プロローグ
16才のシャルロッテはホルム伯爵家の長女でありひとりっ子である。
絹糸のごとき繊細な金の髪は緩くウェーブがかかってフワフワと小さな白磁の顔を覆い、
隙間から細いうなじを垣間見せている。
大きく透き通った青い瞳と小さな桜色の唇、小柄で華奢な身体つきも相まって天使のようなーーー
「ちょっとクロエ、新聞が揃ってないじゃないの。一紙足りないわよ!」
「お嬢さま、王都の闇は休刊らしいですよ。」
「チッ!ゴシップ紙はこれだから。
ちょっとの圧力でやめるくらいなら下手なスクープとか載せんじゃないわよ!
反骨精神が足りないのよ!!」
鈴を転がすような声で毒舌を吐き散らす残念美少女がシャルロッテなのだ。
生家のホルム伯爵家は宮中伯である。
宮中伯というのは領地を持たず、宮廷に出仕して政を行う家系である。
建国王の側近というのが出自であるので辺境の守護を担う辺境伯と同様に他の伯爵家よりも家格は高い。
元々、伯爵というのは建国王の直臣であった家系である。
領地持ちはその地を平定したか下賜されたかという歴史を持つ。
伯爵の上位の侯爵は建国に協力した大豪族が建国後に得た爵位である。
その上の公爵は王族の臣籍降下によるもので準王族の扱いである。
一代貴族である騎士爵を除くといちばん下の男爵は建国時に恭順の意を示した地方の小豪族であったもの。
伯爵と男爵に挟まれた子爵は侯爵家あるいは伯爵家より推挙されて叙爵された分家という出自である。
もっとも、時代が下るにつれて移りゆくのが世の常。
伯爵位までは功績によって叙爵陞爵されるようになっていったので爵位だけでその家の来歴が分かるものでもなくなった。
ホルム伯爵家は国王陛下の金庫番と呼ばれるほどの財務のプロであり、代々の蓄財で途方もない資産を築いていた。
とはいえ単純にマネーゲームが大好きな一族であり奢侈に耽ることはなかった。
戦時災害時には真っ先に私財を投じるのでそれを咎める貴族家もなく、お役目が滞ることはない。
王家と諸侯とのバランス取り及び貴族家間の調整役というのがお役目の実態であるので評判をないがしろには出来ないという事情もある。
童顔オッサンでニコニコとした人あたりの良さが滲み出た見た目とは裏腹に非常に頭の切れる父。
公爵家出身の派手な美人の社交バカのようで貴族の情報収集に余念がない母。
クセの強いホルム伯爵家の一粒だねがただの天使であるわけがなかった。
シャルロッテが朝食後の習慣である新聞各紙に目を通していると侍女のクロエが声をかけた。
「お嬢さま、アンナがご相談したいことがあるとのことですが、いかがいたしますか?」
「いいわ、通してちょうだい。」
アンナはシャルロッテの母の侍女である。
緊張した面持ちのアンナが一礼した。
「どういうことかしら?挨拶はいいので説明して。」
「はい、あの、実は奥さまの髪留めが紛失しまして…
あ!邸内は隈無く探したのでございます。
ですが見つからなくて、お嬢さまのお知恵をお借りしたく参りました。」
「お母さまの髪留めというと銀細工のアレね。」
伯爵夫人は社交界では常に流行の最先端の装いでいるが普段使いは気に入った物を長く大事に使う人で、銀細工の髪留めはシャルロッテが産まれる前に夫に贈られたものだった。
「邸内には無いと考えて…昨日はよく晴れた気持ちのいい陽気だったからお母さまはお庭の四阿でお茶でもなさったのではない?」
「あ、そうです!四阿に出られて思いの外、陽射しが強くお帽子をお持ちして…
アッ!私その時、髪留めをお外ししました!!!」
「では、そこを探してご覧なさい。一晩外に置いたならサビが心配ね。」
「ありがとうございます!すぐに探してみます。失礼します!」
アンナが慌ただしく退出していくのを見送ったクロエは自分がシャルロッテの侍女になることを心に誓ったあの日を思い出していた。