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ウイルスファイター  作者: 菊野耳
6/9

 長かった……。

 本当に長かった二週間の隔離生活。

 確かにご飯もおいしかったし、アニメも見放題、漫画やゲームだって要望を出せば用意してくれた。

 しかしマスクのない生活はそれ以上におれに忍耐を強いた。


 更井さんは新型ウイルスの対応でめちゃくちゃ忙しいようで、対応はほとんど部下の人がやってくれた。

 それでもたまに顔を見せてくれて、その時にはマスクを持参してくれたが、そのマスクからは思わず同情をもよおすほどの疲労とストレスがダイレクトに伝わって、気の毒すぎて文句も言えなかったのだ。



 そして解放されて日常に戻った三日目の朝、教室に入ると隣の席の山田が話しかけてきた。

「あっちの国、やべえな。めっちゃ感染者増えてる」


 新型ウイルスが最初に発生した隣の国では、そのせいで大変なことになっている。

 大きな都市がいくつも封鎖され、経済にも大きな影響が出ている。

 最近は朝のニュースやワイドショーでもほとんどがその話題だ。

 感染者と死者がどんどん増えて、そのたびに日本のマスコミも不安をあおるかのように騒ぎたてている。


 確かに心配だ。

 しかし、おれには別の切実な悩みがあった。


 朝早くから来て席に座り、さりげなくゴミ箱を監視しているのだが、誰もマスクを捨てていない。

 男子はともかく、女子はゴミ箱に近づく気配すらない。


 マスクの供給についての不安は、おれの高潔な自己犠牲によって解消された。

 日本中でマスク不足がヒステリックに叫ばれるなか、このクラスだけはかつてのとおり充実したマスク環境になったはずだ。

 それなのに隔離から復帰しても、念願の使用済みマスクの入手は一向に進んでいないままだった。

 いったいなぜ……。

 


 教室のドアが開き、新田先生が顔をのぞかせた。

 

「先生、まだホームルームの時間じゃないでしょ」

 こちらに向かってくる新田先生に山田が声をかける。


「うん、ちょっと堅位目くんを呼び出しに来たの」


 なにやったんだよー、とにやにやする山田を無視して、おれは眉間に皺をよせた。

 立ち上がって思わず窓から校門のほうを眺めた。


 ……サイレンこそ鳴らしていないが、赤色灯をともしたパトカーが何台も停まっている。

 そして警官の姿も……。


「なんだか仰々しいんですが。まさかとは思いますが、またあの話じゃないですよね?」


「先生は、頼まれただけだから。とにかく行けばわかるから、ね?」 

 先生の笑顔がうさんくさくて怪しい。


 冗談じゃない、もうあの隔離以来みんな(女子)のマスクを入手できなくなった。

 ずっと我慢をしていたが、それももう限界である。

 そんな時に、何かを依頼されても素直をうなずけるはずがない。





 ………………しかし、一方で別の考えも頭に浮かんでいた。


 進路指導室に向かえば、マスクが手に入る。


 パブロフの犬のごとく学習されてしまったおれのマスク欲は、やっかいごとの予感にげんなりしつつも、期待に胸が膨らんでいるのも事実だった。

 おれはため息をつくと新田先生につれられて、おなじみとなった進路指導室に向かった。

 

 部屋の中に入ると、井伊刑事と厚生労働省の更井さん、そして初めて会う女性がいた。

 アイドルのようなかわいい人だった。

 顔だけ見れば高校生ぐらいにしか見えないのだが、大人っぽい品のあるスーツに身を包んでいる。なんだか女子高生が背伸びをしたようなアンバランスな印象を受ける。


「ども、堅位目くんだね? わたし、外務省の木葉師です」


「すみません、なんの用か知らないですけど、今それどころじゃないんです」


「ん? というと?」


「足りないんです。マスクが」


「報酬のマスクはきちんとクラスメートたちに渡したが? みんな喜んでいたぞ」

 更井さんが心外そうに眉をよせて答えた。


 でもそういうことじゃない。


「おれが欲しいのは、そういうマスクじゃないんです」


「うん? きみが言いたいのは、こういうことかな?」

 と木葉師さんはバッグからジップロックを取り出した。

 当然のように中にはマスクが入っている。


「はい、わたしのマスク。さっきまでつけてたやつだけど」


 更井さんもそうだが、こういう自分の容姿に自信のある女性は苦手だ。

 どこか下に見られている感じがする。

 いや、実際下に見ているのだろう。


 ほら、マスクを渡してあげるから、言うことを聞きなさい――

 そんな意識が透けてみえる。

 

 ふっ、とおれは鼻で笑った。

 ばかにしてくれる。

 マスクひとつでうぶな男子高校生を操ろうとするその志に、吐き気がする。

 おれの自尊心はそこまで軽く見られているのか。

 尊厳を踏みにじられてまで、マスクを欲しがっていると思っているのか。  

 たとえ美女の生マスクといえど、そんな思い上がりの滲んだマスクなんて…………… 







 


 ――欲しい。


 喉から手が出るほど欲しい


 飢えた狼の目の前に生肉を突き出しておいて、我慢をしろと命じることほど残酷なことはない。

 生存本能は理性を超えるのだ。


 クラスから使用済みマスクが消えて久しい。

 そんな中でこのサジェストは、おれの乾ききった欲望にこらえきれない刺激を与えたのである。


 おれはごくりとつばをのみこんだ。


 自分の容姿に自信のある女性は苦手だ。

 だが話が早いのもたしかである。


「あなたの熱意には負けましたよ」


 おれは椅子に座った。

 まずは話を聞こう。

 マスクと引き換えに。

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