて行くのが避けられない。
そんな世界なのだった。
彼はテニューズ公爵家の一員ではあるが、離れの家屋を与えられて、一人でそこで生活していた。
彼のみが生活をする場では、最少数の使用人しか仕事をしていない。
しかも、それらの人員は常駐ではなく、本館からの通いだ。
彼の本館と離れた別館のみでの生活は、弟、妹は勿論のこと“両親と顔を合わせる機会もほとんどない”というネグレクト的な扱いであった。
そんな彼の楽しみ。
それは、辛い現実から逃避できる、本を読むこと。
彼は幼い頃から読書が大好きだった。
特に彼の住まいである離れには、テニューズ家を興した賢者が持ち込んだ、電子書籍なるものから写本された漫画と呼ばれる書物が豊富にあったのである。
もしも、彼の家族が通常の家族関係を構築しているならば持つであろう親愛を彼へ向けていれば、この離れで孤独な読書生活をすることがなければ、彼の超能力は開花することはなかったであろう。
二つの超有名な名作漫画で描かれた超能力。
それを、遊びで模倣する所から、彼の能力は開花して行ったのだから。
そして、それを見ている者が誰もいなかったことも僥倖であった。
その力の存在を知っていれば、彼の超能力を利用や悪用しようと考える人間が、その魅力に憑りつかれたであろうことも想像に難くない。
ひっそりと芽吹いたその能力は、漫画の物語を理解した彼にとって、安易に他人に知られて良いと思えるモノではなかった。
そんな事情から、完全に独立した後、己の意思でのみ能力を使用しようと心に決める。
魔道大学校の卒業後、彼には辺境に小さな領地が与えられる。
結婚と同時に独立することが既に決まっていたからだ。
漫画で超能力者への迫害を見た彼は、能力が漫画と同様に使える以上、周囲の人間の反応が物語と同様になる可能性を信じていた。
肩書は公爵家令息。
だが、魔道大学校の十一組に所属する彼に対して、その肩書に見合った扱いをする者はいなかった。
苦難と苦痛に耐え続ける三年間の学生生活。
何度「超能力を使って楽になってしまおう」と考えたことか?
しかし、使ってしまえば自身の未来は閉ざされたものに確定される。
そう信じ込むことで、彼は三年の月日を耐え忍んだ。
そして本人は知らぬことではあるが、その耐えた状態で鍛えられた精神力により、能力が更に強化されるという副産物を生み出していたのである。
彼の愛する公爵令嬢は三年の時を経た現在においても、婚約を破棄する意思はないように感じられる。
このまま卒業式を済ませれば、簡素な挙式をすることも決定しているのだ。
卒業式を明日に控え、卒業後には希望と幸福が訪れると彼は信じたかった。
彼が未だ知ることのない未来は、波乱に満ちたものになるのだけれど。
精神力を光の槍に見立てて具現化して飛ばす攻撃。
光の剣として具現化して繰り出す斬撃。
透明な膜を任意の形で展開して、身体に纏うサイコバリアでの防御。
遠近自在に空間を瞬間移動するテレポーテーション。
列挙したのは、彼が学生時代に封印していた超能力の一部だ。
彼が持っている超能力を全力全開で使用する日常は、もう直ぐそこにまで迫っていたのであった。