第二章 『「ムルクーラーミ」って、どんな意味?』①
第二章 『「ムルクーラーミ」って、どんな意味?』
順番が逆の学校もあるが、小川小学校では、給食のあとすぐに清掃、それから昼休みとなっている。
早めに給食を終えたことで掃除も早く終わり、長い時間を取ることができた昼休み。教室では、鈴香と百々が雑談をしていた。
当然のことながら話題は、四時間目の出来事。庵神先生が起こした奇跡についてである。
「それにしても、不思議だったよね」
自分の椅子に座った鈴香がそう言うと、今は教室にいない和輝の席を借りている百々も大きくうなずいて同意した。
「本当だね。まさか、あのタイミングで校長先生からの放送があるなんて思わなかったよ」
「私もそう。それで、私、考えたんだけど……」
鈴香が、大きなその瞳をすうっと細める。どうやら、給食を食べたことで頭が回り始めたようだ。
「どうしたの?」
そう聞いてくる百々に、彼女は言った。
「もしかして、庵神先生と校長先生が組んでいた、なんてことはないかな」
「庵神先生と校長先生が?」
「そう。二人は、今日の四時間目を途中で切り上げると最初から決めていた。だから、庵神先生は、奇跡を起こすことができた」
「うーん。確かに、可能性としてはゼロではないとは思うけど……」
「でしょう? あの時、庵神先生は、校内放送が入る時刻を知っていたのよ。そして、そのタイミングに合わせて、“ムルなんとか”という言葉を唱えた。……どう? 完璧な推理だと思わない? 私のこと、“名探偵鈴香”って呼んでもいいのよ」
そう言うと鈴香は、それが彼女なりの名探偵っぽさの表現なのか、足を組み、右の手をL字にして顎に当てて見せた。
そこに、
「何が、“名探偵鈴香”だ。お前は、迷宮入りするほうの“迷探偵”だろうが」
そんな声が彼女の後方から聞こえてくる。
「何よ、和輝」
顔を確認する前に返事をし、鈴香はふり返った。
果たしてそこには和輝がいた。彼の後ろには博士の姿もある。
「私の推理が間違ってるって言うの?」
そう鈴香が問うと、実にあっさりと和輝は答えた。
「あぁ、間違ってる」
「どこが、よ」
不満の色を露わにする鈴香。
だが、そんな彼女に、和輝は、
「まぁ、説明してやるから慌てるなって」
と余裕の笑顔で告げると、横にいる博士に呼びかけた。
「博士、俺たちも座ろうぜ」
鈴香はそのまま、百々が座っていた和輝の席には本人が戻った。和輝の前の椅子には博士、そして、博士の隣には、急にそわそわと落ち着きがなくなった百々が腰を下ろした。
この四人、何だかんだありながらもとても仲がよい。鈴香と百々は親友どうし。また、鈴香は和輝に、百々は博士に想いを寄せているため、彼女たちの関係については分かりやすいだろう。
ただ、和輝と博士が友だちだというのは、どうにも想像がしづらい。そう思う者たちが多くいるのも事実だ。何故なら、二人とも誰にも負けない才能を持ってはいるのだが、和輝のそれは運動で、博士は勉強。対極に位置するからである。
しかしながら、そんな彼らといつも一緒にいる鈴香は知っている。和輝が運動で博士を助ければ、博士は勉強で和輝を助ける。そうやって、互いが互いにとって必要な存在であることで、二人は、よい友人関係を築いているのだということを……。
「それで、和輝、庵神先生と校長先生が組んでいたっていう私の推理、間違ってるって証拠はどこにあるのよ?」
先ほどと同じ質問を鈴香がぶつける。
すると、和輝は、
「あぁ、そのことについては、博士が説明するから」
そう言っていきなり全てを彼に丸投げした。
「え? 僕が話をするの? まぁ、いいか」
驚きはするものの、存外簡単に引き受ける博士。どうやら、こういったことは自分のほうが適任だと分かっているようだ。
一度鈴香と百々の両方に目をやってから、彼は続けた。
「実は、僕たち、庵神先生について、三日前から調べていたんだ」
「三日前って、始業式の日から?」
鈴香がたずねる。
「うん、そうだよ。庵神先生が小川小にきたことで、涙を流して喜んでいる校長先生の姿、二人も見ただろう? それで、僕、凄く気になっちゃって。だから、僕から和輝に、少し調べてみようって話を持ちかけたんだ」
「へぇ、そうだったの。でも、だったら、どうして私たちも誘ってくれないのよ?」
鈴香がむくれた様子でそう訴えてくる。
同時に百々も、
「私も呼んで欲しかったなぁ」
と悲しそうな顔を博士に向けた。
これは、降って湧いた災難だ。
「あ、あの、たまたま近くに和輝がいたから声をかけただけだったんだけど、ごめんね」
博士は、慌てて二人の前で手を合わせた。
「まったく、今度からはちゃんと誘ってよね」
ぷりぷりと怒り、文句を言う鈴香。
それに対し、百々は、
「ううん。私のこと、忘れていなかったのならいいの」
と、すぐににこりと笑って見せた。
「ありがとう、百々ちゃん。次からは二人も誘うようにするね」
「うん。私、博士君のお役に立てるように頑張るよ」
隣どうしで仲よく語らい始める博士と百々。
そこに、和輝がそっと鈴香に告げた。
「何て言うか、今のお前、もの凄く恰好悪かったぞ」
「……分かってる。分かってるから、言わないで」
ひとりだけ優しくなれていなかった鈴香は、しゅんとした様子で顔をふせた。
「おい、博士。鈴香がいじけ始めたから、話を先に進めろよ」
見かねた和輝が助け船を出す。
博士は、再度二人に向けて話し始めた。
「まぁ、とにかく、僕と和輝は庵神先生について調べたんだ。何しろ、“安心先生”は有名人だからね、知っているって人は学校の先生を中心にたくさんいたよ。そして、色んな人たちから話を聞いたその結果、庵神先生は、前の学校でも今日みたいな奇跡をいくつも起こしていることが分かったんだ」
「給食の時間を早くしたの?」
そう百々がたずねる。
「いや、それについては今回が初めてみたいだよ。そうじゃなくて、もっと大きなこと。人命に関わるようなことだよ。例えば、四年前なんだけど、その学校、体育館が古かったこともあって、屋根の一部が落ちるという事故があったんだ。しかも、運の悪いことに終業式で全校児童が集まっている時に。でも、怪我をした人は誰ひとりとしていなかった」
「え、どうして?」
「皆の頭の上に落ちてくる直前、屋根が空中でとまったんだ。そして、庵神先生が真下にいる子供たちを避難させた直後、ドスンと落ちた」
「凄い。それって、本当に奇跡ね」
百々が驚きで目を見開く。
そこに、先ほどから黙っていた鈴香がようやく口を開いた。
「でも、その奇跡、庵神先生が起こしたって決まったわけじゃないでしょう? 他の先生かも知れないし、それこそ、子供たちの中の誰かかも知れないじゃない」
別にひねくれているわけでなく、純粋に疑問として聞いている様子の彼女。
これに答えたのは、和輝だった。
「いや、それはない。奇跡を起こしたのは、間違いなく庵神先生だ。そして、その理由が、俺が鈴香の推理を間違っていると言った証拠にもなる」
「どういうこと?」
「四年前のその日、体育館の屋根が落ちた瞬間にも庵神先生は口にしているんだ。今日の俺たちが聞いたあの言葉を」
「あの言葉? それって、先生が唱えた“ムルなんとか”って言葉のこと?」
「そう。正確には、ムルクーラーミ、だけどな」
「へぇ、あの言葉、ムルクーラーミって言ってたんだ。それにしても、その席からなのによく聞こえたわね」
「いや、聞いていたのは博士だ。博士の席は、最前列で教卓の目の前。教壇にいる庵神先生に一番近い場所だからな」
「なるほど。博士君の席ならば聞こえたでしょうね」
納得する鈴香に、さらに和輝は言った。
「しかも、庵神先生がムルクーラーミを唱えたのは、体育館の屋根が落ちた時と今日だけじゃない。奇跡が起きる前には必ず、その言葉を使っているんだ」
「つまり、ムルクーラーミは、奇跡を起こす言葉ってこと?」
「あぁ、そういうことだ」
和輝はうなずいて見せた。
最後に博士がこうまとめる。
「もし、庵神先生と校長先生が組んでいたとした場合、ムルクーラーミという言葉には、何の力もないということになる。でも、実際は、その言葉を切っかけとして、奇跡は起きているんだよ」
「なるほど。だから、和輝は、私の推理が間違ってるって言っていたのね」
鈴香がそちらへ目をやると、彼は、
「どうだ、参ったか?」
と、勝利の笑みを浮かべた。
「参ってはいないけど、理解はしたわ。それで、その奇跡の言葉、ムルクーラーミって、どんな意味なの?」
和輝の勝利宣言をさらりとかわし、そう鈴香がたずねる。
そのとたん、今し方までの笑顔はどこへやら。彼の表情が変わった。
「い、いや、それは……」
何だか困っている様子である。
「どんな意味なの?」
鈴香が繰り返したずねると、彼の代わりに博士が答えた。
「それが、分からないんだよ。ムルクーラーミの言葉を聞いた人はたくさんいるけど、誰もその意味を知らないんだ」
「庵神先生に直接聞いてみたらどうかしら?」
そう百々が提案する。
だが、博士は首をふった。
「たずねた人はいるようだけど、教えてもらった人はいないみたいだね。ムルクーラーミが奇跡を起こす言葉だというのは間違いないんだけど、その意味を知らないと効果はないんだ。しかも、誰かに教えてもらっては駄目。本を読んだり、インターネットを使ったり、自分で調べるということをしないといけないんだって。だから、庵神先生に聞いても教えてもらえないんだよ」
「奇跡を起こすにも努力が必要、ということなのね」
「そのとおり。そういうわけで、二人に相談なんだけど……」
そこで言葉を切ると博士は、鈴香と百々を近くまで呼び寄せ、声をひそめて告げた。
「今日の放課後、僕たち四人で、ムルクーラーミの意味を調べてみないかい?」
「調べるって、場所は?」
博士と同じくひそひそ声をして、そう鈴香が返す。
「図書室とパソコン室だよ。図書室は和輝と鈴香ちゃんの担当で、パソコン室は僕と百々ちゃん。どうかな?」
「うん、いいよ。私、博士君と一緒に行く」
博士と同じチームだったからか、百々は即答した。
「鈴香ちゃんは?」
「まぁ、私も別にいいけど……」
鈴香もそう返事をした。
ちらりと、横目で和輝へと視線をやる鈴香。既に話を知っているからだろうか、彼は、こちらのことなど気にもしていない様子で、大きなあくびをしていた。
「和輝には、私が一緒かどうかなんて、どうでもいいのかな?」そんなことを考えながら、肩が隠れるまでに伸びた髪の毛を触る。そのとたん、彼女の胸がちくりと痛んだ。
「あ、でも、鍵はどうするの? 放課後だと図書室もパソコン室も鍵がかかっていて入れないよ」
いつの間にか話は進んでいたらしく、そんなことをたずねている百々。
これに博士は、
「あぁ、それについては問題ないよ。だって、今週の僕と和輝の掃除場所は職員室だから。その時に、ちょっとね」
そう微笑むと、ポケットから図書室とパソコン室のスペアキーを取り出して見せた。




