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第三章 『二つの奇跡』③

「危ない!」

 そう和輝が叫んだその直後、奇跡は起きた。

 縄跳びをしていた一年生の女の子のすぐ手前で、ボールがとまったのである。

 ボールは、空中で数秒静止したのち、ゆっくりと地面に落ちた。

「大丈夫か?」

 声をかけながら、和輝が慌てて女の子へと駆け寄る。

 その姿を目に留め、初めて近くにボールがあることに気づいた女の子は、

「はい。お兄ちゃん、どうぞ」

 と、それを拾って和輝に手渡した。

「あ、ありがとう。それより、大丈夫だったか? ボール、当たってないか?」

 心配する和輝に、女の子は元気に両腕をぐるぐるとふり回して答えた。

「うん、平気だよ」

「そうか。それはよかった」

 和輝が安どの息をつく。

 そこに、

「おーい、和輝!」

 彼の名を呼びながら、同級生たちが駆け寄ってきた。

「雄一と勇次は?」

 そう和輝が問うと、その中のひとりが答えた。

「もういなくなったぞ。あいつら、自分が蹴ったボールで怪我人が出るとやばいと思ったんだろうな」

「まったく、逃げ足だけは速いんだな」

 呆れる和輝に、同級生は言った。

「それはそうと、サッカーで対決って話、本当にやるつもりなのか?」

「やるに決まってるだろ。そういうわけで、俺はちょっと博士に相談しに行ってくるから。お前らは、勝手に遊んでいてくれ」

 そう告げて同級生にボールを渡すと、和輝は、その足で校舎の中へと入って行った。

 下足置き場で上履きに履き替え、校舎の階段を三階へと急ぐ。彼の脳裏に、先ほどの出来事が蘇った。

 あの時、ボールは間違いなく女の子にぶつかる速さで飛んでいた。だが、それは直前でとまった。しかも、空中に数秒間浮き、その後、ゆっくりと地面に落ちた。あんなもの、「奇跡が起きた」とでも表現しなければ、ありえない事態だ。

 常識では考えられない出来事、それが奇跡。

 しかし、小川小学校には、その奇跡を自由自在に起こすことができる人物がひとりだけいる。

 グラウンドからは見つけられなかったが、きっとどこかでその人物は、あの言葉を唱えたはずなのである。


「ムルクーラーミ!」

 踊り場に庵神先生の声が響いた。

 その瞬間、今にも頭から階段に激突しようとしていた鈴香の体が宙に浮く。腰の辺りから恐ろしいほどの力で真上に持ち上げられたのである。

 UFOキャッチャーのアームにつかまれた人形よろしく彼女は宙づりになった。

 そして、そのまま平仮名の“く”の字の状態で、鈴香は庵神先生の前まで運ばれた。

「……はぁ、死ぬかと思った」

 踊り場の床に座りこみ、大きく息をつく鈴香。

 それを見下ろし、怒った口調で庵神先生は言った。

「香椎さん。いくら私が奇跡を起こすところを見たいからといって、自分の命を危険にさらすのは感心しませんよ」

「あ、あの、……ごめんなさい」

 その場に立ち上がると、鈴香は頭を下げた。

「まぁ、怪我もなかったようですし、今回はよしとしましょう。ですが、もう二度とこんなことはしないように。分かりましたか?」

「はい。反省してます」

「よろしい。それで、香椎さんは、私が奇跡を起こすところを見てどうするつもりだったのですか?」

「あ、そうだ、忘れるところだった。実は、私、先生みたいに奇跡を起こせるようになりたいんです。だから、ムルクーラーミの意味を知るためのヒントが欲しいと思って……」

「なるほど。確かに、ムルクーラーミは奇跡を起こす言葉です。ですが、その意味を知らなければ効果はないし、それを知っている誰かに直接聞いては駄目。そのため、答えではなくヒントをもらうことにした。そんなところでしょうか?」

「……そんなところです」

 全てを見抜かれていた鈴香は、恐れ入った様子でうなずいた。

「そうですか。拝見したところ貴女は、奇跡を悪いことに使おうとしているわけではなさそうです。……分かりました。では、香椎さんたちには、特別にヒントを差し上げることにしましょう」

「香椎さん、たち?」

「はい。私は、もうとっくに気づいていましたよ。隠れているのは分かっています。遠野君、月見里さん、出てきなさい」

 名前を呼ばれたことで観念したのか、二人は廊下の陰から姿を現した。

 すごすごと階段を降り、博士と百々が鈴香の横に立つ。

 そんな彼らを前に、庵神先生はため息をついて言った。

「危険なことをしようとする愚か者がいたら、とめてあげるのが友だちというものでしょう。それなのに、貴方たちときたら、とめるどころか応援するとは何ごとですか」

 「今、私、愚か者って呼ばれたような……」そんなことを思う鈴香の隣で、二人は、

「すみません」

「ごめんなさい」

 と謝った。

「まったく、貴方たちは少し新宮君を見習ったほうがよいようですね。今回の件、反対してくれていたのは彼だけだったでしょう」

「え? 先生、どうしてそのことを知っているのですか?」

 博士がその目を丸くする。

「別に彼から聞いたわけではありませんよ。私は何でも知っている。それだけです」

 庵神先生は、意味ありげに笑って見せた。

 それから、続けて、

「そんな彼も間もなく到着するころなのですが……」

 と、階段下へと視線を向ける。

 直後、それを合図とするかのように、タンッ、タンッ、タンッと軽快な足音が聞こえ、和輝が姿を現した。

「おっ、庵神先生、ちょうどいいところに。実は……」

 和輝が何かを伝えようとする。

 だが、それを遮って庵神先生は言った。

「事情は承知しています。ですが、私も一応は教師ですので、その前にひと言。新宮君、校舎内は走ってはいけません。分かりましたか?」

「……あ、あぁ。分かった」

 素直に和輝が返事をすると、庵神先生は、

「よろしい」

 とうなずいて見せた。

 階段の踊り場に立つ庵神先生を前に、鈴香、博士、百々、そして、和輝。いつものメンバーが揃った。

 グラウンドで起きた奇跡について話をしてから、

「あれって、先生がやったことなんだろ?」

 そう和輝がたずねると、庵神先生はさらりとそれを告白した。

「えぇ。何を隠そう、私が起こした奇跡です」

「でも、その時、先生はこの場所にいたのよ。それなのに、いったいどうやって女の子を守ったっていうの?」

 理解できない様子の鈴香に、庵神先生は種明かしをした。

「それは、香椎さんが階段から飛び降りるのと女の子にボールが当たりそうになるのが同時だったからです。そのため、一度のムルクーラーミで、二つの奇跡を同時に起こすことができたのです」

「へぇ、見えてないところにいる人も守っちゃうなんて、“安心先生”って凄い」

 鈴香が驚きと感心が入り混じった声を上げる。

 そこに、和輝が言った。

「ちょっと待て、鈴香。俺があれだけ反対していたっていうのに、お前、階段から飛び降りたのかよ?」

「ご、ごめんなさい。それについては、海よりも深く反省して……」

「何が、海よりも深く反省、だ。庵神先生が助けてくれたからよかったものの、そうじゃなかったら今ごろ病院にいたかもしれないんだぞ。だいたい、いつだってお前は……」

「あの、新宮君。そのくらいで」

 顔を下にし、申し訳なさそうにしている鈴香を見かねて庵神先生が割って入る。

 それから先生は、続けて和輝に聞いた。

「ところで、これから三人には、奇跡を起こすためのヒントを差し上げようと思っているのですが、よろしければ、新宮君も一緒にどうですか?」

「え? 本当に? 実は、俺が先生を探していた理由もそれだったんだ。今回ばかりは、奇跡でも起こらない限り、勝てそうにないからな」

「六年生とのサッカー対決のことですね?」

「そう。はっきり言って、このままじゃ勝てない。あいつらから一点取るなんて、夢のまた夢だ」

「ほう、なかなか正しい分析です。それでは、聞くということでよろしいのですね?」

 庵神先生の問いかけに、和輝が首を縦にふる。

「分かりました」

 そう返事をすると庵神先生は、四人全員へと体を向け直して続けた。

「奇跡を起こすためには、先ず、事前準備として気持ちが大事になります。必ず奇跡は起きる。そう願い、自分に言い聞かせることが大切なのです。何しろ、普通ではありえない出来事が奇跡なのですから、中途半端な気持ちでは駄目。それこそ、一点の曇りもない澄み切った心で、奇跡を信じる必要があります」

「うわ、難しそう」

 思わず鈴香がつぶやく。

「確かに、決して簡単ではありません。殆どの人は、これができないために奇跡を起こせない。そう言っても過言ではないのですから。それと、事前準備はもうひとつあります」

「まだあるんですか?」

 そう問う百々に、庵神先生は答えた。

「はい。例えば、誰かを救いたい。そのような場合には、奇跡を信じるだけで結構です。しかしながら、サッカーの試合で勝ちたい。そんな時には、奇跡を信じるだけでは足りません。……新宮君、信じる他に何が必要だと思いますか?」

「うーん、やっぱり練習かな。努力しないと、奇跡を信じることもできないだろうし……」

「素晴らしい。正解です。つまり、奇跡を起こすための事前準備として必要なものは、二つ。奇跡を信じる心を持つこと。それと、奇跡が起きると信じられるに足る努力をすることです。そして、その二つを揃えた上で唱える言葉が……」

「ムルクーラーミ」

 四人の声が揃った。

「そのとおりです。ムルクーラーミは、奇跡を起こすスイッチのような役割を果たします。ここだ、と思った瞬間、その言葉と唱え、奇跡を起こすというわけです」

「でも、ムルクーラーミは、意味を知らないと効果はないのでしょう?」

 話を核心へと導く質問をする博士に、庵神先生はうなずいた。

「はい。そこで、貴方たちには、あるものを差し上げることにしましょう」

「あるもの?」

「これです」

 庵神先生は、上着の内ポケットから一通の封筒を取り出した。

「手紙、ですか?」

 そうたずねる博士に先生は言った。

「まぁ、手紙と考えてもよいのですが、これは、ヒントです。貴方たちが欲しがっていたムルクーラーミの意味を知るためのヒントが、ここに記されています。……どうぞ」

 庵神先生は、封筒を博士に手渡した。

「ありがとうございます」

「構いませんよ。……あ、それと、新宮君」

「うん?」

「貴方には、五時間目の時間も差し上げます。六年生とのサッカー対決のために、選手を決めたり、作戦を練ったりする必要があるでしょうから」

「ありがとう、先生」

「いいんですよ。私は、貴方たちの味方ですから。ただし、私の持つ奇跡の力で貴方たちを勝たせてしまうことまではできません」

「当たり前だよ。折角の対決に手出しは無用だ。そんなことされても、全然嬉しくないからな」

「新宮君ならそう言ってくれると思っていました。奇跡を起こす貴方たちの姿に期待しています。では、私は先に教室に向かいますね」

 最後にそう告げると、庵神先生は三階へと続く階段をゆっくりと上がって行った。

「おい、博士。庵神先生がくれたヒントって、何が書いてあるんだ?」

 先生の姿が見えなくなってから、そう和輝が問う。

「えっと、ちょっと待って」

 博士が封筒を開くと、そこには、白い一枚の紙の中央に大きく、

『「ムルクーラーミ」は、キセキの言葉』

 とだけ記されていた。

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