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迎えに来た男

作者: 嵯峨一紀

 拳銃を持った女がキャリーだと分かった瞬間、ヴィッキーはこの危機から逃れる為の言い訳を死に物狂いで考えた。キャリーはヴィッキーが勤務する美容室の常連客だった。数年前にバブルが弾け、おまけに禁酒法は昨年廃止され、景気は最悪だったがラジオから流れるジャズの新曲に心を躍らせ、スクリーンに映写されるのエロール・フリンの活躍やクララ・ボウのロマンスに胸をときめかせるヴィッキーにとってニューヨークは未だに憧れであり、その大都会にある美容室の求人に応募した時も一切の迷いは無かった。週末は映画に素敵なディナー、その後はナイトクラブに集いカクテルやウィスキーと共にジャズを楽しむ。そんな週末、キャリーはいつものように店を訪れた。キャリーは気が良くヴィッキーと映画や音楽の趣味も合ったので特別に話が弾む素敵な常連だった。一通りの世間話、ゴシップ、その他情報交換等が終わった後、キャリーは一つ付け足した。

「今日、知り合いがここに迎えに来るんだけど、それまでここで待たせて貰ってもいいかしら?」

「ダメな訳ないじゃない、キャリー」

「ありがとう」

 誰かしら? 男? だとすると彼氏? そんなことを考えながらラジオの≪ロイヤル・ガーデン・ブルーズ≫のリズムに乗りながら別の客を接客していると外からクルマのエンジンとタイヤの音が聞こえた。瞬時に店頭のガラス窓から通りを見ると、完全に鏡の代わりになるくらい綺麗なボディの黒いセダンが止まった。新型のフォードか。運転席からその知り合いらしい男がドアを開ける。中折れ帽、オーバーコート、スーツ。どれもダークな色調で高そうだった。もちろん靴も。ヴィッキーは彼が店に入った瞬間、即座に観察を完了した。男はキャリーと抱き合い、相手を名前の甘い代替物で呼んだ。きっとこれから≪コットン・クラブ≫あたりに繰り出すのだろう。

「ちょっと待って」男はキャリーにそう言うと、ヴィッキーの方へ行った。

「よろしく、ジョンといいます。あなたは……」

「ヴィッキー。こちらこそよろしく」

「では、これで。どうもお邪魔しました」

「いえ。楽しんで来てね」

「ええ。あなたも、いい週末を」

「じゃあ、また」

「もちろん」

 ジョンは帽子を被って、キャリーとフォードに向かった。

 次の週末も同じフォードが店の前に止まった。

「やあ、ヴィッキー」

「こんにちは。キャリーならいないわよ」

「知ってるよ」

「そうなの。で、何か用?」

「ジャズは好きかなと思ってさ。この前、ラジオの曲に合わせて乗ってるようだったから」

「ええ、大好き」

「だったら、一緒に聞きに行こうよ」

「その提案は聊か、倫理的問題を孕んでるようね」

「キャリーのことだろ。別れたんだ」

「ふうん、そう……あれ、速いの?」

「乗ってみる?」

「運転していい?」

「ダメな訳ないよ」

 ヴィッキーが運転する横でジョンはクルマの説明をした。これは1932年発売のフォード・モデルBの実質的上級グレードの1934年式フォード・モデル46。ベースグレードであるモデルBは3.3リッター直列四気筒エンジンだがこれはよりハイパワーな3.6リッターV型八気筒(V8)エンジンを搭載し最大出力85馬力を発生させる。ヴィッキーは出たばっかの新車のアクセルを全開にして繁華街のナイトクラブへ向かった。レコードやラジオがあれば音楽は聴けるがミュージシャンが楽器で生演奏する音楽を聴きたい人も多くいたので、彼らの為に主に犯罪組織関係者が経営するジャズ・クラブ、ナイトクラブがたくさんあった。そこでは既に合法となった酒を提供し、ある者は非合法薬物にも手を出し、一流の音楽に身を委ねて酩酊に落ちる。そこでは音楽だけではなく、タップダンサーやコーラスガールによる華やかなショーも堪能出来る。すなわちこの世で最も面白い場所だった。そこで存分に楽しんだヴィッキーはジョンと来週も会う約束をした。


「今夜も運転代わる?」

「いや」

「遠慮しないでよ」

「今夜はダメだ」

「何で?」

「ちょっとね」

 映画館でダシール・ハメット原作の≪影なき男≫を見てから、小洒落たイタリアン・レストランに向かってクルマを飛ばした。今夜のジョンは少し緊張しているように思えた。黒のフォードは無事目的地に到着し、カップルは店に入った。店内は結構広く、客も多かった。

「お勧めは?」ヴィッキーがここに来たのは初めてだった。

「仔牛肉がこの街で最高だ」

 二人はオッソ・ブーコ(仔牛すね肉の煮込み)と赤ワインを注文した。ウェイターがワインをグラスに注いで立ち去るとジョンはキャメルに火を付けた。

「ねえ」ヴィッキーが訊いた「あなた仕事は何してるの?」

「貿易関係だ」ジョンはワインを飲んだ。

「どんな?」

「メインは酒類かな。先日まで商談でアイルランドに滞在してたんだ。アイリッシュ・ウィスキーを輸入しようと思ってね」

「へえ、すごーい」

 ヴィッキーはジョンが「いや、それほどでも」とかなんとか言うかと思ったが、彼は無言で店の外をの方を見ていた。

「ねえ、さっきから何見てるの?」

 彼は突然立ち上がった。右手にはいつの間にかコルト45口径自動拳銃を握っていた。彼は店の窓ガラスから外に向かって続けざまに撃った。外の連中も撃ち返した。流れ弾が料理を運んで来たウェイターに命中した。注文したオッソ・ブーコ二人前を床にぶちまけ、皿が派手に割れる。弾切れでスライドが後端で停止、ホールド・オープンになるとヴィッキーの手を引っ張って奥のレストルームに向かって走る。そこに彼女をかくまうと自動拳銃のマガジンキャッチを押して空のマガジンを下に落とす。

「さっきの仕事の話、あれは嘘だ」

「嘘?」

「俺は刑務所に入ってた。敵のボスを殺してパクられてね」ポケットから取った予備のマガジンをグリップに入れる。「奴らは敵の手下で復讐に来たんだ」

「あなた、今日は様子が変だった」

「あいつらがずっと尾行してたからな」スライドストップを下げてスライドを前方に戻す。「ここで待ってろ。すぐ済む」

「だといいけど」

 彼は彼女にキスしてからホールに出た。銃声が続く。やがて静まり、彼は帰って来た。

「終わった」

「良かった」

「行こう」

「うん」

 フォードの助手席に乗ったヴィッキーはジョンに訊いた。

「どこに行くの?」

「どこでも――自由の国だ」

「チーズバーガー食べたい」

「チーズ……バーガー?」

「刑務所入ってたから知らないのね。ハンバーガーにチーズを挟むのがちょっと前から流行ってんのよ」

「へえ、うまそうだ」


 チーズバーガーの後、彼は家まで送ってくれた。

「今夜は」彼は言った。「すごくエキサイティングだった」

「ええ、とても。ねえ、次はクラーク・ゲーブルの≪或る夜の出来事≫が見たい。連れてってくれる?」

「ああ、いいよ」

 二人は抱き合ってキスした。銃声とガラスが割れる音がした。ジョンの体から力が抜けヴィッキーに重く寄りかかった。クルマの外にキャリーがいた。小さいリボルバーを持っていた。ヴィッキーはクルマから出た。とにかく何か言ってその場を取り繕うとしたが、何も思い浮かばなかったのでただこう言った。

「ごめんなさい」

 ヴィッキーは自分も撃たれるのかと思ったが、その代わりにキャリーは彼女に封筒を渡した。キャリーは走り去った。封筒の中には手紙が入っていた。何が書いてあるにせよ、もうこの街には居られないと思った。

 彼女は手紙を読まなかった。


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