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水音

 私は一人の間に回り縁を巡ってあたりの景色を確かめた。すると城の裏手の尾根、二の丸の内側に見つけた丸い土塁が気に留まった。城内に造成された他の地形に比べると輪郭が際立っていて時代が新しく感じられた。

「何か見つけられましたか?」月夜は階段を上がりつつ訊いた。下から私の姿が見えていたのかもしれない。

「あそこに見える丸い土塁ですが、少し時代が新しく見えますね」

「ああ、あれは太平洋戦争の時に陸軍が建設した対空砲座の遺構です」

「やはり、開けた山頂というのはいい用地になってしまいますね」

「私自身は知りませんが、松原様ですとちょうどその世代ですか?」

「ええ。こんなところにも大戦の痕跡があるのですね」

 月夜は部屋の真ん中に置いたバケツの中で雑巾を固く絞った。闇の中にぴちやぴちゃと水の跳ねる音が響いた。

「睨んでいなくとも雲が切れればわかるでしょう。私もひとつ手伝います」

 私はそう言ってバケツの縁にもう一枚かかった雑巾を取って同じように絞った。

「やはり見えていらっしゃるのですね」

「ものの形は全く見えないですが、光るものはわかります」

「それで雑巾が二枚あると?」

「白いですから」

 私は回り縁に戻って手摺や欄干を拭いた。床より楽だろうと思ったが案外骨組みが多く手間がかかった。

「では今も私の目が見えているのですね」

 私は振り返った。

「いいえ。サングラス越しには、さすがに」

 月夜はそこで初めて遮光グラスを外した。額の上にやって押さえつける。

「ごめんなさい。松原様ほど見える人は今までありませんでしたので、つい」

「左様ですか」

「はい」

「月夜さん」

「はい?」

「真っ暗闇でなければサングラスが必要というのは不便ですか、それとも、暗闇が見えるというのはそれ以上に便利ですか」

 月夜はしばらく考えた。

「両方です。たとえ便利でも、疎ましいものは疎ましいままです。外には世界が広がっていて、でもわたしはこの目のせいで、そこへ行くことも、そこについての映像を見ることもできませんから」

 月夜は雑巾を洗って絞り直した。また水が跳ねる。

「松原様は生まれつき夜目がよろしいのですか」

「そう思います。気づかされたのは大人になってからで、周りの者たちも夜目夜目と色々試していましたが、それでも私が一等でしたから、やはり生まれつきでしょう」

「夜目の利く人たちを集めていたのですか」

「ええ。そういう時代もあったのですよ」

「聞かせてくださいませんか」

「構いませんが、今は……どうでしょうか。まさかそんなことを思い出すことになるとは予想もしていませんで、すっかり記憶が散り散りになっていて。できれば整理のために一度時間をいただきたいのですが」

「明日でも明後日でも構いません。でもぜひ聞かせてください。わたしにとってはお客様から聞いたお話が外の世界の全てなのです」

「約束しますよ」

 明日より先への約束。それは今夜の私の命が保障されたということだろうか、とふと思った。どうやら私はまだこの旅館の誰も信用まではしていないようだった。

 実際行方不明になった客があるとして、彼らはどんなふうにこの世界から消えていったのだろうか。彼らが月夜に手を出そうとしたとして、月夜の存在はどんなふうに彼らを魅了し、そして月夜自身はどのようにそれを拒み、あるいは受け入れるふりをして切り抜けてきたのだろうか。あるいは何かもっと圧倒的な手段を行使する力を月夜が持っている、という感触も私はまだ捨てきることができなかった。

 月夜はそれから黙々と床を拭き、私もまた回り縁をぐるりと巡った。時折背後で物音がしなくなると私は不安になって振り返らなければならなかった。すると月夜は顔を上げて「どうされましたか?」と逆に私の方を不審がった。

 結局その夜の月が雲から姿を現すことは二度となかったので、二時間ほど留まった後、真夜中を前に私たちは天守を下って御殿へ戻った。

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