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校門からタクシーに乗って到着したのは、とある病院だった。
あてがわれた病室に案内されたおれは、部屋の中を見渡して思わず感嘆の声をあげた。
「なんか……ホテルのスイートルームみたいですね」
想像していたような殺風景な病室ではない。
ソファーセットがおいてあったり、壁には絵画が飾られていたり、品のある調度品が設えてあって、空間に余裕がある。落ち着いた雰囲気だ。
トイレやバスルームまでついている。
「よく政治家が都合が悪くなると入院したりするだろう? そういう時に使われる部屋だ。さて、さっそく用意しよう」
更井さんがそう言うと、部下らしき人が大型のトランクを運んできた。
ソファーのテーブルに載せられたトランクを開けると、中にはジップロックに封じられたマスクが詰め込まれている。
それをソファーセットのテーブルに広げた。あっという間にテーブルはマスクの山となる。
そのボリュームにげんなりする。
ひとつ手に取って見てみると、ジップロックに番号が振ってあった。
おのおの番号が書かれているようだ。
「さあ、堅位目くん。ここにあるマスクで新型ウイルスに感染した人を検査してくれ。タイムリミットは明日の朝まで」
寝る暇もなさそうだ。おれはため息をついた。
「この作業は今、日本で最重要の任務だ。これはきみにしかできない。高校生であるきみにその荷を負わせるのは忸怩たる思いだが、これは……」
「わかってます」
まあやるしかない。
「でも国のため、とか安直な台詞はやめてください。そういうの萎えちゃうんで」
「そうだな。きみが戦うのは、ただそこにあるマスクのため……。国を救うとか、ヒーローになるだとか、きみの目にはそんなつまらないものは映っていない」
ふ、とおれたちは笑みをかわした。
更井さんが部屋を出てひとりになると、さっそくおれはジップロックを手に取り、中のマスクを取り出す。
つい吐息が漏れる。
「もうすでにまがまがしいオーラを感じるんだが……」
沈鬱な気分のまま、意を決してマスクをつける。
その瞬間、様々な言葉や映像が脳の中を巡り、膨大な情報の流入に頭痛がする。
思わず目をつむり、こめかみを押さえる。
びゅう、と顔に風を感じた。
腕をかざして風を遮りながら瞼を上げると、目の前には荒野が広がっていた。
黄昏時のような、輪郭が曖昧となるほの暗さだ。
色のついていない夢に似ている。
やれやれ……。
かなり深いところまでダイブしたらしい。
マスクから流れ込む高密度の断片化情報から派生する、視覚イメージ化現象だ。
よっぽどきわどい情報が詰まっていたのだろう。
なにもない荒野を歩いていくと、ふいに男の背中が現れた。
頭に黒く短い触覚?のようなものが二本伸びている。
全身が黒く、近寄ってはいけない相手に思える。
だがおれが踵を返す前に、男はこちらの気配に気づいたようにゆっくりと振り返った。
その姿は……バイキンマンを舞台化したらこうなるだろうというような造形だ。
頭から生えている触覚が、どうしてもそのイメージを想起させてしまう。
しかしその顔にはいっさいの表情がなく、無機質な冷たさを肌で感じた。
『ほう、人類にもわたしが見えるものがいるとはな』
男がにたりと口元に笑みを浮かべた。
「新型ウイルス……!」
そう、目の前に立つのは、今人類に死と恐怖を振りまく新型ウイルス。
おれの頭の中が作りだしたその擬人化イメージだ。
…………いやもっと鎌とか持った死神的な感じでもよかったんじゃ、と思わなくはないけれど……おれの脳がそう変換したのだからしょうがない。
『時はきた』
ウイルスは天を見上げると、そうつぶやいた。
「?」
『太古の昔より、我々は人類を見守ってきた。そう貴様らが猿から分かれるよりずっと前からな』
「なに?」
『宿主となる生命として、我らが選んだのだ。
繁殖力が強く適応力にも優れた貴様らは、我々の手助けを受けて進化をしつつ、狙いどおり地球上のあらゆるところまではびこった。
そして貴様らはもう十分、増え、満ち、肥えた。
我らがようやく喰らうまでに』
「貴様らの思いどおりになると思うなよ……」
『ふっ、勇ましいな』
男の手にいつのまにか槍が現れた。
先が三又に分かれたものだ。
男はそれを軽く振るように、おれに向かって突いた。
「ぐっ!」
よけたつもりだった。それでなくとも届く距離ではなかったはずだ。
しかし、脇腹の服は破れ、真っ赤に血で染まっている。
するどい痛みに顔をしかめ、額にあぶら汗が浮かぶ。
だが、次の攻撃への警戒心が意識を痛みからひきはなす。
『ほう』
男は意外そうにおれを見た。
『貴様、本当に人類か? 今の攻撃は人類がよけられるものではないぞ?』
「……人類をなめるな」
思わずいきがってはみたものの、さっきのやつの攻撃は、腕だけを振ったただの牽制だ。
槍を構えてすらいなかった。
しかし、いったいどういう仕組みなのか、それすらも致命傷を与える凶悪な一撃になるのだ。
よけられたのはただの幸運にすぎない。
『長い長い時間をかけて準備した、貴様ら人類を殺戮するパーティーに遅れるわけにはいかぬからな。さっさと終わらせよう』
悪意を煮詰めたような、黒いオーラが立ち上っているのが見えた。
男は腰を落として槍を構える。
その構えに隙はない。
先ほどは感じなかった殺意がびりびりと伝わってきた。
逃げ場所はなく、よける手段もない。
『パーティーの乾杯は、貴様の血を飲み干そう』
そう言うやいなや、男は槍を引き……。
一気に突き出した。
………………しかし………………。
「そのノリ、嫌いじゃないぜ」
おれは鼻で笑った。
その手には、ひっぺがしたマスクがある。
薄暗い荒野はたちまち消え失せ、一瞬で夢から覚めるように世界はリッチな病室に戻っている。
もちろん新型ウイルスのバイキンマンもどきもいない。
マスクをはずせば、すぐに現実に戻れたのだが、つい少年漫画のようなノリに乗ってしまった。
それにしてもいきなりウイルス入りマスクに当たるとは……。
かなり危険なミッションだということを改めて認識し、おれは次のマスクを手に取った。
『ほう、人類にもわたしが見えるものが……』
マスクを剥ぎ取る。
よし次。
『ほう、人類にもわたしが……』
マスクを剥ぎ取る。
この遭遇率、まじかよ……。