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第二章 『「ムルクーラーミ」って、どんな意味?』②

 放課後。皆が帰るのを待ってから、和輝と鈴香は図書室へと向かった。

 五年一組の教室と図書室は同じ三階にあるため、忍びこむのはそう難しいことではない。

 教室を出てから廊下を左に歩いて突き当たり。二人は図書室のドアの前に立った。

「よし、行くぞ」

 後ろにいる鈴香にそう告げ、和輝が鍵を開ける。二人は、図書室への侵入に成功した。

「おい、鍵は閉めるなよ。先生に見つかった時、言い訳できなくなるからな」

「……うん」

 和輝の声かけに鈴香が元気なく返事をする。二人は、大きなテーブルが並ぶ図書室の中央付近に立った。

 周囲をぐるりと取り囲む本棚を見回しながら、和輝は言った。

「いいか、鈴香。博士の話では、全ての本を調べる必要はないらしい。そんなことをしていたら、日が暮れてしまうからな。ジャンルごとに分類されている本棚の“ま行”だけを見て、タイトルに『ムルクーラーミ』の言葉が使われている本を探すんだ。分かったな?」

「……分かった」

「じゃあ、俺は右側から見て回るから、お前は左からな。あまり時間がないし、急いで調べろよ」

 そう言うが早いか和輝は、右隅にある本棚へと小走りに去って行った。

 

 五分後。

「うーん、一冊もないな」

 図書室の右半分の本棚を調べ終え、和輝がつぶやく。

 ふと鈴香へと目をやってみると、彼女は、左隅にある本棚の前に座りこんだまま、じっとしていた。

「何やってんだ、あいつ」

 気になった和輝は、鈴香のほうへと歩き出した。

「おい、ぐずぐずしていたら先生に見つかるだろ。早くしろよ」

 鈴香の隣に座り、そう話しかける。

 だが、彼女は、何の返事もしなかった。

「聞いてるのかよ、鈴香」

 少し苛立った口調で、和輝が彼女の名を呼ぶ。

 すると、そっと和輝へと顔を向けてから、鈴香は口を開いた。

「ねぇ、和輝。私、和輝にとって必要なのかな?」

「はあ?」

 和輝が呆気に取られる。

 しかし、そんな彼の目をまっすぐに見つめ、鈴香は続けた。

「和輝にとって、博士君は必要な存在でしょう? 勉強を教えてくれたり、今回のような時には作戦を立ててくれたり。そして、そんな博士君には、和輝が必要。博士君、たまたま近くに和輝がいたから声をかけただけ、なんて言ってたけど、本当は違うと思う。誰よりも和輝のことを信頼できると思ったから、最初に声をかけたのよ。百々ちゃんと博士君の関係も同じ。お互いがお互いのことを大切に考えている」

「それだったら、お前も同じだろう? 博士や百々も、鈴香のことを必要だと思っているはずだぞ」

「そうじゃないの。確かに、博士君も百々ちゃんも私の大切な友だちだけど、これだけは違うの。私は、和輝が必要としてくれる存在じゃないと意味がないの。……だから、教えて。私は、和輝にとって必要なの?」

 鈴香は真剣な目をしてそう訴えかけた。

 「鈴香は、必要な存在なのか?」そんなもの、ずっと前から和輝の答えは決まっている。

 だが、彼は、それを口にすることなく、代わりにこうたずねた。

「鈴香。お前、泣いてるのか?」

 そう。彼女の大きな瞳に、光るしずくを見つけたのである。

 ところが、

「ううん、泣いてないよ」

 鈴香は大きく首をふる。

「嘘つけ。泣いてるじゃないか」

 目から頬へと流れるそれを指さし、和輝が指摘するが、それでも鈴香は、

「泣いてない。泣いてないから」

 を繰り返した。

「お前、どうしてそんなにむきになってるんだよ? 鈴香らしくないぞ」

 そう和輝が問い質すと彼女は、服の袖で涙を拭ってから答えた。

「だって、和輝が、泣き虫の鈴香とは遊ばない、って言っていたから」

「……ひょっとして、それって、去年の話か?」

 その時のことを思い出す和輝。

 鈴香は小さくうなずいた。


 あれは、ちょうど一年前。四年生になってすぐの四月のことだった。

 当時、和輝と鈴香は体育係をしていた。

「五時間目に使うから、準備しておいて欲しい」

 そう南野先生から頼まれた二人は、昼休み、体育倉庫までメジャーを取りに行くことになった。円盤の形をした五十メートルの長さを測ることができる大きなメジャーである。

 体育倉庫はグラウンドの隅のほうにある。鍵を持った和輝を先頭に、鈴香はその後ろからついて行った。

 今からは想像できないが、そのころの鈴香は、大変大人しく、控えめな女の子だった。ショートカットの活発そうな見た目とは裏腹に、怖がりで泣き虫。そんな女の子でもあった。

 一方、和輝はといえば、今とあまり変わらない。勉強はあまり好きではないが、運動となったら誰にも負けない。親友の博士だけでなく、誰とでも仲よくできる。もちろん、自分が思っていることだってはっきりと言える。そんな男の子だ。

 そのため、鈴香にとっての和輝は、憧れの存在だった。

 そして、その憧れは、いつしか恋心へと変わっていた。彼女が体育係をやろうと思ったのも、そこに和輝がいたからである。

 グラウンドの端をぐるりと進み、二人は体育倉庫の前に到着した。

 ガチャガチャと音を立てて南京錠を外し、和輝が重い扉を横にスライドさせる。

 開いた扉の分だけ細長い光が差しこむ倉庫の内部がその姿を現した。教室の半分ほどの広さのそこには、運動会で使う大玉や玉入れのかご、高跳びのバーやライン引きなどが収納されていた。

 和輝の肩越しに、鈴香も中を覗き見る。倉庫には小さな窓しかついていないため、全体的に暗い。それに、何となくカビ臭いような、じめっとした臭いもしていた。

 今にも暗がりから何かが飛び出してきそうで、思わず身震いする鈴香。

 そこに、

「おい、鈴香。メジャーは奥のほうの棚に仕舞ってあるらしいから、取ってこいよ」

 和輝がそんなことを言い出した。

「……え? 私が、行くの?」

 消え入りそうなか弱い声で、恐るおそる鈴香が確認する。

 無情にも和輝は告げた。

「当たり前だろ。鍵を開けたのは俺なんだから、メジャーを取りに行くのはお前。俺たち二人とも体育係なんだから、鈴香だけ何もしないってのは、ずるいじゃないか」

「う、うん、そうだね。分かった。行ってくるよ。……でも、和輝君、私のこと、ちゃんと見ててね。帰ってくるまで、ずっと見ててね。どこかに行っちゃ、駄目だからね」

「あぁ、ここで見てるから、さっさと行ってこい」

 そう急かされたことで覚悟を決めると、鈴香は倉庫の中へと足を踏み入れた。

 左右をきょろきょろと忙しなく見ながら、背中を丸めた鈴香がおっかなびっくり奥へと進んで行く。その後ろでは和輝が、何やら悪いことを考えている様子でにやりと笑っていた。

 やがて鈴香が奥の棚へと到着する。目的のものは、彼女の目の前にあった。

「見つけた。見つけたよ、和輝君」

 メジャーを手に取り、鈴香が和輝のほうへと笑顔でふり返る。

 ところが、次の瞬間、彼女の視線の先の扉がゆっくりと閉まった。

 直後、聞こえてくるガチャリという南京錠をかける音。鈴香は倉庫に閉じこめられてしまった。

「か、和輝君……」

 小さな窓から入る淡い光を頼りに、鈴香は慌てて扉へと戻った。

 ここでもう一度、今度は少し大きな声で、

「和輝君!」

 と呼びかけてみる。

 すると、扉の向こう側から、和輝の声が聞こえてきた。

「引っかかったな、鈴香。どうだ? 怖いだろう?」

 そう言って楽しそうに笑っている。

 「怖いだろう?」彼のその言葉に、鈴香はそっと辺りを見回した。確かに、倉庫の中はとても暗い。今もカビ臭いし、壁や天井からお化けが出てきそうな気もする。いつもの彼女であれば、きっと泣きだしているところだ。

 しかし、この時の鈴香は、まったく怖がっていなかった。

 それは、和輝の笑い声が聞こえたから。怖がらせようとする彼が扉の向こうにいると分かっているから、彼女は怖くなかったのである。

 一方、そんなことなど知る由もない和輝は、怯えている鈴香を想像しながら告げた。

「……さて、と。俺はそろそろ教室に戻るとするか。じゃあな、鈴香」

 「ちょ、ちょっと待って!」鈴香は心の中で呼びとめた。

 今は近くに和輝がいるから怖くないだけなのだ。それなのに、彼がいなくなったら、泣いてしまうに決まっているではないか。

 「……泣く?」そう考えたその時、鈴香の頭の中に、ある妙案が浮かんだ。

 悩んでいる場合ではないと彼女は、それをすぐに実行に移すことにする。

 鈴香は、一度深く息を吸いこんでから、扉近くへと顔を寄せた。

 それから、

「うわああああああん!」

 突然、大きな声で泣きまねを始めた。

 それは、大人しい鈴香が初めて学校で上げた大声だった。

 そのため、和輝の驚いたことといったらなかった。案の定、大慌てで鍵を外すと扉を開いた。

 泣きまねをしている鈴香の顔に、再び日の光が当たる。

 そんな彼女の前で、和輝は、

「鈴香、悪かった。悪かったから、もう泣くな。このとおりだから」

 と、深くその頭を下げた。

 こうして鈴香は、無事、体育倉庫からの脱出に成功したのだった。

 すぐに許してもよかったのだが、また意地悪をされては困る。その後も鈴香は、体育倉庫の前に座りこみ、泣いているふりをした。

 泣きまねを続ける鈴香と、その隣でひたすら謝り続ける和輝。

 三十秒ほどがすぎ、「そろそろ、泣きやんでもいいかな」そう考える鈴香だったが、和輝がずっと声をかけていてくれるのが嬉しくて、「もう少しだけ、もう少しだけ」と、さらにそれを続けた。

 そして、十五分後。

「なぁ、悪かったって言ってるだろ。そろそろ機嫌直せよ。何でもするから」

 いい加減、面倒になってきている様子の和輝がそう口にする。

 すると、ここでようやく鈴香は顔を上げた。

「……本当? 本当に何でもしてくれる?」

「あぁ、俺ができることならな」

 そう和輝が請け負う。

 鈴香は言った。

「じゃあ、これからは、私とも一緒に遊んで。いつも博士君と遊んでるみたいに、私とも一緒に」

「何だ、そんなことでいいのか? ……あ、でもなぁ」

「駄目なの?」

「いや、駄目じゃないけど、ひとつだけ約束できるか?」

「何を?」

「泣き虫をやめること。俺は、泣き虫の鈴香とは遊ばないからな」

「うん、分かった。でも、その代わり、和輝君も約束して。もう私に意地悪しない、って」

「あぁ、約束する」

 この日を境に二人は、行動をともにすることを増やすようになっていった。


「そういえば、そんなこともあったな」

 本棚を見つめながら和輝がそっとつぶやく。

「そんなこと、なんて言わないでよ。私にとっては、大切な思い出なんだから」

 そう鈴香が返すと、彼は、その顔を彼女へと向けて告げた。

「俺にとっても、大切な思い出だよ」

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